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電子/死男(でんしおとこ)

中条卓

いつまでも片付かない引っ越し荷物に業を煮やして、デジタル・アーカイブを作ろうと思い立った。資料をことごとく電子化して、オリジナルは廃棄してしまおうと決心したのだ。最初に手をつけたのは1500件ほどあった文献のコピーである。大量の紙ゴミを出すのは気が進まないが、読み返す機会が2度と来ないものをいつまでも死蔵していても仕方がない。カビとダニの温床になるばかりだ。思い切って全部捨てることにした。文献にはコピーした順に通し番号を振って、30部ごとにプラスチックのボックスファイルにしまった上でずらりと本棚に並べてある。ボックスファイルの箱にももちろんナンバリングが施してある。そんなことをしたら後から探すのが大変だろうって? むろん抜かりはない。カード型データベースソフトに必要な項目は入力してあるから、著者名やタイトル、キーワードで縦横無尽に検索できるのだ。ほんとうに抜かりはなかったのだ。検索なんかめったにしなくなるという予想外の事態を除けば。

本棚からボックスファイルを引き出し、中身をポリ袋にぶちまけていく。ステープラーの針を丁寧に外せば紙ゴミとしてリサイクルに出せるのだが、あまりに量が多くてとてもそんな気にはなれない。1枚10円のコピー代を払ってコピーをとり、マーカーで印をつけたり時には辞書を引いて知らない単語を調べたり、たまには欄外に書き込みなんかもしてきた紙紙紙の山がゴミ袋へと変換されていく。こんなものを本棚に並べて外部脳を気取っていたのかと思うと笑いたくなる。こんな調子でおれの脳細胞も日々死滅しているのに違いない。

コピー用紙の山を片付け終わったらボックスファイルの処理に取り掛かる。作業を進めていて驚いた。西日を浴びて劣化したファイルの角が白っぽく変色していて、ちょっと力を入れただけでひび割れてしまうのだ。これでは他の用途に流用することもできない。背表紙を抜き取って即プラごみだ。

本棚があらかた空になったところで、一番下の段を占めていた自分の古い論文の別刷りを引っ張り出してみた。自己アピールの道具なんだから、できるだけたくさん刷っておいて片っ端から配るべし、とその昔先輩に言われたのを真に受けて、雑誌に掲載されるたびに100部とか200部とかわざわざ金を払ってこしらえてきたものだが、読み返すともう完全に時代遅れで、自慢の種にもなりはしない。こちらはただ捨てるだけではあとに何も残らないので、1ページずつスキャナで読み込み、文章の方はOCRソフトでテキストファイルに変換する。図表は画像処理ソフトで適当なファイル形式に変換し、両方をもともとのレイアウトに従ってワープロで編集する。作業はやたら手間暇のかかるものだったが、終わってしまえば何のことはない、段ボール1箱ぶんの論文がCD-ROM1枚に収まってしまった。

テキストの電子化が済んだら、お次は音と画像である。CD は片っ端からMPEGファイルに変換して売り払う。古い写真はスキャナで取り込んで色を修正し、紙焼きの写真とネガはそれぞれ紙ごみとプラごみに出す。ビデオテープもカセットテープもデジタル化してハードディスクに入れちまおう。DVDだって圧縮してハードディスクに入れればスペースの節約になる。狭い部屋から目障りなモノが消えていくに従って息が楽になるような気さえするじゃないか。

デジタル化のいいところは情報の検索と置換、並べ替えが容易になることだ。再利用もたやすい。コラージュ・カットアップ何でもござれ、である。すべての情報が等価値、等距離になるというのも小気味よい。いったんウェブに入れば文字通り味噌もクソも一緒だ。すべてはひとしなみに価値が無い。

これまでため込んできた情報をあらかた電子化してしまうと、これを他の領域にまで広げてやろうという欲が湧いてくる。まるで電子化という悪疫に取り憑かれたかのように、生活からアナログ的要素を排除していくことになる。

衣類は白か黒。ユニバーサル・クローズから同じものを7着ずつネット通販で購入し、3か月間着続けたら償却する。
睡眠は電源を切るのと同じこと。眠くなったらその場で仮眠する。ベッドも枕もいらない。
食料品もネット宅配を利用。必須栄養素と必要なカロリーを摂れれば何でもいい。
実物とのセックスなんて時間のムダ。無料のアダルトサイトで事足りる。

仕事はいわゆるSOHO自営、営業も外回りも不要なのでそもそも外出する必要がない。運動不足はエアロバイクにサウナスーツで解消。アナログ音声も画像も嫌だから電話もFAXも置かない。テレビも新聞もいらないし見たくもない。コミュニケーション・ツールはメールだけで必要十分だ。

不思議なことに生活が簡略化され、最低限の要素に還元されていくにしたがって、やたらと鮮やかな夢を見るようになった。これがまた本を読んだり映画を観るよりずっと面白い。人生経験がすべて夢の中へと移行したようなものだ。1と0の間で取りこぼされた情報がおれの留守中に頭の中で宴会を開く。

使わないからカネと時間が余るようになり、余ったカネで介護ロボットを導入して身の回りの世話をさせ、余った時間はAIプログラムの開発に費やすことにした。仕事上のメールのやりとりなどはほとんど自動応答で済むようになり、さらに時間が余る。トロンかニューロマンサー、はたまた攻殻機動隊のごとく、いっそ電脳世界へ移住してしまいたいが、生身のからだではいかんともしがたい。こうなったら全身のサイボーグ化を進めてしまおう。義手義足人工臓器に人工血液やがて人工頭脳へ、だ。

自分のからだのあらゆるデータを記録することにもとりかかる。身長、体重、血圧脈拍呼吸数血糖値を測定し心拍数を24時間連続記録し、血液尿胃液胆汁脳脊髄液から精液に至るまで、ありとあらゆる検査項目を網羅して、検査結果はもちろんハードディスクに保管する。サイボーグ化の前に全身の画像データをX線CTと超音波とMRIで残しておくことも忘れずに。とにかく自分自身のコピーを取るように、何もかも記録しておくのだ。

そうだ自分自身のコピーで思いついた。クローンを作ろう。
いや、実際に作らなくてもいい。クローンを作れるだけの情報を残すのだ。
骨髄から幹細胞を分離抽出して凍結保存し、同時に自分のDNAを解析しておけばいい。

だがすべてを電子化したくても、相手が対応してくれない部分はどうにもならない。郵便物だけはなくならないので、定期的にマンション入り口のボックスを開けに行き、その場で大半は捨ててしまう。だが、ある日こんなものが舞い込んだのだ。

停電のお知らせ
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一瞬何が書いてあるのか理解できずに機能停止していた。
テイデン・テイデンと頭の中で何度か繰り返してようやく意味が飲み込めた。
どうやら夜中に1時間ばかり電気がとまるらしいのだ。
無停電電源装置のおかげで15分くらいの停電ならびくともしないのだが、1時間となるとパソコンの電源を落とさなくてはならない。電源を落とす? もはや記憶すら定かでないはるかな昔から、家中どこにでもあるPCの電源は入ったままだ。電源スイッチの場所なんて忘れてしまった。いや、そもそもそんなものがあったのかどうかさえ覚えていない。

漠然とした恐怖感が背中から忍び寄り、脊髄をぞわぞわとはい上がって頭の中に棲みついた。
これはおおごとだ。DNAの解析作業をそれまでに終わらさねば。計算するとなんとか間に合いそうな気配なので、ようやくひと安心する。すべてのデータが電子化されたところでタイミングよろしく停電が訪れ、世界はブラックアウトするというわけだ…

…こうして今もおれはパソコンの前に座り、音声入力ソフトが変換していく文字列を眺めている。時刻は午前2時35分。予定された停電時刻を5分過ぎている。いやそんなはずはない。ついさっき全データのバックアップを完了し、パソコンの電源を落としたじゃないか。モニタの画面は消え、電灯もついていないはずだ。じゃあこの文字列はいったい何だ? どこに表示されているのだろう。誰がこれを入力している? それを眺めているのは誰なんだ?

おれは眠っているのだろうか。たぶん眠って、夢を見ている。

明日の朝おれは目を覚ますだろうか。

それから
おれは
何を







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