wwwサーバを生んだバーナーズ・リーは、どの研究所に所属していたでしょうか? 答えは欧州原子核研究機構、通称CERN。日本語だと「セルン」だ。 「はあ?」 と、玄関に立ったままの美帆子が不満げに言った。真冬の午後六時はもう暗く、ドア横の摩りガラスの向こうで、赤と緑の電飾が能天気に点滅している。なけなしの庭に植わった庭木を利用して母親がディスプレイした、クリスマス用の電飾。もっとアッパーな住宅街に行けば、これ見よがしに豪勢な電飾があるだろうが、我が家の建つエリアではこの程度がせいぜいだ。 美帆子は高校の制服を着ているが、その姿はコスプレじみて見えた。高校生のくせに無駄に化粧しているからに違いない。そして思い切り眉間にしわを寄せている。 ひそめられた眉は、なんというか、人工的な曲線を描いている。自然の毛の流れに抵抗せぬ様子を見せながら故意に抵抗している、左右アンバランスな曲線。つまり化粧。そのアシンメトリーな様は、人工的なものがいかに不確実であるかを物語っている。たとえばDDTは、かつて人体に害のない奇跡の殺虫剤と賞賛された。合成に成功したパウル・ヘルマン・ミュラー博士はノーベル賞を受賞したが、その後DDTは、発がん物質と環境ホルモンの汚名を着せられた。まずは先進国で使用禁止になり、今は全世界的に使用されていない。 はかないものだ。 いやいや、美帆子の眉がアシンメトリーなのは、ただ美帆子が不器用なだけなのかもしれない。しかし果たしてそうだったか? こいつは不器用だったのだろうか。僕達は同い年で、近所に住んでいる。親同士の仲が良いせいで、家族のように一緒に育ってきた。しかし、美帆子の器用さや不器用さに、今まで関心を持ったことがないことに、僕はふと気付いた。記憶を整理してみる。字はまあまあ悪くはない。小学生の頃の漢字練習帳や七夕の短冊を思い出す限り、少なくとも僕よりはうまい。そういえば、ビーズで作ったという携帯電話のストラップをもらったことがある。あれはなかなかの出来栄えで、あたかも市販品のようだった。どこかで買ったんじゃないかと疑ったくらいだ。 そもそも美帆子は絵が得意だ。いずれは美大を受験するつもりで、一年生の今から予備校に通っているくらいだから、不器用なはずがない。そういえば、僕がこよなく愛する「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」を初めて見たのは、美帆子の家だった。美帆子の母親、愛子さんは美術好きで、世界名画大全のような本をごっそり所蔵しているのだった。美帆子母は他の絵についても楽しげに解説していたが、僕はベアトリーチェ以外の解説はまるで覚えていない。 「はあ? なんで今さらインターネットの話? あたし、そんな話してないんですけど」 「そうだったっけ」 「そうだよ」 その時、ダイニングキッチンからいそいそと出てきた僕の母親が、満面の笑みを浮かべて美帆子に手を振る。 「待ってたわあ、ミホちゃん。そんなとこに突っ立ってないで、早く上がってよ」 「あ、おばさん。久しぶり。ジャム持ってきたよ」 この母親は、僕か兄貴が女の子として生まれてくれば良かったと思っているのだ。残念ながらどちらも男だったせいで、「ドルチェのように可愛らしいドレス」をわが子に着せることができなかった。お気の毒と言うしかない。その人身御供となったのが美帆子で、僕の母親は、誕生日だの入学祝いだのにかこつけて、やたらとふわついた服などを美帆子に贈っていた。しかしこのエピソードを話す母親はなぜ「ケーキ」や「お菓子」ではなく、必ず「ドルチェ」と言うのだ。わからない。 美帆子はぞんざいにサンダルを脱ぎ捨てて、キッチンへ向かう。美帆子によればこういうサンダルのような靴をミュールと呼ぶらしいが、そいつの片方が裏っかえしに転がったのは許しがたい。しかも、帰宅後すぐに家からここへ来たとはいえ、制服にサンダルとはどういうことだ。制服ならせめて革靴を履け。真冬の夜なのだから靴下も履け。コートも着ていないしスカートは短いし、見るからに寒い。寒すぎる。 ダイニングから母の声が聞こえてくる。玄関先で拳を握り締めている僕のことは、まるっきり置き去りだ。この寒い玄関で怒りに震え続けるのも間が抜けているので、諦めてふたりの後を追う。ダイニングでは美帆子が、粘度の高い黒紫色の液体が詰まった巨大なビンをテーブルに置いているところだった。 「愛子ちゃんの作るジャムは美味しいからね。今日のはブルーベリーでしょ? あの、庭に植わってるやつ。うちこそパパがアグリ企業にいるんだから、庭で何か作ってもよさそうなのにね。マイ栽培やってないなんて流行遅れだわ、あたし」 「ママはマイ栽とかジャム作りとかは趣味だからさ。流行はどうでもいいっぽいよ。ほっとくと、家の中がジャムで溢れて溺れちゃうって」 「ちょっと、なんかそれって俳句っぽい」 「ハイク? ハイクって俳句?」 「そう」 「なんで?」 「ほっとくとー、ジャムで溢れてー、溺れちゃうー。五七五じゃない?」 「すごーい。すごーく、くだらない。バカっぽい!」 ぎゃははは、と女ふたりが笑う。哄笑と言うのだろう、これは。僕は厳しい顔で椅子に座り、つぶやいた。 「ブルーベリーを栽培するにあたって、使用禁止の殺虫剤とか使ってないだろうな」 「はあ? なに前時代的エコぶってんの。あんたがよく食べてるサプリ食のほうがよっぽど体に悪いって」 美帆子がまたしても眉をひそめる。 「マイ栽で利益を得るべく、前時代的な怪しい農薬を使う人もいるんだ。ある種のケミカルな農薬は人類を長期に渡って……」 「ケミカルとか言っといて、よっちゃんは科学者になりたいんじゃなかったっけ」 思いがけず美帆子の反撃に遭い、僕は不本意にもうろたえた。 「……まあそうだけど。科学者というか研究者に……」 「科学者はそういうケミカルななんたらかんたらを発明するんでしょ。ケミカルって言ったら、あたしの中じゃケミカル・ピーリングかケミカル・ブラザーズ。ぜんぜん関係ないけど」 「はあ?」 今度は眉をひそめるターンが僕にまわってきた。だいたいそれは「化学」だ。僕がやりたいのは「物理学」なのだ。美穂子の横で、母親が呆れて首を振る。やはり母親だけに、僕の言いたいことを察知したのだろう。と安堵したのもつかの間、母親は美帆子サイドの応援にまわった。 「やだもう、この男に言ってもムダムダ。気難しいだけで、そういうことはぜんぜん知らないんだから。ピーリングは昔流行ったエステ、ブラザーズは昔流行ったイギリスのテクノユニット。既にクラシックよ?」 裏切られた。しかしこの人はどうでもいいことばかりよく知っている。自分の母親ながら、実態がわからない。 「ですよねえ」 「ねえ」 女ふたりはかっくりと首を傾いで、ポーズまで同調している。 「とにかく、うちは前時代的殺虫剤は使ってないよ。だって木に虫いっぱい来てたもん」 ならば害虫由来タンパク質すなわち害虫入りのまま煮込んでなどいないだろうな? そう言いかけたが、また反撃を食らう可能性が高いため、やめておいた。 「ジャムもいただいたことだし、あたし、スコーン焼くわ。生地はもう練ってあるのよ、生地は。じきに夕飯の時間だけど、おやつ作っちゃってもいいよね。もうすぐ昌弘が女の子と一緒に帰ってくるし」 それを聞いて、美帆子が軽く口角を上げた。昌弘というのは僕の兄貴だ。大学で経済を学んでいる。まあ、彼のエタノールつまり酒の摂取量からして、正しく学問に励んでいるのか不安は残るが、天から授かった要領の良さを発揮し、きっとそつなく安定した仕事を見つけるのだろう。奨学金で大学に入った優等学生に敵視されながら。 この国の奨学制度は未発達だと僕は思う。かつて一億総中流と言われた時代は、もうとっくの昔に過ぎ去った。政治家の頭だけはまだ数十年前に停留しているからこうなるのだ。第二次世界大戦と高度成長期とバブル経済期が果てた今、この国には技術と文化と「ルネサンス」と「ネオ粋」が残った。マイ栽培に興じているのはルネサンス。全国でデモをやっているのはネオ国粋主義、いわゆるネオ粋。中流家庭に生まれた僕には、なんの主義もない。ただ、完全で完璧な何かが、僕は欲しい。 そんなことはともかく、酒を浴びてあまたの女子と遊んでいるのが、昌弘という男だ。今日連れてくる女の子というのは、兄貴いわくただの友達らしいが、それもはなはだ疑問だ。彼女は美術大学に在籍しているから美帆子の後学のためになるだろう、というそれだけの理由でここに連行されてくるというのだから、お気の毒と言うしかない。さらにお気の毒なのは美帆子だ。僕が思うに、美帆子は昔から、おそらく昌弘のことを慕っている。 「あ、そういえば、さっきインターネットがどうのこうのって言ってなかった?」 美帆子がテレビを凝視しながら言う。彼女は、サイドボードの上に鎮座しているイルカの縫いぐるみの顔を、人差し指でむぎゅっ、むぎゅっと潰している。鴨川シーワールド(昔は本物の大型海洋生物が飼育されていたらしい)の土産物屋で僕が一目惚れした精悍なイルカは、無残にも顔をゆがめていた。 「インターネット? ああ、そうだ。ニュース見てないのかよ。セルンが……」 プルルル、プルルル、プルルル。 僕の話は電話の音で遮られる。そしてなんと、 「もしもーし」 美帆子が電話に出るのだった。他人の家の電話に勝手に出るな。 「あ、おじさん。え? おばさんならオーブンのとこにいるよ。替わろうか?」 電話をかけてきたのは僕の父親に間違いない。 「替わらなくていいの? うん、うん。わかった。野球のことパパに言っとく」 親父と美帆子の父親は、町内会の草野球チームでバッテリーを組んでいる。親父がキャッチャーで、美帆子の父親がピッチャーだ。ふたりともやたらと情熱的に草野球実践およびプロ野球観戦に打ち込んでいる。僕が野球を始めとしたスポーツにまったく興味を示さないことを、親父は非常に残念がっている。お気の毒と言うしかない。 「っていうかおじさん、そういう用事ならうちのパパのケータイに電話すればいいじゃん。きゃはは。うん、うん。そういえばこないだメールありがとね。じゃね」 メールだと? 親父が美帆子に送るメールというものが想像できない。だいたいケータイメールを打つのが面倒だと言って僕にすらまともな文面を送ってこない前時代的な親父が、女子高生相手にどんなメールを書くというのだ。 「パパに日曜の試合のこと言っといて、だって。そんなのパパに直で言えばいいじゃんね。おばさん、なんか手伝おうか?」 「大丈夫よ、座ってて。今日はミホちゃんが来るって言っておいたから、この時間を狙って家電にかけてきたのよ、あのエロオヤジめ」 母親の口の悪さに閉口する僕を尻目に、女ふたりは顔を見合わせて笑う。何が面白いのか、僕にはさっぱりわからない。 オーブンのあるあたりから、スコーンを構成する小麦粉が炭化する前の香ばしいにおいが漂い始めた。美帆子はイルカの縫いぐるみを胸に抱き、背びれをぐにぐに曲げながら、椅子に座ってテレビを見ている。夕方のニュースショーだ。秋田でのネオ粋によるデモ活動が活発化している。何度目かの政権奪取に成功した民主党は次の選挙で与党の座が危うい。鳥取の神道系産科院兼ホスピスのレポート。 それらを報じたあと、いかにも民放じみた美人女子アナはひとつ呼吸をして表情を和ませ、雰囲気を切り替える。 「世紀の大発見です。この発見によって、SF小説の世界が現実になるかもしれません」 来た! が、美帆子はまるで興味がないらしく、テーブルの上のリモコンをひっつかんで、ショッピングチャンネルに変えてしまった。テレビの中では、恐ろしくハイテンションな女性司会者が、商品のハンドバッグをこれみよがしに掲げ、 「ごめんなさあい! サンドベージュはただいまの時間でソールドアウトとな、り、ま、し、た! ご用意数の多いマットブラックも残りわずかですよ。お早目に!」 と眉尻を下げている。まさしく嬉しい悲鳴といった様子だ。ご用意数の多いマットブラックをも売り尽くしたい彼女にとっては、世紀の大発見など意味のないニュースなのだろう。 ショッピングチャンネルに見入っていた美帆子がため息をついた。 「バッグ欲しいよな。空から降ってこないかな、バッグ」 竜巻でも発生したら降るだろうが可能性は低いね。と考えていたら、美帆子が突然、振り向いた。左右で違う眉が、やはり気になる。 「ねえねえ、よっちゃんが今欲しいものって、なに?」 「はあ?」 「欲しいものだよ。なに?」 欲しいもの、か。欲しいもの。あらためて質問されると、即答できない。欲しいもの。このあいだ図書館で読んだ『月刊科学』の今月号の特集が面白かったから、あれは買っておきたい。あと、携帯電話も機種変更したい。プレステDXのソフトも欲しい。いや、いちばん欲しいのは新しいノートパソコンだ。 違うな、本当に欲しいのは能力だ。才能だ。 僕がアインシュタインやファインマンやホーキングを始めとした名だたる科学者のような天才ではないことは、もうずっと前からわかっている。単なる理系の私立高校生だ。数学オリンピックに抜擢されるような、ずば抜けた頭脳などない。アルゴクラブにも通っていなかったし、それどころか高校の理系クラスの中では最下位争いの中のひとりで、下位に属する僕らは自らを自虐的に「二軍」と呼んでいる。もし悪魔と契約して何かが得られるとしたら、僕は間違いなく「才能」と言うだろう。たとえ代わりとして自分の寿命が縮むとしても。 「欲しいもの……か」 と僕がつぶやいたところで、玄関のドアが威勢良く開く音がした。あの暴力的なドアの開け方は、兄貴に他ならない。必要以上にでかい兄貴の声が玄関にこだましている。 「まあ遠慮せずに上がってよ。つーかこれ、なんのにおい? ケーキでも焼いてんの?」 兄貴の足音は、これまた必要以上にでかく、その後に続いている足音をまるでかき消していた。したがって僕は、その静謐なもうひとつの足音にしばらく気付かなかった。 ダイニングに入ってきたのは、見慣れたがさつな兄貴と、天使のような雰囲気を持つ女性。 ベアトリーチェ! 僕は彼女から目が離せなかった。なぜなら、彼女は僕の愛する「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」に描かれたベアトリーチェに、瓜二つ……とは言わないまでも、ほとんど似ていたからだ。 グイド・レニの描いた「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」は、ギロチンによる処刑を目前にしたベアトリーチェの姿と言われている。十六世紀のイタリア貴族だった彼女は、横暴な父に虐待され陵辱された。耐えかねた彼女は、継母や兄弟と共謀して父を殺し、その罪により拷問を受け、処刑されたのだ。 なんとむごい話だろう。 レニの描いたベアトリーチェは、白いターバンのような布と白装束をまとって振り返り、うつろな瞳でこちらを見つめている。美帆子の家で初めてあの絵を見た時、その陰惨なエピソードを知らない僕はまず、彼女の美しさに心打たれた。何かを訴えているように思えたのだ。その後、美帆子の母親からベアトリーチェの物語を聞き、ベアトリーチェに関する本を読むと、彼女のうつろな瞳が語る言葉を、聞いたような気がした。 ──私が今ここに生まれたのはなぜなのでしょう。 そう訴えているように、僕には思えてきたのだった。 タイムマシンがあれば、ベアトリーチェの人生を変えることができるかもしれない。 と考えたのは、小学生の頃だった。ヒントを得たのは浅はかにもテレビで観た「ドラえもん」のタイムトラベルだ。いや、ベアトリーチェとドラえもんと、どちらが先だったのか覚えていないが……なんせこのアニメは僕の親が生まれる以前からあり、各国のテレビで各種のエピソードが放映されていた。留学先で困ったらとりあえずドラえもんの話をすれば切り抜けられる、と言われるほどワールドワイドな物語だ。ほとんどインプリンティングに近いわけで記憶が定かではないが、とにかくふたつが僕の中で結びついたのは確かだった。 僕は時間について興味を持った。タイムトラベルを扱った古典SF小説、つまりウェルズやフィニィや筒井康隆の小説を読んでみた。それからはお決まりのSF三昧。正体不明の自称タイムトラベラー、ジョン・タイターのエピソードもとりあえず夢中になったが、最終的に行き着くところは、物語のベースになっている物理学だった。相対性理論や超ひも理論。粒子は力を生み、独立していると思われていたそれらの力は、理論によって統合されようとしている。そこには完全で完璧な答えがあるはずだ。 僕が二軍ながら理系クラスに所属しているのも、きっかけのひとつはベアトリーチェと言える。ベアトリーチェ。兄貴が連れてきた千秋さんという女性は、もちろん白いターバンを頭に巻いてなどいなかったが、白いふわふわしたセーターを着ていた。語らずともアッパーエリアの住人と思しき雰囲気がにじみ出ている。にこやかに微笑んでいるがどこか儚げなのも、心憎い。心身ともに目の粗いザルのような兄貴の隣にいると、その繊細さが際立った。 「こんばんは。お邪魔します」 千秋さんが母親に向かい丁寧にお辞儀すると、母親はオーブンから天板を出しながら「やだ、そんな堅苦しいじゃないの」と片手を振った。 美帆子のアシンメトリーな眉が片方、ぴくりと動く。兄貴の恋人らしき人物を目の前にすれば、当然のことながら面白くないだろう。なにしろ幼い頃から、美帆子は兄貴と意気投合していたのだ。いや、結託していたと言ってもいい。 美帆子と兄貴は性質が似ている。まるで美帆子と兄貴が同い年で、僕だけが年下であるかのような、ずっとそんな関係だ。時に優しく時に厳しく、僕は扱われてきた。いや、厳しい場面の方が多かったようにも思われる。たとえば小学生だった頃のあるクリスマスに、僕達の家族は盛大な合同パーティーを開いた。子供は着ぐるみで仮装されられたのだが、兄貴がサンタ、美帆子がサンタ、僕がトナカイだった。 サンタ、サンタ、トナカイ。 なぜ僕だけが赤鼻の下僕なのだ。美帆子と兄貴は、パーティーの間じゅう「トナカイいいよねえ」「ひとりだけトナカイなんてずるい」と言いつつ、僕の茶色い尻尾や枝分かれした角の部分を引っ張り、美帆子にいたってはトナカイのトレードマークたる赤鼻を、暴力的にむしり取った。 「美帆もマサ君もトナカイ希望だったのだけど、泣く泣くよっちゃんに譲ったのよ」 と、着ぐるみを用意した愛子さんが、僕の茶色いトナカイ頭を撫でたが、子供心にも怪しいと思った。それは僕に残り物を押し付けるための体のいい口実に違いない、と。 ベアトリーチェこと千秋さんは、兄貴が紹介した僕に微笑み「弟さんのほうが、なんだかピュアな感じですね」と言った。 正直、照れる。 美帆子が鬼の形相で僕をにらんだ。ザルな兄貴がそれに気付くはずもない。のんきにジャムの蓋を開けてにおいをかいでいる。 「そんでこいつが例の美帆子。まあ妹みたいなもん。バカだけど絵はうまい。らしい」 「はじめまして、美帆子さん。一年なのに予備校に行ってるなんて、すごいね」 美帆子はささっと形相を整え「練習しないと、あたしけっこうやばいんですよ」と笑う。マクドナルドのバイトみたいな接客スマイルだ。 母親がスコーンを山ほど載せた皿を運んできた。どうでもいいが、その自慢げな足取はやめてくれ。 「クロテッド・クリームもあんのよ。ちょっとイングランドな感じじゃない? ま、紅茶はティーバッグだけどね。良弘、紅茶いれて」 僕は紅茶を用意させられた。兄貴は美帆子の抱いていたイルカを取り上げ、サッカーボール代わりにリフティングをしている。「イルカでできるのは世界で俺だけだ。現役時代のクリスティアーノ・ロナウドだってできないだろう」というのが口癖の兄貴は、親父の期待に反して、子供の頃からサッカー部に属していた。僕とは別の意味で、親の期待を裏切ったと言える。少し軌道を外れたイルカを、美帆子はすかさず奪い返して言った。 「千秋さんって、学部は空デなんですよね? なんか、それっぽくないですね」 クウデってなんだ? と思いつつ、ポットにティーバッグを人数分つっこんで熱湯を注ぐ。 「そうかな? 美帆子ちゃんはどの学科が希望なの?」 「油です」 アブラというのはおそらく、油絵のことなんだろう。そのくらいならわかる。 「……なんか油志望っぽくないね」 「ですよねえ」 「あはは」 「あはは」 兄貴がイルカ・リフティングを中断して、 「あははー、とか笑ってるけどさ、アブラでシボウってなによ? なにが面白いのかさっぱりわかんねえよな」 僕に同意を求める。僕はポットとカップを載せたトレーをテーブルに置いて、座った。 「わかんないけど、まあいいんじゃないの。世界には未知のもののほうが多い」 「あら弟さん、言うことが面白いね。やっぱり若いから? 若いっていいなあ」 「若いってあんた、あたしにしてみりゃ千秋ちゃんも良弘も変わらないわよ。若い若い」 と、母親がベアトリーチェの細い肩をぽんと叩いた。僕は耳の毛細血管までも拡張するのが自分でわかった。つまり赤面している。紅茶をすすったまま、顔が上げられない。ましてやテーブルの向こうに座るベアトリーチェの顔なんて見られない。見られないので、僕はうつむいて目を閉じ、レニの描いたベアトリーチェに思いを馳せた。 そうだ。ベアトリーチェといえば、セルン。 セルンは数日前、大型ハドロン衝突型加速器の中でマイクロ・ブラックホールを発生させたことを発表した。あまりに小規模だったため発生直後に消失し、懸念された地球への影響は皆無だった。この極めて微小な特異点がすぐさま時間旅行に結びつかないことは、どの物理学者も明言している。かつてジョン・タイターなる人物は、セルンの発見が時間旅行を実現し、二〇三六年から過去へやってきたとネットの掲示板に書いて話題になった。十何年か前の話だ。しかしあいつはタイムトラベラーを騙った偽物だったことが、後にわかった。単なる空想物語だったのだ。ただ、あの時代に先見の明があったことは認めてやろう。 過去への移動は今のところ不可能だ。ベアトリーチェのいる十六世紀には行き着けない。 それでも僕は、なんらかの手段でベアトリーチェを救えるのではないかと思っているのだ。もし救えたら、あの素晴らしいレニの絵は存在しないだろう。処刑されないのだから。彼女は高貴で温かな家族とともに、何ひとつ不自由のない高貴な暮らしをし、歴史に名を残すこともなく年老いて死んでゆく。バルベリーニ国立古典絵画館に彼女の肖像はなく、僕が彼女に出会うこともない。 それでもいい。 さらに僕は、ベアトリーチェの処刑が、僕が今いるこの世界での出来事だということも、じゅうぶんにわかっている。拡散した多世界の中には、ベアトリーチェが処刑されない世界がある。悲しい目にさえ遭っていない世界もあり、そもそも彼女が生まれてもいない世界もある。物理学者ヒュー・エヴェレットがかつて提唱したように、この世界はあらゆる時点からあらゆる方向へ無限に分岐しているというのが、今の物理学界での定説だ。今僕のいるこの世界では、ベアトリーチェは残酷な最期を迎えた。一方で、幸せなベアトリーチェのいる世界のひとつでは、僕は存在していない。ある世界では、むしろ僕が処刑される犯罪者として存在しているかもしれない。僕の生きている時代がもっとひどいかもしれないし、もっと良いかもしれない。組み合わせは無限にある。 だからといって、僕達のこの現実が変わるわけじゃない。僕達は今生きているこの世界を生き、僕は奨学金なしで大学に進める中流家庭に育ち、理系クラスの「二軍」にいて期末テストで赤点を取る。父親はエロオヤジで、母親はわけがわからない人物で、兄貴はきしめんも通り抜ける粗いザルだ。アッパーな千秋さんはベアトリーチェに似ていて、美帆子の眉毛はアシンメトリーなのだ。 ちなみに、なぜか美帆子と僕の母親はヒュー・エヴェレットを知っていた。彼の息子がミュージシャンだったからだ。息子率いる「イールズ」という名前のバンドの音源を、僕は嫌というほど美帆子に聞かせられた。歌詞は陰鬱で、メロディは恐ろしく優しかった。エヴェレットは家族ともまともにコンタクトしない変人で、五十一歳の時に自宅で病死したらしいが、発見したのは息子だ。息子の姉は自殺した。そして息子は陰鬱で優しい歌を作った。別の世界では、彼は歌など作らなかっただろう。 一時間ほどで、山ほどあったスコーンは皿から消えうせた。大半は兄貴と美帆子が食った。ブルーベリージャムは半分なくなり、ビンに入ったクロテッド・クリームは完全消費された。親父は数個だけ別口で残されたスコーンをクリームなしで食うことになる。まあ、あの人のことだから、まったく気にしないだろう。だいたい親父は甘い菓子は嫌いなのだ。それでもわざわざ数個だけ残しておく母親が、よくわからない。 「あのエロオヤジ、せっかく美女が三人揃ってたのに、間に合わなかったわね」 その三人の中には自分も含まれているのか、母親よ。まったくよくわからない。 こうして僕の一時間は、地球上での一般的な時間経過とは思えないほどの高速で過ぎ去った。最後まで千秋さんをまともに直視できないまま、千秋さんと美帆子のアートな話も理解できないまま、一時間は過ぎてしまった。 気付けば、帰り支度が始まっている。 美帆子はこの一時間ですっかり千秋さんに心を許し、旧知の間柄かと錯覚するほどベタベタ貼りついていた。まるで良く似た姉妹のようだ。いや、そんなはずはない。千秋さんはベアトリーチェ似で……だからそんなはずはない……はずだ。 母親が僕達四人を強引に玄関まで押し出す。 「はいはい、お見送りの時間よ。昌弘は千秋ちゃんを駅まで。良弘は美帆ちゃんを家まで。変質者と遭遇したら、迷わずボッコボコにしてやりなさい」 千秋さんが無邪気にくすくす笑って、面白いお母さんだね、と兄貴に耳打ちする。彼女はこのエリアに暴漢が出ないと信じているのだろうか。それは甘過ぎるというものだ。アッパーエリアの警備強化に伴って、今狙われているのはこのミドルエリアなのだ。かのベアトリーチェも脇が甘かった。だから完全犯罪に至らず、斬首刑にされたのだ。完全でもなく、完璧でもなかった。 僕が後方から千秋さんと兄貴のやり取りをぼやっと見ていると、先にドアの向こうに出ていた美帆子と目が合う。口を「へ」の字に結んで、なぜか僕をにらんでいた。まあ、こうあからさまに見せつけられては面白くないだろう。わからなくもない。同情に値する。 貧弱な庭木に張り巡らされたクリスマス用の電飾に照らされて、僕達は路地を左右に別れた。美帆子の家へ向かう僕達は右へ、駅へ向かう兄貴と千秋さんは左へ。僕は、もう二度と見ることがないかもしれないベアトリーチェの後姿を一度だけ振り返り、歩き出す。なんせ兄貴が同じ女性を二度連れてきたことは、いまだかつてない。 寒い。にもかかわらず美帆子はコートも着ず、素足にミュールという名のサンダルだ。こいつの体感温度はどうなっているのだ。 「……さぶ……」 は? なんだ、寒いのか。美帆子は首をすくめて歯をカチカチ鳴らす。 「なんだ、寒かったのか。てっきり体内サーモメータがぶっ壊れてるのかと思った」 「は? 寒いに決まってんじゃん。十二月だよ、今!」 「なら、玄関出る前に言えよ。非常に迷惑なんですけど……」 僕は着ていたダウンジャケットを脱ぎ、同情に値する美帆子に渡し、数メートル後方の玄関に戻った。そこには兄貴のサッカー用ピステがいつも放り出してあるので、シャカシャカと音のするそれに袖を通して、外に戻る。美帆子は路地の街灯の下、ダウンジャケットのポケットに手をつっこんで左右に揺れていた。 「ありがと。やばい、借り作った」 感謝の意を述べているとはおよそ思えない、不機嫌そうな顔だ。まあ仕方がない。とりあえず無視して歩き出す。 「借り作ったから、なんかクリスマスプレゼントあげるよ。金ないから安いもの限定で」 「なんだそれ。別にいらない」 「遠慮するなよ。なに欲しい?」 欲しいものは、能力だ。才能だ。だから誰からも贈ってもらうことはできない。沈黙したままのしのし歩いていると、美帆子はとがめるように僕を見た。 「欲しいもの、ないわけ? それとも考えてんの?」 「ないってわけじゃないけど」 美帆子は前を向いて、大きなため息をついた。その白い息とともに寒空に飛び出したのは、意外な言葉だった。 「あたしはね。……あたしは才能が欲しいよ。ぜんぜんうまく描けないんだよ。予備校のみんなのほうがうまいし。違うな、技術とかそういう問題じゃなくて、デッサンはうまいかもしれないけど、あたしはただの凡人なんだよ。普通の人なの。すごいものが作れないんだよ。だから才能が欲しい。それって練習しても得られないものなのかな」 思いもしなかった。およそ日常的に強気な、というより強気であることを信条として生きている美帆子らしくない発言だった。思わず立ち止まってしまうほどに、僕はうろたえた。こんなにうろたえたのは意外だったからだけではない。美帆子の気持ちがよくわかったからだ。 「なによ」 少し前方にいた美帆子が振り返った。 「なんか文句あるわけ?」 「文句なんかないよ。努力すれば才能とやらの一パーセントでも得られるんなら、努力したほうがいいに決まってる。才能がないとわかってるんなら、努力して得られるものだけでも得たほうがいい。何も得られないよりいいんだ。絶対そのほうがいいんだ」 それはそのまま、僕自身に対する言葉だった。美帆子はこわばらせていた肩を緩め、少しの間僕を見ると、思い出したかのようにまた不機嫌な顔に戻った。 「だってさ、眉毛もうまく描けなくなっちゃったんだよ。ほら」 と、美帆子は左の眉を指でなぞる。 「角度は左右完璧いっしょ。なんなら分度器持ってきてもいいよ。あんた、そういうの得意じゃん。測ったりとか、そういうの。でもここ、こっちの眉山がへっこんでるでしょ」 そう言われて僕は少し身を乗り出してみた。美帆子の指差す場所を凝視する。確かに左の眉山というのか、眉の高いところの皮膚が、右よりへこんでいる。 「こないだまでは、ここをクリアしてどうにか左右対称っぽく描けたんだけど、今はもう描けない。ダメ。眉毛も描けない」 そうか、だからアシンメトリーなのか。美帆子があまりに真剣な面持ちで眉毛について解説をしたので、なんだか僕はおかしくなり、失礼とは思いつつ笑ってしまった。 「笑うなよ」 「ごめん。でもいいと思う、その眉毛。不安定で気になる。きっと人間は完全と完璧を求めるから、不完全で不確実なものに敏感なんだ。ひっかかるんだ」 「それって、直したくなるってことじゃん。ぜんぜんよくないよ」 「いいんじゃないの。ひっかからないよりひっかかったほうがいい」 実を言えば、それがいいのか悪いのか僕にはよくわからない。なにしろ僕も、完全で完璧な何かを求めている。 たとえば、この宇宙の成り立ちを説明するための完璧な数式。あらゆる現象をまとめあげるための完全な理論。それらが発見されれば、民族や宗教による抗争はなくなるかもしれない。生まれる前に堕胎された子供も、富を得て不自由なく長寿した人も、ルネサンスもネオ粋も、へだてなくまとめあげられるはずだ。ヒトだけではない。美しい結晶を描く鉱石。有機物とも言い切れないウイルス。太古の海で発生した単細胞生物。さらに、地球の外に広がるもの、力、時間、宇宙。 すべてを完全に、完璧にまとめあげる理論。 それを欲しいと思う一方でしかし、すべての存在は、地球生命体の中でも大脳皮質を異常発達させたヒトによる、ただの妄想なのかもしれないとも思う。科学はすべてヒトの妄想で、したがって妄想だとしたら……何もまとめあげられず、何も救えないじゃないか。まとめたものも救ったものも妄想に過ぎない。その可能性はおおいにある。同じように絶望したヒトは、きっと何千年も前からいるに違いないのだ。何千年考えても、近づいているようで近づいていない。 何千年も不確実だ。 そして、それなのに、今、僕は美帆子に対して、不確実に「いいんじゃないの」と言う。無限に分岐し、この瞬間にも広がっていく世界の、たったひとつの中にいる今の僕は、「いいんじゃないの」という言葉を選択するのだ。それにより、美帆子の機嫌は回復する。悪くない選択だと、今の僕は思う。 実際、美帆子は今、寒そうに肩をすくめながらも笑っている。美帆子の家が見えてきた。このまま美帆子は、機嫌よく帰れるだろう。だからもうひとつくらい、機嫌のよくなるニュースを伝えよう。たとえば……。 「ああ、あとそれから、千秋さんは兄貴の彼女じゃないと思うよ。彼女だとしても長くは続かないと……」 言いかけたところで、右腿に激しい衝撃を受けた。美帆子の踵が入った。要するに蹴りを入れられたのだった。僕はひっ、と声にならない悲鳴をあげた。 「なにすんだよ、いってえ……」 「はあ? ていうかあんた、ぜんぜんわかってない!」 おっしゃるとおり、まるでわからない。なぜ僕が蹴られなければならないのだ。傷みを堪えてよろめいているうちに、美帆子の家が見えてきた。我が家より美術的センスの良いイルミネーションが輝いている。具体的にどこが優れているのかと言われればよくわからないが、うちよりは良い。ここでもまた僕の見解は不確実だ。 美帆子は大股で家までずんずん進み、前のめりの体勢でドアホンをヒステリックに押しまくり、ドアを開けた。自分で開けるならドアホン連打の過程は不要なのではないかと思ったが、言えば火に油を注ぐようなものなので言わずにおいた。 「ただいまっ!」 美帆子はダウンジャケットを脱いで僕に放り投げ、玄関でミュールとやらを振り飛ばす。入れ替わりに、開け放したドアから美帆子の父親が出てきて、やたらとスナップを効かせてボールを投げる振りをした。またそれか。なんなんだ、この人はいつも。 「おお、おかえり。ヨシも一緒か。キャッチボールするか?」 するわけないだろう。この人はむりやりキャッチボールを迫る癖がある。犠牲者は主に僕と兄貴だ。お気の毒な僕と兄貴である。 「ノリ悪いなあ。んで、ミホはなに怒ってんだ」 廊下の果てで美帆子が振り返り、 「よっちゃんはセルンとベアトリーチェのことで頭がいっぱいなんだから、パパとキャッチボールなんかしないよ! ママー、お腹すいたー。まったく……男どもって無駄に夢見ててバカじゃないの……」 と言い残してダイニングへ消えていった。あれだけスコーンを食っておいてまだ腹が減っているとは。しかも、セルンとベアトリーチェ? 僕はセルンについては言及したが、ベアトリーチェの話はしていないはずだ。なぜだ。読心術でも習得したのだろうか。 玄関に残された僕達は、北風に身を縮めて首をかしげる。先に言葉を発したのは美帆子の父親だった。 「セルンとベアトリーチェ? セルンてあれか、例のブラックホールか」 「そうだよ。さすがにおじさんはそのニュース、知ってるんだね」 美帆子の父親は胸を張って鼻を鳴らす。 「当たり前だぜ。ミホがなんだかんだうるさかったしな。こんなニュースを聞いたら、よっちゃんは喜んで狂い死ぬよなー、だのなんだの」 と、美帆子のせりふの部分はわざわざ甲高い声色を使った。なんなんだ、この人は。 「ニュースは聞いたけど、残念ながらまだ生きてるよ」 「はあ。おまえはなんにもわかってないな。そんなんだからダメなんだ。めし食ってけ。その方がミホも喜ぶ。愛ちゃーん、ヨシが腹減ったってさ」 は? 美帆子の父親は自慢の豪腕で僕を屋内へ強制連行する。美帆子母の声が聞こえてくる。 「だと思ったわ。夕飯食べて行くって、よっちゃんちにはもう電話しといたから」 半ばスリーパーホールド状態でダイニングへ引きずられていくと、テーブルの上に湯気をたてる土鍋が用意されていた。湯気の向こうでは、制服からオレンジ色のトレーナーに着替えた美帆子が、菜箸で牡蠣をひとつひとつ丁寧につまみあげ、鍋へ投入している。ピンセットで組織片をつまみシャーレへ載せているかのようで、僕は呆れて笑ってしまった。美帆子が顔を上げて微笑む。 「広島のおばさんが送ってきてくれた牡蠣だからうまいよ。食べてった方がいいよ」 眉は不安定なままだが、美帆子は笑っていた。 完全で完璧なもの。 正体不明のそれを、数ナノ秒の間だけ掌につかんだような気がしたが、あまりに小規模だったため、つかんだ直後に消失した。地球への影響は皆無だが、僕には甚大に影響する。 だから僕はもう一度、それをつかもうとする。いつかはつかめると信じながら。もっと年を取れば、もっと知識を得れば、もっと誰かと話せば、もっと集中すれば、もっと努力すれば。 いつかはつかめると信じている。 ベアトリーチェを救えなかったこの世界で、だけどいつか僕は、それをつかむのだ。 了
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