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麝香姫と万華鏡

水無瀬ひな子

 

 いずこにおいての出来事か、つまびらかにはしない。

 麝香と書いてジャコウと読む。
 いまは採取を禁止された高価な香料のひとつである。
 シカはシカといえど、地球上に数十種か数百種かは棲息しているわけだが(もっと多いかもしれないって? くわしくは百科事典でも引いてくれ)、わけても、ジャコウジカというやつは変わっていて、そのあからさまというかそのまんまな名のとおり下腹部にそなえた香りぶくろから麝香を分ぴつする。多くの動物の「オス」がこれに似た機能をそなえることからも容易に察しはつくが、この奇妙な器官はメスの気をひくための装置である。
 三国一の大金持ちの愛娘たる姫は、まだ幼いころ麝香の芳醇な香りに魅せられた。
「わしは、わしは空気のかわりにジャコウをすって暮らしたーい」
 絶滅危惧種のシカにとっていちじるしく不幸なことに、父親は、生まれつき病弱な娘の頼みならなんでもかなえてやりたい、と思ってしまうダメなパパだった。
 かくして紫禁城かヴェルサイユ宮殿か、というほどに贅をつくした、おとずれる人すべてを大海にとりのこされた漂流者のみじめさにおとしいれる壮麗な屋敷は、昼も夜も翌朝も翌昼も翌夜も翌々朝も、たちこめるジャコウの香りにむっとつつまれるようになった。
 高い土塀にさえぎられた「なんかくさい」屋敷には、わがままなおじょうさまが住んでいるそうな。
 見も知らぬ彼女を、人は「麝香姫」と呼びならわす。

 と、ここまでは前置き。
 本筋には関係しません。
 おのれ、だましたなーっ! とか叫ばないように。枚数あるだけだらだら語るのが、物語の語り部たるおれの流儀なので。

 閑話休題。
 全国を行脚で旅してまわる商人から、麝香姫の父親(麝香チチと呼ぼう)は高価なおもちゃを買いあげ、姫が15歳を迎えた祝いに与えた。
 姫はおもちゃに夢中になった。黒光りする機械には窓がついていて、それをのぞきこむと、多種多様な色あい、景色がのぞめた。
 麝香チチはまた、姫の目の前でおもちゃを分解してみせた。微細な部品をずらりならべて、点検したのち、合体させていくチチの慣れた手つきは、まるで手品師みたいだった。
 大方が組みあがると、直方体の本体に、先端部にレンズをはめた円筒をさしこむ。
「ファインダーをのぞいてごらん」
 チチが言った。ふぁいんだー。姫は本体のでっぱった窓に目を押しつけたが、さっきと違いミルク色の霧がかかって、ぼんやりとしていた。
「フォーカスをあわせてごらん」
 筒の外輪は2箇所が指でまわせる機構になっている。チチの指図にしたがって、奥のわっかは固定し、手前のわっかを微妙に動かしていると、突然、深い森から開けた台地にでたように視界がはっきりとした。
「霧がはれた。すごい。魔法か」
「魔法か。魔法はこれから使う」
「もっとすごいのか」
「もっとすごいのだ」
 ふぁいんだーの下あたりに、小指の先くらいの赤い突起があった。チチが姫の指をとって、突起に触れさせた。
 突起はへこんで、小鳥の鳴くような音をたてた。
 なにが起こるの、と目を凝らしたけれど、別段、変わったものが窓枠の中に映るでもなかったので拍子ぬけした。
「貸してごらん」
 チチが姫の手から機械をとりあげ、筒の先っぽを姫に向けた。姫は息をのんでレンズをにらんでいたが、なにも起こらなかった。
「チチよ、いったいあなたはなにがしたい」
 姫の問いかけに答えず、ふたたび突起を押してふぁいんだーからチチは目をはなした。
「レンズ越しにおまえが目にした光景を再現する」
「再現。どういう意味だ」
「まあ見てみればわかる」
 そうはいっても、レンズはレンズのままで、本体はどこも変形していないし、色だって同じだし、手ざわりも、もちずさりする感じもいっしょだ。
「ファインダーをのぞいてごらん」
 姫は三度、窓に目を押しつけた。三度目に視た光景が強烈に記憶に残って、前の二度の分はすぐさま忘れてしまうこととなる。
 三度目の光景。
「繰り返している」
 永らく絶句していた姫が発した言葉。
 レンズの向こうに、そっくりそのまま、さっき姫の視た光景が反復されている。
 信じられないけれど、これは魔法だ。
「ほんとうに、ほんとうに魔法じゃないか」
 愕然としている姫に笑みをむけて、
「しばらくは飽きないだろう。おまえは体が弱いからそう遠くへ遊びには行けないだろうが、召使たちに命じて外の風景を撮らせてくればよろしい」
「自分でいく」
 草原を駆けるガゼルのように鼻息荒く、姫は言った。
「おんぶしてもらってでも、でかけていく」

 だが機械は呪われていた。
 ファインダーの中でシーンが繰り返されると、現実のその風景から色彩が失われる。
 色は機械の本体の中に収まって、それを見直すときにしか映らない。
 内部にまわる無数の歯車が外界の色を奪うのか。根拠はわからない。
 機械と色の喪失の因果にまっさきに気づいたのはチチだったが、姫が機械をてばなしたがらないことは明々白々だったし、彼女の15歳の誕生日プレゼントに、と高い代価を払って買い求めたのだ、むざむざ廃棄処分にするのはためらわれた。
「まあ、あの娘が飽きるまでやらせようか」
 残念ながら彼女はなかなか飽きなかった。
 結果、失われたのは世界の色。
 えたいの知れない機械ににらまれた彩りあでやかな絵や単衣はもちろん、半紙に墨ですったような味気ない白黒に変わった。
 困ったのは絵師や着物を染める職人にとどまらない。
 野菜売りはときに売る野菜の区別がつかなくなった。
 山道をのぼる道は以前より険しくなった。なんとすれば、道自体は変わらずとも、石や岩や段差にむやみとつまずきやすくなったからである。小高い丘陵地を散歩して大きな怪我を負う人がのきなみ増えた。それどころか平坦な道でさえ人は容易に足をすべらせるようになった。
 まるでどこぞの国のサムライどもが文明開化の時分にきたしたかの大混乱。
 てんやわんやとはこのことで。
 姫は、街へ出れば人という人、景色という景色を撮り逃がすものかと奮発した。山へ出ればいただきからの眺望をえるため、召使たちを危険な搬送作業に従事させてかえりみなかった。
 飽きもせず毎日、見てこなかった世界を発見し記憶する(機械に記憶させる)旅へ出かけ、屋敷へ帰らない夜もでてきたほどだ。
 千歩も歩けばへたってしまう軟弱な姫が、これほどの執念を見せるとは、麝香チチとて予想だにしていなかった。正直、元気になってくれてうれしい、という気もちが強かったもので、世間さまの風当たりが強くなってきても重い腰を上げようとはしなかった。
「おたくのお嬢さんをなんとかしてくだせえや」
 直訴におとずれた人々は声高に迫った。
「このままじゃあ世の中みーんな水墨画みたいなふうになっちまいますわ」
「うむ」
 チチはうなってみせたが、それっきり。
「早いうちに手を打たねばなりますまい。あの機械が元凶なのだ。われわれにあれをあずけてください。しかるべく処分しましょうぞ」
 偉い学者たちもこぞって進言したが、
「うむむ」
 チチはうなずいてみせて、それっきり。
 不思議と屋敷の塀の内は、あいもかわらず色に溢れていた。
 そのせいで危機感が薄かったこともあろう。
 チチも使用人たちものんびり構えていたものだし、だいいち、ひとつことに熱中した姫は、いかなる苦情にも耳を貸さなかったので、事態はいっこうに好転しなかった。

 絵師組合の長が議長に立った。数百からなる職種の代表者が集まって合議した。
「なんとしても麝香姫から機械をとりあげなければならない」
「だが下手を打って麝香チチににらまれるのはごめんだ。金持ちは権力だってにぎっている。正面衝突になれば太刀打ちできないからな」
 議長は、幾晩にもわたって紛糾を重ね、なおかつ解決の糸口すら見えてはこない話しあいにうんざりしたあげく、次のように発言した。
「よし、わかった。こんなときこそ強力な助っ人をたのむべきなのだ。口八丁手八丁、どぶの石ころを真珠といつわって売りつけたという伝説の詐欺師に交渉を一任しよう」

 かくしておれが登場する。
 初登場シーンは牢屋の中だ。大手呉服屋の店主からまきあげたはした金が、名うての詐欺師だったおれを年中うすぐらくじめじめした土牢へとぶちこんだ。
 正確にはどぶの石ころではない。山でひろってきた花崗岩のかけらを研磨して、リボンつきの小箱につつみ、お客のふところ事情と相談して料金をとったまでだ。ま、それが法にふれたのは否定しない。
 役にありついたようだな。お偉い方々に感謝するがいい。
 日ごろから要領のよい犯罪者を嫌っていた牢の守り番は、手続きを無視したおれの特例的な出所に憤懣やるかたない様子だった。ことの次第を関知しないおれはおれで、押しつけられた温情に戸惑っていた。
 警吏はムショの門を出たところで、しかめつらのおっさんにおれを引き渡した。おっさんは道脇に牛車を待たせてあった。おっさんも、ほろの先頭席に座った白い手袋の牛使いもおれをじろじろ眺めまわすくせに、にこりともしない。
「おひさしぶりです、だんな」
 揉み手でおれはすりよった。おまえになんぞ会ったこともないわ、という軽やかなつっこみを期待したのだが、おっさんはさもめんどうそうに親指で牛車を指し、口の動きを節約した。 
 すだれを上げると柑橘系の甘い香り。席は深紅のビロード張りで、一箇所しかない窓の縁には金襴をはった、贅沢志向が聞いてあきれる思考停止の成金趣味。
「うわっ……」
 おおげさにのけぞってしまったおれを強引に窓側へと座らせて、「金持ちの家さ参るんだべ。それなりの装備で行かねぇとな」とうそぶいて葉巻をくわえた。
 桜の季節だった。ほととぎすがさえずり、街の運河を船が漕いでいる。なまあたたかい風とやわらかな外部音が春爛漫の浮き立つ印象を伝えてはいたが、往来を往く人々の声はひかえめだった。
「物売りも客も憂鬱にさいなまれとる」
 おっさんが鼻から煙を噴きながら、青竹の簾を押し上げた。
 窓外に目をやっておれは仰天した。
 道べりいっぱいに咲きほこった桜は、太く立派な幹から、赤ん坊の唇みたいな花弁の一枚にいたるまで墨でぬりつぶしたようだった。桜にかぎらず景色も物もすべからく繊細な風合いをつぶされていた。
「なんでまたこんな悲惨なことに」
「ゴーストタウンさながらだべさ」
「まったくです」
 前席で牛使いが叫んだ。ぺっ、ぺっ、と灰皿に唾を吐き、おっさんはにがにがしげな口調でおれに解説した。いわく、わけのわからん麝香姫の道楽をとめるためにおれを引っぱりだしてきたのだと。
「で、外道のおれに何をやらせるご予定なんです」
「なにもかもだわ」
 さらっと、おっさんがとんでもないことを口にのぼす。
「なにもかもって、なんだかわからんけど無体な」
「無体もへちまもあるか。本来ならあんたみたいな腐れ外道、ワタス(わたし)は出迎えるのもごめんだが、しようがないけんな。交渉のいっさいを任せるから、あんたが麝香姫の機械をとりあげるんだ。万事うまい具合に運んだら報酬だって払う。へましたらもういっぺん牢屋さぶちこんでやる。裁判所に圧力かけて無期懲役にしてやるわ。覚悟しとけ」

 着替えは牛車ですませた。上等の羽織と袴をつけて、ゆるやかに停まった牛車より降りた。
「うわさのお屋敷とはこちらだで」
 威容。それとともに麝香のきつい香りが鼻をついて、気分が悪くなるほどだった。
 門をくぐれば驚いたことに邸内は春うらら。
 桜色に染められた広大な庭では仔馬や出産期の真近なメス鹿がたわむれていた。色とりどりの鯉が池をおよぎ、中央にわたされた橋の欄干は目にもあでやかな朱塗りであった。
「屋敷の内だけが色をはらんどりやがるのさ」
 おっさんが耳打ちした。まもなく召使がきて、数奇屋にしたてた棟へとおれたちを通した。
 四十畳の大広間で謁見が行なわれる。紫紺の座布団は座った尻を優しく押しつつむようだ。牢上がりの身にはこたえられない贅沢さ。
「やあやあ、ようこそお越しくださいました」
 八枚で雷神図を描いた通しふすまの、ちょうど龍のあぎとに当たる部分が、すっと音もなく開いた。目玉が飛び出るほど高価なのであろう袷をつけた親父がしずしずと現れた。件の姫の父親、「麝香チチ」とは彼のことだ(名づけたのもおれだが)。
 腰までとどく長い黒髪は丁寧に梳かれて、ひとたらしの岩清水のごとく流れ落ちる。銀縁のめがねが隠しきれないその瞳は、翡翠のような美しい翠(みどり)にかがやいていた。初雪のようにきめこまかな白磁の肌は、彼が四十すぎの中年男であることを忘れさせ……。
「うそだろ、おい」
 つぶやいたおれの腹をおっさんが目にも止まらぬ速さでなぐった。ぐはっ。
「見蕩れてどうする。それに、あれの娘はあれの百倍きれいなんだ」
「天使みたいな、ってやつですか」
「いや、むしろ女神さまの域だな」
 どんなだ、と想像をたくましくしたが、麝香チチについて姫が入ってきた瞬間、自分の未熟なイマジネーションを嘲笑いたくなった。
 麝香姫。
 あの完璧な、完全無欠の容姿――もっとも崇高なフォルム、聖別された色の繚乱――の前においては、美の象徴たるミューズとてひれ伏さざるをえまい。
 ああ、これこそが真の美なり。
 恋しく想うことすら罪なりき。
 ああ、ああ、ああ、ああっ (ため息×100)。
 ところで、実父たる麝香チチはともかく、正面すぐの座布団に姫が座してもたじろがない、おっさんの豪胆さには恐れいった。こいつはこいつで傑物なのか、と尊敬のまなざしで見れば彼はでかい黒サングラスで顔半分をおおっていた。
 なにげにきたねぇぞ、こら。
「本日もまた、話し合いにこられたのですね」
「街の者がみな困っとるのです」
「対策を講じなければならないとはわたしも考えているのですが」
 麝香チチが横目に姫を見た。
「いやじゃ」
 姫がはげしく首を横に振った。
「ぜったいにいやじゃ。機械は未来永劫、わしのものじゃ」
「当の娘がこのようにいうものでして。ほら、しょせんは子どものおもちゃですから、無理にとりあげるのも無粋な真似ではありませんか」
 悠然とチチがのたまった。
「ワタスではやはり力不足のようですな。今後の交渉はこやつに任せます」
 おっさんはしらじらしくも俺の肩にてのひらを当てて、バトンタッチ。
「ほう、あなたはどなたですか」
 麝香チチと姫の視線がおれにつきささる。心臓がどくどくどくどくどくどくどくどく。
 いたたまれなくなったおれは席を立つと、父娘に背を向けて杉ばりの縁側へ降りた。
 どうしようか。名前なんぞ考えていなかった。やってきた仕事がら本名なんぞとうに忘却の彼方だし。
 いやおうなく目に飛びこんでくる桜、桜、桜……。
 産まれて十数年の鍛錬の成果。あきれはてるようなでまかせが口をついてでた。
「おれは、いや、わたしは桜王子と申します。もうすぐ葉桜王子になりますが」
 予期せぬことに姫がけたたましい笑い声をあげた。
「おぬし、面白いのう。近うよれ、近うよれ」
 おれは覚悟をきめた。わざと座布団は外して、畳の上に正座した。
「わたしは今までの者らとはちがって、機械を見せていただきに参ったのです。むかしから、新奇なもの、めずらしいものには目がないのです」
 おい、とおっさんが慌ててとめようとしたが、無視して言った。
「話し合いとは無関係に、わたしの探究心がくすぐられたのです」
「ほう、それは良いことじゃな」
 麝香チチが手を叩いて召使を呼ぼうとしたが、
「チチよ、わしがいくからだいじょうぶじゃ。なんじゃ、組合長の腰巾着かと思ったら、話のわかる御仁ではないか」
 悪しざまに言われておっさんは憮然としていたものの、天真爛漫な姫は大よろこびでおれを招きよせた。
「待て、おぬしがわしの部屋へ来ればいいのか。おお、名案じゃ。いくぞ、桜王子」
 麝香姫がおれの手をとった。骨という骨、肉という肉に甘美な電撃が走った。
 姫は広間から拉致したおれを連れて長い渡り廊下を抜け、高く盛り上げた苔山のいただきに建つ田舎屋へと案内した。そこが姫の居室だった。
 子ども部屋の代用に家を一軒建ててしまうなんぞ、常人の思いつくところではないが、姫にこころ奪われたおれは金のにおいに不感症になっていた。
 三本脚の台座にそれはのっかっていた。そっけない金属のかたまりが、姫の瞳にはかけがえのない宝と映っているのだろうか。
「出窓からのぞくのじゃ」
「出窓とは」
「ふぁいんだーというのじゃ」
 おれはいうとおりにした。
 ふぁいんだーの奥には長細い路が通っており、四角く切りとられた光が対岸にもれていた。光が目に馴染むと、ファンシーな調度品を置いた空間がごくせまい範囲でとらえられた。
「見ておくのじゃぞ。いいな」
 ぴ、と音がした。のどに姫の爪がふれ、おれはあえいだ。ひときわ強い麝香の香りが鼻腔に流れこんだ。
 ああ、かぐわしい。
 ぴ、とふたたび。姫は機械を奪ってごそごそいじっていたが、
「世界が繰り返している」
 おれはふぁいんだーをのぞいた。右から左へ流れる室内の小物。愛らしいクマの縫い物や、絹ばりの寝台にほうられた打ちかけを奥方に、手前に丸い金魚鉢をなめて、そのときちょうど姫がいじったせいで視野がふっと狭くなって。
 唖然としてしまった。
 まさに、さきほどのぞいたのと同じ光景だ。
「まさか。信じられない」
「真実を映す機械なのじゃ」
 勝ち誇ったように姫がいった。
「繰り返し視ることに耐えられる世界。おぬしも当然、知っておるじゃろう。世の中のほとんどの存在は脆弱じゃ。この機械を通して一度視たあとは簡単に色あせてしまう。人はだまされておった。世界はその脆弱さをひた隠しにするために、色あざやかな花々や装束をちりばめておったが、わしはもうだまされぬ。この機械が、真なるものとまがいものの違いを教えてくれるのじゃ」
「なるほど」
 なるほど。姫が機械をてばなしたがらないわけだ。
 納得している場合ではない。
 百戦錬磨のおれとて姫を説得するのは容易ではないだろうが、悠長にかまえていたらおっさんとチチのお叱りを受ける。
 こちらを立てればあちらが立たず。難儀なことで。
 頭をかかえていると、「どうした、心配ごとか」と下方から姫がおれをのぞきこんだ。成人にしては背の低いおれだが、姫はそれより頭ひとつぶん低かった。
 地面近くの景色が見えよいことだろうなあ、となんとはなしに思う。
 天啓がひらめいた。
「聡明なお姫さまは万華鏡という物をごぞんじですか」
「万華鏡。なんじゃそれは」
「この機械と同じく真なる世界を見つめるための筒であります。古来より筒とレンズを通して世界をのぞくかしこき者は数多おりました。西洋では、特別に加工した長筒で天を仰ぎ、光りかがやく星の数を正確に数えた者もいると聞きます」
「なんと、それはまことか」
「まことにございましょう。万華鏡もその装置のひとつです。ただし」
 畳みかけていた言葉を寸止めした。ほどよい間をとってこそ効果は絶大となる。
「一口に装置といいましても、それぞれに格がございます。物の格が」
「格じゃと」
「このような装置は単純な機構であればあるほど格が高いのです。大きい筒よりは小さい筒、歯車が多いよりは少ないほうが善いとされるのです」
「はじめて聞いたわ。おぬし、物知りじゃな」
 滅相もない。
「むろん、こちらの機械は偉大な発明家の手によるものでありましょうし、これを愛用されるお姫さまの品性の高さには敬服するばかりです。しかしながら、世界の真理を映す機械として優れているのはあくまで、単純明快に作られた万華鏡なのです。お姫さまが、格の高い道具をお使いになられますことをわたしは願っております」
 麝香姫はおれの目を見つめたまま黙りこくった。おれはほとんど卒倒しそうになりながら、姫の視線を受けとめていた。
「嘘八百に決まっておろうが」
 怒気をはらんだ口ぶりで、姫が言った。
「それほど言うのなら、わしのもとへ、その万華鏡という機械をもってくるがよい。善い物か悪い物かは使ってみればわかる」
「ええ、それがよろしいかと」
「それにしても、無礼千万じゃな」
 お嬢さま相手に口をすべらせたかと不安になったが、
「わしは姫なんかではないのに、姫、姫、姫、としつこく呼びおって。どうせあのうす汚れた組合長か、考えの足りない世の者から吹きこまれたのだろうが、不愉快じゃ」
 と続けて彼女が言ったことには、なるほどすみません、と頭を下げるよりない。
「わしの名はチアキというのじゃ。おぼえておけよ、無礼者めが。ぷんぷん」

 手先の器用なおれは急きょ万華鏡をこしらえて、早朝、徹夜明けの足で屋敷へおもむいた。
 よほどひどい顔をしていたのだろう、門番からあやうく門前払いを食らいかけたが、チアキが通してくれた。
「チチはまだ寝殿で休んでおる。参るぞ」
 田舎屋の土間へ足を踏み入れたところで、待ちかねたようにチアキはおれがたずさえてきた布袋を奪取すると中をあらためた。袋の口を開けた拍子に、ぽんぽん、とびっくり箱のように数本が飛びだして、ひのきの床を転がった。
「なんだってこう、むやみに数が多いのだ」
 不満げにチアキが言った。
「一本ずつ異なる世界を切りとるためです。ごらんください」
 用意した筒は百本。当面お姫さまが飽きないように、と趣を凝らした力作ぞろい。星の砂、ばらばらにした桜の花弁をつめたものまであるのだから、サービス精神旺盛なおれらしいぜ、と自画自賛。
「おお、きれいじゃな」
 乙女らしく頬をばら色に染め、うっとりした顔つきで、
「とてもきれいじゃが、筒の底に絵を沈ませているだけではないのか」
「ひめ、じゃなくてチアキさま、わたしの言葉に耳をお貸しください」
「聞いておるから、もったいをつけずに話せ」
 では、とうやうやしくおじぎをして、おれはでっちあげの解説に専心する。
「円や球は神聖な形である、といわれております。いにしえの王や権力を掌握した僧侶たちの宮殿、神をまつった神殿などの壁にはかならず円の文様が描かれた。大胆に球型のフォルムをとりいれた像がまつられることもありました」
「ほうほう」
「わたしやチアキさまが踏んでいるこの土地を果ての果てまでたどっていくと、やがてはこの場所に戻ってくる、という説もあります。大海や巨大な陸地にさえぎられているがために把握しがたいけれど、神の御手は球をかたどって地を創ったのだ、というのです」
「愚説じゃのう」
 鼻で笑うチアキ。
「かりに地が球をかたどっているのだとすれば、海の水はどこかで下向きに流れ落ちてしまうこととなろうが」
「そうならないがために、自働的に地が回転していると考えればどうでしょうか」
「ばかな。球の外側に地があり人がくっついているのであれば、回転などしたら大変な惨事となろうぞ。山は削れ、大地ははがれ、海も人も天外へ吹きとばされるではないか」
「外部へ散ろうとする力が働くのと同様に、内部へ引きつける力が稼動しているとすれば」
「内部へ引きつける力じゃと。そんなのは自然の摂理に反しておるではないか」
「チアキさま、自然の摂理についてそれほど深くあなたはごぞんじなのですか」
「むむ、そうはいわんけれど」
「あなたが信じておられる摂理とやらが間違っているのかもしれないでしょう」
「でも、でもでも」
「世界はまわっているのです。まわっている世界を切りとるためには、回転を利用しないテはないでしょう」
 おれは断言した。大嘘つきほど物事をきっぱりと言うものである。
「その機械は円筒を通して外界を見る。しかしからくりにすぎないのです。なぜなら筒は回転しないし、無理に回転させたからとて外界を変貌させなどしないからです。その点、万華鏡は回転によって最大の効果を発揮します」
 この段階ではチアキはまだ機械への信頼感と忠義心によりたのんでいる。いまわしい残像の装置が後光を失うまで、いましばらく彼女とおれの応酬は続く。
「では訊こう。万華鏡をまわすと世界は異相をあらわにする、とおぬしはいうのだな。して、それをまわすことで具体的にはなにが起こる。革命か。天変地異か」
「重大な事件が起こる、といったことではないのです。ええ、ここが肝心なところですとも。たとえチアキさまが世界の真理をつかんでも、世のことを自由自在に操られるというわけではありません」
「言ってみただけじゃ。わしは高望みをしてはおらんし、真理が目に見える形で示されるならそれを楽しもう。だが、それではどのようにして、万華鏡の窓が世界の真理を切りとる最良のふれーむであることを立証する、というのか」
「想像してください。大地が球であることをイメイジしてください」
「イメイジした。それでどうするのだ。万華鏡をまわせばいいのか」
「結構です。のぞきこんでまわしてください」
「言われなくともそうするつもりだった」
 そういって彼女は袋から筒をとりだした。花のつぼみが閉じていくようにまつげをうっすら瞳にかぶせ、警戒心もあらわにおれを見た。
「のぞくぞ。よいのだな」
「ええ、ごらんください」
 いざ勝負、とおれは内心、気合をいれた。昨日の夕刻から半日と八分の一日をかけて作った最良の代物がチアキの手中に収められていた。デザインも、底部につめた具材もこだわった。せっかく出所したのだから、万華鏡作りを職にするのも悪くない。
 第一弾の作に賛辞を贈ってくれるのが彼女であれば、それだってぜんぜん、悪くなかったのである。

 くるくると、二本の万華鏡がまわりはじめた。

 チアキは両の目に筒をつけて、それぞれを見事に指先であやつった。やがては、加速装置がついたように、まわす速度が増した。留め口と底の部分を守る漆黒の蓋が、車輪のように回転する。
 車輪は、ふたつがふたつともばらばらの動きをしていては意図したように進まないだろう。
 回転運動に支障がきたすのをおそれるかのように、チアキの手は慎重に均一の速度でフタをまわしている。
 はっ、はっ、はっ。
 だんだんと、彼女の吐息がはずんでくる。
 薄手のガラス細工のように透きとおっていた肌に、ほんのりと紅色が差す。
 周縁部にはりつけた、こねたばかりのもちのような手ざわりのえんじ紙の上、黄楊の小枝を思わせる細い指が、すうるり、と撫でていった。
 勝負あったな、と束の間うれしく感じられたものの。
 興奮して体温が上がったのだろうか。
 彼女の均整のとれた肢体から、強烈無比な麝香の香りがたちのぼるようになった。香りは、はたに控えたおれを襲って、頭の芯をがんがんゆさぶりだした。
 火事の煙にまかれたようなものだ。火の色に見蕩れているうちに、のどがつまり、呼吸するのが苦しくなってくるのだ。
 チアキさま、チアキ、と声をかけるのがはばかられた。ひどくばかにした言い方ではないかと急に思ってしまったのだ。
 なにげないふうをよそおい、ビロードの敷布にあぐらをかいた。めまいがした。
 くそ、こんなときに。
 おれが見上げたときには彼女、麝香姫は万華鏡ののぞき口から目をはなしたところだった。つぶらな双眸は窓から射す陽光をきらきら反射して、ふたごの星さながらに見えた。

 ひめ、姫――否、結局のところ人みなすべからく呼ぶように「麝香姫」と呼ぶのが、彼女を形容するにはもっとも、違和感がない。
 であるからして、後世、おれの文を読む物好きな方々が、なるたけ彼女のイメイジを明確化しやすいように、以降の文では麝香姫と記述する。

「まわっているのだな」
 と麝香姫が言った。
「まわっているのです」
 とおれは答えた。
「まわっているのだな、世界は。まわっているからこそ美しいのだな」
「そのとおりです。まわっているからこそ美しいのです、世界は」
「わしはめざめたぞ。おぬしのおかげじゃ。複雑な機械は処分する、とチチに伝えておこう。しかし、わしのせいで世の人々が困っておったというのなら、謝らなければならないな。どのようにしたら誠意が伝わるだろうか」
「それはのちほどお考えになることでしょう」
 息も絶え絶えにおれは言った。
「まずは機械の処分を先にするべきでは、と」
「やっぱりそうか」
 姫は紅潮した頬に手を当てた。りんごのような、とはよくいったものである。
「熱っぽい。おかしいな。風邪を引いたのか。それとも恋――」
「それはないでしょう」
「やっぱりそうか」
「チアキ……いや、もうしわけないが、姫と呼ばせてください」
「わしはその呼び名はきらいなんじゃけど」
「呼びやすいのです。あきらめてください」
「まあいっか。それで」
「わたしに……おれにその機械を処分させてください。おそらく姫の手にはあまるでしょう。壊そうとしても、難しいかもしれない」
「距離を置いて見れば見るほどに、悪意の念みたいなのがビンビン感じとれるな。わかった、おぬしに任せよう。ふふん、これが世にいう『持ってけドロボー』ってやつじゃ」
 お姫さまは天然のようだった。
 おれは三本脚と機械をかついだが、足元がおろそかになっていたせいで猫足の飾灯にけつまずいて倒れかけた。とっさに姫がささえてくれたおかげでこけずにすんだが、今度はおれまで顔を赤らめる次第となった。
「ふ、ふん、なにをラブコメちっくなギャグかましとるのじゃ。行け、行ってしまえ」
 しっしっ、とおれを追い払う仕草をしながら、姫は気恥ずかしそうな笑みをたたえていた。おれは逃げるようにして泊まり先であるおっさんの家へ戻った。おっさんはまだ眠っていた。
 処分する、と姫には言ったものの、起こっている物事を記録さえしなければ害はないのだ。だったら捨てるのももったいなかろう。
 実際の風景から色を奪う魔法の機械。試してみたい遊びがある。
 残っていた素材で大きめの万華鏡をこしらえ、機械のレンズにぴったりと装着し、平織りの布でぐるぐる巻きに縛った。
 姫がそうしてみせたようにファインダー下の赤い突起を押してから、えいや、と勢いつけて機械を転がした。
 ごろごろごろごろごろごろ。
 機械をかつぎあげて突起を押した。レンズの右上端に映っていた異国文字の記録が止まる。
「巻き戻し、とかいったかな」
 ファインダーをのぞきこんで、再生、と隅に記された突起を押した。繰り返すのは万華鏡の底で収縮する、光沢のある砂と水の紋様。
 ごろごろごろごろごろごろ。
 ごろごろごろごろごろごろ。
 姫が昼夜はなさず持ち歩いたせいでガタがきていたのかもしれない。何度もそうするうちにぽろりと機械のレンズがとれて、闇へ落ちた。
 まずい、とあせりながら、朝が明けたのにほの暗い室内、手探りでレンズをひろって機械の先端部に押しつけたが、はまらなかった。
 壊れちまいましたか。
 まあ、気はすんだし。
 レンズは記念に懐中へ落としこみ、機械はかび臭い押入れへと仕舞いこみ、人目につかないように布袋につつんでおいた。畳に出した布団を眺めていると急な眠けがきざした。
 四半刻も休んだころだろうか。おっさんが布団にくるまっていたおれを足蹴にした。
「あんたみてぇな怠け者ははじめてだ」
 おっさんの軽蔑の眼差しが降りそそいだ。
「そんなに牢屋が恋しいんだらな、交渉がすんだらさっさとぶちこんだるけぇ、はよう仕事をすませてこいや」
 もうすみました、と言いかけあわてて口をつぐんだ。ことを有利に運ばせるためのネタを、見境もなく敵にばらしてはしょうもない。
 たいそうな体たらくながらも起きだして、女中さんによそってもらった汁と飯をけだもののようにむさぼった。しかるのち、正装して屋敷へと向かう。
「娘が、あなたの若い代役氏に感謝の言葉を伝えたい、と申しております」
 広間へ通されると、麝香チチが開口一番そう言って頭を下げた。
「ありがとうございました。桜王子さま」
 若干すました様子で姫も頭を下げる。弓糸がたわむように父娘の髪が青畳をこすって、浜をさらう波のごとくひそやかにさわいだ。
「いえいえ、とんでもございませんとも。それに一介の罪人あがりに頭を下げられては傍らの恩師にもうしわけが立ちませんので」
 おれは平伏して言った。
「なんですと。組合長どの、それはまことのことですか」
 一連のやりとりにポカンとしていたおっさんだが、見栄と意地で態度をとりつくろって、
「いえいえ、彼はもっとも優秀なワタスの弟子ですけぇなぁ」
 引きつった笑みを浮かべて言った。
「チチ。この人はわしの恩人なのじゃ。丁重に扱ってくれろ」
「そうだな、チアキ」
「礼金だけじゃなくて、贈り物をしたい。盛大なお祝いもだ」
「そうだな、チアキ」
「残念ですが、わたしは今日から旅へ出る心づもりでしてね」
「なんと、そうなのですか、組合長どの」
「ワタスもいま聞きましたが、当人が行きたいというのをとめるわけにも……ははっ」
「チチよ。わしもこの方のお供として、ついていってよいか」
「そうだな、チアキもずいぶんと機械かついで歩きまわったのだし、体力だってついたろう。邪魔にならないよう気をつけるようにな。よろしいですかな、桜王子どの。ご迷惑をかけると思います。お金の心配はしないでください。大船に乗ったつもりでいってらっしゃい」
 麝香チチは心強い保証をしてくれた。姫は打ち解けて、大広間で正対しているこのときも、おれにすり寄ってきたいのを我慢するようにもじもじしていた。
「ところで、あの機械は王子どのが処分されたと聞きましたが、いったいどのようにして」
 スポンサーたるチチが訊ねたので、おれは懐からレンズをとりだして目に当てた。
「呪われたレンズはこのとおりです。回転しない機械に宿った魔は、回転して活きる万華鏡のえじきとなりました。ひまがあればこいつで万華鏡を作ってみるのも面白いでしょう」
「実に奇想天外なアイディアです。すばらしい」
  チチと姫とおれとはかっ達に笑ったが、麝香の香に馴染まないおっさんは一人、泣き笑いのような表情を浮かべていた。

(了)


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