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あとがきのあと

高本淳

 

 疲れ果ておぼろげな意識のまま絶縁服に身をつつんで暗黒のなかを漂っていた耳にふいにその言葉が聞こえる。力なくのばされた手足がぴくりとひきつり、彼はいまだ半睡のまま自らに問いかけた――誰かが語りかけているのだろうか?
 馬鹿な……! 苦い微笑とともに彼はその考えを否定する。いまはいったいいつだろう? 何十、いや何百億年も過去にさかのぼっているはず。地球も、太陽系も、いやおそらく宇宙そのものもまだ生まれていないかもしれない、そんな世界で助けを期待するなど……。
「聞いているのか?」
 こんどは空耳のはずはなかった。それは低い、しかし力強い男性の声だった。
「ああ、神さま!」すべての希望が断たれたあとであまりに急に出現した救いの可能性はむしろ彼の身体には激しい苦痛のようにすら感じられた。
「神……? ふん! ときどきわしをそう呼ぶ輩もおるがね」
「あ……あなたはひょっとして――創造主ですか?」
「よせよ。そこまでうぬぼれちゃいないさ。まあ一種のクリエーターとは言えるだろうがな。自慢するわけじゃないがこの業界ではちょっとは名を知られているはずだ」
 あまりに落ち着きはらった相手にじれったくなった彼は叫んだ。
「誰でもいい。わたしをこの絶縁服から出してください!」
「あわてなさんな。真空の中でどうやって呼吸するつもりかね? だいいちいまその服を開けたらその瞬間にきみの身体に蓄積された莫大な時間エネルギーが一気に放出されてしまうだろうよ」
 彼はがくりとうなだれた。そうなのだ――この服に押し込められるとき確かにそう説明されたのだった。
「つまりこういうことだ――きみはたまたま運悪く時を越えて未来世界での二大勢力の争いにまきこまれてしまった。一方が他方に仕掛けたワナにうっかり踏み込んでしまったがために体内に時間エネルギーを蓄積してしまい、そのあげく絶縁服を無理矢理着せられてふたたび時間の旅に押しやられたという次第。以来、過去と未来をシーソーのように飛躍しつつしだいにその振幅を大きくしている……」
「そのとおりです! そこまで知っているなら当然わたしを救う方法をきっとご存じに違いない!」
「いまのところ、きみの旅ははるか過去での大爆発とともに終わり、それとともに諸天体が創造されそうな筋書きだ。だがね、わたしはそれを少し修正したい」
「修正?」
「きみを五体満足なまま無事助け出すつもりさ……」
 安堵のあまり彼はあやうく失神しそうになった。
「しかしいったいどうやるんです? わたしは救われたい――しかし世界が始まらないことになってもまた困るのでは?」
「タイムパラドックスを心配しているのなら取り越し苦労というやつだな。たとえきみがたったいまその場所で大爆発したとしても宇宙創生は望めない。そもそも宇宙は一点からの爆発によって生まれたわけじゃないからね。そのあたり誤解している人間が多くて困るんだが」
「どういう意味です?……」
「きみが旅に出たのは1951年……爆発宇宙論はすでにジョージ・ガモフによって唱えられている。しかしその正しさの証拠となる宇宙背景輻射の発見は1965年まで待たねばならなかった。したがって、きみはそれを確信できる立場にはない。もっとも絶縁服のなかで決心をかためていたところを見ると、いちおうきみはいわゆるビッグバンを念頭に置いていたらしいがね」
「ええ、はっきりとはわからないまでも未曾有の大爆発が宇宙をスタートさせたと耳にしていましたので」
「けっこう。ただそのイメージはかなり修正されなければならない。宇宙を誕生させた爆発はきみが想像しているものとはだいぶ違うんだ」
「想像を修正するのは簡単です。でもそれがわたしを救うことにつながるんですか?」
「きみの絶縁服内部のエネルギーをいかに安全に解放させるか、という問題を解決するのに正しいイメージが必要不可欠なのさ。いまその絶縁服を開けば確かに大爆発が起きる。残念ながら三次元世界の中にいるかぎりきみをその運命から救うことはできない」
「では……ほかに方法があるとでも?」
「ああ――さらに高い次元を利用すればいい。とはいえ時間を飛び越えることがエネルギーの蓄積を増すことからわかるように四次元世界でも解決は無理。必要なのはもうひとつ上の次元――」
「つまり五次元?」
「そのとおり。いまきみがやっているシーソー運動は五次元レベルの振動だ。したがって時間エネルギーをべつの形に転換したうえでそこに送り出すことは理屈の上からも可能だ」
「別の形って、どんな?」自分の理解を絶する説明にきゅうに不安にとらわれつつ彼はたずねた。
「もちろん重力エネルギーだよ。五次元空間を伝わることができるのは重力のみ。だからきみの持つ時間エネルギーをすべて重力子に変え五次元空間に放出するんだ。この三次元宇宙はいわば五次元空間に浮かぶ膜のようなものだと思いたまえ。物質はだめでもこの膜から重力は染み出すことができるんだ。それはこの宇宙と隣り合う別の膜宇宙に影響を及ぼして互いを引き寄せあい、やがてふたつは衝突する――」
「するとどうなります?」
「もちろんビッグバンじゃないか! 両宇宙の衝突の衝撃が大量の素粒子を産み出し物質宇宙をスタートさせるのだ。当然この爆発は一点からのものではない。宇宙のあらゆる点領域が同時に急激な膨張を開始するんだ。膜宇宙の大きさは有限であるかも知れないし無限であるかも知れない。しかし仮に無限であったとしても無限の大きさのものならどんなに膨張してもたかだか無限の大きさでしかない。そしてその過程できみ自身に蓄積したエネルギーは安全に消し去ることができるわけだ……」
「ありがたい! わたしは助かるんですね? しかし――それにかかる時間はどのぐらい?」
「計測不能だな。なぜならこのプロセスはわれわれの宇宙の時間の外で起こる出来事だからね。数百億年を旅してきたくせにそんなに時間が気になるのかな?」
「そりゃそうです」
「安心したまえ。実際にはキーボードを叩くだけの手間だよ。この世のことはすべてエディター次第というわけさ――」

 気がつくとすでに絶縁服は消え失せ彼は明るい空間に立っていた。床も壁も白い大理石。つい目と鼻の先のデスクに恰幅のいい初老の男性がすわっている。男の背後のアンモナイトが刻まれた壁には額がかかり黒地に金の飾り文字でつぎの警句が書かれていた。
『もしもそれをあり得ることにできなければ、それを論理的にしろ。もしもそれを調査できなければ、それを外挿しろ』(*)
「ようこそ。マカリスター君」
 自分に何が起こったのかわけもわからず、彼はおずおずと男のまえに歩をすすめた。
「はじめまして――するとあなたが神さまですか?」
「おいおい、喧嘩を売るつもりがないならわしを『神』などと呼ぶんじゃない。ここにちゃんと名札がある。見えないのかね?」
 彼がデスクの上に目をおとすと白いプラスチックの名札があり、そこにはこう書かれていた。

『CHIEF EDITOR -- J. W. Campbell, jr』

 目をぱちくりしている相手にキャンベルは告げた。
「何の落ち度もない善良な新聞記者の運命が最後まで語られないというのでは読者はすっきりしないだろう。まあこれで一件落着というわけさ……」

おしまい

 (*)矢野徹訳

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