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ソル・オ・テラ/ヤーヴェイ

19・MAGISTRA

Vincent Ohmor / 白田英雄訳

19・MAGISTRA

 そこは何の変哲もない喫茶店であった。そのテーブルのひとつについている、まだ幼さの残る女性にも何も変わったところは見えなかった。
 客はそのほかにはいなかった。
 エルノクは店内を一通り眺めわたしながら、妙な気分を味わっていた。さすがにイプシロン文明の中心近くの大都市というだけあるという気持ちと、この戦争状態のなか、よくもまあこんな店が生き残ったもんだと。何しろ、エルノクの育ったエリドゥでは、まあまだターガス王朝になったばかりということもあったが、人々は常にぴりぴりしていたものだった。
 いつまでも入り口で立ち止まっているエルノクに、ボーイが近付いてきて席へ案内しようとしたが、それを手で振って断った彼は、唯一店内にいた女性の席の方へと歩いていった。女性もその気配に気付いたのか顔を上げエルノクを見た。
「三分の遅刻よ。」
「俺の国では少し遅れてくるのが礼儀なんだ。」
 ユーはいつもながらの地味な服を身にまとっていたが、彼女の生命力自身が地味さを覆い隠してしまっていた。
「ロンギウスクルスはどうしたの。」
「もうポートができたからな。交易ステーションとして機能しはじめているよ。」
「留守にしてきて大丈夫だった?」
「ゲオルゴスとエルモに全部まかせてきたよ。俺はいいのさ。もともと重力に長い間縛られるのはいやなたちでね、すぐふらふらどっか行っちゃうってエルモにこの前怒られたばっかりさ。」
 エルノクはユーの向かいの椅子に腰掛け、ボーイに簡単な飲み物を注文した。
「ロンギウスクルスの名を残すって聞いたときは驚いたけど、やっぱりステーションの形もその名の通りにでもするの?」
 エルノクはよくぞ聞いてくれましたとばかりににっと笑った。
「最終的には百ミーリア以上にしたいと思っている。少なくとも長さだけはヤーヴェイに負けたくないね。まだ帝国にも王国にも登録していないから正体がばれることはないさ。」
 エルノクはボーイが運んできたどろっとした緑色の飲み物に口をつけたが、口当たりの悪さにグラスを見なおした。
「なんだこりゃ。」
「あなたがたのんだものでしょ。ここにはアルコールは置いてないのよ。」
 エルノクはグラスをテーブルの端の方に押しやった。似た名の酒と間違えたのだ。
「それはそうと、俺に手伝ってほしいというのは……」
 ユーはカップのなかのカァフワコーヒーを一口すすった。
「最近ロンギウスクルスの工事でなにか変わったことってない?」
「変わったこと? あぁ、そういえば最近作業効率が落ちたっていってたな。事故もふえてるし。」
「実はヤーヴェイ内でも事故がふえているのよ。」
 エルノクはサングラスの奥の方で眉をしかめてみせた。
「それに、最近身の回りに異変を感じていない?」
「ここにくる途中危うくエアカーに跳ねられるところだった。……といった類のことか? それならとくに身の危険を感じるほどの事故がかなりあったぜ。」
「大長老全員が身の危険を覚えているわ。」
「とすると偶然ではなさそうだな。それが今回の呼び出しと関係あるのか。」
 ユーはカァフワの残りを飲み干して立ち上がった。
「詳しいことは歩きながら話すわ。いそいで。」
 わけがわからないままユーに引きずられるようにしてエルノクは店の外に出たが、そのとたん店の調理場の方から爆発音が聞こえた。ユーは立ち止まろうとしたエルノクの手をつよく握ったまま、できるだけ早く現場をたち去ろうとした。
「古くは正統魔術といわれていたものだわ。もう廃れたと思っていたけど。」
「正統?」
 エルノクはユーの横顔を見つめながらたずねた。
「普通、魔術という言葉は感染魔術のことを表すの。つまり感染の法則と相似法則を主に活用するわけね。つまり『ある対象と関連したものはその対象の性質を受け継ぐ』そして、『ある原因に対しては相似的な結果がえられる。』つまり原因と結果は似たものになる。これはかなり即物的な効果が得られるわ。
 それに対して古代の正統魔術は、半物質的な魔法空間のなかに自己を投影して、現実世界に影響を与えようとするものなの。魔法空間での結果は現実世界に還元されるし、その影響力は緩慢だけれど感染魔術より強力で永続的だわ。」
「それが自由商組合に対して行われているというのか。しかし、何のために。」
「そこまではわからないわ。でも術の中心はわかったわ。」
 ユーはとあるホテルの一室にエルノクを連れ込んだ。
 そこは薄暗い中、蝋燭の明かりだけが輝いていた。床には正八角形の図形が同心円状にいくつか描かれていて、その八角形と八角形の間の部分にはイプシロン文字より複雑で鋭角的な文字によって何か書いてあった。その中心には丸いカップに入ったカァフワにクリームを落としてかき回した時にできるような絵が描かれていた。(つまり床には八卦図が描かれ、その中心に太極図があるわけだ。)
「実は正統魔術の法則は完全なものとしては伝えられてはいないの。おまけに、それは アベリア ガブレリアのグラントムによって禁止されてからは、関係の書物もすべて処分されたはずだったわ。
 もっとも、魔術とはまったく関係ない方面で、ほとんど完全に整理された体系が伝わっていたの。私はこれからその方法で犯人を魔法空間でとらえます。あなたには、私がこれから指示する場所で犯人の肉体をとらえてほしいの。彼はその時無防備な状態にあるはずだから。」
「どういうことだ?」
「行けばわかるわ。」
 ユーは魔法陣のなかに入って目を半分開いた状態で瞑想に入った。十分ぐらいそうしていたところで、ユーは再び目を開けた。
「やっぱりそうだわ。エル、さっき私達のいた喫茶店の建物はアパートとして使われているの。あの喫茶店のちょうど上の部屋。そこにいるわ。
 本当は私がいければいいんだけど、まだこの方法って成功したばかりで完全にはコントロールできないのよ。だから頼むわ。
 それと、部屋のなかになにかあったとしても決して動かしてはいけないわ。たぶん彼は部屋の真ん中で椅子にでも座っていると思う。彼が意識を取り戻すまで彼が動かないように押さえておいて。」
「どんな奴なのかわからないのか。」
「なんか様子が変なの。彼のまわりは場が歪んでいるみたいになってるわ。」
 ユーは半眼に戻った。エルノクは行動に移ろうとしたが、そこで繰り広げられた状況にふと歩みを止めた。ユーの頭上から光の玉のようなものがあらわれて、それがだんだん大きくなってついにユーと一寸たがわぬ姿に変わった。ユーの頭上のユーは、エルノクがまだ愚図愚図しているのに気付いて手で彼を促した。エルノクはぼんやりと後を向いて部屋を出たが、途中何度も後をふりかえった。エルノクが部屋から出る前に、頭上のユーはかき消すように消えていなくなった。

 ここでユーが魔法空間と呼んだものは、ほとんど夢の世界と変わらない。ただはっきりと意識を持ってその世界を認識し、自由に行動し、また影響を与えられるようになるのはかなり大変な仕事であった。誤って妙な象意をとらえてしまうと、そのイメージにとらえられて、場合によっては暗黒面に落ち込んでしまうかもしれないからだ。
 ユーは空間の歪みに到達した。まわりがやたらと暗い。彼女の持っている体温も闇のなかに吸い込まれてしまいそうだ。
 寒気を感じたユーはあわてて自分の気の巡りを強化した。陰の気がこもっているようだ。これが普通の物なら、強い気の固まりをこの中心に送ってやればもとに戻るはずだが……
 ユーは丹田(へその下一寸ほどにあるつぼ)に気を集中させた。そのまま気をめぐらして手に誘導し、空間が歪んでいる部分にぶつけた。暗やみは揺らいでみせたが、一瞬戯画化された顔をのぞかせてもとに戻った。ユーにはそれが悪魔の笑いに見えた。
 すると、この術者はやはり暗黒面にとらわれたのに違いない。知らぬうちに心の暗黒面に関する封印を解いてしまい、自分の心の奥底に住みついている悪魔を解放してしまったのだ。悪魔は誤った象意のもとに聖者の顔をして近付いてくるから、知識のない術者は簡単にだまされてしまい、ついには術者の魂までもが悪魔にとり尽くされてしまうのだ。そうなると最後、術者の星気体つまりここで言うところの気では、悪魔の宿った肉体を維持できないので、術者は他人から気を奪って活動する吸精鬼になってしまう。
 ユーの知っている方法に悪魔払いはなかった。彼女が知っているのは感染魔術による悪魔払いだけだ。しかし、それを魔法空間で使用したときにどのような影響があるのか、まったくわからない。悪魔はユーの気を吸ってさらに大きく強大になりつつあった。早く手を打たないと、取りつかれた人のまわりに悪影響を及ぼしかねない。
「エア、しばらくこの周囲をモニターしておいてくれる?」
(準備はいいよ。)
「もし妙な反動があったら頼むわ。何が起こるかわからないの。」
(いつでもOKだよ。)
 ユーは暗黒に向けて印を結んだ。
「聖なる
ユーの名において命じる。 カオスへ帰れ クハオン・レディ!」
 普通の世界で場の浄化に使うその呪文は、ここで劇的な効果を上げた。
 気が揺らぎ、まるで空間自身がゆれているような振動が伝わってきて、ユーは弾き飛ばされた。すぐにエアの思念が彼女をやさしく抱き留めてくれたので、ユーはその場で起こったことを逐次目にすることができた。
 一瞬暗黒は呪文の効果で生じた気の嵐を吸い込もうと膨れあがった。しかし、膨張はやがてやみ、それは急速な収縮にともない赤い光を発しはじめた。光は赤から橙をへて黄色くなりついにはまばゆい青みがかかった白い輝きとなって消えた。

 エルノクはなかなか部屋にはいれなかった。頑丈な鍵がドアにかけられていたからである。(結果的にはそれが彼の命を助けたことになるのだが。)
 エルノクがようやく鍵を壊して中に入ったとたん、体に異常なほどの脱力感が押し寄せてきて立っていられなくなった。四つんばいになりながらなんとか顔を起こして部屋のなかを見回した彼は、恐怖のため体がなおも硬直した。エルノクの目の前には身なりのよい服装をした男のミイラが、苦しそうな姿を保ったまま転がっていた。部屋の中にはいくつかの鉢が植えてあったが、それらはすべてからからにひからびていた。しかし、なおも異様なのは、部屋の真ん中に座った赤毛の女性であった。エルノクが彼女に気付いたとき、それは三十代ぐらいの女性だった。それが見る間に若返っていくのだ。エルノクが自分の手を見ると、見る間にしわに覆われていくのが見えた。するとその女性は彼の若さを吸い取っているのだ! そして気が付いたときには彼女はもうユーの見かけよりも若くなっていて、十三、四才ぐらいに見えた。
 とたんに彼女は苦しみはじめ、若返りはとまった。同時に、部屋にこもっていた重苦しい雰囲気も消え失せた。
 エルノクは消耗し切った体をもち上げて立ち上がった。そして、ユーに言われた通りに彼女の肩を押さえた。もっともその女性が目をさましたらエルノクよりずっと力があっただろうが……
 ユーは程なくあらわれた。
「もういいわ。ごめんなさい。ちょっと認識が足りなかったようだわ。」
 ユーは床に転がっていた死体に目をやった。
「こちらの人はもう手遅れだわ……。でもあなたの方はまだなんとかなるわ。手をだして。」
 ユーがエルノクの差し出した手の上に両手をかざすと、エルノクは手のひらからなにか熱いものが伝わってきて、体にそれが流れこむのを感じた。見る間に体に力が戻ってきて、しわも元どおりになっていった。ユーは深く息をついて手を引いた。エルノクは自分の顔に手を触れてみたが、しわはなくなっていた。
「完全にもとに戻すことはできなかったわ。あなたはもともと歳より若く見えてたからね。ま、それに気付く人もあまりいないとは思うわ。あとはこっちの人ね。」
 ユーが気を失っている少女に手をかざそうとしたとき、少女は目をさました。
「こ、ここは?」
「あなたの部屋よ。」
「わたしの? でも、わたしは学校の寮にいたのよ。ここはわたしの部屋じゃないわ。」
 エルノクとユーは顔を見合わせた。
「なんて言う学校なの?」
「ユーロードよ。わたしはそこの九年生なの。マリはどこ?」
 少女はまだあどけなさの残る表情でにこっと笑った。
「マリってだれのことなの?」
「ローダ・マリ。わたしのルームメイトよ。」
「ローダ・マリ! 去年亡くなった自由商の大物のことか?」
 ユーがエルノクを制したが遅かった。
「去年亡くなった? 自由商の、なんですって? わたしたちまだ十四才なのよ。」
 ローダ・マリが亡くなったとき、その歳は五十六才ぐらいだった。するとこの女は四十数才も若返ったのだ!
「きみの名前はなんというんだい?」
「ベンヨアン・キャット・エルファ。パパは有名な貴族だから知ってるでしょ。」
 ユーはエルノクに首を振ってみせた。
「とにかく私の部屋に彼女を連れてきて。ちょっと面倒なことになりそうだわ。」
「おい、君は……」
 ユーはエルノクに質問もさせないうちに消えた。ここにいたのは彼女の実体ではなかったのだ。キャットはそれをみて無邪気におもしろがっていたが、エルノクはキャットの手を軽く握って、ついてこいと身振りで示した。
「ともかく、きみはいま……あー、一種のタイムスリップに巻き込まれたんだよ。取りあえずついてくるんだ。」
 わけもわからないままキャット・エルファはうなずいてエルノクにしたがった。
 エルノクがアパートの裏口から出たのは正解だった。建物の正面、喫茶店の方は人だかりができていたから。エルノクはこの時気付かなかったのだが、ベンヨアン女史の行った魔法儀式の犠牲はあの部屋にいた男性だけでなく、ほとんどあのアパート全体に広がっていたのだ。エルノクがアパートに到着したとき、すでに魔法空間でユーと悪魔の戦いが始まっていたおかげで、エルノクは生気を吸い尽くされずにすんだのだった。

「どうだい。」
「いま眠ったところだわ。」
 魔法の反動なのか、ユーのアパートについた頃にはキャットは眠くてたまらないという様子だった。ただ突然わけのわからない環境に置かれたせいか、興奮して今までベッドの上でユーに質問の嵐を浴びせていたのだった。
「彼女はもう手遅れだわ。完全にもとの記憶を失っている……。こんな経験は初めてだったから手のほどこしようもないわ。」
「あの娘にとってはその方がきっと幸せだよ。ベンヨアン貴族院議員は幸せな半生を送ったとは言えなかったし、それだからこそ、仲のよかったローダ・マリが幸福をつかんだ自由商に嫉妬して、黒魔術に走ったんだろ。きっと。」
「まあ、そこまでは何とも言えないけどね。浄化の呪文が悪魔と一緒に彼女の邪気の根源である記憶も奪っていってしまったわけね。」
「もしあのままほうっておかれたらどうなっていたんだろ。」
 ユーはエルノクをにらみ付けていった。
「あまりそういう話はしてほしくないわね。あのまま若返っていったベンヨアンはいったん無に帰ってから再生していたはずだわ。おそらく二十代ぐらいの見かけ、つまり人間が一番完全な状態の年として。でも、もうそうなったらそれは人間とは呼べないわ。他人の生命エネルギーを糧にして生きる妖怪ね。」
 エルノクはそっとドアを空けてキャットの寝顔をうかがった。邪気のまったく感じられない寝顔。そういえば誰かに似ているような……
「問題は彼女をどうするかよね。」
「俺が引き取るからいいよ。」
 ユーはにっと笑ってみせた。
「そうよね。もう五十にも手が届くような男が今更独身なんてね。ユウがいってたわよ。いつまでもオレにつきまとわれたんじゃぁたまらねぇ、ってね。」
「おいおい、この娘はまだ十四なんだぜ。」
「自由商の間では別にめずらしい歳じゃないわ。」
 エルノクは困った顔をしてみせた。
「それじゃあ仕方ないわね。エルノク・イアム、あなたにベンヨアン・キャット・エルファの保護を大長老権限で命じるわ。この場合の保護っていうのは、彼女を妻として迎えろって意味よ。」
「おいおい、大長老ってのは不道徳なことを強制する集団なのかい?」
「あのね、考えてご覧なさい。あの娘はまったく身寄りもないうえに全然知らない環境に、これから適応していかなくちゃいけないのよ。誰かそばにいてあげなきゃだめなの。」
「それなら養子にするとか、色々あるだろ。」
「それじゃ駄目なの。歳は離れていても、夫婦の絆は強いものだわ。対等なものだしね。それに第一、老い先短い老人よ、あなたは。」
 エルノクはキャットに視線を戻してため息をついた。誰に似ているのかって言えば、ユウに似ているんじゃないか。髪が赤くって肌が真っ白だってことを除けば。
「あなたが彼女の顔にみとれていたのに気付かなかったとでも思っているの? あなたと知り合ってもう二十年近くなるのよ。もう私達のような化物を追いかけ回すのも終わりにするべきよ。あなたに伴侶が必要なのは誰の目にみても明らかよ。」
 エルノクは歳柄にもなく頬を少し赤らめた。
「そいつはなんに対する皮肉だい? それに本人の意思はどうなる。」
 ユーはくすくす笑ってみせた。
「さっき聞いたことによるとね、あの娘、あなたに一目惚れしたそうよ。」
 ユーはエルノクがこんなに照れたところを見たことがなかった。しばらく部屋を覗き込んでいたエルノクだが、ついに観念したのか彼は少女の眠るベッドの脇にひざまずいてキャットの頬に軽くキスした。
「今度から君は、カタリナ・エルファ・イアムだ。(キャットはカタリナの愛称にあたる。)未来の大長老のひとりの妻さ。」
 キャットはまるでそれに応えたかのように夢のなかで微笑んだ。

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