16・JACOB
ヤーコブ・クセルクス大公はエルノクが部屋に入ってくるのを見て喜びの声を上げた。
「やあ、兄上、よくぞいらしてくれた。」
「兄上ですって?」
甲高い女の声に、ヤーコブは驚いてエルノクの後から入ってきたユーを見た。エルノクはばつの悪い顔をしながらユーの方を振り返って苦笑いを浮かべた。
「何者だ、この者は。私は兄上だけをお連れするように言ったはずだぞ。」
とまどう執事と大公の間にエルノクは入った。
「こいつのことは俺が保障する。組合の代表のひとりだ。」
エルノクはそういうとヤーコブの耳元で付け加えた。
「あんまり不用意なこと洩らすなよ! あとで憶えてろよ。」
クセルクス大公は召使や執事たちを下がらせソファに腰をおろし、二人にも席をすすめた。
「物はおまえが保管してるのか?」
「物?」
「例の石のことだ。」
「ああ、ソル・オ・テラのことか。それならこの屋敷内にあるが……」
「それじゃあさっそくだが代金は現金か? それとも金? その他何でもござれだ。」
ヤーコブはちょっと困ったような顔をして腕を組んだ。
「実は、正確には自由商に売るというわけではないのだよ。」
エルノクは驚いてユーを見た。彼女はちょっと肩をすくめてみせただけだった。大公がふたたび執事を呼ぶと、しばらくして赤ん坊を抱えたひとりの若い女性をつれてあらわれた。執事はすぐ下がったが、エルノクはなんとなくその女性の顔におぼえがあるような気がした。
「ミンリア・ユスタスパ・ターガだ。」
エルノクはすぐ納得した。
「なるほど、ユスタスパス将軍に目元がそっくりですね。はじめまして、ミンリア殿。
しかし、言われなければわかりませんでしたよ。俺の、いや、クセルクス大公の兄上殿がここを出ていかれたあとではなかったですか、あなたのお生まれになったのは。」
クセルクス大公がうなずいた。
「そう。そして今は亡きエオモス殿下の未亡人だ。
それと、他人行儀は不要だ。ミンリアには兄上の素性は説明してある。」
エルノクはちょっと肩をすくめてミンリアに向き直った。
「きみから直接聞いたほうがいいようだな。きみはエオモスの遺品をどうしたいというんだ。」
幼き未亡人ははにかみながら小さな声で言った。
「遺品ではなくこの子のことなのです。」
エルノクはミンリアの胸元ですやすやと寝息をたてている赤ん坊に注意を向けた。
「私とエオモスの息子です。でも、あなたに助けていただかねばこの子に将来はないのです。」
大公は立ち上がって彼女の肩をしっかりと抱き締めた。
「エオモスとミンリアはキアサ陛下の承認のもとで結婚したのだが、二人の間に生まれたこのグレゴールはあまりにもサキアが強いんだ。兄上ほどではないが、オルミティア陛下やマハラーヤ王女よりも。」
エルノクには自覚がなかったが、強いサキアを持つものは独特の霊気を持っていて、カンの鋭い人にはすぐに見分けがついた。また、サキアを多く持っているものは例外なくカンが鋭く、強運の持ち主であった。そして、このサキアの血筋の特異性こそが、トゥンガール王朝による支配を千年以上支えつづけてきた根源であった。ターガスはトゥンガールの末裔を名乗っており、当然、王位継承権は家柄が悪くなければサキアのより強いものの方が高かった。
「いたいけな赤ん坊に暴君か。」
エルノクはつぶやいた。
「それで俺にどうしろと?」
クセルクス大公はミンリアの肩を抱きながら強ばった顔でこたえた。
「ソル・オ・テラはこのグレゴールに相続されたのだが、兄上にはそのソル・オ・テラごとミンリアとグレゴールを保護してほしいのだ。」
ミンリアは悲痛な顔で大公を見上げた。
「ミンリアごとって言うのは無理だな。ちょっとかわいそうだがミンリアは大公家でかばってもらうのが一番いいだろう。組合がミンリアを保護してみろ、王国との関係が悪化するだけだ。こどもは死んだことにすればいいさ。グレゴールは大盗賊エルノク・イアムさまが育ててやる。」
エルノクはヤーコブの顔がぱっと一瞬だけ輝いたのを見逃さなかった。彼はミンリアの聞こえないところでヤーコブにささやいた。
「こいつがさっきのお返しだ。せいぜい奥方殿に絞られるんだな。」
ヤーコブはにやっとしてみせた。
「あれとの間に愛情なんかあると思っているのか? 兄上の代わりに押しつけられたんだぜ。マリアは私のことを奴隷かなんかだと思っているんだ。世継のハウクスが生まれて以来、もう十年近くも閨をともにしていない。愛人を何人もこさえてぶくぶく太ってるだけなんだ。だいたい、シャルク陛下に結婚させられた夫婦のどれだけが今幸せだといえるというんだ? オルミティア陛下をはじめとしてほとんどが不幸なのだよ。グレゴールとソル・オ・テラがなくなれば、私たちに不安を与えるのはマリアの存在だけになる。」
それまで黙っていたユーが二人の間に割り込んだ。
「話が決まったのはいいのですが、グレゴール殿下と宝石をこの屋敷からだすのは大仕事になります。この屋敷はS波、P波、呪文で十重二十重に囲まれています。それに、もし私たちが無事脱出に成功しても、大公殿下方の無事は保障できないのですよ。それでも殿下はミンリアさまを守ることができるのでしょうか。」
「私の手元におくかぎり、サキアの名にかけて守ってみせる。」
「ミンリアさまがあなたの好意に答えてくれる保障はないのですよ。」
クセルクス大公はにやりと笑ってみせた。
「エオモスとミンリアはこの屋敷で、まるで私のこどものようにして育ててきたのだ。そのようなことは関係ない。」
ユーはにっこりと笑った。
「それをきいて安心しました。しかし、カミマ・ヒノモトゥスが疑われないためには、実際に商取引が行なわれていなければなりません。」
「品物にグレゴールをまぎれこませようというのかね。」
ユーは笑って首を振った。
「そんなことでは誤魔化せませんよ。私はただヒノモトゥスの初の大仕事に傷を付けたくないだけなのです。ここに、イプシロン文明に伝わるめずらしい宝石をいくつか持ってきています。あなたにはこれを買っていただきましょう。愛するわが子を失ったミンリアさまを慰めるために、あなたは組合に使者を送ったことにすれば良ろしゅうございましょう? グレゴール殿下の亡くなった時期と事情に関しては殿下にお任せいたします。くれぐれも慎重に。さ、早く適当な代金を。殿下の信用小切手で結構です。まっとうな方法で現金化できるほうがよろしいのですから。」
エルノクが呆然としているうちに、あっという間に商談はまとまり、ユーは小切手をエルノクに渡した。
「あなたの取り分よ。アル・クリフォールの船長に預けておけば、あなたの口座に振込んでおいてもらえるわ。」
「グレゴールはどうするんだ?」
「あとで説明するわ。それより殿下を。」
エルノクはうなずいて、ミンリアから赤ん坊を受け取った。彼女はかなしそうにわが子を見つめた。
「それでは確かに。
どうやって殿下を逃がしたかは知らないほうがよろしいでしょう。ここでお別れにします。執事は玄関のところで待たせておいてください。」
部屋をでるとユーは廊下を見回しながらゆっくりと歩いていたが、とある通気孔の前で立ち止まった。それは以前エルノクが使った抜け道であった。
「ここだけ魔法の死角になっているわ。」
ユーはさらに目を細めて通気孔の辺りを見ていたが、やがてにっこりとした。
「マルスの導士の罠かと思ったけど違うようね。外に出るまで抜け道になっているわ。機械的な探知機の死角にもなっているし。でも妙ね。」
「何が?」
「自然にこんなものができるはずはないのだけど。」
ユーはちょっとだけ首をひねっただけで、エルノクからグレゴールを受け取ると、なにか呪文を唱えた。すると赤子は彼女の手を離れ、ふわりと浮かび上がり、天井近くまで昇っていった。通気孔の網は音もなくはずれ、赤ん坊はその中に吸い込まれていった。
通気孔のふたが再び閉まるのを見届けてから、ユーは振り返った。
「門の外にも死角があるわ。私たちはそこで待っていればいい。」
「しかし、どうやって船まで運ぶんだ?」
ユーはにっこりと笑った。
「門で待っているのは組合の車よ。つまりもうやっかいな問題はないわけ。」
17・PEDICA
ソル星系のはずれでアル・クリフォールはロンギウスクルスと接舷した。
エルノクは、イアン・アークレの用件はカミマ・ヒノモトゥスとして果しても、その後の処理はエルノク・イアムとしてやりたいと考えていた。
「ヒノモトゥスさま、よろしければ、先に先方との引き継ぎをしたいと思うのですが。」
ひかえめな言葉でゲオルゴスの影武者である『ガイウス・ゲオルグス・マラジェツス』がたずねた。エルノクとしてはさっさと我が家に戻りたい思いだったが、ヒノモトゥスの姿から元の姿に戻る必要もあった。
エルノクはさっさといけとばかりに手をふった。
自由商は大概ペアで行動するので、将来のことを考えてエルノク・ヒノモトゥスのパートナーとして彼が選ばれていた。本当だったら右腕のゲオルゴスは片時も離したくないところではあったが、アル・クリフォールのコントロールが軌道にのるまでは、エルノクかゲオルゴスのどちらかがアル・クリフォールに乗り込む必要があった。それに、お互いの影武者をそれらしく見せられるように仕込む必要もある。
何らかの手術によって影武者たちは本物と似た容姿をしていたが、立居振舞はなっていなかった。ガイウス・マラジェツスはゲオルゴスのかわりとしては、あまりにもひかえ目すぎる。カミマ・ヒノモトゥスの方はどうだか知らないが、少なくとも彼に関しては組合も人選を誤ったとしか言いようがなかった。
エルノクはパネルにロンギウスクルスのゲオルゴスを呼び出した。
「あと十分でそちらに行く。
引き継ぎはそれまでにすましておくようにガイウスに言っておけ。」
「わかった。では、十分後に。」
「で、おまえは一緒に来るのか?」
スプレーを髪に当てて整髪剤を溶かしながら、後にいるユーに聞いた。
「あなたにグレゴールをまかせておくわけにもいかないからね。」
ふんと鼻を鳴らして答えたエルノクはそのまま服を着替えるためにブリッジを離れた。
かっきり十分後にエルノクとユーはエアロックをくぐった。そこにはゲオルゴスが迎えに来ていた。
「じゃあ、あっちの方はたのむ。」
ゲオルゴスはひとつうなずくと、そのままエアロックを抜けた。
ふと、エルノクはゲオルゴスとすれ違ったときになにか違和感を感じたが、別段気にする必要はないだろうとその感覚を無視した。しかし、なにか引っかかりを感じた彼は手元の端末を操作して、現在の当直の配置を確認した。
ブリッジにはガイウスの他に3人当直についていた。チェンとウハンとワラドだ。他の要員はみな船橋から離れたところに付いているか休憩中だった。3人か。少ないかな。いや。
「ユー、ガイウスにまかせておくのは心配だ。いそいで船橋に行くぞ。」
「どうかした?」
エルノクは足を早めながら答えた。
「いや。なんでもない。」
その言葉とは裏腹の態度にユーはちょっと肩をすくめたが、グレゴールをかかえながら後に続いた。
遠くでエアロックが閉る音がした。
アル・クリフォールとロンギウスクルスの切り離し作業が始まったのだ。両者は現在互いに接舷して、間に多くの中継用のタグボートとパイプを通して結合することによって相対速度を同調するようにしていた。それぞれの船の重力転換装置が接舷部分以外の箇所にかかる回転力を相殺して、パイプやエアロックがはずれたり折れ曲ったりしないようにしていた。
専用のドッキングポートでもあればドッキングも容易となるであろうが、外見を著しく変えることになり、それぞれの宇宙船の活動に見合わなくなってしまう。
なんとかしなくてはいけないな、とエルノクは思いつつも、両船の接舷監督に連絡を取って、アンドック作業をいそがせた。
エレベーターホールはすぐそこにあった。
エレベーターとは言いながらも、それは上下に移動するものではなく、横方向に移動するようになっていた。宇宙船の中での上下の定義は無意味であったが、エルノクはロンギウスクルスの長軸方向を前後と定め、それに直交する方向に上と下が来るように重力転換装置を配置していた。そのため、エレベーターは長軸方向――すなわち横方向に移動することになったのだ。いずれにしろ、リニアモーターと重力転換を組み合わせた駆動装置の前ではどちらに移動しようが関係なかった。
ブリッジのあるセクションでエレベーターは停止した。
エルノクとユーがブリッジに入ると、ちょうどむこうでガイウスが振りむいたところだった。
「見ろ、ヒノモトゥスが反乱を起こしたぞ。みんなつかまえるんだ!」
ガイウスのことばにエルノクはぎょっとして、反射的にエレベーターのドアを開けようとした。しまった、ロックされている。
「ユー、こっちだ。」
言うと同時に、エルノクは左腕の端末の鍵盤を叩いた。すぐにエレベーターのドアは手動で開くようになり、エルノクとユーはエレベータールームに飛び込んだ。ユーがグレゴールをかかえた反対側の手でドアを閉めるのを横目で見ながら、エルノクは再び端末の鍵盤を叩いた。
ブリッジの床が平らでなく、障害物が多かったことがエルノクたちに幸いしたようだ。
「話はあとだ、とりあえず、ここを出なくては。」
鍵盤を叩いてから、エルノクは横の壁の一部を動かした。すると壁の一部が落ち込んで向うがわに開いた。
「撹乱P波なしで思考を遮蔽できるか?」
ユーはだまってうなずいたが、ちらっとグレゴールの方を見た。
「そうか。いや、雑音的な思考まではゲオルゴスは読めない。とりあえず、こっちに来るんだ。」
エルノクはエレベーターの通り道へとユーを連れ込み、再び緊急避難口を閉めた。
「重力転換装置の極性をこの奥の方に変えるんだ。いそいで。」
足の方から『落ちて』ゆくエルノクにユーはすぐにならった。適当なところまで『落ち』たところでふたりは重力転換装置を切って、スライディングの要領で速度を殺した。
「そこだ、そこに点検用のハッチがある。」
ハッチにより近いところにいたユーがかけて行ってハッチを開けた。
しばらく、複雑な道を行き来し、やがてせまい通路の角でふたりは息を切らしながら立ち止まった。
「一体何が起きたというの?」
「それはこっちが聞きたいほどだ。」
ふたりはなおも息を切らせながらにらみあった。
「さっき、ガイウスじゃなくてゲオルゴスって言ったわね。」
エルノクは端末に何か入力してから答えた。
「ああ、ガイウスにあんな真似ができるとは思えない。あれはゲオルゴスだ。」
ユーの腕の中のグレゴールは火がついたかのように泣きはじめたが、ユーはそれに頓着することもなくエルノクに言った。
「説明してもらおうかしら?」
「それより先に、あんたは思考を遮蔽することができるのか? ゲオルゴスは第二段階のエスパーなんだ。」
「私は第三段階のエスパーには会ったことがないからわからないけど、第二段階のエスパーに心を読まれたことはないわ。魔術師には時々そういう人がいるものなのよ。」
エルノクは座り込んだ。
「いいだろう。
ゲオルゴスは王国からの刺客なんだよ。それを俺が気に入って仲間にした。」
「過去形じゃないのね。今もそうだってこと?」
「察しがいいな。俺はあいつとカケをしたんだよ。いつでも俺の命を狙ってもかまわない。そのかわり俺が生きてる限りは俺の言うことを聞けと。」
「随分とむちゃなカケね。」
「まあ、受ける方も受ける方だがな。
それ以来、俺とあいつは基本的にいっしょに行動していたんだが、今回のことで、あいつに行動を起こす機会を与えてしまったってわけだ。どうやって船橋の連中を手なずけたのかわからないが、あいつの能力を使ったためなのかもしれないな。それはともかく、」
エルノクはグレゴールをにらんだ。
「そいつをなんとかだまらせられないか?」
ユーは右手をグレゴールの目の前にかざしながら、なにか呪文をとなえた。すると、それまで激しく泣いていた赤子は嘘のように静まりすやすやと寝てしまった。
「これでいいでしょ。」
「魔法とはちょっと強引じゃないのか?」
さすがにあきれるエルノクに、ユーはさらっと答えた。
「今は緊急事態でしょ。あなたはこれから何かに集中したいんでしょ?」
端末を叩きながらエルノクは答えた。
「ああ。
どうやらゲオルゴスは何らかの理由で船の他の船員までは掌握しきれてないようだ。他の船員に動きは見られない。ということは、船橋にいる連中だけをなんとかすればこちらが勝ちということだ。」
「何か手伝えることは?」
「いいや。これは俺の船だ。俺がなんとかする。」
エルノクはそのまま端末の鍵盤を叩くのに没入してしまい、一言もしゃべらなくなった。
ユーはそんな彼をじっと見守っていた。
エルノクの端末からはある程度船のコンピュータ群をコントロールできるようになっていた。先程もエレベーターをコントロールするコンピュータに横から指令を与えることで、ロックをはずしていたのだった。
今、彼は船の要所要所の重力転換装置の制御装置を次々と支配下に取り込んでいた。
しかし、次々と制御を奪われるコンピュータを、ゲオルゴスはだまって見てるわけではなかった。彼も船橋の端末を使って、制御装置の支配を取り戻そうとしていた。
黙々と端末を叩くエルノクは、合間にひとつのプログラムを起動した。とたんに船橋からのメインの制御権がダウンして、ほとんどの重力転換装置の制御をエルノクは手にしていた。さらにもうひとつのコマンドでエルノクは船橋のドアを完全にロックした。船橋から誰も出ていないことは確認している。ゲオルゴスはエルノクの追跡に船内の保守ロボットを使っていたのだ。しかし、保守ロボットの特徴を知りつくしているエルノクは簡単にロボットの裏をかいていた。
だが、これだけでは足りない。船橋の重力転換装置を支配下におさめられない限り手詰りだ。
静かな戦いが続いた。エルノクは黙々と鍵盤を叩き、そしてついに船橋の重力転換装置のコントロールを手にした。
ただちにエルノクがあらたなコマンドを投入すると、ロンギウスクルスの船体がゆっくりと回転をはじめた。いくらゆっくりとはいっても、ロンギウスクルスの巨大な船体の成すモーメントは大きく、多大な加速度が船体の各所にかかることになる。船体の各所に設置されている重力転換装置は、それを微妙に制御することによって船体にかかる巨大な加速度を中和するようになっていた。今、重力転換装置は協調しあって、逆に船体を回転する方に動いていたのだ。
すぐにエルノクは次のコマンドを打って、船体の回転を止めた。
船内の各所の重力転換がうまく重力を調整していたので、エルノクたちはその回転を実感することもなかった。
「行くぞ。」
エルノクは立ち上がると、元来た道を引き返しはじめた。ユーは何も言わずに後を追った。
船橋の点検口を開けると、中は道具や書類がごちゃごちゃにひっくりかえっていた。
エルノクは船橋にだけ、回転による加速度がかかるようにしていたのだった。
「たまらんな。こりゃ、後かたづけが大変だな。」
船橋にいたスタッフはみな急な加速度で気を失っていた。ゲオルゴスも同様だった。
すぐにエルノクは彼らを拘束した。
「こいつらには話を聞かれたくない。ゲオルゴスだけをさっきの通路につれて行く。すまないが手を貸してもらえるか?」
ユーはグレゴールを見てちょっと躊躇したが、すぐにグレゴールを左腕でかかえこんで、そのまま右腕をゲオルゴスの下にすべりこませた。すぐにエルノクもゲオルゴスの右側にまわって、左手で彼をかかえ上げた。
ちらかった床の物をよけて移動するのは少々てこずったが、ユーは意外と力が強く、程なく三人は作業用通路に入っていた。
「おい、起きろ、ゲオルゴス。」
エルノクはゲオルゴスの頬を打って耳許でどなった。
すぐにゲオルゴスは意識を取り戻した。
「脳震盪を起こした人間に随分と手荒な歓迎だな。」
「言ってろ。」
エルノクはゲオルゴスの目の前にあぐらをかいて座った。ゲオルゴスは手足を拘束されていたので、床から起き上ることができなかった。
「さて、今回も俺は危機を乗り切った。おまえの力では俺を掌握できないし、ユーにもその力は通じない。」
ゲオルゴスは目をしばらくつむってからまた目を開いた。
「いよいよ、俺もお払い箱になるときがきたのかな?」
エルノクはにやりと笑って答えた。
「その話なんだがな。お前の雇い主は俺の命を狙うことをあきらめた。おまえにもう俺の命を狙う意味はなくなったというわけだ。そこで、だ。今度は俺が正式におまえのことを雇おうと思うんだが、どうだろう?」
ゲオルゴスは興味の無いように視線をエルノクからそらした。
エルノクはかまわず続けた。
「条件は今までと同じだ。おまえは俺の命を狙い続け、俺はそれを回避しようとする。俺が生きてるうちは俺の勝ちで、おまえは俺の命令に従う。」
ゲオルゴスはゆっくりとエルノクの方に視線を戻した。
「それって……」
「カケを続けようってことさ。」
ゲオルゴスはむきになって言った。
「自分を殺すための依頼を俺にするというのか?」
「むざむざ殺されるつもりは無いさ。もちろんカケに勝つ自信があるからこそ俺はおまえにこんなこと言ってるんだ。おまえは俺のことを狙い続ける。おまえがいいって思うまでな。」
それはゲオルゴスのプライドを立てるための方便でもあった。
エルノクとしても、ゲオルゴスをむざむざ失うつもりはなかったが、ただそのまま解放したのでは、ゲオルゴスもおさまりがつかないだろう。
「ということで、一方的にカケを始めさせてもらうぜ。」
エルノクはそう言うとゲオルゴスのいましめを解きはじめた。
ゲオルゴスは手足が自由になると、しばらくその調子を確認しはじめた。
不意にゲオルゴスの拳がエルノクのアゴを狙ったが、エルノクは難なくそれをかわした。
「おっと、さっそく始めてくれるか。カケに乗ったものとみなすぜ。
さあ、ブリッジに戻るぞ。どうせ連中にテレパシーで圧力を掛けたんだろ。連中の誤解を解かないことにはいけないし、なにしろブリッジの掃除は大変だ。ブリッジの掃除が済むまでは、アル・クリフォールに帰さないから覚悟しておけよ。それまでアル・クリフォールとドッキングしたまま航行することにする。」
エルノクはユーの方を見てウィンクしてみせた。
ユーはあきれてちょっと肩をすくめてみせた。
「おら、とっとと行くぞ。ヤーヴェイに着くまえにはアンドックする必要があるからな。」
18・YAHVHEI
エア専用のポートもそうだったが、ロンギウスクルスのドッキングしたポートも入国審査の類はついていない。どうやらエルノクは自由商崩れのなかでもかなり特別扱いとなっているものらしい。
エルノクは新しい身分証明書をもらったクルーたちに自由行動を許した。当面、いそいで動く必要がなかったし、この前ヤーヴェイに滞在したときからほとんど彼らに休暇をやっていなかったから。それに商売の方はアル・クリフォールでできるし、とりあえずは問題にならないだろう。
ユーはグレゴールを抱いたままイアン・アークレに報告しに行ってしまった。
「エルノクさま、組合長がお待ちです。」
エルノク・イアムは突然ヤレーに呼び出されて面食らっていた。
グレゴールはエルノクがあずかったことになっていたが、ユーがイアンへの報告のためつれていってからもう四日もたつ。
ヤーヴェイ内ではヤレー以外の大長老のことを大っぴらに話すことはタブーとされていた。エルノクはついに最後の手段をもってヤレーの口を割らそうとしたが、ヤレーはユーについてはガンとして話そうとしなかった。大長老の行動は完全に秘密にされていて、それだから彼らは一般の自由商に知られていないのだ。
ヤレーの部屋には先客がいた。ひとりは褐色の肌の若い女性でその胸に赤子を抱いていた。エルノクはすぐにその赤ん坊がグレゴールだということに気が付いた。そしてもうひとりはユウだった。
「ユウ! 一体今までどこにいたんだ?」
ユウはにやっと笑ってみせた。
「グレゴールの乳母を探していたんだよ。まさかロンギウスクルスのなかで育てるわけにもいかないだろ。この子はマルス人のリーンだ。」
エルノクはぎょっとした。
「マルスだって? よくもまあつれてこられたもんだ。」
「ちょっとやばかったけどな。連中にグレゴールと『麗しのフォーマルハウト』の運命について占わせたんだ。」
ユウはそこでくすっと笑って、イプシロン語で付け加えた。
「オレのまわりじゃ、占いが正確に決まるわけないんだ。エアが確率を狂わせているからな。うまく都合のいい結果がでたからほっとしたよ。」
イプシロン語がわからずきょとっとしているリーンにラテン語でユウは言った。
「この人がさっき言っていたエルノクだ。」
リーンは両掌をあわせてお辞儀した。ユウは彼女を下がらせた。
「さてエルノク。私はようやっときみのことを大長老たちに認めさせることができたよ。きみは見事に準長老としての役をはたしてくれたのだ。」
ヤレーのことばにエルノクは驚いた。
「何の話をしているんだ一体?」
「きみは試験に合格したってことなのだよ。大長老たちはみんなもう、きみが私の孫だということを知っているんだ。」
それでヤレーは最後の手段に、びくともしなかったのか。
「きみはたしかに個人主義だ。部下の扱いも荒っぽい。しかし、きみの部下たちへの接し方は公平で的確だ。将来、組合のうえの方にたったときも、十分その職務をはたせると私は信じる。」
「そんなの誤解だ。俺はただまわりに踊らされっぱなしだった。」
ユウがエルノクを見上げて言った。
「これからは違うさ。あんたはサキアを手なずけてオルミティアの呪縛をついに断ち切ったんだ。サキアという魔性の血の求心力を振り切ってね。あんたはエアの無限不可能性フィールドの影響も受けているんだから、あらゆる運命的なものからも自由だ。あんたは自分で自分の運命を切り開けるようになったんだよ。組合の頼みを聞くかどうかもあんたの自由だ。あんたを縛るのはその名前だけなんだから。」
ユウはにやっと笑った。
「それでもオレは、エルがオレたちの頼みを聞いてくれるものと信じているのさ。」
エルノクはため息をついた。
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