(1)こんにちは
これはこれは。まさか貴方がいらっしゃるとは。どうぞどうぞ。好きなところに腰かけてください。なんなら寝転がったままでも結構です。いや、言い訳をさせていただくとですね、貴方もこういう小さなことを一つ一つ確認しておくべきですよ。おかしいな、と思ったときには手遅れだし、どうせ大きなことは手に負えませんから。
さて。申し上げづらいんですが、何というお名前でしたっけ。いやいやいや、老化じゃないんですよ。もう全然そういうことじゃないんです。違うんです。ただ、人の名前というのを覚えられないんです。初対面。まさかそんなはずはありません。せっかくですからその名刺は、はい、これで今日はもう忘れません。ふんふん、有礼さんね、有礼さん。
どうかしましたか。個人情報というやつなら心配いりませんよ。お帰りの際に、火にくべるところを是非ご覧になってください。いやいやいや、私は名乗るほどの者ではありませんよ。一介の相談役に過ぎません。司祭でさえありません。しかし、名前を覚えるのが得意な人というのは、相手の名前を呼ぶ習慣をお持ちなのかもしれません。その場合はどうぞ、遊佐とお呼びください。
反抗期ですか。はい。ちなみに有礼さん、お子さんは何人いらっしゃるので。1001人ですか。なかなか子沢山ですな。いえ、詮索はしませんよ。
ご存知のように、大きな問題に手を出すと足を掬われます。偶然の大海原へ飛び込むようなものですから。手を出すと、足を掬われる。この不合理、不意打ちの渦に飲まれぬよう、ここに留まるべきなのです。逆に言えば、小さく小さく些事を追求しない限り普遍性に辿り着けないということ、聡明な貴方に伝える非礼をお許しください。
ところで、お子さん全員に等しく愛情を注げていますか。ええ、もちろん無理でしょう。それが望ましいとも限りません。しかし、等しさの単位ということについて考えたことがありますか。ひとりひとり、という単位で捉えることの恣意性について考えたことがありますか。貴方は何を愛そうとしているのか。
子供は人格を、人格だけを愛されたがっているわけではありません。愛されない枝葉末節の悲鳴を、人格による反抗の態度として、貴方は聞きとっているということです。
ですから、例えば、人格に与えた名前で呼ぶのを控えてはいかがでしょうか。そのときそのときの振舞いに応じて、仮名をつけてやればいいのです。ねぇ、テレビの前で金髪のお人形もって踊ってる女の子、って。
これが冷たい態度のように見えるのは、貴方が子供ではないからです。大人が名前を呼ばれて喜ぶのは、名前が人格全体を表象するからではありません。たとえば役所で、私は何某だ、と叫んでも相手にされないでしょう。試してみたわけではありませんよ。少なくともシラフでは。そんな人を見かけたら、きっと貴方も人格を疑いますよ。これはもう積極的に疑ってください。そのためにこそ我々は、あー、話を戻しますと、つまり、名前が枝葉末節になってしまった大人の流儀を、子供の世界に持ち込んではいけないのです。
そうです、有札さん。貴方は愛すべき子供たちに愛すべき名前をつけました。確認するまでもなく、子供を愛していました。しかし、人格の形成という、これはこれで感動すべき出来事に目が眩んで、子供の人格を愛するようになってしまったのです。人格とはある種の全体かつ統一ですが、全体への愛も、統一への愛も、部分への愛と同じものではありません。ただただ子供を愛してください。愛の囁きに名前を添えるように、細部への関心を示してあげてください。
さあ、燃やしましょう。
(2)名札
もちろん愛してるさ。どうしたんだい。嫌いなところもあるかもしれない。それでも君を丸ごと愛してるよ。
人格、って何の話だ。
僕は聞いたことが無いけど、そいつは有名なのかな。もし無名なんだったら、忘れたほうがいい。危険だ。有名な誰かの言葉なら、思い出す度に名前も一緒についてくる。もし間違っていたら、そいつごと追い出せばいい。でも、名無しの言葉は、いつの間にか君の言葉になってしまう。自分の言葉を自分から追い出すのは難しい。そして君は変われなくなる。他人の名前を覚えられない人間は、変われなくなるんだ。全てが自分の言葉になって、その言葉に制限されて、矛盾して、狂ってしまう。名無しの言葉は、伝染する狂人の言葉なんだ。
僕らが有名人の言葉に耳を傾けてしまうのには、そういう理由もある。何かを伝えたい人は、まず自分の名前を覚えてもらうために努力するだろ。これは相手を狂わさないよう配慮する誠実の証だ。何かを伝えたいのに名乗らないのは、だから、不誠実なんだ。自分は名乗らず相手の名を聞くなんて最悪だよ。とはいえ、防衛本能かもしれないね。
だから人を狂わすのは簡単さ。有名人に、無名の言葉を投げ続ければいいんだ。ご褒美の歓声と一緒に、無名の言葉を大量に浴びてしまう。全てを聞き流すわけにはいかないし、どの言葉も完全に聞き流せるわけじゃない。ちょっとずつ侵食されてしまうんだ。
でも僕の知る限り、ほとんどの有名人は耳栓して笑顔で手を振ってるよ。片手だけ上げるだろ。もう片方の手で耳栓のスイッチを切り替えてるんだ。μとφとψをね。
μは、外部と逆位相の音をぶつけて、可能な限り耳に入る音を遮断する。歩いてるときだと危ないね。
φは、耳栓そのものによる減衰の影響を考慮して、自然な音に近づくよう加音する。外すのにちょっと時間がかかるから、常用してる人には大事な機能だ。
ψは、無名の言葉に名前をつける。と太郎が言う。と次郎が言う。と三郎が言う。っていう感じ。人間の声を識別して適当な名前をつけて、距離に応じた大きさで出力するんだ。最初は鬱陶しいんだけど、慣れてくると、あの声はどんな名前だろう、って楽しくなるらしい。友達の声についた意外な名前で笑ったりもできる。
予め名前を登録しておくこともできるから、名前を覚えるのが苦手な人にも便利だね。おー、これはこれは、おひさしぶりです、元気にしてましたか。なんて挨拶してる間に相手の名前を教えてくれるんだ。入力頻度の高い声は無視させたり、入力音量に応じて設定を切り替えたり、特定の声の名前を例外的に報告させたり、それに用件を添付したり、いろいろできる。名札用なら遠くの声は無視させればいいし、人探しなら近くの声は無視させればいい、とかね。
だからψ用にモードがニつあるのが普通だね。ψ設定を管理してる秘書は大変だろうな。
うん、そういうこと。これは科学なんだ。無名の奴の言葉に騙されちゃいけない。僕らは子供をちゃんと名前で呼ぼうよ。そうしないと僕らが狂っちまう。狂った親より、無性に腹立つ親のほうがいい。
たまたま知ってただけだよ。前に雑誌で読んだんだ。
(3)贈り物
あら、千恵ちゃん、こんにちわ。そのカバン素敵ね。へー、いいわねぇ。うちの旦那は結婚してからプレゼントなんか一つも用意したことないわよ。もうちょっとこう、気持ちのカケラでも見せてくれたらいいのに。
最近は名前もほとんど呼んでくれないのよ。おい、なあ、ちょっと、お前。私も似たようなもんだけどね。あはは。名前で呼ばれたりしたら、むしろ疑っちゃうかも。何か後ろめたいことがあるに決まってるじゃない。
良い機会ね。とっておきのアドバイスがあるの。シラフで饒舌に喋り始めちゃったときは怪しいわよ。うわー、何この人どうしたのー、って思いながら聞き流して、じっと見つめるの。目の逸らし方をチェックしなさい。簡単よ。話を聞かなけりゃ誰でもできるから。あー、それなら気にしない気にしない。何かを誤魔化してるんじゃなくて本当に大事なことを情熱的に話してるんだったら、後日また聞けばいいでしょ。これが第一関門ね。
怪しかったら一週間後に、アレってどういう話だっけ、って聞くの。何だっけソレ、って返ってきたらアタリ。ハズレって言うべきかしら。あとはボロを出すのをじっくり待つだけ。
我が家の女に代々伝わる秘法なの。うちの旦那の場合は、浮気できるほどお小遣いあげてないし、あの顔じゃ無理でしょうね。それに、最近やっと気づいたんだけど、うちの旦那が饒舌になることなんか絶対に有りえないのよね。私が延々と喋ってるから。
でも一度ぐらいは許してあげなさい。どんなに心の準備をしてたって、取り乱して、落ち着けなくって、衝動的になるわ。考えれば考えるほど、跡を残す。相手に投げた言葉が、自分に傷跡を残すの。
だからって何も考えない、何も言わない、なんて無理よね。じゃあ、どうするか。なんと、浮気された女に与える言葉集があるの。先祖伝来よ。笑っちゃうでしょ。でもこれが真剣なのよ。
三食前とおやつ前と寝る前にそれぞれ言葉があって、それが一週間分だから、泊り込みになるわね。本人に渡しちゃいけないの。全部一気に読んじゃうから。だから誰かに読み聞かせてもらうんだけど、私もまだ読みたくないから、って結構信じちゃってるのよね。悔しいけど。うん、もしものときはママを呼ぶわ。うちへいらっしゃい。ママは隣町だからすぐよ。
うちのママね、読んじゃってるの。実際は勘違いだったらしいんだけど、それも婚約期間中に。だから、パパは一発目でアウト。かわいそうにね。
これ本当は女の秘密なんだけど、ママは勘違いで一週間も音信不通になっちゃったでしょ。その罪滅ぼしというか、誠意を見せたというか、パパにこのこと話しちゃったのね。ちょっとだけ中身も。そしたらパパ感動しちゃって、これをプログラムにして配布しよう、って言い出したの。世界中の女性が読めるように、一人でも読めるように。
それで、おばあちゃんと大喧嘩になったんだって。拡散すれば言葉は意味を失う、あれは世界の片隅で読まれることに意味があるのだ、って。やってみなきゃ分からない、これは公開して研究されるに値する言葉だ、って言うパパの気持ちも分かるんだけどね。あ、もうこんな時間ね。私そろそろ行かなくちゃ。
でも最終的にパパを黙らせた言葉が、私、なんか好きなのよね。曰く、お前が世界のために生きようが、家庭のために生きようが構わない、ただ、家庭を救う方法はあまりに少ないのだ。
千恵ちゃんのことも家族だと思ってるから、何かあったらいつでもお姉さんに相談してね。
またね。
(4)良心
もしもし、有礼さん。お子さんは元気かな。へー、動き回っている。こっちのキッズはとても大人しいよ。緊張してるのかな。奥さん、鈍いねぇ。まだ気づかない。
そうだな、シンプルに行こう。
あんたの子供を預かっている。指定の口座に200万。1時間以内。電話は切るな。切ったら殺す。余計なことをするな。左に同じ。以上だ。簡単だろ。じゃあメモの用意を。
ふむ。子供はそこにいる、と。本当に全員かな。幼稚園や学校にいるはずの子供はどうかな。いや、お腹に全員は入らないだろう。そんなのカンガルーだって無理だ。そうだ、声を聞かせてやろうか。
一人だけ。なるほど。もちろん知ってたさ。冗談は終わりだ。本題に入ろうか。
あんたの旦那を預かっている。一人だけ。条件はさっきと同じだ。じゃあメモの、スデニタカイ。もちろん香典の分は引いてある。何だって知ってるさ。あんたが知らないことも知っている。
例えば、あんた、両親が今どこにいるか知っているか。ああ、知ってるとも。落ち着け。深呼吸だ。
前置きが長かったかもしれないが、そうでなきゃあんたはもっと取り乱してたはずだ。下手すりゃ過呼吸だ。気を失っていたかもしれないな。こっちはプロだ。冷静に取引ができるよう配慮してやったのさ。
そうだ、会えるぞ。もちろん生きてる。場所は言えない。指定の口座に200万。以下同文。ああ。無事に送り返してやる。そっちの態度次第だが。どこに、って家だよ。あんたが生まれ育った町だ。あ、いや、引っ越してるのかもしれんな。そこまでは調べていない。こっちはプロだ。必要最低限の調査しかしない。
オーケー。こっちの落ち度だ。条件を変えよう。両親がどこに住んでるかも教えてやろう。そのために指定の口座に、150万に負けといてやろう。安いもんだろう。
信じないのは勝手だが、俺は優しいからな、特別に声を聞かせてやろう。録音だ。
(5)またね
そうですか。決心は変わりませんか。分かりました。
責任者として、そしてそれ以上に、知る者として、少しお話をしたいと思います。
まだ達成できていませんし、しばらくはその見込みもありませんが、あなたも知っての通り、この孤児院は1000人の子供たちを同時に育てられる施設と制度を目標に設立されています。なぜ1000人なのか、それは伝わっていませんが、大きな数であることは確かですね。私の考えでは、これは高い目標ではなく、限界への挑戦です。子を育てる限界の向こう側に、何かを夢見ていたのかもしれません。あるいは限界そのものの内に、何か根本的な問題を見出していたのかもしれません。ですから、その限界について考えてみることも、私たちの役割ではないにせよ、重要な横道の一つであるとは言えるでしょう。
創設者の一人は、数とは別の限界を示しています。生まれて間もない実子を、創設して間もないこの孤児院に入れました。その子を産んだ女性は、創設に関わったかどうかは分かっていませんが、事情を明かさぬままスタッフとして働き、やがて二代目の院長となりました。歴代の院長にだけ、このことが伝えられています。
私たちは原則的に養子縁組の申し入れをお断りしていますね。そうです、孤児は不幸ではないという信念と理想のもとに。孤児が不幸でないとすれば、そう確信できれば、己の子供を孤児として孤児院に入れることができるはずです。親が育てれば必ず幸福になるわけでもありませんから、養育の能力が保証された場所のほうが、幸福になる可能性が高いとさえ言えるかもしれません。それは私たちの目指すところであるのと同様に、非公式ではありますが、歴史上の出発点だったのです。
あなたの申し入れを、だから、半面では喜ばしく思います。しかし、全面的に喜ぶべきなのか、未だに分からないのです。おそらく私が未熟なのでしょう。私の限界なのでしょう。
孤児としての幸福を与えることで、親としての幸福を奪ってしまったのではないかと恐れています。それが両立不可能な、比較不可能な幸福だとしたら、何も問題はありません。むしろ世界に幸福の形を増やしたことを私たちは、私は、誇るべきでしょう。迷いが生じるということは、比較してしまっているのです。
孤児は不幸ではない。そう信じています。でも、でも、ひょっとして、それ以上の幸福があるのではないかという疑念を、拭い切れません。これが私の本音なのでしょう。
ごめんなさい。私の弱さを許してください。
あなたの父親も同じことをしました。あなたが孤児として育てられることを望みました。あなたに名前をつけることさえ拒みました。あなたを見つけてしまわないように。あなたから離れていられるように。
彼は匿名のスポンサーの一人です。私は一度だけ会いましたが、もうほとんど顔を覚えていません。こちらから連絡することもできません。それでも彼に会うことができます。いえ、できるかもしれない方法があります。彼の声を識別することができる装置が、あなたが成人した頃に送られてきました。添えられたメッセージは、孤児の父より、とだけ。
匿名とはいえ、当然ながら仮名でID登録されていますから、送り主が誰なのか分かります。私が覚えていれば、の話ですが。今回は登録日で気づきました。あなたの誕生日です。正確な日付を教えてくれませんでしたから、あなたの誕生日は彼が来院した日なのです。
私が規則を破り、あなたが会う気になり、そして幾つもの偶然が重なれば、彼はやっと娘に会えるのです。彼は会いたいのでしょうか。彼は会う資格があるのでしょうか。私はそれを望む資格があるのでしょうか。
私たちは、あなたに決断の権利を、送りつけています。そして、奪っているのです。
(終)
|