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ぼくの博物館

doru

 

 博物館に入ると今まで流れていた汗が嘘のように引いていくのがわかるから好きだったんだ。べっとりかいた服もすぐに渇いて、とても重かった身体がほんの少し軽くなったような気がするから、博物館が結構気にいっていたのだよね。
 学校の友だちに、博物館にときどき遊びに行っているっていうと、みんな眉をしかめて、あんなカビが生えて、うっとおしいところのどこがいいんだよって、文句を言ったりしたのだけど、ぼくには友だちの言っていることの方がよくわからない。
 だって博物館に入って、何もせずにぼんやり眺めているだけでも、なぜだかわからないけど涙が出てくるぐらい好きだったのだもの。
 ぼくはこんなに博物館が好きなのに、元気なころは、週に一回か、無理すれば二回かな、それぐらいしか行くことができなかったんだ。それは学校の先生たちが行ってはいけないって注意されていたから、長い間この星の青い太陽の下にいるとこの身体は持たないのだって、まったく失礼しちゃうよね。それじゃぼくが塩をかければとろとろと溶けてしまうなめくじみたいじゃないか。
 でもね、先生たちはいつもこの身体のことをいろいろ心配してくれているみたいなのだけど、そんなことぼくから見ればよけいなお世話、うっとおしいだけだったんだ。生きている間は誰かなんと云おうと好きなことをしたい。特別製の服が汗でびっしょりになっても、無菌室のお部屋で、すぐにごろんとひっくり返ってしまうぐらい疲れてしまっても、博物館が好きで好きでたまらないのだから、先生たちがなんと云おうと、他の誰かに何かを云われようとも行きたいところには、ぼくがぼくでありつづける限り行きたいし、博物館に行くのに、誰にも反対する権利なんてないのにね。
 学校の先生たちも、ぼくがこそこそと学校の授業を抜け出して、博物館にちょくちょく遊びに行って、最近の定期検診の成績が悪くなったりしたものだから、薄々は感付いていたみたい。でも先生たちは怒らない。どんなに偉い先生もぼくには怒れないのさ。学校の友だちを殴るように、ぼくを殴ったりしたものなら、どこかの怖いおばさんたちから、ぼくを苛めたとかで、ぎゃあぎゃあ喚かれるのがとてもよくわかっているものだから、殴りたくても殴れないのだよね。
 それに、ぼくが先生たちの強い手で殴られてしまうとピューンって吹っ飛んで、それきりさよならってことになってしまうこともあるし、弱いぼくを殴ったりできないっていうことが先生たちにも痛いほどわかっていたみたい。だから悪いことをしても怒られない。これって喜んでいいことなのかな、それとも哀しいことなのか、ぼくに本当のことを教えてくれる人がいなかったから、よくわからないんだ。
 博物館のたった一人の従業員のおじさんで、小さな子どもたちに昔の夢を売っていたおじさんは、今日は入場券売り場にはいなくて、小さな事務所の机に座って、一生懸命だれかに電話をかけていたみたいなのだけど、ぼくが来たのがわかると慌てて電話を置いて、精一杯の笑顔で、それこそ怖いぐらいの笑顔で迎えてくれたんだ。
 おじさんは棚からほこりまみれのぼくのための特別なお菓子を引っ張りだして、ぼうや食べるかいと優しく云ってくれたのだけど、おじさんの考えていることがすぐにわかったから、できるだけ遠くに逃げることにしたの。
 ぼくみたいなものでもいつも優しく扱ってくれていたおじさんにはとても悪い気がしたのだけど、今日はおじさんのお菓子を食べたくなかった。本当はお菓子をみたとき、ごくりと喉がなるのがわかって、とてもお腹がすいているのもわかって、何かお腹につめるものがとても欲しかったのだけど、おじさんがくれた特別なお菓子に特別なお薬が入ってなくても、食べたとたんに気分が悪くなって、そのまま博物館の床にぜんぶ吐いてしまったときのことを考えたら、食べることなんてできなかった。大好きな博物館がぼくの吐いたもので汚れるとぼくは苦しいし、掃除するおじさんやぼくみたいな博物館を必要とする子どもがそれを見たらきっと嫌だろうなと思ったからね。
 それに、先生じゃない、一日一人か二人来るぐらいのとても寂れた博物館の管理人に過ぎなかったおじさんは、ぼくの身体のことよく知らなかったのかもしれないけど、そのときのぼくはかなり弱ってて口から直接お菓子を食べれるような状態じゃなかったんだ。
 ぼくは、この星の青い太陽の下で歩ける丈夫な身体になるために、背中の脊髄にそって大きな針をぶすり、お腹の内臓にも大きな針をぶすり、足の筋肉にもぶすり、手の指の間にもぶすり、この身体にたくさんの針をぶすり、ぶすり、ぶすり、ああ嫌だ、嫌だ、嫌だ。考えただけでぞっとする。いくら丈夫な身体になっても、毎日先生に囲まれて毎日針を刺されて毎日痛い思いをするだけの生活なんて生きているって云えるのかな? やっぱり云えないよね。
 おじさんに捕まらなかったぼくは、さっさと博物館の中に入ったんだ。ぼくが博物館の中に入っていくと、おじさんは持っていたお菓子のことなんか、すっかり忘れちゃったみたいで、またどこかに電話をかけ始めたみたい。
 たぶんおじさんは、先生たちと電話でぼくを生きたまま捕まえようと真面目に話しているのだと思うのだけど、ぼくはそれを遠くから見ているだけで何もできなかったんだ。それに、ぼくはもうすぐこんな煩わしいことと関係ない存在になるはずだから、そのまま放っておくことにしたんだ。
 今、博物館はぼくの世界。ぼくのとうさんのとうさんのとうさんや、ぼくのかあさんのかあさんのかあさんが生まれたところから持ってきたたくさんの化石や、この星で化石になったものを保存するために、ここの空気や重力を特別に調節しているらしいから、ぼくはここの中では暑苦しい服をぜんぶ脱いで生まれたままの姿で自由に飛び跳ねることができるから好きだったんだ。でもね、反対にぼくの友だちや先生やおじさんは、博物館の中では、暑苦しい服を着なければならなかったのだから、とっても面白いよね。
 おじさんは暑苦しい服を着て、ぼくをのろのろ追ってくる音が階段を伝わって聞こえてきた。やーい、やーい、やーい、のろまなおじさん、ぼくを捕まえたいのなら捕まえてごらん。ぼくは絶対捕まらないよ。
 博物館の中ではぼくは王様で、最後の王様だったのだよ。家来はみんな死んじゃっていないけど、みんな化石になっちゃったけど、王様のぼくのために隠れる場所を差し出してくれる優しい家来たちなんだ。博物館の中はぼくだけの世界。ぼくが生まれるずっと昔、ぼくの星がぽーんって大きな花火が一つだけあがって、みんなみんな化石になっちゃったって先生たちがひそひそ声で喋っていたのを立ち聞きして聞いちゃった。花火のことを聞いたとき、それまで花火ってとってもきれいで、それまで大好きだったのだけど、花火を見るだけで、なんだか哀しくなってわーわー泣いちゃいそうになって、大嫌いになっちゃった。花火ってとってもきれいなのに、どうしてなのだろう? ぼくわからない。
 くるん、くるん、くるん、ぼくは古い博物館の古い階段を駆けのぼっていったんだ。博物館は螺旋状になっていて、階段は二つに分かれてて、博物館の展示品は下のものほど古いもので、上に行くほど新しいものになっているのだって、物云わぬ化石たちが教えてくれた。
 ぼくは下の方の大きな化石も好きなんだけど、本当に好きなのは一番上の化石が大が三つもつくぐらい好きなんだ。ぼくは登っていくたびに古い階段ががたがた揺れて、もう一つの古い階段もゆらゆら揺らいで、ふるい落とされそうになるけど、ぼくは頑張って登っていったんだ。
 こんなに運動したの久しぶりだからかな、古い博物館の中にいるのにじわりと黄色い汗が出てきて、それが床に落ちるとそれがさらさらの黄色い砂に変わっていって、先生たちにぶすりぶすりと注射されたところからは、ころころの小さな黄色い石が少し出てきて、ほんの少し痛かったりしたけど、これ以上登っていったら、ぼくはもう駄目なんじゃないかって思ったりしたけど、それでも大好きなものを見るためにどうしても登らなきゃいけないって気がしたから登っていったのだよ。
 階段は上にいくほど急になって、上に行くほど細くなって、おじさんはどこかの窓を一つ閉め忘れて、風がぴゅーぴゅー吹き荒れていたけど、ぼくは身体の痛さ辛さ切なさなんてすっかり忘れて登ることだけを考えていたんだ。
 ぼくは死ぬ思いで、それこそ死ぬ思いで、一番上のここまで上がってきて、化石になったとうさんやかあさんに逢いにきたのにぼくのことなんかぜんぜん見てくれないのだもの。本当に辛くなってきたよ。話すのもだんだん辛くなってきたんだよ。
 話すのが辛いから、口の中がざらざらして辛いから、だんだんしゃべりにくくなってきて、今、唾をぺっと出したら、さらさらの砂が床の上に零れ落ちたのが見えちゃった。見たくなかったけど、唾が砂に変わっているのをみたとたん、もう駄目かなて思っちゃって、そしたら急に身体の力が抜けて、立ち眩みが起こって、目が見えなくなって、息もできなくなって・・・
 ぼくはもう死んでいたのだね・・・身体が動かないからわかったよ・・・あんなに注射を打っていたのに・・・みんなのようにはならないって思っていたのに・・・化石になったぼくも博物館の中に飾られてしまうのだね・・・もう涙もでない・・・なんだか哀しいね。


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