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November Prayer
水無瀬 ひな子

 当時の僕は、煩瑣なことで頭を酷使するあまりろくな夢をみなかったというのに、あいつが死ぬ夢だけはくりかえし見た。 本当のところは、資金問題は早やに解決していて、当面はあいつの面倒だけみていればよかった。代償にというか、初対面の他人の命をいくつもうばったけれど、もともと傷むような良心なんてもちあわせなかった。さかさに干した財布みたいに、何もかも吐きだしてしまった後だった。
 倫理観なんてすぐに麻痺してしまう。鞘をなくしたナイフにとっては野菜も人もおなじだ。俎板にのってるやつは無条件に切るよりない。 六月の梅雨入り宣言の前夜、僕ははじめて仕事を依頼された。拳銃のあつかいが上手そうにみえたからだという。クライアントが選んだのか、社長がすすめたのかはしらないが、いずれにせよ僕って人間は妙に目上の人から期待をかけられることが多かった。
 無論その段階では素人だったから、生きた人間を撃つってどうすればいいんだろう、とかいろいろ考えた。的は常にぶれるし、適正距離で狙いをつけられるわけもない。いうまでもないが、性能抜群であれ人目につきやすいライフルやAKなんかは使用できない。
 実際は僕に配給されたのは、いつ暴発するともしれない旧ソ連製のトカレフだった。銃がとんでもない粗悪品だったせいで、現場に数知れない無駄弾をばらまいたものだ。ひと仕事終えたはいいが、アパートの鍵をあける拍子にばあん、なんて笑えない事故もあった。そのときは撃鉄をおこしてさえなかったのにだ。たまたま銃口が地面をむいてなければ一生をふいにした。
 汚れ仕事にも慣れた11月末。契約会社の社長がとっつかまった。下請にすぎない僕たち暗殺社員は路頭に迷うはめになった。 家のドアを開けると、編目のゴムチップをしきつめた床の上にあいつがたおれていた。思わず両手をおがみあわせたが、しぶとく息が続いていたし身体もまだあたたかかった。
 僕をみあげるあいつの顔がにんまりした。なんだか、ひどくいやな感じがした。 (あなたに撃たれるなら本望よ――とか、涙ながらにわたしがいうと思ってるでしょ。とんでもないナルシストね。銃口をむけて引き金を引きなさい。あやまたずわたしの胸を撃ちなさい。そうすればあなたは看病づかれから開放される。晴れて妻殺しの殺人犯にもなる。どうせ端金のために人を撃ったのならためらう理由なんかないでしょ)。 黙れ。その口を閉じろよ。(あなたがどんな豚野郎に堕ちるか、それだけが楽しみだわ)。 軽蔑しきった瞳で僕をねめつけると、あいつは寝汗のしみた麻布団へもぐり耳ざわりな寝息をたてはじめた。赤紫のしみが気のぬけた手鞠みたいな皮膚に群島をつくっている。自慢の長髪は抗生物質投与の影響でぬけおちて、むかしの面影はなかった。僕がぞっこんだったころのあいつとは別物だ。
 僕は顔をそむける。視線をあいつの方へやりたくなかったのだ。
 汗ばんだ掌底に薬指と中指と人差指をくっつける。親指をそえてぎゅっと握りこんだ拳。人を殺すことだけを考えるなら、これひとつでおつりがくる。僕の同僚には武器を一切用いない強者がいた。見た感じ彼はとてもひ弱そうで、おそらくは発育不良の中学生くらいの体重しかなかっただろうが、一緒に仕事をするぶんには有能でたのもしかった。
 なあ、とつぶやいてみる。こんなふうになっちゃったのは、効率的に殺すことばかり考えるような人間のくずになっちゃったのは、いったい誰のためだと思う。
 つめたい鉄の塊をもちあげる。銃口は自然とあいつの額をむいた。弾倉はとっくにチェンジした。寝台までの距離は6フィート。瞼をとじてたってはずさないはずだ。
 撃鉄を起こして、カチン。
 おやすみ、ベイビー。

 クリスマスを祝う前にあいつは息をひきとった。どっさり雪をかかえこんでいたかもしれない鉛色の雲を、寝台にあおむけになって飽きることなくにらんでいた。
 プロフェッショナルな僕がとうとうあいつを楽にしなかった。呪いみたいな言葉が脳裡から離れなかったせいで、新しい仕事もすべて断った。雑念が邪魔をするようでは銃なんて撃てっこない。
 あれから何年も経つのに、僕はいまだに失業中で、あいつがどんな夢を見て死んだかとばかり考えている。

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