耳障りな鐘の音が鳴る。
目覚めると白くて狭い部屋にひとり。急いで起き上がり、薄汚れた布団を畳む。
部屋の隅に畳んで置いておいた白い胴衣を頭からかぶる。腰で止めるベルトひとつない簡素なつくりの服。首の下にひとつだけあるボタンをとめ、頭からフードをすっぽりと、目が隠れるほどの深さにかぶる。
埃だらけの白いサンダルに足を通し、足首を結わえて立ち上がる。少しうつむいた姿勢で手を腹の前で組み、ドアノブさえないのっぺりとした鉄製の扉の前に立つ。
待つ。
遠くからがちゃりがちゃりという音が少しずつ近付いてくる。音の大きさだけでもう、どの部屋の鍵が解錠されているのかはわかる。二〇七号室、二〇六号室、二〇五号室…… 頭のなかでゆっくりと数をかぞえ、もうすぐ、もうすぐ、と繰り返す。
がちゃり、という大きな音が目の前、下方から聞こえ、ぎいと重い扉が開く。
「二〇三番、外へ」
はい、と小さな声でこたえ、うつむき姿勢のまま足を踏み出す。右を向くと順々に向こうへと歩いていく人たちの背中が見える。静かな行進。わたしも口を閉ざしたまま、かれらの後ろへとつきしたがい、行進の列の一片となる。
がちゃり、ぎい、がちゃり、ぎいと、わたしの後ろで扉が開いていく。そして、わたしの後ろにも列は続いていく。
長い廊下の端に据えつけてある大きな扉が、このときだけは大きく開け放たれている。わたしたちはひとりずつそこから外へと歩み出す。白い日の差す明け方。
寒い。手がかじかむ。身にまとっている薄い布きれだけでは冷気を遮断できない。わたしたちは歯をがちがち鳴らしながら歩く。どんなに寒くても、寒いと言ってはならない。どんなに寒くても、組んだ手を外してこすってはいけない。フードを目深にかぶり、手を腹の上で組んだまま、わたしたちは粛々と歩く。
雨が降っていないのが幸いだ。風が強くないのが幸い。裸足のままサンダルにつっこんだ足は指先まで冷え切っているが、地面が濡れていないのがありがたい。
今日のわたしたちは幸福だ。
監視員たちはわたしたちに何をしろとも命令しない。それは、わたしたち自身が何をすべきかもうよく知っているからだ。わたしたちは黙ったまま行進を続け、広場に大きな円をつくる。ひとつの円を形成するのは数十人。広場には円がいくつもできる。自分が誰の隣で円をなすか、わたしたちはすでに知っている。すべての人間がどの位置に在るべきなのかまでは知らない。ただ、自分のなすべきことを知っている。
大音声で銅鑼の音が鳴る。わたしたちはうつむき加減のまま、前で組んでいた手を外し、隣の人と手をつなぐ。
さらに銅鑼の音。わたしたちは呼吸を合わせ、祈りを開始する。
祈り。そうとしか呼べないもの。わたしたちの声が紡ぎ出すそれが、何を意味するのかわたしたちにはわからない。ここに来たときに教え込まれた。ただ闇雲に覚えろと。頭のなかの思考を追い出せと。わたしたちはただ教えられたとおりに繰り返した。間違えると容赦なく鞭打たれた。抵抗しようとしても鞭打たれた。身体中にみみず腫れを走らせ、眠れない夜を過ごし、朝になるとまた同じことを繰り返し、何度も何度も鞭打たれた。いつまで経っても覚えない者は、打たれるままに死んでいった。恐怖は思考を食い尽くす。わたしたちは従順になることを覚えた。わたしたちは言われたとおりのことを繰り返すことを覚えた。打たれる回数は徐々に減っていき、意味がわからないままに長い言葉のすべてを覚え込んだころ、わたしたちは広場の円の仲間入りをした。
毎朝わたしたちは広場で円をつくる。そして覚えた祈りを繰り返す。この儀式になんの意味があるのか、わからないままに繰り返す。そもそも、わたしたちはなぜここに連れてこられたのか、なぜ閉じ込められ、何度も鞭打たれなければならない羽目になったのか、そんなことすらわからない。ここに来た当初のころは覚えていたのかもしれない。けれども、もう忘れた。わたしたちはただ祈りを繰り返す。
長い長い祈りは、白々とした朝一番から、太陽が中天を過ぎるまで続く。わたしたちは何百人とおり、唱和の練習などしたことがないのに、わたしたちの祈りにぶれはない。ただのひとりも一語たりとも外すことのないまま、わたしたちは昼過ぎまで祈りの言葉を発し続ける。
淡々とした淀みのない祈りが最後の一句を過ぎたとき、またもや大きな銅鑼の音が響く。わたしたちは手を離し、それぞれ腹の前で両手を組み直す。さらに銅鑼の音が鳴り、今度は円を崩す行進を開始する。朝とは逆向きの列はまたしても粛々と進み、わたしたちはそれぞれの部屋へと辿り着く。狭い部屋の床の上に、パンと冷めたスープと臭い水とが用意されている。わたしたちはそれを大急ぎで口に入れ、食器を廊下へと出す。食事の時間は短い。少しでも遅れると容赦のない鞭打ちが待っている。まずいとしか言いようのないその味を吟味する間もなく、わたしたちの食事は終わる。
朝とは逆向きに、がちゃりがちゃりという音が近付いてくる。廊下の食器が下げられ、重い扉が閉められ施錠される。その瞬間、わたしたちはいつも、えもしれない焦燥感にかられる。今日すべきことはもう終わってしまった。これからの長い時間を、またどうやって過ごせばいいのか。暇つぶしになる娯楽もない。話をする相手もいない。そもそも、会話をすることは禁じられている。
わたしたちに許されているのは、祈り、ただひとつなのだ。
わたしたちは壁に背をつけて座り、膝を抱える。そして、頭のなかで、先ほど終えたばかりの祈りをもう一度最初から繰り返す。就寝の時間まではまだ間がある。二回も繰り返せば、夜になるだろう。眠りにつくことができるまで、そうして空っぽの時間を過ごす。
わたしたちは祈りを繰り返す。わたしたちは祈りで埋め尽くされた日々を送っている。
耳障りな鐘の音が鳴り、わたしたちはいつもの朝を迎える。わたしたちはいつもと同じように身支度をととのえ、いつもと同じように隊列をつくって円になる。
いつもと同じ銅鑼の音が響く。わたしたちは組んでいる手を外し、隣の人と手をつなぐ。
そして、いつもと違う左手の感触に気付き、わたしは思わず隣へ首を巡らしそうになってしまう。
けれども、唇を噛んで我慢をする。いつもと違った行動をとってはならない。監視員に目をつけられてはならない。
わたしは目だけをせいいっぱい動かして、フードの隙間から隣をうかがおうとする。わたしの目の位置からでは隣の人の表情は見えない。フードに遮られた状態では、その鼻先をうかがうのがぎりぎりだ。
胸の高鳴りが外に聞こえてしまわないだろうか。思わず手を強く握ってしまい、反対側の人にわたしの緊張が気付かれてしまわないだろうか。
思わぬ事態に遭遇し、わたしは上の空になってしまう。ここに来てからのわたしの日々に、今まで少したりとも変化があったことなどなかった。わたしたちの人数に変遷はあった。新たに祈りの仲間入りをする者もいたし、酷い鞭打ちで息絶え、この場から消える者もいた。けれどもそれさえも、それがわたしたちの隣の人でなければ、わたしたちに把握することさえ難しいことだった。
左手のなかの柔らかい感触。左の人の手とわたしの手とのあいだに、あってはならないはずのものがある。これは一体なんだろう。一体何がわたしの元へ訪れたのだろう。左の人はわたしに何を渡そうとしているのだろう。いや、そもそもそれが、わたしに渡されようとしているものだというわたしの考えは正しいのだろうか。
祈りを違えてはならない。同じことを繰り返すだけの日々に突如現れたその新奇なもので、わたしの頭はいっぱいになってしまうが、体に染みついた祈りは、わたしの思考とは関係なく、わたしの口から流れていく。意味のわからない言葉を紡ぎながら、わたしは考える。そもそも「考える」ということ自体が、もう久しくわたしの身には起こらなかったことだ。「考える」ことに頭を割くのが難しい。
けれども、久しぶりの「思考」は、わたしをわくわくさせてもいた。恐怖と背中合わせの「楽しみ」。それが「楽しい」感覚だということにわたしが気付いたのすら、祈りが始まってからもう何時間も経ってからだった。
祈りの最後の一句が終わり、銅鑼が鳴る。わたしはその柔らかい感触ごと左手を腹の上に戻す。左の人は躊躇なく、その柔らかいものをわたしの手のなかに置き去りにした。
腹の上に組んだ両手のなかに、柔らかいものがある。いや、柔らかいのは片側だけで、どうやらもう片側はかたいようだ。わたしはうつむいた姿勢のまま、緊張で震えが来そうだった。監視員に見つかってはいけない。ただそれだけを念じていた。
部屋に戻り、開け放たれた扉に背を向けたまま、大急ぎで手のなかのそれを目で確かめる。
それは、ひと切れのパンだった。片側に皮がついたパン。
なぜ、と思いつつ、とりあえず、大急ぎで床の上の食事を片づけた。そして両手のなかに、手渡されたパンを隠す。
扉が施錠されるまで、わたしは生きた心地がしなかった。
いつもなら焦燥感をしかもたらさない重い施錠の音が、その日は幸せを告げる軽やかな楽の音に聞こえた。もう長いあいだ耳にしたことがない、音楽というもの。
わたしは壁に背をつけて座り、手のなかのそれを吟味する。わたしはこれを食べてもいいのだろうか。わたしたちに配られる日々の食事は、決して多いとは言えない。少しでも腹の足しになるのであれば、このひと切れでもありがたい。けれどもおそらく、わたしと同じように腹を空かせているはずの左の人は、自分のパンをわざわざ割いて、わたしの手に渡したのだ。自分の口に入るものを減らしてまで。なぜ。
わたしはそのパンを飽かず眺める。ひっくり返し、角度を変え、何度も何度も見返す。
そしてわたしはあることに気付き、総毛が立つほどにおののいた。
皮の表面にひっかき傷がある。単なる割れ目とも見えるそれは、けれども、どこかで見たことのあるものだった。
いつか、どこかで。いや、ずっと前、わたしがここにやってくるまでは、日々の生活のなかでいくらでも目にしていたはずのもの。
文字だ。
単語のかたちをなしていない、ただ一文字だけの文字。もちろん、それだけではその意味を汲みとることはできない。そもそも、それが文字だというのも単なるわたしの勘違いかもしれない。
けれども、それは、文字に見えた。
文字。かつて、わたしたちに必要だったもの。何かを伝えるために。何かを表現するために。「意味」を有した言葉を形成し、誰かとつながるためのもの。
心臓がばくばくと音を立てている。叫んだりしてはいけない。涙を流してはいけない。けれども、わたしは感動に打ち震えていた。
「祈り」も確かに言葉ではある。けれども、そこに「意味」はない。少なくとも、わたしにとっては「意味」はない。そして、わたしの手のなかにあるそれは、確かにそれひとつで「意味」を有することはないが、けれどもまさしく「言葉」だった。
わたしたちがわたしたちに伝えるべき「言葉」。
そして、わたしたちがいかにそれに飢えていたかを知る。
この続きが知りたい。わたしの頭のなかはただそのことでいっぱいになる。これが「文字」ではない可能性を考えないわけではなかった。もしかしたらただ友愛の意味で分け与えられた食事の一部でしかないものかもしれない。その可能性は大いにある。
けれども、「文字」であってほしかったのだ。
わたしたちはつながることができる。わたしたちは言葉でつながることができる。
その発見は、閉ざされた円環のなかで日々を送るわたしにとって、鮮やかな色彩を放つ希望の光となった。
翌朝、わたしは自分のパンの切れ端を隠し持ち、隊列へと参加した。
パンの皮にはわたしが昨日目にした文字をそのまま慎重に刻み入れた。
そして、右隣の人の手へとそれを渡す。
右手につながった手は、わたしの手のなかのパンを感じとると、それとわかるほどにびくりと震えた。
けれども、前日のわたしと同様、目立った動きは見せなかった。
右の人の動揺が手にとるようにわかる。驚き。いぶかしみ。そして、いつしかそれは小さな希望へと変わる。互いの表情は見えなかったが、つながった手がそれを雄弁に伝えた。
そして、わたしの左手には、新たな希望のかけらの感触があった。
わたしたちはつながっている。伝え合おうとする気持ちがつながっている。
太陽が中天を過ぎ、祈りの時間が終わり部屋に戻ると、わたしは急ぎ、手のなかの新しいパンのかけらに見入った。
そして、昨日受け渡された文字の続きを読みとる。それはまだ意味を成す言葉にはならない。けれども、それは言葉のかけらだ。二日続けて渡されたそれに意味が含まれていることは、もうはっきりとわかった。
言葉が、続いていく。
わたしの手元に届いた、ただ二つきりの文字の続きを夢想する。子どものころに夢中になったパズルのように、わたしはその文字に続けることのできる文字を、あれもこれも頭のなかで並べてみる。
わたしはいつもどおり、壁に背をつけて座っている。けれども、頭のなかを回っているのは、それまでのように意味を成さない機械的な祈りの言葉などではなく、期待に満ちた言葉の羅列だった。
希望はわたしたちの明日を期待で覆う。ただ時が流れるのを待つだけの空疎な時間は、明日を彩るための楽しみの時間となった。
一日一文字。気が遠くなるほどの日数をかけて、わたしたちは言葉を紡いでいった。どこの誰が発したのかわからない言葉群が、わたしたちのあいだを駆け巡った。文字とは別個の、合図の印も発明された。誰かの発言が終了すると、終了のサインが流される。そうすると、別の誰かが次の文字を紡ぎ始める。
いつもと同じ時間が流れていく。けれども、言葉を知ったわたしたちには、一日一日が別ものになった。
わたしたちのあいだに流れた文字は、物語のかけらだった。同じ時間を同じように過ごすわたしたちのあいだに、伝え合うべき話題はなかった。だから、わたしたちが互いに練りあげた言葉群は、わたしたちの現実とはかけ離れた空想譚とも言うべきものだった。世界の始まりと終わり。今日の次の日がない世界について。ほんの短い掌編とも言うべき作品ができあがるまで、年単位の時間が軽く流れた。そして、誰かがまた、新たな作品をつくりあげる。各々の物語はそれぞれに独立した作品でもあり、また、同軸の世界設定をもった、続編ともシリーズとも言える作品でもあった。わたしたちのあいだには同じ日々が続いていく。仲間がひとり減り、ふたり減り、そしてまた新しい仲間が新たに加わる。わたしたちの構成員は流動的だったが、共有される物語で結ばれていた。ひとつ、ひとつ、意味を成す言葉が付け加わるたび、わたしたちは嘆息し、さらなる期待に打ち震えた。
わたしたちは日々支給されるパン以外に、言葉を書きつけるものをもたなかった。わたしたちの部屋は定期的に点検される。布団から胴衣から、はては身体中、隅から隅まで監視員の手でチェックされる。絶対に監視員に見つかってはならない。わたしたちは文字の受け渡しをしては、それを大急ぎで食べた。わたしたちが物理的に文字を残す手段は何もなかった。
ただ、わたしたちの脳内を除いては。
わたしたちは記憶した。反芻する時間はたっぷりあった。一日に一文字ずつ増えていくそれを、わたしたちは何度も頭のなかで飽きもせず繰り返した。わたしたちの頭のなかには二つの領域ができた。意味を成さず、これ以上増えることもなく、半日がかりで全員で唱和するべき、発展性のない祈りの在る場所。そして、唯一のわたしたちの娯楽であり、希望でもあり、意味をもって増え続ける、わたしたち全員の手に成る物語のかけらたちの在る場所。
わたしたちは日々繰り返した。祈りを。そして、物語を。
永遠に続くかと思われたわたしたちの日々は、ある日突然終わりを告げた。
その日、起床の鐘の音は鳴らなかった。わたしたちの部屋の鉄製の扉は、予告もなしに突然に開け放たれ、わたしたちは布団に入ったまま、それを目にすることになった。
解錠したのは、いつもの監視員ではなかった。監視員の制服であるところの、グレーの着衣でさえなかった。
かれはわたしたちを番号では呼ばなかった。かれの口から出てきたのは、判で押したような、「二〇三番、外へ」ではなかった。
かれは笑顔だった。かれはわたしたちに命令しなかった。かれの手には鞭もなかった。かれは好意的な表情と声でわたしたちに語りかけた。
あなたがたはもう、自由です、と。
自由? わたしたちにはその言葉の意味がつかみかねた。何か予想もつかないたいへんなことが起こっているということしかわからなかった。わたしたちは焦った。わたしたちは大急ぎで布団を畳み、大急ぎで胴衣に腕を通そうとした。
かれは笑顔で、もういいのです、と言った。あなたがたは自由なのです。もう誰も、あなたがたを拘束することはありません。あなたがたを洗脳しようとすることもありません。あなたがたは自由なのです。外に出て、あなたがたの思うとおりに、好きなことを好きなときにすることができるのです。誰とどんな会話をしようとも、それであなたがたが罰せられることはありません。あなたがたは自由なのです。
意味が、わからなかった。
それでは、もう、祈りを唱和する必要はないのか。隊列をつくる必要もないのか。この胴衣を身にまとう必要もないのか。
こっそりとパンに文字を刻み入れて手渡し合うという、小さな幸せももう、わたしたちからは取り除かれたのか。
わたしたちには服が配付された。それは今まで着ることが義務づけられていた薄っぺらい服よりもずっとあたたかく、ずっとカラフルなものだった。頭と顔を隠すためのフードもなかった。わたしたちは着慣れない服の着方がわからずに困惑した。手渡されたベルトをどの位置で締めればいいのか、そんなことすらわたしたちにはわからなかった。
心許ない状態で新品の服を着て扉の外に出ると、それぞれの部屋からやはり困惑顔で出てきたわたしたちの姿が目に入った。
わたしたちはもう、わたしたちではなかった。各々が異なる服を身につけていた。わたしたちは初めてお互いの顔を知った。驚いたことに、わたしたちはすべて異なった顔立ちをしていた。皮膚の色すらばらばらだった。くしゃくしゃな髪のまま出てきたわたしたちを目にして、わたしは慌てて自分の髪をなでつけた。わたしたちはおしなべて、自分の髪をなでつけた。けれども、わたしたちはひとりとして同じ髪型ではなかった。
わたしたちはそれぞれ異なる衣装と姿態をもち、そこから出て行った。互いに抱き合って別れを惜しもうという気にはなれなかった。かれらはわたしではなかった。わたしもかれらではなかった。わたしたちはぎこちなく別れを告げ、別々の方角へと歩いていった。
わたしたちは、わたしは、ひとりになった。
街はにぎわっていた。わたしたちの国を牛耳っていた独裁者が暗殺されたニュースが飛び交っている。旧政府のもとで施行されていた刑罰はほぼすべて廃止され、それを肯定・賛美する言動こそが非難されるべきものとなっていた。新しい国体のもと、不敬罪も舌禍罪も廃止され、言論の自由が保障されたことを知った。
それと同時に、わたしはおそろしいまでの焦慮と不安に悩まさることになった。
誰の背中のあとをついて歩くこともない路上。わたしの生活の大半を占めていた祈りの言葉を口にすることももうない。
わたしは頼りない足どりで歩いた。自分の口から出てくる「自由な」言葉はつっかえるばかりで抑揚がなく、笑顔はひきつった。
何をどうすればこころの安寧が得られるのか、皆目わからなかった。
わたしは露店で買えるだけのパンを買い、やっとの思いで入居したアパートにひきこもった。薄く切ったパンをちぎりながら口に入れ、残ったパンに文字を刻み入れた。
わたしたちがつくりあげた物語を思い出すのは簡単だった。そして、あれだけ膨大な時間を費やしてやりとりした物語を全部記すのに必要だったのは、ほんの数刻の時間だった。そして、パンの皮に書きあげた物語を読み直しても、もう、ちっとも面白いとは思えなかった。
わたしたちが、わたしが、大事にしていたあの時間は、一体なんだったのだろう。こんなにもつまらないものに、一体なぜわたしはあんなにも夢中になっていたのだろう。
金がなくては生活ができない。わたしは日々のパン代を稼ぐために仕事を探した。わたしはすでに年老いており、肉体労働はできなかった。人生の大半を収容所で独裁政権を賛美する詩をただ繰り返すことしかしなかったため、手に職もなく、単純な事務作業ですら、技能のないわたしには無理だった。わたしは政府の労働斡旋所の長蛇の列に並び、小さな内職の仕事を手に入れ、それを仕上げるとまた労働斡旋所に舞い戻る日々を繰り返した。
収容所にいたころと一体何が異なるのだろう。いや、あのころのほうがまだましだったのではないかとすら思った。あのころのわたしは自分のなすべきことを知っていたし、おそらく優秀にそれをやり遂げていた。わずかだったとはいえ、食べるものに困ることもなかった。小さな楽しみもあった。仲間もいた。
今のわたしはどうだろう。長い時間と疲労のうえにやっとのことで手に入れられる内職は、仕上げた納品物の半分以上が品質基準に満たないといって受けつけてもらえない。仕事があるあいだはなんとか食べることができるが、仕事を手に入れられない期間は、水を飲んで飢えをしのぐしかない。日々の着るものにも困った。自分で服を選ぶ方法もその着け方も、わたしにはさっぱりわからなかった。小さな部屋に閉じこもり、誰と会話を交わすこともない日が続く。外出したところで金がかかる。笑い合える友人をつくる余裕などなかった。
わたしたちは、わたしは、自由を手に入れたのではなかったのか。けれどもそれは、わたしに幸福をもたらすものではなかった。独裁政権にノーと言い、自由を手に入れるためにアピール活動を続けていた若いころのわたしが手に入れたかったのは、こんなものだったのか。その活動のために投獄され、身体に傷を負う刑罰にさらされ、洗脳を受け。それでも歯を食いしばってがんばってきたうえにやっと手に入れたのが、こんな孤独だったのか。
それとも、こんなふうに感じてしまうことこそ、洗脳の結果だとでもいうのか。
ひとりの部屋で目覚め、今日やるべきことがないことに気付く。労働斡旋所でけんもほろろに扱われ、お腹を空かせて寒い部屋に戻ってくる。
誰かわたしにやるべきことをくれ。どんな単純な仕事でもいい。朝目覚めると同時に、その日やるべきことを。やるべきことはやったという、満足のなかでの眠りを。
誰かとつながって何かをつくりあげる、小さな幸せを。
それがかなわないのであれば、永遠の眠りを。世界が今日で終わってしまえばいい。不安ばかりが満ちた明日など、来なくてもいい。
神経痛で痛む体を引きずって、労働斡旋所の長蛇の列に並ぶ。やっとのことで辿り着いた窓口で、資格や職能のチェック欄のほとんどが空欄のままの受付票を差し出すと、本日お渡しできる仕事はありませんと申し訳なさそうな顔で返される。何度繰り返されたかわからないやりとりに、もう慣れたとはいえ、溜め息しか出ない。
ずるずると足を引きずりながら道を歩く。空咳を繰り返し、道ばたでうずくまる。大丈夫ですかと声をかけられ、大丈夫ですとしかこたえられない。大丈夫じゃなかったとしても、ほかに返す言葉を思いつかない。
けんけんとかすれた咳を何度も繰り返し、その辛さに嫌な汗が出る。そして、疲れきったわたしの口をふとついて出たのは、まだ収容所にいたころ、仲間たちとつくった拙い物語だった。その世界には始まりがあり、終わりがある。始まりの日の出現は、いつか終わりの日がやってくることを意味し、終わりの日にその次の日はない。世界が終わる前にわたしたちは死に絶える。わたしたちが世界の終わりを見る日は、永遠に来ない。
夢のない物語だ。なのに、こんな物語が、あのころのわたしたちには喜びだった。そして世界はどうなるのか。最後に残った人たちの胸中はどうなのか。
あの物語は、突然に終わりを告げた。自由と引き換えに。
あの続きは、一体どんなものだったのだろう。わたしは、わたしたちは、あの続きをどうしたかったのだろう。どうしようと思っていたのだろう。
こめかみを伝う冷や汗を拭い、けふけふと咳をしながら立ち上がる。収容所にいた当時は、わたしたちの生の行方は監視員の胸先三寸だった。監視員の怒りに触れれば、息が止まるまで鞭打たれるのはよくあることだった。わたしたちの生の終わりを決定するのは、監視員の判断に委ねられていた。
今のわたしの生は、誰によって終わりを告げられるのだろう。監視員の手によるのでなければ、自分の意思でか。
それが、わたしの、わたしたちの欲しかった自由なのだろうか。
重い足を引きずり、公園の入り口へとさしかかる。特に遊具のないそこは、公園というよりだだっ広い空き地だった。白々とした太陽の下のその空き地がどこかに似ていると思い、それが、収容所に敷設された広場を思い起こさせるのだと気付いた瞬間、わたしは何も考えずにそこへ足を踏み入れていた。
広場の真ん中にひとり立ち、ぼんやりと腹の前で両手を組む。目を閉じると、あのころの朝の情景がよみがえる。大音声で響く銅鑼の音。抑揚のない声で唱和する長い長い祈りの言葉。
いや、あれは祈りではなかった。倒された独裁政権を、今や惨殺された独裁者を褒め称える、長くてほの暗い、賛美の詩だった。
今でも一字一句違えずに思い出すことができる。今ここでもう一度繰り返せと言われても、わたしはきっと戸惑わないだろう。あれはわたしの身体の奥深くに巣くい、わたしの血となり肉となり、良くも悪くも、わたしを形づくってしまった。わたしのなかにあったはずの抵抗を根こそぎ駆逐し、食らい尽くし、そして、こんなふうに、自由の身になってさえ、その気力をも根絶やしにしてしまったのだ。
けれども、あの閉じられた場所で育まれた言葉は、それだけではなかった。声にして紡いでいたのはそれだったとしても、わたしたちのなかにはそれとは異なる場所に、別の言葉が息づいていた。それは、音声にこそしなかったが、まとまった文書にこそしなかったが、だからこそ、わたしたちの身内の糧となった。一日に一文字ずつ綴られる、わたしたちの物語。
耳に響いていたのは、大音声の銅鑼の音。わたしたちは腹の前で組んでいた両手を外す。腕を広げるとそこには、両隣の人の手のぬくみが待っていた。監視員の目を盗んで手渡し合う、体温であたためられたパンに綴られた微かな文字。わたしたちはつながっていた。そこには生の喜びがあった。
ふと目を開けると、わたしの前方、少し離れたところに、わたしと同じように白髪の老人が立っていた。うつむき加減の姿勢で、両手を腹の前で組んでいる。ひと息ついて、その手が両側に開かれた。
わたしはゆっくりと前進し、その人の手をつかんだ。目の前の人の目が開く。
お互いの瞳を確かめ合う。
わたしたちは両手をつなぎ、視線を外してうつむいた。そしてまるで打ち合わせでもしていたかのように、わたしたちの口からは同じ言葉が紡がれ始めた。一字一句たりともずれることはなかった。それは何度も何度もわたしたちのあいだで繰り返された言葉たち。気が遠くなるほどの時間を費やして。密やかに密やかに育てあげた。
世界の終わりの物語。
わたしたちの唱和に吸い寄せられるように、あちらからもこちらからも老人が現れた。そして、わたしたちは手をつなぐ。円は次第に大きくなっていき、ひとつきりではおさまらなくなり、広い空き地のなか、その円はいつしか何重にもなった。
わたしたちは同じ物語を何度も繰り返した。わたしたちの人数は少しずつ増え、それは合唱になり、輪唱になった。物語にはいくつもの版があった。手渡しで回されたパンの文字は完全なものとは言えず、途中で消えた文字も、別の文字と勘違いされた文字も、それを補うために誰かが挿入した文字もあった。少しずつ細部の異なる物語が、何重にもかぶさり、大きな物語の流れとなった。少しずつ異なるすべての物語が正しく、すべての物語があるべき姿だった。
やがて、物語に沿わせるように、「祈り」の言葉が重なり始めたのが聞こえてきた。それを耳にしたとき、わたしたちは震えた。そう、それこそが、わたしたちが最も熟知している、物語の姿ではなかったか。わたしたちはいつもそのふたつの言葉を、身内で重ねて再生してはいなかったか。「祈り」を声にしながら、頭の隅でわたしたちの物語を追いかける。パンの上に書かれた文字を読みとりながら、機械的に「祈り」を繰り返す。
隠されていた物語は、隠されてしまった「祈り」と織り合わされて、完成する。
賛美の終わりが、世界の終わり。
警官隊がやってきて、わたしたちを止めようとする。それは現在では禁じられた詩だと。即刻集会を中止せよと。
いいえ、あなたは間違っている。この「祈り」に意味などない。これは反逆の集会などではない。
確かにわたしたちは洗脳されてしまっているのかもしれない。けれども、わたしたちは独裁国家へと戻ることを求めてはいない。
わたしたちが欲しているのは、ほんのちっぽけな幸せなのだ。ただ、この物語の続きを、と。
次の日のない世界の終わりの続きを知りたい。それは、わたしたちにしか知りえないこと。
わたしたちの探求心が罪だと言うならば、いくらでも鞭打てばいい。そうすればいずれわたしたちは死ぬだろう。けれども、残されたわたしたちが続きを唱うだろう。声を取り上げられても、ペンを取り上げられても、わたしたちは唱うことをやめないだろう。
虐げられてきたわたしたちの喜びの詩。糾弾するべき政権を賛美する以外の声を奪われたわたしたちに残されていた、声なき物語。かれらを崇める意思はないまま、けれども、今のわたしたちの声はその賛美の通奏低音に彩られている。わたしたちはそれを消し去る術をもたない。
わたしたちの安寧がここにあることに、いちばん苛立ちを感じているのはわたしたち自身だというのに。
世界の終わりという希望しかもたなかった、わたしたちの密やかな夢。
消えろ、と。潰えよ、と。わたしたちのほの暗い喜びの糧。
それは、誰にでもある憎悪の源。声にすることのできなかった、してはいけないと自ら規制していた、終焉の物語。
わたしたちの夢の物語。
ぼこり、と音がする。ぼこり、ぼこり、と音がする。地面が泡立ち、血に塗れて埋められ消された過去の死人たちが、わたしたちの唱和につられて立ち現れてくる。駆逐されたように擬装され、けれども潰えきれなかった、過去の残滓がよみがえりくる。
死人たちの声が聞こえてくる。上から下から重ね合わされた声たちは、やがて喧噪とも言うべきものになる。恐慌状態に陥った警官隊が、よみがえった死人たちと争いを繰り広げている。けれども、生身の人間に勝ち目はない。声を消された死人たちが声を得て、居場所を求めてわきあがってくる。何年も何十年も何百年も何千年ものあいだ、その声を封じられていた数え切れないほどの死人たちが。死人たちの憎悪の声が。
轟音となって荒れ狂い、野を、空を埋め尽くす。空間という空間にぎっしりとひしめき合い、消された声を追い求め、探し当て。
かれらにも喜びの時があった。希望に満ちた時があった。それはほんのちっぽけなぬくもり。誰かとつながり合っているという、小さな幻想。
無数の小さな魂のひとつひとつに抱え込まれた、大いなる物語。
狂おしいまでの騒音は、かれらひとりひとりの悲鳴か哄笑か。激しく重なり合う不協和音に、その言葉までを聞きとることはできない。
やがて、わたしたちもかれらのうちの一片となる。もう自分の声も聞きとれない。吹き荒れる狂乱のなか、わたしたちの身体は千々にちぎれ飛び絡み合う。わたしたちはつながり合う。そして、わたしたちの言葉はすでにない。
凍てついた太陽は、いつしか地平線の彼方へ沈んでいく。
わたしたちは闇夜のなか、暴風となって流れいく。切れ切れに、意味のとれない音を発しながら。擦過音かと思えば、破裂音となり、閉口音かと思えば、開口音となる。わたしたちはとらえどころのない音となって、流れに流れ。
夜明けは、またいつか訪れるのだろうか。
けれども、もう夜明けがどうなろうとわたしたちには関係がない。わたしたちは辿り着き、満たされた。これがわたしたちの物語の終わり。
いつか、どこかで、わたしたちを呼ぶ声がする。わたしたちは目覚める。わたしたちは、はい、と小さく返事をして立ち上がる。
真っ白な空間のなか、わたしたちは寒さに震える。わたしたちはひとり。わたしたちには名前もなく、やるべきことも何もない。
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