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寄生種

水無瀬ひな子

 

 アゴン(AGON)249区113番地第88棟・〈ルシール〉蠕動機関の射入口において、公共福祉委員会の調査員であるマックス=ローゼンバーグは傾斜した繊毛質のタラップに蹴つまづいてたたらを踏んだ。正確には足をとられて転びかけた。ローゼンバーグとともに委員会から派遣された銀岸蘇芳は、融通の利かない番犬をからかうように口笛を吹いた。額に噴きだした冷汗をハンカチで拭いローゼンバーグは同輩の不遜な態度に抗議した。
「これ以上ボクをばかにするようなら、調査員に着任してからの君の乱れた行状について逐一、マリア嬢に報告してやるからな、蘇芳」
 脅しの効果は覿面だった。蘇芳は押し黙ると眉間にしわを寄せて、眼前で餌を掠めとられたカピバラを彷彿とさせる情けなげな表情をことさらに作ってみせた。
 アレア(AREA)に残してきた最愛の妻に対して蘇芳が後ろめたい気持を抱くのは当然の道理だった。公共福祉委員会・249区支部に赴任してきた2年9ヶ月前から今日までに、彼が合体行為をおこなった黒鋼烏(ブラバ)の総数は軽く4桁を上回っていたからだ。
「マックス。このところ禁欲生活をつづけているおれにそんな酷薄な洒落をくれることはないじゃないか。始終ぬるぬるぐちゃぐちゃやっているみたいにいわれるのは心外だよ」
「よくいうよ。前は、まったく君の形容したとおり――始終ご機嫌にやっていたじゃないか。君の相手をさせられる黒鋼烏たちがいささか気の毒に思えたくらいだ」
「さすが122区議会長のご子息だ。柄悪しな309区育ちの俺とは出来がちがうね」

「そんな言い方は――」
 重低音が響きわたった。外界人の着床の確認とともに開始された滑車引きの作業にともなう微震に気を殺がれて、ローゼンバーグは蘇芳への反駁の機会を逸した。
 移動肝臓(トロッカ)は秒速25メートルの速さで液状細胞粘体にくるみこんだ二人を頭蓋頂高体まで運びあげる。移動肝臓の表面に群生した無数の腕長触手が緩衝を和らげるため、人の肉体には負担がかからない。
 緑化の進んだ〈ルシール〉は、酸素をたっぷり含有する浄化酵素の気泡を吐きだしていた。ロクソール社製・R2(大規模照明)型光灯の毒々しい灯火に照らされた常緑内臓の房は合成着色料で色づけされた288区〈中華連邦〉産の駄菓子をローゼンバーグに想起させた。
 神経系の繊細な臓器集合型機関が外界からの訪問者を抵抗なく受け容れる理由は、訪問者の排出する二酸化炭素が機関の臓器を活性化させるためにほかならない――というのが植物臓器工学の専門家の唱える定説だった。
「だがわからなくなる。ボクたちが頻繁に足を踏み入れることを見越して〈機関〉が人による構造解析と神経系の改造を許したのか。そう、改造は人類にとっては大いにメリットがあることだったが、〈機関〉にとってはあまりよいことがなかったように思えるんだ。外部からたまにやってくるエイリアンたちの排出する二酸化炭素の量なんてたかが知れている」
「ふん、マックス、それは根っこの考え方がちがうんじゃないかい?」
 幻化緑草(ラッセル)の葉巻を一服吹かしながら蘇芳がいった。
「根っこの――ボクは根本的な洞察が誤っているというのか。それはどういったところが?」
「簡単なことさ、ローゼンバーグ。むしろ疑問なのは君がなぜ、人類の軍事力、科学技術の高さを〈機関〉の側が察知したと考えないか、ってことだ」
「〈機関〉が人類に譲歩したというのか?」
 目をしばたかせてローゼンバーグはいった。
「それじゃあまるで〈機関〉も人類同様高度な知性をもちあわせていて、外交交渉の一環として僕と君が内部調査のために〈ルシール〉へ立ち入ることを許可した、とでもいうようじゃないか」
「おかしいな、マックス。そう考えちゃいけないタブーでもあるってのかい? 異種生命とのファーストコンタクトがなにも言語を介しておこなわれるとはかぎらない、なんてことは20世紀のSF小説に遡るまでもなく異種世界交流における常識だろ」
「しかし人類の初期移民がアゴン(AGON)を調査した際には、いや、それ以降も〈機関〉と人類はコンタクトをとったことなど一度もない。なぜなら彼らは人類が知るいかなる宇宙語の呼びかけにも応じる気配がなかったし、生体反応さえ確認されなかったから――」
「かつて人類の保持していた科学技術には明確な限界があった。人類は己の科学によって認識されない他者を人格的他者としてではなく物質的他者として扱ってきた。つまらない言い方をするなら『奴隷扱い』だよ。卓越した知性をもっていたかもしれないここの先住生物たちを、量売りの野菜同様、生物市場で競りにかけたりしてきたわけだ」
 そう考えることがまったく理に適っている――とでも言いたげに蘇芳は幻煙を吐く。彼の後頭部を〈ルシール〉の脊椎に反射した緑光が明るませ、極端なまでにコントラストをきわだたせていた。
「さてと。数分で咽頭機関へ到着か。それにしても全体統御を司る脳幹部や優秀なスーパー・コンピュータがあるわけでもなし、〈ルシール〉の身体機能ってのはよく維持されているものだね」
 熱くもない葉巻をてのひらのなかでそっと揉みつぶしながら蘇芳がいった。
 ローゼンバーグは顫える声でつぶやいた。
「そんなことを考えながら、君は、千を越す黒鋼烏を虐げてきたというのか。彼らにだって知性があったかもしれない。いいや、きっとあっただろう。なんて野蛮なんだ! なんて非道なんだ!」
「野蛮も非道も人類種が負うべき咎さ。『罪深き我らに恵みと平安を与えたまえ』だ」

 蘇芳は嘯いていったが、その顔が突然強ばり、おこりにかかったように全身が顫えだした。
「どうした、蘇芳――おい、しっかりしろ!」
 ローゼンバーグは叫んだ。蘇芳は何かに堪えるように歯を食いしばっていたが、やがて弱々しい口調でいった。
「怖ろしい考えが閃いてしまった――緑化臓器だ。周囲を見渡してみろ、ローゼンバーグ。永い歳月が〈ルシール〉の臓器系に群生植物をはびこらせた。いってみれば人類の移民以前、惑星では植物による〈機関〉への侵略と略取がおこなわれたのだ。だが――」
「だが、何だ――?」
「〈ルシール〉は、いや〈機関〉は侵略者に対抗する手段を心得ていた。『対抗』ではないか。〈機関〉は事実、侵略者を排除しようとはしなかったのだからな」
 ローゼンバーグは唾を呑んだ。奇妙に草笛めいた音をたてて喉が鳴った。
「ま、まさか――」
「そのまさかさ――〈機関〉は敵を排除せず、かえって敵に便宜を図るように装いながら――他者である敵をとりこんでいく。敵が物質的他者であろうが人格的他者であろうが〈機関〉にとっては関係がない。かくて〈機関〉はこの惑星の植物と合一化した。俺の犯した黒鋼烏どもだって緑化植物の果実を食って生きている以上、〈機関〉の手足として用いられているだろう――」
「待て、気を失っている場合じゃないぞ!」
 ローゼンバーグの掛け声は励ましというより悲鳴に近かった。
「この考えが正解だとすれば、残念ながらおれたちは人類の敵だ――」
 息も絶え絶えに蘇芳がいった。
「いったい、どういう意味だ――?」
「受動的なように見えても摂るべき材を〈機関〉は摂る。福祉委員会の研究者連中が〈機関〉中枢部である〈ルシール〉に施した処置は何だ? 神経系の改造だ――〈ルシール〉の脳は機能不全を起こしている。このままでは文字通り植物状態。身体機能を保持するのが精一杯だ。どうすればいい? 〈ルシール〉の思考は呆れるほど明快だ。侵入者の優秀な脳を摘み取って使えばいい。優秀な脳の持ち主を調べなければならない。おそらくはこの惑星の総ての植物、黒鋼烏などの生物が〈ルシール〉のスパイだ。黒鋼烏と多く合体したおれもスパイ。おれのワイフであるマリアも、おれに隠れてこっそりマリアと会っていた君だって、きっと――」

(了)


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