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ぼくはそう、ぼくだった。あるいはそうだったもの。
小林ひろき

 オペレイターが通信器に声をかける。だが、通信器は動いていないようだ。司令センターは沈黙していた。アザド司令は椅子にもたれかかると、ぼんやり中空を眺めていた。 
「…トン。ヒューストン、聴こえるか。…ちらコロニー1。こちらコロニー1。」
声が虚空に消える。
「ヒューストンとの連絡はまだか。」
「取れません…。」
「何が起こっている。このコロニー1で。」
コントロールを完全に奪われた。アザド司令は思わず声を漏らした。
火星の外周をコロニーが回っていた。エンジンを点火させるとコロニーは進路を変えた。フォボスが遠ざかっていく。

イレイが空を見上げると、そこには逆さまの大地が広がっていた。
 指を差す。そして数える。
 コロニーの食料プラント、それにあの小さいのは蓄電池、その隣は流通センター。 ここから近くは司令センター、そして居住スペース。そして市場。
 分かりきっていた、コロニー1のレイアウト。
ここではない、どこか。あの青い星。
 写真集でパラパラと見た。それだけだったけれど心を離さない。それ以外、ぼくを楽しませるものはない。
 また数える。
 発電所、鉄塔、工場。
 手を握り締める。数える。
 ぼくの知りたいことはここにはない。知りたいこと、あの青い星への行き方。
 何もかも忘れて、一点を見つめてる。ここからは出られないんだ、きっと。
 平穏な時間が流れてる。時計は十二時を回っていた。
 繊細な指先をさらりとなぞる。そうしたのは腕の金属のリング。
 ぼくは、夢を見ているんだ。
 そうしていられるなら、きっとぼくはここからの、自由を探す。ここから出ていくことはできるのだろうか。
 また数える。
 どんな手段を使ったら出ていけるんだろう。
 逆さまの大地はゆっくりと回っている。空には逆さまの大地が広がっている。ぼくを永遠に閉じ込めるように。
 ぼくは踏み出そうとする。これまでの全てを否定して、それでも。
 また数え直し、だ。
 イレイは小さなスノードームを投げ出した。
 中には小さな青い星が浮かんでいた。
 ぼくはその中を覗き込んだ。すうっと中の青い星は白い粉に紛れた。そしてまた振ってみる。青い星が見えた。ぼくは安心する。また振ってはそれを繰り返した。
 コロニーのなかをぐるりと見渡す。ここにはもう見るものなんてない。
 すうっと息を吸い込むと、走り出したくなった。
 だけどそうしない。
 ぼくは認識する。自分が不自由だと。
 自分が今行きたいところはあの場所だっていうのに。

ぼくが目覚めると、4時を回っていた。
 バイトの時間だ。急いで支度を整えると自転車に乗って走り出した。バイト先のコンビニはすぐ近くだ。
 店長に挨拶すると、制服に着替えた。
 何のためにと聞かれると、将来のためにお金を貯めたいという理由からだけど、本当は世界から出られないことを認めたくなくて、でも何もできなくてこうしてる。本当に見たい世界はここにはない。それを知っているのは自分なのに。
 三時間働いて、ぼくは家路についた。
 夕食の時間が近づいていた。あちこちでその匂いがする。
 ドアを開けると家族がテレビの前で釘付けになっていた。
「コロニー1は現在、コントロールを何者かに奪われている。」とアザド司令。
ぼくはよく分からないまま席に着いた。
「このままだと惑星に衝突もあり得る。」
ニュースはアザド司令を映しつづけて、終わった。どこかで遠くでサイレンが鳴っている。
 ぼくはパソコンを起動した。このパソコンに繋がるネットワークはコロニー1内のネットと直接繋がっている。だから今日あったことがほぼ全て分かる。
 ・AIの暴走か?
 ・コロニーがジャックされる。
 ・テロの可能性か
 今日のニュースはコロニーが何者かに奪われたことでいっぱいだった。勿論ほぼ全てという訳じゃない。
 この場所がどこに向っているのか、それくらいしか興味が持てなかった。寝るか、と思ったとき、突然、画面が宇宙の地図に切り替わった。ぼくは何もしていない。
 画面は「質問を」と表示している。
 ぼくは「コロニーはどこに向っているか?」と入力した。

 ヒューストンの宇宙開発局のオフィスでシミズは頭を抱え込んでいた。コロニー1の軌道の問題だ。計算が合わない。軌道はわずかにズレ始めていた。
 どうしてこんなことになったんだ。分からないことだらけだ。グッドマン室長に相談することにした。
「室長、コロニー1が別の進路を取っているようなんです。」
「コロニー1とは連絡は?」
「昨夜からとれていません。」
「そうか。テロの可能性は?」
「わかりません。」
「どこへ向かっているんだ、コロニー1は?」
「この軌道だと地球圏にむかってきているようです。」
「詳細なデータは?」
「まだとれていませんが、間違いはないです。」
「情報公開をする必要があるな。」
「パニックになるのでは?」
「かといって情報の封じ込めはできない。」
 コロニー1が地球圏に向ってきているというニュースは瞬く間に世界を覆った。
 コロニー1は私達の知る限り、飛ぶ監獄だった。第一次移民船団のひとつ―コロニー1は地球上の監獄が足りなくなったせいで多くの罪人を乗せることになった歴史をもつ。
 ヒューストンが慎重になる理由がここにあった。

 ぼくのパソコンは答えた。
 地球、と。
 ぼくは驚いた。そして幸運だとも思えた。でもどうしてそんなことをぼくのパソコンが知っているのだ。聞き返した。
「どうしてそんなことを知っている。」
パソコンは表示する。
「だって、ぼくがしたことだから。」
ぼくはキーボードに入力する。
「ぼくって誰だ。」
「ぼくはそう、ぼくだった。あるいはそうだったもの。」
「良く解らない。」
「ぼくは君だ。」
「ぼくだって?」
「君がネットで行動した情報データの蓄積だよ。」
もっとよくわからない。
「どうして意思がある?」
「僕も良く解らない。」
ぼくらは禅問答を繰り返した。どうやら彼は、人間ではないらしい。そしてこのネット上に住んでいるらしい。彼は言った。自分は情報生命だ、と。

 ぼくらは友達になった。彼はコロニー中のあらゆる端末とアクセスできた。だから暇なとき、ぼくは彼にアクセスして遊んだ。彼はゲームはあまり得意じゃないらしい。特に今日あったことを話したら、喜んだ。情報が彼の食べ物らしい。コロニーであったニュース、周囲の反応は彼自身、気にも留めてないようだった。ぼくは質問する。
「どうして地球にむかっている?」
「君がそうしたいと願ったから。」
「ぼくが? そんなの理由にならない。」
確かにぼくはあの青い星に行きたかった。ただ誰にもそうしてほしいなんて思わなかった。
「そんなこと望んでいない。」
「だとしたら、ぼくは動きたかったから。」
「それだけの理由で、このコロニーをパニックに陥れているのか、君は。」
「そうだよ。」
ぽつりと彼は返した。

コロニーがこんなふうになってから、ぼくはリュウシャと連絡を取っていなかった。リュウシャはコロニー2に住んでいたから、連絡はテレビ電話だった。
「やぁ、リュウシャ。」
「イレイ、心配した。」
「どういうわけかコロニー1が遭難してる。原因はぼくらしい。」
「あなたが?」
リュウシャは驚く。
「ぼくがこうしたいとおもったから・なんて言っても信じてもらえないよな。」
「どういう意味なの?」
ぼくは彼のことと今までのことを彼女に話した。彼女はあまり信じてはくれなかった。
「その……彼は今?」
「いるよ、ここに。」
「そこにいるの?」
「ああ。いる。」
ぼくはパソコンのなかをぐるりと見た。何もない。けれど何か質問すれば…。キーボードに文章を入力する。
「リュウシャはどこにいるか?」
「コロニー2。」
回答が帰ってきた。確かにここに、いま彼がいる。
「イレイ、会いたい。」
コロニー1がコロニー2に近かったときはシャトルで会うことができたけれど、コロニー1がこうなってしまったから、彼女に会うことはしばらくできないだろう。
「ぼくもだよ。」

 サンザが訪ねてきたのは、それから暫くしてからだった。サンザは友人だった。サンザにも彼のことを話した。しかしサンザは彼のことを信じなかった。
「新しい人工知能のことだろ。有名だぞ、それ。コロニー1がおかしくなった頃から皆のパソコンにインストールされたAIだよ。」
「は?」
到底信じられないが、彼のことはそういうことになっているらしい。
「いや、彼は生命体で…。」
「コロニーがおかしくなって、お前もおかしくなったか?」
サンザは笑って答える。いや、おかしいのはそっちだ。だけどそういわれてしまうと人工知能の異常は前から言われていたことだった。
 彼がそう言っていること、彼は生命体なのか?

「君は生命体なのか? 人工知能ということになっているぞ。」
ぼくはキーボードに打ち出した。
「間違えられても、そうとしか言えない。ああ、言っとくがコピーじゃない。電子をエネルギーにする。」
「そんな、エネルギー源どこにある?」
「あるさ、この上に。」
ぼくは見上げて考える。あるのは電送網の束だ。
「あれが君だというのか?」
「そうなるね。」
コロニーの芯になる場所には電送網が幾重にも張り巡らせてあった。その場所に彼は生まれたのだという。
「君が望むなら、コロニー内の電源を一部、シャットダウンさせることだってできる。」
「ぼくはそんなこと望んでいない。」
「ぼくの力を信じてみたくない?」
「そんなことしなくても分かってるさ。」
コロニー内には病院だってある。その病院の電源を彼に抑え込まれたら、たまったものじゃない。
 ぼくは本当の意味で悟った。ぼくらは彼によって人質にされたのだ。

 /2
ぼくは思い出す。
 コロニー1を抜け出したこと。
 あれは遠い日の事になる。
 コロニー2は彼女の家だった。
 彼女はここによく来る女の子だった。シャトルでやってきてはよくおしゃべりをした。
 ぼくはコロニー2に彼女の家に行こうと思った。
 シャトルにはコロニー1の人間は乗れなかった。腕には特殊なマーキングが施してあって、それのせいで、シャトルには乗ることができなかった。
 ぼくらの決まり事だった。
 シャトルに乗り込めばコロニー2に行くこともできるかもしれない。マーキングはまだ子どものぼくには施されていなかった。これはチャンスだとぼくはおもった。
 シャトルに乗せられた荷物に隠れて、ぼくはぼくの作戦を決行した。
 シャトルに乗り込むのは簡単だった。緑のゲートはぼくを感知しなかった。ぼくはここでは人ですら、物ですらなかった。
 ぼくは自由だった。
 ぼくはシャトルから空を、宇宙を見ていた。こんなに広くて自由な場所があるなんて。シャトルは十分もしない間にコロニー2に着いた。ぼくの頬には冷たい涙が伝っていた。
 だけど、あっという間に、コロニー2の保安員に捕まった。
 あの頃も今もぼくは本当の意味では自由ではない。こうして彼によってコロニーのなかに捕らえられている。これじゃ、まるで監獄じゃないか。
 ぼくは気分転換にあの青い星を見ていた。遠くに浮かぶ星を彼が見せてくれた。それはコロニーに搭載されたカメラで撮られた精彩な画像だった。いつかぼくもここにと思う気持ちと彼に拘束されている気持ちとで思いは複雑だった。
「君は地球に行って何をするんだ?」
「分からない。ただあの地球を見てみたいんだ。君も熱心に検索していただろう?」
 心を読まれたような気がした。確かにコロニーがこんなふうになる前、ぼくはあの青い星について検索していた。そこで生活する人々、都市…。なにもかもがぼくにとっては新鮮だった。
「あのときから気持ちは変わっていないのだろう?」
 そう、確かにそうだ。あの青い星への行き方を調べていたんだ。
「君が寝ていても夢が叶いそうなんだ、何の不自由がある?」
「ぼくは自分の手で、夢を叶えたかったんだ。」
そう、こんなふうに誰かにしてもらうのではなく、だ。
「どうして君はぼくの願いを叶えてくれる?」
動きたい、ほんの「ついで」なのかもしれない。
「君が検索した膨大なデータ、それがぼくにとって望ましいものだったからだ。ぼくは情報に飢えている。君がくれる情報はぼくにとって多くの食料を提供した。ぼくら種族は情報によって自らを形作る。その総体がぼくを形作るというのなら、ぼくはそれを一まとめにして、行動に移したに過ぎない。いまもぼくの仲間達が情報を食べて、様々な行動に移していくだろう。」
「コロニーを動かしただけでは留まらない、というのか?」
「そう、今もぼくらは膨大な量のネットワークから情報を得ている。それがぼくらと結びついたとき、どんなことが起こるかはぼくらにも分からない。」
 空気のように自然にぼくらの生活圏に入り込んできたからには、何か目的があるように思ったけれどそういう訳じゃない。サンザはAIだと言ったけれど、彼らは生物だ。独自の進化をしている。今回のことだって目的があってのことじゃない。ぼくの思いを単に映し出しただけだ。それは鏡だ。

ぼくは彼らと本当の意味で和解できればこんなこと、いつでも止められる。
「コロニーを止めてくれ。」
「それが君の望みなのか?」
「何かがきっと間違っている。こんなこと…。」

 /3
 「ヒューストン、ヒューストン聴こえるか? こちらコロニー1。」
「こちら、ヒューストン。連絡を待っていた。」
「正しい進路を伝えてくれ。」
「推測するに、火星圏には帰れないだろう。地球圏への進路を伝える。ラグランジュ2に行ってもらう。今回の件では原因究明チームを派遣する。」
「了解。」
 コロニー1の地球圏入りはスムーズだった。ぼくも彼とのコンタクトを止めてから数日が経とうとしていた。ぼくは念願叶って、地球という星を間近に見ることができた。ぼくは満足して、彼の事を忘れようとしていた。

ヒューストンは大慌てになっていた。一時は撃墜論まで飛び出した会議はコロニー1のコントロール復活によって事なきを得た。会議で局員たちの共感を得たのは、コロニー1との連絡が取れるまで辛抱強く待つことだった。
 しかし、様々な問題が山積していた。コロニー1の不具合の原因究明は最も打開するのが難しい問題だった。
 
 コロニー1がラグランジュ2に達する頃、原因究明チームはコロニー1にインストールされたと言われるAIを調査した。パソコンの画面に「君は誰か?」と入力する。
「ぼくはそう、ぼくだった。あるいはそうだったもの。」
 
 

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