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夢のチョコレート・ツアー

中条卓

「ねえ見てサクちゃん、こっちはいろんな香りをつけたチョコレートよ。オレンジにレモン、シャネルにプワゾン、まあこっちは本物の竜涎香入りですって!」ポコの声はうわずっている。

「竜涎香ってクジラの糞だろう、あんまりいい趣味じゃないよな。耳くそ味みたいなもんじゃない」

憎まれ口を吐いたところで聞こえちゃいない。よくもまああんなに次から次へと口に放り込めるもんだ。歓声を上げながら次のコーナーへ飛んでいく彼女を尻目に、おれは3杯目のワインを受け取った。

「チョコレート・リキュールはいかがです?」
金髪美人が甘ったるい笑みを浮かべて差し出すグラスを押しとどめる。
「ノーサンキュー。チョコは嫌いなんです」
けげんそうな表情に出会い、「いやつまり、アレルギーでして」などとごまかす。

彼女がとまどうのも無理はない。誰もが目の色を変えてチョコをほおばっているこの会場内で、同じ重さの金より高いとさえ噂される幻のチョコには目もくれずに酒ばかりあおっているなんて、どう見ても変だろう。でも本当にチョコは苦手なんだよ。子供のころは好きだったのに、なんでかな…

壁際にはこんなに座り心地のいい椅子が用意されているというのに、誰一人として腰掛けている者はいない。おれはワイングラス越しに場内を見渡した。鏡の間とみまがう広い室内には本物のシャンデリアが柔らかい光を投げかけ、この日のために着飾った人々を映画の登場人物みたいに見せている。なんたってあのフォーマルハウトが主催する初めての懸賞旅行だもんな。ヨーロッパの小国の王室御用達で門外不出の超老舗、だかなんだか知らないが、とにかくわれわれ庶民の口に入ることなんて金輪際あり得なかったチョコレートの古式ゆかしい工房(工場なんて言っちゃいけないらしい)を見学できて、そのうえ高価なチョコが食べ放題のツアーとくればその当選確率は天文学的な数字だったろう。とと、天文学的ってのは変か。つまり当選確率の分母がってことさ。

まあでも無理して休みを取ってきてよかったよ。近頃仕事に追われてポコのことはほったらかしだったもんな。少しずつお金を貯めて、将来の夢はケーキ屋さんなんて、ばかにしてたけど悪くないかも。

突然チャイムが鳴った。

豪華な会場には似合わない、安物のドアチャイムみたいな電子音だ。とたんに客たちの動きがいっそう激しくなる。そうだ、あれは食べ放題の終わりを告げる合図なのだ。魚の口をかたどった図案を印刷した金ぴかの紙箱や紙袋が配られている。あれに詰め込めるだけ詰め込んで持ち帰ろうってわけか。げんなりしながらもおれは立ち上がり、さっきの金髪美人から箱と袋を受け取った。親戚知人友人同僚上司ついでに部下そのほか有象無象におみやげをってわけだ。

どのテーブルも人がごった返している。ポコはどこに紛れ込んだのか、見あたらない。どうやらぎっちり箱に詰められる板チョコが人気のようだ。ということは、形が複雑ですぐこわれそうなチョコは敬遠されているのだろう。そんなテーブルを目指して歩きかけたとき、今度はBGMが流れ出した。いやバックグラウンドどころじゃない大音量だ。子供のころにはやった歌。たしかこれは「また逢う日まで」という曲だったはず。続いてだみ声のアナウンス。今までの高級感あふれる演出とは打って変わった俗っぽさに誰もが驚き、手を止める。

「えー、ここでひとことご注意申し上げます。先ほどから弊社の製品をご試食いただいた皆様はひょっとしたらお気づきかも知れませんが、実は弊社の製品にはある特殊な成分、いわば麻薬に相当するような成分が含まれておりまして、一度食べたら止められません。文字通り病みつきになるのであります。これは大変強力な作用でありまして、多少の個人差はございますが、とにかく一定量を継続的に摂取しないと、いわゆるその禁断症状というものが生じます」

ざわめきが高まる中、場内は暗転し、いつの間に用意されていたのか正面の大きなスクリーンに映像が流れ始める。

それはツアーの途中、機内で配られたパンフレットに登場した有名人たちがカメラに向かって哀れに懇願する姿だった。パンフレットでチョコをつまみながらほほえんでいたあの歌手、この政治家、プロゴルファーにトップモデルにピアニスト、作家俳優宇宙飛行士が、涙とよだれを垂らしながらひざまづき、腕を伸ばして叫んでいる。
「ギブミーチョコレート!」「チョコをくれ!」
これ以外の言葉はわからなかったが、意味はいやでも伝わってきた。

悲鳴と怒号で場内は騒然となったが、それを圧倒するドスのきいた声がふたたび響き渡る。

「ご心配なく、本日のお持ち帰り分については一切タダ、ロハ、無料で提供させて頂きます。追加注文は電話ファックスインターネットにて1日24時間、365日休みなく承ります。お支払いにはポイントが貯まる弊社の便利なクレジットカードをご利用ください。ご友人を紹介頂ければポイント倍増! さあさあ押し合わずにどうぞごゆっくりおみやげをお選びください」

アナウンス終了とともに一段と音楽が高まった。蛍の光と軍艦マーチを無理矢理混ぜ合わせたような奇怪な音楽だ。四方のドアが開き、種々雑多なチョコレートを山と積み上げたカートが運び込まれてくる。カートはもはやそこらのスーパーで使われているようなステンレス製で飾りもへったくれもあったものじゃない。殺到した客がカートの前で将棋倒しになり、紙袋が破れて中身が散乱する。鼻血を流しながらつかみ合い、髪の毛をつかんで引き倒し、棍棒状のチョコで殴り合う…もはや場内は阿鼻叫喚、地獄の様相を呈している。

もうたくさんだ。ポコもこの狂気の渦に飲み込まれて餓鬼と化してしまったことだろう。おれはほとほと嫌気がさし、おいらいち抜けたとばかりに会場からの出口を探したのだが、どこにも見あたらない。それどころか壁というものがなく、まわりに広がっているのはただもうひたすらに闇なのだ。さっきまで輝いていた鏡のような壁面はまやかしだったのだろうか。

その時ようやくおれは思い当たる。なんだこれは夢なのだ。ありふれた夢オチだ。おれが夢から醒めてしまえばこの話もおしまいというわけだ。ならばこんな夢からは早く醒めるに限る、それにしたって、いったいぜんたい何だってこんな奇妙な夢を見る羽目になったのか。

…そこでようやくおれは思い出す。

そうだおれは商店街の福引きで特賞を引き当てたのだった。ヨーロッパ一周旅行とかいうやつで、有名なチョコレート・メーカーの工場見学か何かがツアーに含まれていたはずだ。おれはポコとふたりで飛行機に乗っている最中なのだ、そしてポコは、とそこまで思い出したとき誰かがおれの頭の中で叫んでいた。

「やめろ!」

だがもう遅い。おれの脳裏には不自然な格好に首を折り曲げ、口から血を流しながら隣の席で息絶えている彼女の姿がありありと浮かんでいた。そしておれはというと、コントロールを失って墜落しつつある飛行機の中でこの夢を見ているというわけだ。この夢がいつ終わるのか、それはわからないが、ただひとつだけわかっていることがある。おれがこの夢から生きてめざめることは決してない、ということだ。ふと気づくとあたりはチョコレートの蠱惑的な香りに満たされている。誰かがこぼしたチョコレート・リキュールが無重力状態の機内を漂っておれの鼻先を浸しているのかも知れない。

おれはまた夢の中に戻り、手近なチョコレートの山に手を伸ばしてばりばりとむさぼり始めた。

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