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観察されるものと記録されないもの

たなかなつみ

 

 どんよりとした曇り空の下、一列に並んで黙々と歩く。
 炎天下、じりじりと照りつける太陽の下を、一列に並んでざりざりと歩く。
 わたしたち集団に、名前はない。わたしたち集団に、目的はない。歩くことは枷ではないが、けれども歩くことをやめるほどの欲求も理由もない。わたしたちはただしずしずと、歩き続ける。
 隊列を乱す者がいる。ときにかれらは立ち止まり、ときにかれらは倒れ込む。かれらには名前はない。わたしたちにも名前はない。かれらは列から引きずり出される。わたしたちはそれをぼんやりと眺める。こころの底にあるのは、なんともいいようのない寂寥感と、優越感だ。
 わたしたちは歩き続けねばならない。それがわたしたちのよりどころでもあり、運命でもある。
 わたしたちが互いに語り合うことはない。その必要性を感じない。わたしたちのあいだに齟齬はない。ただ歩き続けることだけを媒介に、わたしたちはつながっている。
 わたしたちは歩き続ける。わたしたちはこの列を離れたりしない。奇妙な多幸感と、足元から這いのぼっては揺さぶりをかけてくるあらがいがたい疲労感、それがわたしたちのすべてだ。
 雨が降ってくる。足元が水に濡れ、歩みが重くなる。わたしたちを阻もうとしているのは泥濘だ。多数のものが脱落していく。あるいは水に流され、あるいは地に溶けていく。わたしたちはかれらに声をかけない。わたしたちはわたしたちという集団を守るために、ただ粛々と歩き続ける。
 隊列は延々と続き、どこから始まりどこで終わっているのかは、わたしたちにはわからない。そのことがわたしたちを安心させる。あるいは、毛筋ほどにも、わたしたちという存在に疑問を抱かない。
 ときにわたしたちは手をつなぐ。前後を歩くものたちの体温に、わたしたちは安堵し、さらなる歩みへの糧とする。歩みは、わたしたちの手を、ふくふくとむくませる。荒々しく変わる天候の下で、わたしたちの手は荒れ、しなび、ざらりとした感触をもっている。わたしたちはそれ以外の手を知らない。
 わたしたちは歩き続ける。
 岩の向こうに、やつらが現れる。やつらにもまた名前はない。やつらは冷酷な目でわたしたちを選別し、わたしたちをさらにわたしたちという完璧な存在にするために、間引きをする。残されたわたしたちは、また奇妙な優越感にひたる。「歩き続けることができなくなったものたち」は、やつらによって引き立てられていく。わたしたちがかれらに声をかけることはない。かれらは脱落した。わたしたちは歩き続ける。
 断続的な腹痛を感じる。わたしはそれを知られてはならないと思う。痛みで、隊列を崩すことがあってはならないと感じる。わたしは歩き続ける。脂汗が背中をしたたり落ちる。わたしは自分を元気づけるために、口のなかで歌をくちずさみ始める。歌がわたしの歩数を左右し始める。痛みは断続的にやってくる。
 しゃがみ込みたいと思う。しゃがみ込んでしまってはすべては終わりだと思う。わたしは痛みのなかでもがき続けているが、それを誰にも知られてはいけない。わたしは足を引きずりながら、リズムのない歩行を続ける。
 隊列が岩場にさしかかる。腹の鈍痛が、わたしが足をあげるのを妨げる。岩場での歩行はわたしたちに大きな負荷をかける。目から得る情報、足から得る情報、すべてに対してアンテナを張り巡らし、最上の足場を選択して、同じリズムで歩き続けなければならない。わたしたちは隊列を乱してはいけない。わたしたちは歩き続ける。
 ふと後ろの者と目があう。かれの憐憫と侮蔑の表情。気づかれただろうか。わたしに余裕のないこと、隊列を守ることに汲々としていることに、気づかれただろうか。わたしはかれから視線を外し、ふたたび歩き続けることに専念する。脅えが、さらにわたしの歩みを困難にする。
 わたしは隊列から離れるわけにはいかない。わたしは脱落者になるべきではない。
 それ以外にわたしの存在価値などないのだ。わたしは、わたしたちは、歩き続ける。

 岩場を越えて、水辺へ到達する。今度は波が押し寄せる砂の上を歩く。疲労がさらに募る。けれどもわたしたちには歩く以外の選択肢はない。歩き続ける。腹痛がずしりずしりと体に響く。わたしはそれに関しては、目を閉じてやりすごすことだけを自分に許す。
 水辺にちらりほらりと、わたしたちとは異なる存在がいることを視認する。やつらだろうか。わたしは苦しみながらもかれらがなにものかを見定めようとする。やつらであるのなら、なにも問題はない。やつらはやつらの理由で、わたしたちを間引きに来たのだ。ただそれだけのことだ。わたしたちはただ歩き続ければいい。なんの問題もない。
 わたしたちはやつらを確認する。そして、やつら以外の別の集団を確認する。この既視感はなんだろう。かれらはいったいなにものなんだろう。
 その瞬間、わたしたちは気づく。かれらは落伍者だ。わたしたちとともに歩き続けることのできなかった落伍者たちだ。わたしたちは集団としての優越感にひたる。
 見るかぎり、かれらはわたしたちのように、集団としての統一性がとれてはいない。また、当然のように、かれらは歩かない。かれらは自分勝手でそれぞれ単独で行動しており、まとめてそれと確認することをさえ、許されないような存在だ。
 わたしたちは歩き続ける。
 かれらはわたしたちを見、そして、無視する。
 わたしたちとかれらとは互いに互いを見て見ぬふりをする。
 そこへやつらの出番だ。やつらはわたしたちの隊列をいとも簡単に乱し、不適切と思われるものたちを間引いていく。わたしたちは少しの脅えと、大きな優越感をもって、目の前の状況を見ている。わたしたちは口を水でしめらせることすらしない。わたしたちにそんなものは必要ない。歩き続けることだけが、わたしたちのすべきことなのだ。
 突然、激しい腹痛がわたしを苛む。わたしは思わずしゃがみ込む。
 わたしを基点に、隊列が乱れる。
 やつらがまっすぐ、わたしに向かってやって来るのがわかる。わたしはあわてて立ち上がる。そしてなにも異常がなかったことを、ことさらに示そうとする。
 やつらはわたしの手をとる。やつらはわたしのからだを一瞥し、わたしの腹を確認し。そして。
 やつらはわたしに名前を与えた。特別な名前。それは数字の羅列だったが、たしかにわたしの名前だった。
 恐怖と、それに反するおさえようのない喜び。いや、もっとも大きいのは、脅えだ。わたしはここから離れたいわけではない。個としての名前を与えられたいのでもない。わたしはこの集団のなかに、自分の存在を……
 わたしは否応なしに引き立てられる。わたしをひきとめるものは誰もいない。
 わたしは、いきなり新たな局面に直面させられる。わたしを守ってくれていた「わたしたち」というカーテンは、もうそこには存在しない。
 腹が、鈍く、痛む。

 散歩のような形で歩くことはあるが、もうそれはわたしにとっての仕事でも義務でもない。周囲の歩数にあわせる必要もなく、わたしはわたしの歩数を見つけなければならない。
 いまやすべてのことをわたしが決定しなければいけない。わたしは、「わたしたち」にはふさわしくない者として、間引かれたのだ。もうあそこには帰れない。
 そうして、わたしはいったいなにをすればいいのだろう。問いかける相手さえ、わたしにはいない。
 三度三度食事が与えられる。食事を運んでくる背の高い人物に、わたしはなにをすればいいのか、と問う。かれはそれには返答せず、あなたは選ばれたのです、と言う。
 選ばれた、とは?
 「歩くものたち」として、あなたは不適正だった。新しい可能性をもった人物として、あなたは選抜されたのです。
 わたしは食事をしながら、自分の可能性とやらを考える。わたしは歩けなくなった。然り。すべてはこの腹が。
 わたしは自分の腹をなでさする。鈍痛はずっと続いているが、いまは我慢できないほどではない。これさえなければわたしは歩き続けられたのにと、悔しくてならない。
 それと同時に、これのおかげでわたしはこのうまい食事にありつけるようになったのだ、とも思う。
 実際、わたしはここでは守られている。わたしはガーディアンに守られながら、毎日をのんびり過ごす。歩きたいときに歩きたいだけ歩き、休みたいときに休む。わたしはどこへ行ってもいい(ガーディアンの目の届く範囲でさえあるならば)。わたしはなにをしてもいい。ただ、以前の「わたしたち」に戻ることだけが、いまのわたしにはできないのだ。
 いまのわたしは、なにものにもなりえない。腕に彫りつけられた番号、これがわたしの名前であり、わたしのよすがだ。けれどもまたそれは、まだわたしがなにものでもないことをも示している。
 わたしは、わたしたち、と呼べる同胞を、失ってしまったのだ。
 そしてわたしは「自由」を手に入れた?
 そして、わたしは、いったいここからどこへ向かうのだろう。
 腹が、鈍く、痛む。

 ときどき、「わたしたち」が歩いている姿を遠目に見ることがある。わたしがその隊列のどこに位置していたのか、いまのわたしにはもうわからない。「わたしたち」はつねに、誰でもが誰かの代替になることが可能だった。あそこにいたころが、すでに懐かしく、遠い。ときどき「わたしたち」の真似をして、かれらの歩数にあわせて歩いてみようとすることがある。そのたびに、腹の鈍痛にさえぎられる。
 わたしは落ちぶれた。そしてここで、これ以上はないぐらい甘やかされて、自分がすべきことさえいまのわたしにはわからない。
 腹が鈍く痛む。わたしは浜辺で寝ころんで、空の雲を眺める。波の音が聞こえる。ざざんざん。
 給仕人は、ときどきわたしの腕から血を抜き、わたしの耳で体温を測る。わたしはカプセル剤を渡されることもあるし、渡されないこともある。わたしはそれを飲むこともあるし、飲まないでそのまま食べ終えた皿といっしょに返してしまうこともある。
 その、一から十までを、わたしはガーディアンに監視され、記されていることを知っている。数字の羅列。それだけが、いまのわたしの存在を意味する。
 給仕人はときどき、わたしに一連の質問をする。日々の生活について、いまの状況に関する感想について、腹の痛みについて。
 特に腹の痛みについては、手を変え品を変え質問される。ときには触れられたり押されたりすることもある。そしてわたしは知る。この腹の痛みはわたしのウィークポイントでもあり、武器でもあるのだということを。これがあるかぎり、かれらはわたしを手放さない。
 では、この腹の痛みが、わたしから去ったら?
 そうすれば、わたしは戻るのだろうか。あの、ただ歩くだけの日々。歩くだけで満たされていた日々。
 まるですべてがもう遠くなってしまったのに。
 眠れない夜は、錠剤をひとつ、半分に割って飲むようにと、給仕人から指示がある。わたしはそれを守ったり守らなかったりする。ときには飲む。そして、こうでもしなければ眠れなくなってしまった自分について考える。「歩くこと」がまた自分に戻ってくるかどうか考える。

 腹の痛みは通奏低音のように、ずっとわたしとともにある。わたしはなにもしない日々のなかで、歌うことだけを覚えた。痛みをまぎらせるためでもあるし、安穏とした暮らしに慣れてしまわないためでもある。
 歌は、誰かから習ったわけではない。「わたしたち」は誰も歌ったりしなかった。わたしは我流で声を出す。声を出すのは気持ちいい。喉の開け方や、姿勢を変えると、どんどん違う声が出る。誰かに届けばいいとは思わない。ただ、この声に守られているような、そんな気がする。
 ガーディアンがそれをチェックする。この歌はどんな数字で示されるのだろうか、というようなことをわたしは考える。でも、そんなことは、どうでもいい。
 歌うことは、疲れる。鈍く痛む腹を抱え、部屋に戻ると、給仕人が、あの歌はあなたがつくったのか、と問う。
 つくる? つくるとは?
 あの曲は、ご自分で考えたのですか?
 考える? 考えるとは? 歌は自然に口から出てくるもので、それ以上でもそれ以下でもない。つくるというのは、例えば、これのように、目に見えるものではないのか。
 わたしはテーブルの上の食事を指さした。給仕人はそれを見て、次のようなことを言った。
 「歌うものたち」というコミュニティはまだありません。あなたは「歩くものたち」から派生した、新しい種かもしれない。腹の痛みはどうですか?
 いつもと同じ、とわたしはこたえる。コミュニティとは?
 あなたが属していたグループのようなものです。
 ふうん。では、あなたは? あなたはどんなコミュニティに属しているのか。
 給仕人は少し目を伏せて、こたえる。属しているといえばいえましょう。けれどもわたしの属しているものはコミュニティではない。
 そして、給仕人はわたしにカプセルを渡す。
 あなたの腹の痛みが、あなたの価値を見いだすきっかけになりました。嬉しいですか。あなたはもうかれらとは違う。ただ歩くだけのことしかできない、そんな種ではないのです。
 わたしは、なぜこの人にはわからないのだろうかと思う。わたしが「わたしたち」ではなくなったことで、どんな焦燥感を得たのか、この人は知らない。わたしが「わたしたち」にどんなに戻りたがっているのか、この人は知らないのだ。
 歌うことが、わたしの本質だったわけではない。歩くことを取り上げられてしまったので、仕方なく歌っているのだ。歩くことがまだわたしとともにあったなら、わたしは、歌ったりしなくてもよかった。
 腹が、鈍く痛む。
 こんな痛みさえなければ、わたしは「わたしたち」としてただ歩いて、そして、幸せについて考えることさえないほど、充実した暮らしをおくれたのだ。
 わたしは錠剤を半分に割って飲む。眠りたい。眠って眠って、忘れてしまいたい。わたしが「歩くもの」だったということ。わたしが「歌うもの」として識別されそうだということ。
 個としてのわたしがなんと認識されようが、わたしはただ「わたしたち」の一員だったのだ。忘れたりなんかしない。

 安穏とした日々は、急速に終わりを告げる。わたしは、あてがわれていた部屋から追い立てられ、新たに認められた種、「歌うもの」としての自分を築き上げるよう、言いわたされる。わたしは腹に鈍い痛みを抱えたまま、給仕人と別れを告げる。
 その腕に残った番号が、あなたを個人として識別します。なにか困難に直面したら、いつでもここに戻ってきてください。いっしょにトラブルに対処しましょう。
 わたしは腕に深く残った傷跡を確認する。何度もその番号を指でたどり、その番号を口にのぼせる。数字はそのまま声になり、やがて歌になる。
 歌がわたしを満たす。歌が給仕人を巻き込む。歌が世界を満たす。痛む腹を抱えたまま、わたしは涙を流していた。
 あなたたちがわたしをどう名づけようと、どう種分けしようと、わたしはわたしだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 わたしと給仕人は抱擁し、別れを告げた。

 長く続いた安穏とした日々は、わたしから脚力を減じていた。もう「歩くものたち」と合流できないことはわかっていた。けれども、わたしは、どう転んでもあがいても「わたしたち」の一員でしかなく、それがかなわければもう。
 わたしは、「わたし」ではないのだろう。
 わたしは痛む腹を抱え、足を引きずりながら、海岸へ到着した。あたりはもう薄暗く、空に星が見え始めていた。わたしは仰向けに寝転がり、星の名前を数えた。それは、給仕人がわたしに教えたものだった。誰かが名づけた星の名前。けれども星自身にとってはそれはなんの意味ももたないだろう。
 星の名前は、やがて歌になった。歌になって、浜辺に満ちた。わたしの歌につられて、ほうぼうから寄ってくる人たちが現れた。かれらはおそるおそるわたしの歌にあわせて声を出した。
 わたしは「歌うものたち」として再出発するだろう。けれども、わたしはもうそれを「わたしたち」とは認識しないだろう。
 与えられた名のもとで、わたしは新たな人生を手に入れる。それはわたしが選んだことではなく、望んだものではない。
 ただ、もうそうすることしか残されていなかったので、だからそうするのだ。
 鈍い腹の痛みは続いている。わたしの生は長くはないのかもしれない。
 それは幸運だ、とわたしは思う。
 名をもたないものへと回帰することを、痛切に願いながら、わたしは、「わたしたち」は? 歌い続ける。発声と同時にあとはただ消えていく声だけが、いまのわたしの、「歌うものたち」の、よすがなのだ。

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