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overflow
花村慈雨

 くたびれてプールサイドに上がってからも、相変わらず水の中にいた。仰向けに寝転んで目蓋を下ろして、水中から太陽を見上げる。恐ろしく馴染み深い非現実。光源を見据えることなく、ただ、ぼんやりと。
 現実にそんな光景をわざわざ見ようと思ったことは無い。妄想で事足りている。そういうものだ。
 現実には現実の楽しみ方がある。
 水を感じることでもなく、筋肉の自由と不自由を謳歌することでもなく、可視光線の青いきらめきを堪能すること。かつては、それが泳ぐことの全てだった。今は少しだけ不純な視線が混ざっている。いや、気にしなくていい。気にしなきゃいけないほどの問題だったら、そもそも泳げない。あるいは魚になるしかない。僕が異性の肉体の美しさに目を奪われるようになったのは陸の上での物語だけれど、性的な目覚めよりもかなり遅かったから、それはひたすら美学的な問題領域のみに属しているのだ、と声を大にして言える。もちろん言わない。物事の本質に関係なく繰り広げられる他人の連想へ介入するのは困難だし、性的ではないという主張は本質的に性的なものだ。
 僕が血眼なのは、ゴーグルを義務づけていなかった指導要領のせい。多少は目に優しい水で目を洗い、目薬をさして数秒で白目を取り戻せるのだから、何も問題は無かった。充血を心配していた学友が何か損した気分になって、ちょっと悪態をつきたくなる、それが問題といえば問題だったのかもしれない。今では当たり前のように携行している。きっかけは何だったか。きっと、水泳帽と同じく、どこかのジムで必須アイテムだったのだろう。この市民プールの規則がどうなっているかは知らない。
 ここでは見知らぬ若者や健康的なオジサマたちに囲まれている上、肉体以上に貧弱な裸眼に頼っていて、どうにも落ち着かない。そんな僕に、ゴーグル越しのクリアな視界が安心感を与えてくれる。度入りのゴーグルではないから誇張もあるけれど、そこにコントラストが存在するのは確かだ。そんな小さな救いを求めてしまうほどに不安なのか、そんな救いで間に合ってしまうほどの小さな不安なのか。たぶん、どちらも真実。
 小心者の抱える闇は小さい。照らせば光が届いてしまう。だから目が慣れないように工夫して、深淵を覗いたフリをするのだ。これはこれで大きな闇を抱えているような気がしないでもないが、どうせ底は浅いというオチなのだろう。その証拠に、誰も覗き返してこない。
 広いプールサイドで熱射を浴びながら、疲労による生の充足、日本の夏が失いがちな熱い肯定、否応無く溢れる実存、そうした全ての確信を皮膚の外と内で感じながら、輪郭を欠いた妄想を見上げる。経験するつもりのない美に触れようとする経験。ただ、ぼんやりと。

 子供用プールから走り抜けてくる歓声に気づいて目を覚ました。寝起きにまた泳ぐのは体に悪そうだ、という口実が優柔不断を押しやるのに感謝して、中二階の平面から立ち上がる。そして世を憂う渋面マスクで更衣室へ向かった。一階が男子更衣室で、二階が女子更衣室なのに、なぜか目立つ標識が無く、ぼんやりしていると間違いそうになるのだ。視覚障害者に優しくない。プールから上がったら、そのまま階段も上がってしまうのが自然というものだろう。女が上だという政治的・建築的・生物学的な大自然のことは分かっている。分かっている。つまり、愚痴だ。
 今ちょうど到着したばかりの親子が、僕のコインロッカーの隣のブロックで世間話。小さな子供の「世間」は不思議な輪郭を持っていて、かえって広く聞こえる。でも、質問攻めは子供の特権だ。だからその広大な世界ではなく、小さくも激しい感情の起伏を聞き取るのが、親の役目であり、健全な願望である。
 持ったことのない親心に思いを馳せれば、余計な心配が頭をもたげる。女の子を男子更衣室に連れてくるのはいかがなものか。他人様の家庭に口を出すつもりはないが云々。着替え終えてメガネに手をかけたときには、答えに思い当たった。まず、母親は当然のようにプールを嫌がる。プールサイドで日傘を持って待機することも許されるだろうが、そんな自虐的な献身は誰も求めていないし、それなら家でプリンを冷やして待っていたほうが皆の幸せ、というわけだ。何より、娘はパパの休日を独占したいし、逆もまた然り。
 外へ出ると、太陽は最高の相方を失ったせいか、その魅力を減じていた。自宅まで徒歩30分。歩くことは苦ではないが、今日はもうこのお馴染の熱源に飽きてしまった。眠くもない。僕は荷物を玄関に投げ込んで、その足で映画館へ向かった。

 宣伝上は隠しておいて、「実は」という驚きで飾ってメインに据えるようなネタではない。どうしてもこのジャンルにこだわるのであれば、例えば歴史上のファーストコンタクトを題材に、その山ほどある非公開の事実をイマジネーションで補えば、義務教育の恐ろしくつまらない教材で学んだ僕らの世代にも、かなり興味深い作品となるはずだ。ひょっとして規制されてるのかな。じゃあ規制を突破する情熱を正しく使うべきだ。
 と、初めて映画観で居眠りした自分を正当化した。右隣からも左隣からも笑い声やすすり泣きが聞こえたから、覚醒時付近の記憶を信じるならば、彼女らはそれなりに楽しめたのだろう。おかしいのは僕のようだ。この感覚のズレを利用して、エイリアンの惑星に迷い込んだ人物を演じてみることにした。
 私の5倍はあろうかという巨躯の警備員に挟まれ、収容所へ連行されている。入り組んだ施設内を不安な気持ちいっぱいで歩いていると、各部屋の入り口に書かれた部屋番号らしき記号に気づいた。縦線が二つ横に並んで描かれた部屋から、陰鬱な表情をした人間が、巨大なエイリアンに腕を引かれて出てくる。どうやら楽しくない体験が待っているようだ。彼の顔へ向かって、体液まみれのエイリアンは高周波の音を浴びせている。笑っているのか怒っているのか、全く見当がつかない。少なくとも穏やかではない。さらに前方へ視線をやると、仲良くおそろいに着飾ったエイリアン2匹が私物を没収している。前後の警備員の隙を探ろうとした。が、その試み自体がリスキーだと気づき、さりげない動作で水筒に口付けた。奪われる前に、一気に飲み干した。奴らは無反応だった。捕虜の弱さと無害さを経験的に知っているか、既に内容物をスキャンしているか、どうしようもなくちっぽけな存在に知性を見ていないだけか。件の双生児のところまで来ると、無抵抗に水筒を手渡した。これは正解だった。直後、相手は我々の科学技術の結晶を片手で、そう、片手で握りつぶしたのだ。ほとんど無限小だった抵抗への意欲は消え去り、緊張の糸が解けていく。これは非常にまずい。先の見えない収容所での諦念は、より早い死を意味する。故郷へ、母星へ、外の世界へ、何か根源的な希望を持たねばならない。しかし、それは無理だろう。私の希望の一つであるマーガレットが見えたからだ。その不安と安心のダイナミクスは外部を内部化し、日常へのノスタルジーを弱めてしまう。そう、私はここで死ぬのだ。
「久しぶりだね」
「うん、半年ぶりぐらいかな」
「僕は『反射』を見てたんだ」
「ほんと?私も。でも途中で寝ちゃった。これなら真面目に論文でも読んでたほうが良かったかも。あ、時間ある?」
 名も明かされてないその星の政府と一体どういう約束をしたのか知らないが、日本は世界一の移星国家らしい。自分に渡来人の血が混ざっていると言われても、正直ピンと来ない。目が青いとか、舌が長いとか、何か外見に関わる遺伝的な違いがあれば分かりやすいのに、残念ながら皆無なのだ。数年に一度やってくるあちらの外交官の姿は公開されていないため、もしかしたらホラー映画的なエイリアンの相貌なのかもしれない。ただ、その場合はおそらくその星の別の生物だろう。なぜ男性が姿を見せないのか、という謎は残るが、女性だけが地球人の似像だと考えるのはもっと不自然だ。直系の外星人である母方の祖母も、母星のことは何も知らなかった。地球に送られてくる娘たちは地球用の教育を受けるのだ。現代の若い外星人たちも、地球人ネイティブと同じ。地球の女子大に入るまで男と空の色を知らないことを除いて。
 純血の地球人と並んでカレー屋に入った。数学と香辛料のテクノロジーを世界にもたらした愛すべきオープンソース主義者の末裔は、おかわり自由だと僕らに教えてくれた。
 祖母よりインド人のほうがエイリアンだ。インド自体がやたら広いし、言語も文化も多種多様だし、実はネパール人でしたと言われても困らないし、要するに、ステレオタイプの内実どころか、その成立可能性そのものが怪しい。そう思いつつも、そこから遠く離れられるわけでもない。意思疎通できなさそうで、できると思いきや、やっぱりできないけど、いずれできるんじゃないかと思いつつ、さっぱり忘れていられる。こういうシーソーこそがエキゾチズムの本質で、エイリアンのエイリアンたる所以じゃないかと僕は思うのだ。すっかり馴染んでしまってもダメだし、コストや恐怖のせいで理解を諦めてしまってもダメ。そう考えると、相手がエイリアンかどうかは、半分以上こっち側の問題だということになる。人付き合いの、特に婚姻における極意が垣間見えた。関係をコントロールしようってわけではない。いつも僕が悪いというだけのこと。未来形で謝っておこう。ごめん。
「恵ちゃんはダイエットしないの?」
「あら、失礼ね」と言いつつも明るい笑顔を返してくれた。
「あ、いや、僕はスリムな女性のほうが好きなんだ。なんでみんな太りたがるのか不思議で」
「何さりげなく口説いてんの。うん、やっぱり、美しくありたいからじゃない?」
「大きな女性を美しいと思うの?それなのに太らないの?」
「私って面倒くさがりなんだ。太るのは簡単だけど、筋トレは大変だし。100キロぐらいまでなら何とかなるけど、200キロ超えるとあんまりサボれないからね。透君だって、美しいマッチョにならないじゃん」
「ああそういうことか。でも、男性のマッチョの割合と、女性のファットの割合は全然違う」
「それが女ってものよ。私が言うのもアレだけどさ。あー、たしかにスリムだとね、モテないし、かわいい服は見つからないし、男に間違われるし、いろいろと弊害もあるけど、いいこともあるんだよ。部屋が広くなったり、簡単に靴を履けたり、転んでも一人で起き上がれたり。もちろん最高なのは、古い建物に入れること」

 当然の成り行きのように、二人は陸の上を泳いだ。せいぜい築10年だけれど、男性用の小さなアパートで。小さなベッドで、小さな明かりに照らされて、小さな言葉を紡ぐ、小さな出来事。飾らない双生児のダイナミクスが内部を外部化し、不可能へのノスタルジーを通過する。
 一気に飲み干され、水筒は空になった。そして、潰れたまま。
 おかわり自由なのは事実でも、公開された情報を誰もが理解できるわけではない。理解したくもない。僕らは単なるエンドユーザだ。何もしてないのに壊れる。造物主はフールプルーフな設計を知らない。
 美しい異性へ向かう欲望には、閾値以上の性欲が常に伴っている。でも、それは一般的なものでしかない。この身体そのものを欲しがる持続的で個別的な嗜好とは限らない。しかも、実のところ僕はスリムな女性と継続的な関係を築いたことがない。どこか不穏な空気が渦巻いている。
 涙する背中に、かける言葉は見つからなかった。
「私、やっぱり太ろうかな。そしたらきっと」
「僕はスリムなメグちゃんが大好きだし、ほら、こうやって君の体を包むことができる。これはファットなら得られない喜びだ」
「じゃあ腕が届くぐらいのファットになればいい」
 そうかもしれない、という事実で喉が詰まって、僕は再び沈黙してしまった。
「おやすみ」
 仰向けになって、カーテンから漏れる月明かりを感じた。これが僕にとっての恋なのかどうかは分からないが、10代の頃の失恋を思い出した。
 初めてのガールフレンドで、もう毎日が夢のようだった。ずっと浮かれていた。一緒に帰るとか、デートするとか、そういう非日常も楽しかったけれど、教室でその子の姿を堂々と探せることや、何の口実も思いつかないまま手ぶらで近づけることが嬉しくて仕方が無かった。思春期特有のアレで、授業中以外にメガネをかけることを拒んでいた僕は、小さな教室の中で誰かを探すのも一苦労だったのだ。周辺視野の分解能はお粗末だし、相手の目の動きが分からないという最大の問題があった。好きな子を探していることに気づかれることも、気づかれたかどうかも分からないのは深刻だ。ただし、恥じらいに要請された架空のクールさが、少年の魅力をブーストさせていた可能性は十二分にある。青春とは、まっすぐ見つめる権利を巡るいざこざのことだ。
 あっけなく終わった。よりにもよって夏祭りの夜に。
 「大事な話がある」とか、何でもいいから前置きをして、お別れ専用の日を設定してくれても良かったじゃないか、何事もプロセスが肝要なんだ、と思いながら涙を拭い、このストレートさこそ愛しいあの子の魅力じゃないか、と涙が止まらない。眠ろう眠ろうと布団で丸まって、もちろん眠れずに疲れ果て、やがて観念して目を開いた、あの夜のことを思い出す。四畳半の天井で視界が埋まった。
 点いていない照明をしばらく見つめていると、なぜだか分からないが、港の底に沈んで、月を眺めている気分になった。冬だと部活で遅くなれば辺りは真っ暗で、夜の港も僕の帰り道の一部だった。でも、夜の港はむしろ明るいし、昼夜を問わず、そこに浮かんだことも沈んだことも無い。少年はその美しい幻想に沈む自分のナルシズムに嫌気がさして、なんだか馬鹿らしくなって、ぐっすりと眠ることができた。
 美しいものは愛しい。美は疑わしい。美は隠蔽する。どう違うんだ。青年も眠った。

 目を覚ますと、マーガレットは僕のデスクで何かを読んでいた。不用意に朝の挨拶を交わした後、またもや僕は沈黙してしまう。
「昨日はごめんね」
「いや、僕の」反射的な謝罪を彼女が遮る。
「透君は何も悪くない。だから謝らないで」
 謝ったことを謝りそうになって、そのエネルギーで身を起こす。
「私、そろそろ行かなくちゃ。また、会ってくれる?」
「もちろん」
 何も、急ぐことはないのだ。これは一か八かの賭け事でなく、二から七へのグラデーションをどう描くかという話なのだ。そして、それを描き続けられるかどうか。
「開けてもらえるかな?」
 大急ぎで適当な服を着て、玄関のロックを解除した。
 内側にも鍵穴があるとか、認証情報を求められるとか、そういう面倒な話でも高級な話でもなく、サムターンが最上部に埋め込まれている。本来は子供やペットの無断外出を防ぐためのものらしい。その恩恵には与っていないけれど、手を大きく上げなければならないおかげで、この部屋へ引っ越してからは在宅時の施錠忘れが無くなったし、来客時には、彼あるいは彼らがドアノブを凝視したり必死にガチャガチャさせたりして戸惑うのを楽しむ、悪趣味なエンタテインメントも享受できるようになった。
 走って逃げられると思っていたわけではない。でも、何かを察知していたのかもしれない。
「ありがと。でも一人で帰れるよ」
 そんなことは分かってる。文明の利器に頼るまでもなく、ここから駅までは一本道だ。
「またね」
 まるで僕の唇が頬に触れなかったのような微笑を残して、玄関から去っていった。どんな反応を期待してたんだ。その表情に何を読むべきかも分かっていないのに。

 祖母の星の代表が初来訪したとき、地球の女性のほとんどはスリムだったらしい。ファットを至上の価値とする外星人女性の文化と、食べずに太るファットサプリメントが地球規模で大流行し、古い過渡期の美学を転倒させたのだ。このサプリメントが公開されている唯一の地球外テクノロジーだというのは、さすがにケチくさいと思う。日本では10年もしないうちに建築物や工業製品、法律などあらゆる基準が一新された。男性側の価値観がどう変化していったのかについての詳しい記述は省略されているが、女性の過剰が少子化を解消したということは数字に表れている。こうしたリプレース需要とベビーブームが加熱して、日本の景気は急上昇。各国もそれに続くべく移星制限を緩めようとしたものの、外交的にも内政的にも手遅れだった。外星政府は娘達が迫害されない安定国家を既に見つけている上、富裕国は慎重な受容によってカルチャーショックをむしろ助長させ、国際的な反対運動の穏やかな波を生み出してしまっていた。だから地球人を含むファットは日本に移住するし、それを追ってファット好きも日本に集結する。その流れは一方通行だ。
 この「ファット会議」によると、成人日本女性のファット率は90%で、欧米では反対に非ファット率がおよそ90%だ。理想的な、最も狭い意味での「ファット」は体重256kg以上の女性のことだが、それを下回ってもファッションモデルになれないぐらいで、一般的には100kg台後半もあればそう呼ばれる。この調査での基準は150kg以上だ。雑誌と同名の発行機関であるFat Available Tablesすなわちファット会議は、その本部を九州に置いていて、このファット国家ではほとんど省庁のようなものだ。元々はファットが集まることさえ困難だった時代に発足した組織で、名前の由来は実物のテーブルではなく、ビデオ会議用のソフトウェア。当初から無料でダウンロード可能。初の女性用キーボードの付属品として広く普及し、その後さまざまな運動を支えるインフラとして活躍し続けている。やはり、眠ろうとして文字を読む試みは失敗する運命にあるのか。この流れも一方通行だ。
 午前九時半。二度寝を諦めて、FATを起動。他のクライアントでも同機能を利用できるらしい。そのメリットやデメリットに関係なく、ただ惰性で使い続けている。なにせ3歳の頃から使っているのだ。直接には母親の、間接的には祖母の影響だ。アップデートされるとはいえ、先祖代々同じソフトウェアを使うってのもなかなか風情があるんじゃないか。いや、惰性に意味を見出すのはやめよう。惰性は惰性だ。興味が無いだけ。
 誰もログインしていない。腹も減っていない。シャワーでも浴びるか。あれ。どこに仕舞ったっけ。
 水着用のバッグを振ってみる。洗濯機の中を探る。ベッドの下を覗く。プールに行く前は、つけてた。プールを出た後は、よく覚えていない。バッグに入れたような記憶が、無くも無い。いちおう電話してみるか。うん、遺失物には挙がっていないようだ。可能性は3つ。(1)家から盗まれた、(2)ロッカー内から盗まれた、(3)ロッカー内に放置されている。(1)は、まずありえない。あの子は絵に描いたような富豪の娘だ。他にどんな容疑者を考えたところで、あれだけ盗んでいくはずがない。(2)なら手遅れ。ゆえに、対応すべきのは(3)だけとなる。
 面倒だな。安物とはいえ無視したくなるような値段でもない。そのためだけに30分歩くのも億劫だし、連日で泳ぎたいとも思わない。ロッカーの位置は何となく分かる。電話越しに伝えるのは難しいし、他人をこき使うため電話をかけ直すのはもっと難しい。
 慣れないアクセサリーに手を出した結果がこれか。シャワーは、往復1時間の散歩を終えてからにしよう。

 飾り気の無い両手を見つめるのに飽きて、時間と場所を再確認した。
 スリムの女性を発見する度に立ち上がり、何事も無かったかのように座ったり、座らなかったり。ちょっと多すぎなんじゃないかと思ったけれど、そもそも1割という数字はかなり大きなものだし、わずかに分布が偏っただけで印象は随分と変わるはずだ。諸々のブレを無視したとしても、人混みを縫うように動ける男性やスリムの場合、電車を下りて駅前の広場に着く頃には先頭集団を形成しやすい。ブラジルナッツ効果。
 でも、そもそも体型が同じとも限らないのか。地元で幼馴染に会ったりするとそういう驚きに遭遇することがある。刮目して見るまでもなく、息を呑むような美しさに目を奪われる。心を奪われたこともあるっけ。こんなときに耽る思い出ではない。いや、悪い思い出というわけじゃなくて、たしかに思い出になっている以上は悲しい話ではあるけれど、なんというか、その、つまり。いずれにせよ、短期間であれば筋肉の成長が追いつかないために限度がある。見逃すことは無いはずだ。念のために視界を丁寧に再検索する。
 100kg前後あるいは200lbs前後の女性を「リトル」と呼ぶ国がある。昨日読んだ週刊誌に曰く、上流のお遊びか下流の不摂生と思われてしまって、すこぶる評判が悪い。流行りモノは嫌われるもんだし、ファットフォビアが蔓延する国で中途半端なパフォーマンスを行えば両陣営から嫌われてもおかしくない。真に美的な関心からその大きさおよび小ささを維持しているのかもしれない。でも、それは「本人にとっての問題」であって、それを「本人にとっての問題」へと矮小化してしまっていることこそ、嫌悪が向けられる核心だろう。ささやかな自由など存在しない。どれだけ間違っていても、それが現実だ。
 私の勝手でしょ。そんなことはない。道端で切腹されても困る。介錯してやれる準備なんかしていないし、準備するつもりもない。じゃあ、頭を撃ち抜けばいいのね。そんなもの見せないでくれ。分かったわ。自分の家でやるわ。そうしてくれ。勝手に台所で死んでくれ。見たい奴が見に行くさ。だからドアは開けておけ。私は見たくない。本音を言えば、孤島に家を建ててくれるとありがたい。そこを出るときは、血を拭いて、体を清めて、傷跡を縫合しておくべきだ。さらに言えば、生き返ってから出歩くのが望ましい。嬉しい。私は自由なのね。死んでもいいのね。約束できるか。ええ、もちろんよ。そうか。ではここにサインしたまえ。ところで、コトウっていうのはお高いのかしら。いや、せいぜい200億程度だろう。良かった、それならお父様にも叱られずに済むわ。ただし、一つ問題があってな。やだ、怖いこと言わないで。でも焦らさずに教えて頂戴。うむ、つまり、なかなか売りに出ないのだ。なんだ、そんなこと。売ってなければ作ればいいじゃない。ふはは、そうだ、その通りだ。さすが伯爵の娘だ、頭が回る。うふふ。でもこれはお兄様の受け売りなの。
 地球はその名の通り端っこを持たず、誰かが落っこちる心配をしなくてもいい。だからまずは横のスペースを埋めていくのが道理というものだ。それでもあんまり遠いのは考えものなので、そういうときは縦に積む。そんなシンプルな原理で、古い道路の上にファット用の二重道路が作られている。電車の場合はそっくりそのまま積むのは難しいからモノレール。それでも、誰かが落っこちる心配をする必要は無い。海外みたいな建造物間のエキゾチックな隙間は無いし、狭い隙間を通過できないファットの割合が高層では自然と大きくなるからだ。事実、「自殺、他殺、事故死の全体及び各項に対する転落の占める割合」は国際的に見てもかなり小さい数字らしい。
 でも、スーパーモデルみたいな基準値の2倍もある超ファットが主流になったらどうするんだろう。さらに上に積むのだろうか。まだ見ぬ祖国には、簡単かつ健康的に筋肉を増やすテクノロジーがきっと有るはず。だから流行そのものは可能だとしても、経済が追いつきそうにないように思う。女性の大部分が超ファットになるとしたら、今のファットインフラの大部分が無駄になるため、投資は慎重にならざるを得ない。それほどの勢いが無いのであれば、インフラを大更新するための動機が生まれないし、インフラを欠いた生活はそれほど流行しないだろう。いや、どこかに陸の孤島ができるかもしれない。海外の非ファット国が超ファット国になるほうがありそうだ。国外脱出が進めば、横から上からのファット移民で支えられている日本経済は多少なりとも混乱するだろう。
 かの星もそんな恩知らずなことにならぬよう気を遣うだろうし、マッスルサプリメントを導入する際には別の形でも援助してくれるだろう。そうした楽観に根拠は皆無だ。父なるエイリアンを信頼しようにも、庶民は何も知らない。自分のことを手紙で報告しているとはいえ、他人が書いて他人が検閲してるのだから、湧いてくるのは親しみよりも不気味さだ。分かることと言えば、日本人に似た生き物のオスは平均的に足が短いだろうということだけ。これにはちょっと親しみが湧くのも事実だが、信頼には寄与しない。たぶんマッチョで、さらに足が短く見えるはずだという想定も、左に同じ。
 さて、どうしようか。と、立ち上がると、電話が鳴った。
「大丈夫?何かあった?」
「ごめんなさいね。恵の母です」
「あ、すみません。何かあったんでしょうか?」
「落ち込んじゃってるみたいなのよ、ちょっと怪我しちゃって」
「どんな容態なんですか?」
「もう、そんな、容態だなんて、全然たいしたことじゃなくて。あ、ここからはオフレコよ。あの子ったら久しぶりにダイエット始めるかと思ったら、さっそく指輪をつけたまま寝ちゃって。普段はつけてないもんだから私もわざわざ注意しなかったのよ。それに、あの子、スリムな服しか持ってないから、まさか昨晩からいきなり飲み始めるとも思わないじゃない。それでね、指輪もパジャマも食い込んじゃって、朝から大騒ぎだったの。すぐ救急車は呼んだんだけど、ちょうどいいサイズの服が、もう、なかなか見つからなくて。私一人でクローゼットとダンボールの大捜索。もう私クタクタになっちゃって、一緒に乗せてもらおうかと思ったぐらい。でも、汗だくだったし、付き添って勇気づけるわけでもないし」
 駅前をふらふらしているうちに、腰掛ける場所が埋まってしまった。座ったまま電話するのは苦手なのだ。月がキレイだ。
「あの、恵さんとお話することはできませんか?」
「あらやだ、喋りっぱなしでごめんなさいね。指のほうは大丈夫なんだけど、パパに聞いた感じだと、どうやら指輪を切っちゃったのが堪えたみたいで、帰ってきてからも元気が無くて、こちらとしてはどうしたらいいのやらで、とりあえずそっとしてるんだけど、そうそう、そのリングは見た感じ安物でね、何か大事な思い出があるってことなんだろうけど、別に思い出が減るわけじゃないし、そんなこと気に病んでたら痩せる一方じゃない、そもそもイマドキ女の子が金属の」
 僕は引き際の美学というものを、幼稚園と小学校で、椅子取りゲームから学んだ。

(了)

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