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代打、ゴリアテ
てり

 小学四年生の私は、この研究所の人たちから、『ちび博士』って呼ばれてる。
 博士、なんて言っても、私はアンドロイド機械工学も人工頭脳プログラムも、それどころか学校の算数の宿題でさえチンプンカンプンなの。
 でも、私にはちょっと変わった超能力があって、私が二人の人に同時に触れると、その二人は私を通してお互いの頭の中を理解し合えちゃうのよ。難しい言葉で言うと、『意識の共有』って言うらしいわ。
 アンドロイド機械工学の天才科学者である私のパパと、人工頭脳プログラムの天才科学者である私のママが、私を通して意識を共有して、お互いの頭の中を理解し合えちゃったとしたら、一体どうなると思う? そう、ここメトロ・アンドロイド研究所が、突然、飛躍的に進歩した災害救助アンドロイドを開発できちゃったウラには、そんな秘密があったのよ。
 あれは二年前の冬のことだったわ。
 パパとママは研究所からおうちに帰って来ても、お互い解決できない難しい問題を抱えてるらしくって、せっかくお婆ちゃんが作ってくれた極上ビーフシチューに手もつけずに、ダイニングテーブルに並んで座って、うんうん唸ってた。私はただそれが悲しくて、パパとママの真ん中に割り込むと、二人の手を同時に握ったの。
 その時だった。
「手の指一本一本の動きを、そんな簡単なプログラムで制御できるのか!? センサーを減らして、一気に駆動部を小型化できるじゃないか! これでアンドロイドの手を、人間の手と同じサイズに収めることができるぞ!」
「体重移動の細かいコントロールを、機械的な仕組みだけでやってのけるって言うの!? それなら浮いた能力を全部、行動優先順位決定の計算にまわせるじゃない!」
 まぁ、言葉はいろいろ間違ってると思うけれど、二人は大体そんなようなことを叫んだわ。偶然、『意識の共有』が起こったっていうわけ。とっても悲しいことに、私がパパとママと同時に手をつないだのは、それが生まれて初めてのことだったみたい。
 でも私、二人の大きな声にびっくりして、思わず手を離しちゃったの。パパとママ、一瞬にしてバカみたいな顔になった。で、バカみたいな顔のまま、ゆっくりお互いの顔を見合わせたあと、今度はゆっくり私のことを振り返って、先を争うように、私の右手をパパが、左手をママが握ったのよ。そしたらパパとママ、またいつもの頭のよさそうな顔に戻って、それから一時間、私が止めるまで二人で見つめ合ったまま、ずーっと日本語や英語で、それこそ息継ぐ間もなく、延々と難しい話を喋り合ってた。
 私の超能力を不思議だと気づくことすら忘れて、一流の科学者同士が意識を共有できた奇跡に夢中になっちゃったのね。
 そーんなことがあって、私は学校が終わると毎日、研究所に通うようになったの。お仕事の内容は、白衣に着替えて、誰かと誰かの間に座って、ただ手をつなぐことだけ。パパとママと手をつなぐ時以外は、少し集中しないと『意識の共有』ができないのが玉にキズなんだけれど、おかげで学校でフォークダンスを踊る時も、大切なお友達同士が自動的に意識を共有しちゃわなくて済むから助かるわ。
 というわけで、小学四年生の私は、この研究所の人たちから、『ちび博士』って呼ばれてる。みんなの意識や知識は、私のどこかを通過して行くだけで、肝心の私の頭の中には何一つ残らないんだけれどね。
 念のために、もう一度言っておくけれど、『ちび博士』、算数は大の苦手よ。

 メトロ・アンドロイド研究所の親会社が所有するプロ野球チーム、東海メトロ・ウォリアーズは、今年も開幕から最下位を独走してた。
 人のいいロン・スミス会長も、ついに怒り出して、
「ウォリアーズに最新のアンドロイドを投入しろ!」
 なーんて無茶を言い出したから、もう大変。研究所は蜂の巣をつついたような騒ぎになったわ。
 まずアフリカ支社から、身長二メートルで筋骨隆々のゴリアテ課長を呼びつけて、ウォリアーズに選手登録したの。アフリカの奥地で見つけた秘密兵器としてね。
 ゴリアテ課長、日本勤務が子供の頃からの夢だったらしくって、大喜びで来日したわ。空港から直接研究所にやって来るなり私を見つけて、身長百三十六センチの私のことを、革靴のまま軽々と飛び越えてみせると、
「『ちび博士』は、やっぱりちっちゃいデース」
 って言ったのよ。
 一体、どれだけのバネをしてるのよ! ゴリアテ課長にかかったら、ここの研究所の科学者たちは、みーんな『ちび博士』になっちゃうわ。
 で、研究所の総力をあげて、C‐927型災害救助アンドロイドの外見を、お調子者のゴリアテ課長そっくりに仕上げたってわけ。C‐927型は、ノーマルでも身長二メートル、体重は百七十キロもあるから、ゴリアテ課長以外、影武者としての適任者が社内にいなかったのよ。
 守備まで任せるとなると、とてもプログラムが間に合わないことが分かって、アンドロイド・ゴリアテは、バッティング専門の選手としてウォリアーズに送り込まれることになった。
 わがメトロ・アンドロイド研究所は、ここまでの準備を、たった二週間でやってのけたわ。もちろん、私の意識共有能力のおかげだけれどね。野球の『や』の字も知らないうちのママが、最新の『生きた』バッティング理論を一瞬で理解できちゃうのよ。開発の効率は、間違いなく世界一だと思うわ。

 その日もウォリアーズは、日本球界を代表する左投げ投手、常磐ジェット・ファルコンズのイケメンエース君に抑え込まれて、九回裏ツーアウトの時点で七対○。完封負け目前だった。
 奥監督は、かなり憮然とした表情で、審判にこう告げたの。
「代打、ゴリアテ……」
 突然、会長から押し付けられた謎の外国人選手なわけだし、しかもバッティング専門で守備が全くできないとか言われたら、そりゃあ試合には使いたくないわよね。ゴリアテ、極端に無口だし……。
 それでなくてもスタンドはガラガラで、メトロ・スタジアムに残ってた熱心なウォリアーズファンでさえ、ほとんど帰りかけてた時のことだった。
 九回になっても、全く球威が衰えない相手エースの内角高めへの剛速球を、右バッターボックスに入ったゴリアテは、恐れることなく器用に腕を折り畳んでフルスイングしたの。白球は、まさにピンポン玉のように軽々と飛んで、当たり前のように球場の外に消えて行ったわ。
 いきなりの代打場外ホームラン!
 試合には七対一の大差で負けたけれど、翌日のスポーツ新聞には、そんな見出しが躍りまくった。
 それでも次の日も、球場はガラガラだった。
 ファルコンズの要所を抑える心憎い継投策にハマって、八回裏まで二対○。今のウォリアーズに、ゲーム終盤になって二点差を引っくり返す底力なんて、あるわけがなかった。でも、八番打者でキャッチャーの青柳クン――お兄さんが勤めてるから、時々研究所に遊びに来てくれる――のボテボテの当たりが、運よく内野安打になって、ツーアウトから待望のランナーが出たの。
 奥監督、すぐにベンチから飛び出したわ。
「代打、ゴリアテ!」
 相手チームも黙っちゃあいない。すぐに抑えの切り札にピッチャー交代よ。
 球場はどよめいたわ。
 極端に大柄なゴリアテが、まるで小柄で俊敏な選手がそうするように、右投げのリリーフエースに合わせて、左のバッターボックスに入ったんだから。
 初球は外角に大きく外れる変化球だった。普通じゃあ絶対にバットが届かない明らかなボール球。でも、身長二メートルのゴリアテのリーチは常識外れ。バットの先でボールを捉えると、そこから強引にフルスイングして、またもや代打場外ホームラン!
 試合は結局、九回表にまたまた一点を追加されて、三対二で負けちゃったんだけれど、翌日のホーム最終戦は、木曜日にも関わらず、ゴリアテ見たさのお客さんで、メトロ・スタジアムは超満員になった。
 これにはロン・スミス会長も大喜びよ。ウォリアーズの選手たちも張り切っちゃって、この日は四対二とリードして八回裏を迎えたわ。リードしてたらゴリアテの代打は必要ないから、球場は変なザワつき方をし始めてたんだけれど、そこはわれらが青柳クンが、またもやボテボテの内野安打で出塁すると、相手ピッチャーが動揺して連続フォアボール。あっさり満塁になった。
 私、球場のネット裏の、とってもいい席で試合を見てたんだけれど、ちょっと感動したわ。スタンド全体からゴリアテコールが湧き上がって、スタジアムの熱気が急上昇するのが分かったんだもの。
「ゴリアテ! ゴリアテ! ゴリアテ!」
 奥監督、大歓声の中、やけに胸を張って、ゆっくりベンチから出てくると、主審に向かってカッコよくこう告げた。
「代打、ゴリアテ」
 かわいそうなのは相手ピッチャーだった。顔が真っ赤になって、変な汗をいっぱいかいて、それでも唸るような渾身のストレートを投げ込んできたあたり、さすがはプロのアスリートだったわ。
 ゴリアテが理想的とも言える美しいフォームで、真ん中高めの直球をフルスイングすると、幻のように夜空に舞い上がった白球は、スコアボードの最上段を直撃したの。
 球場中が熱狂したわ。
 その特大満塁ホームランは、三打席連続代打ホームランっていう、日本タイ記録のおまけつきだった。
 九回表の相手の攻撃をきっちり無得点に抑えて、八対二の大勝利に、ヒーローインタビューはもちろんゴリアテ。
 ここで本物の人間であるゴリアテ課長の登場よ。
 ゴリアテ課長、日本語もペラペラだし、普段は覚えたてのオヤジギャグを連発する悪いクセがあるんだけれど、この日は通訳――普段はアンドロイド・ゴリアテに帯同している――を引き連れて、背番号百のユニフォームに堂々と袖を通し、仏頂面でベンチ裏から姿を現したわ。
「今日のヒーロインタビューはもちろん、われらがウォリアーズが誇る究極の秘密兵器、ゴリアテ・マーキュリー選手です!」
 身長二メートルのゴリアテ課長の横に並ぶと、子供みたいに見えちゃうインタビュアーの第一声に、ゴリアテ課長、大真面目にこう答えた。
「アリガトゴザマース」
 これにはネット裏でパパもママも大笑いよ。いくら何でも、究極の秘密兵器が、『アリガトゴザマース』はないわ。
 明日ゴリアテ課長に会ったら、一番でからかっちゃお。

 だけど事件は翌日に起こった。
 舞台は地方球場のナイトゲーム。一年に一回だけプロ野球の試合が開催されるような、かなり古い球場だった。
 その日もいい場面でバッターボックスに入った代打ゴリアテが、突然バットを放り出して、一塁側の相手ベンチに駆け込んだの。
 誰もが、ゴリアテが相手チームの汚い野次に激怒したんだって思ったわ。
 その時だった。
 突然、そのベンチのコンクリートの天井が崩れたの。
 ゴリアテは大きな背中で、頭上から落ちてきた、一体何トンあるのか想像もつかないような巨大なコンクリートの塊を受け止めて、たった一人で支えたわ。
 C‐927型は、災害救助アンドロイドですもの。救助活動中に起こり得る、あらゆる二次災害にも優先的に対応できる、ママ渾身のプログラムが組み込まれてるの。バッターボックスに入った瞬間、アンドロイド・ゴリアテは、ベンチの天井の構造的な異変に気がついたのね。
 相手選手がベンチから全員逃げ出したのと同時に、力尽きたようにゴリアテが右ひざを地面につくと、轟音とともに一気に天井が落ちて、ゴリアテの後姿は、爆弾が爆発したような土煙と瓦礫の中に見えなくなった。
 超満員のスタジアムは、パニックになったわ。
 その日はパパの代わりに青柳クンのお兄さんが球場に来てたんだけれど、私とママと青柳クンのお兄さんは、ネット裏からグラウンドに直接抜けられるVIP専用の特別な階段を駆け下りて、我を忘れて土煙の中に飛び込んだ。
 もしゴリアテがアンドロイドだなんてことがバレでもしたら、下手をすれば、メトロ・アンドロイド研究所はつぶされてしまうもの。
 ママがノートパソコンを覗き込みながら、絶望的な悲鳴を上げる。
「ダメ、ネットワーク上にゴリアテが出てこない! 人工頭脳がやられちゃってるわ!」
 だけど私には不思議と確信があった。ゴリアテは……、ゴリアテの人工頭脳は絶対に生きてる。きっと通信機能がダメになっちゃってるだけよ!
「ちび博士、ここからゴリアテの手が見える!」
 青柳クンのお兄さんが、積み重なった瓦礫の中に、本当にわずかな隙間を見つけた。私は躊躇なく、その隙間に潜り込んだ。
 ママが、母親としての悲鳴を上げる。
「やめて、美奈ちゃん! お願い、出て来て! この瓦礫が崩れたら、あなた死んじゃうわ!」
 でもね、ママ。
 ゴリアテは……、C‐927型ゴリアテ・マーキュリーは、パパとママが協力して作り上げた最高のアンドロイドよ。どんなにデッカくたって、私の弟も同然なの。アンドロイドだろうとナンだろうと、人の姿をしたものが瓦礫の中に閉じ込められていて、それも自分の身を犠牲にして、たくさんの人の命を救ったものが瓦礫の中に閉じ込められていて、だけれどその人の姿をした……弟を、わずかでも助けられる可能性があるって言うんなら、私は何回だって命をかけるわ!
 私が必死に伸ばした右手が、瓦礫の奥でゴリアテの大きな手に触れた。
 集中しろ、ちび博士!
 難しいことは分かんないけれど、人間の脳波だってわずかな電流なんだから、きっとアンドロイドの人工頭脳とだって、『意識の共有』はできるはずよ!
 若い分、ママより青柳クンのお兄さんの方が、頭の中は柔らかかったみたい。青柳クンのお兄さんは、私の左手をちゃんと握っててくれて、そしてこう叫んだ。アンドロイドと『意識の共有』を果たした、初めての人間としてね。
「ゴリアテは生きてる! そこの左側に見えてる瓦礫をどかしてくれれば、自力で出られるって言ってる!」
 ママ! ああ、ママは何て素晴らしい科学者なの!
 ゴリアテは、瓦礫の崩れる角度を瞬時に計算して、瓦礫が崩れると同時に、自分が最小限のダメージで済む場所に移動してたのよ。そんな緻密なプログラムを紡ぎ出せる科学者は、世界中にママしかいないわ! そして、それを可能にする最高の身体能力をゴリアテに与えたもうたパパも、間違いなく大天才よ!
 青柳くんのお兄さんの叫びを聞いて、最初に土煙の中に飛び込んで来てくれたのは、やっぱりキャッチャーの青柳クンだった。
 私は瓦礫の隙間から引っ張り出されて、ママと一緒にベンチの外に避難した。
 私もママも、土埃で全身灰色になってたわ。おうちに帰ったら、きっとお婆ちゃんに怒られちゃうわね。
 力自慢のプロ野球選手たちが敵味方なく一丸となって、ベンチ左側のL字型の大きな瓦礫をどかすと、本当に奇跡みたいに、土煙の中から右肘を押さえたゴリアテが立ち上がったの。その姿に、私も、ママも、青柳クンのお兄さんも、キャッチャーの青柳クンも、奥監督も、他の選手も、審判も、大勢のスタッフも、そして、バックスクリーンに映し出された奇跡の救出劇を息を飲んでずーっと見守っていた超満員のお客さんも、みーんな号泣してた。
 だけど……、長袖の下で変な方向に折れ曲がってるゴリアテの右肘に気づいて、一斉に言葉を失ったわ。

 次の日からウォリアーズは一致団結して、生まれ変わったように強くなり、連勝を重ねた。
 アンドロイド・ゴリアテは、宗教上の理由だとかナンとか言って、救急車には乗らずに、私たちが球場に乗って行ったメトロ・グループのヘリコプターで研究所に戻って来たわ。ちゃーんと歯を食いしばって、必死に右肘の痛みに耐えてる演技を続けながらね。
 さすがにゴリアテが災害救助アンドロイドじゃないかっていう疑惑が噴出したけれど、その前の試合でゴリアテにヒーローインタビューしたインタビュアーが、
「あのインタビューをしている間、ゴリアテ選手のほっぺに蚊が止まってました。ゴリアテ選手は間違いなく生身の人間です」
 って、まるで冗談みたいな証言をしてくれたの。
 実際、VTRの映像を拡大してみると、ホントにインタビューを受けてるゴリアテ課長のほっぺに蚊が止まってて、しかも血を吸って、その蚊が段々と大きくなってくところまで、はっきり映ってたわ。
 あの劇的なインタビューの最中に、
「ゴリアテ選手、ほっぺに蚊が止まってますよ」
 とは、さすがにインタビュアーも言えなかったみたい。
 それからしばらくの間、ゴリアテ課長は研究所の中で、それこそ色んな意味を込めて、『神』って呼ばれてた。
 三打席連続代打ホームラン&奇跡の救出劇をやってのけたゴリアテと、ヒーローインタビューを受けた時のゴリアテだけが別人だ、とまで言い張る人(見抜いた人)はいなかったから、ゴリアテ=アンドロイド説は、すぐ下火になったわ。
 でも可哀相なことに、事件のあと、ゴリアテ課長は研究所から外出禁止になった。それでなくても身長二メートルのアフリカ系マッチョマンは街の中で目立つのに、顔が、今や国民的ヒーローになった東海メトロ・ウォリアーズのゴリアテ・マーキュリーそのものなんですもの。たとえ大ケガを負ったはずの右肘に、わざとらしくギブスを巻いたとしても、かえってそのせいで大パニックになっちゃうに決まってるでしょ? だから一歩も外出させるわけにはいかなかったわ。
 だけど外出禁止のゴリアテ課長、一度だけ私に、
「アンドロイド・ゴリアテと『意識の共有』をさせてくだサーイ」
 って頼みに来て、それからは何か大きな目標を見つけたみたいに、職場兼自宅になっちゃった研究所の中で、逆に生き生きとし始めた。
 どんな境遇でも、いつだって前向きなところが、この明るい巨人の最大の魅力よね。
 一連の騒動が収まって、研究所のみんなも冷静さを取り戻してくると、プロ野球っていう生身の人間同士の真剣勝負の場に、機械であるアンドロイドをこっそり投入するようなやり方は、やっぱり間違ってるって意見が大勢を占めるようになったわ。
 東海メトロ・ウォリアーズが強くなって、球場にお客さんも戻って来たから、もうロン・スミス会長も、試合にアンドロイドを出せ、なーんて無茶なことは言わなくなったしね。
 考えてみれば、アンドロイド・ゴリアテが放った特大ホームランは、三本とも試合の勝敗には直接影響がなかったわけだし、何より大惨事を未然に食い止めたことは紛れもない事実だから、結果オーライってことで、科学者たちは無理矢理自分たちの良心を納得させてた。
 ところが秋になって、最下位を独走してたウォリアーズがついに二位に浮上し、現実的に優勝が狙える頃になってくると、
「あいつは絶対戻ってきます! 俺たちはあいつと優勝するんです!」
 なーんてことを、キャッチャーの青柳クンがナニかにつけて言い始めて、優勝がかかった試合には、ベンチにゴリアテを入れることがウォリアーズの、いえ、それこそ日本中の願いになっちゃったの。
「ボクが行くヨー。それならナニも問題ナイでしょー?」
 そう言ったのは、ゴリアテ課長だった。
 どうやら、他に方法はなさそうだったわ。

 運命の最終戦、舞台はメトロ・スタジアム。
 その年のペナントレースは、この試合に勝ったほうが優勝っていう、これ以上はないくらいドラマチックな筋書きが用意されてた。
 私たちみたいな球団関係者でさえ、その試合のいい席のチケットを手に入れることはできなかったんだけれど、ロン・スミス会長が、放送席の上にある特別観覧席に、私とパパとママと、そして青柳クンのお兄さんの四人を特別に招待してくれたの。
 あの日、崩れたベンチの土煙の中に最初に飛び込んで行った、勇気ある行動のご褒美としてね。
 パパは……、まぁ、言ってみれば私たちのおまけよ。
 相手ピッチャーは、奇しくも常磐ジェット・ファルコンズの誇るイケメンエース君。その日も、『日本球界を代表する左腕』の名に恥じない、目の覚めるような素晴らしいピッチングで、われらがウォリアーズは、九回裏まで無得点に抑え込まれてたわ。
 残念ながらウォリアーズには、一年を通じて軸になれるようないいピッチャーはいなかったんだけれど、キャッチャーの青柳クンの絶妙なリードが冴えに冴えて、こっちもファルコンズの強力打線をわずか一点に抑えてた。
 重い重い一点を追う九回裏、ウォリアーズの打順は七番から。ランナーが出ようと出まいと、九番打者のピッチャーに打席がまわったところで、代打ゴリアテがコールされることだけは、もう間違いなかった。
 七番打者があえなく相手エースの剛速球に三振すると、不動の八番打者、キャッチャーの青柳クンに打順が巡ってきたわ。
 初球は内角と読んでた青柳クン、ウラをつかれた外角へのチェンジアップに、へっぴり腰になりながらも必死にバットを伸ばしてボールを捉え、ボテボテの当たりが一塁方向へ転がった。青柳クンのボテボテの内野安打が、ゴリアテの特大ホームランの呼び水になることを、球場に来ている誰もが鮮明に記憶してたから、そうはさせじと、イケメンエース君が猛ダッシュでマウンドを降りてボールをつかみ、一塁へ矢のような送球を見せたわ。
 彼が右利きだったら、結果はどうなってたか分からない。
 でも左利きのイケメンエース君は、利き腕でボールをつかむやいなや、三塁側にクルッと半回転しながら一塁に送球するしかなかったの。
 その一瞬が明暗を分けた。
 判定はセーフ!
 青柳クンの右足がベースを踏むのが、ほんのわずかだけ早かった。
 超満員の球場は、静まり返ったわ。
 イケメンエース君がゆっくりとマウンドに戻り、左手で帽子をとって、右手の袖で額の汗をぬぐう。その衣擦れの音まで、はっきり耳元に聞こえて来そうなほどの緊張感だった。
 おもむろに奥監督が立ち上がって、一塁側のベンチを出ると、審判にこう告げた。
「代打、ゴリアテ」
 その瞬間、地鳴りのような大歓声が沸き起こって、メトロ・スタジアムが揺れたの。
「ゴリアテ! ゴリアテ! ゴリアテ!」
 球場を、いえ、日本中を揺るがすゴリアテコールにかぶさって、勇ましい応援歌が自然に溢れ出す。
「♪オー、ホームランー、ゴリアテー、ゴリアテー、ホームランー。ヘイ! ヘイ! ヘイヘイヘイヘイッ!」
 張りつめてた緊張感が破裂したように、一気に興奮が最高潮に達したわ。
『みんな、やめて! あの人はアンドロイド・ゴリアテじゃないの! 姿、形はそっくりだけれど、ただの科学者のゴリアテ課長なのよ! ホームランなんて、ましてや優勝を決めるサヨナラホームランなんて、絶対に打てっこないの!』
 私の心が、絶望的な悲鳴を上げる。
 そんな私の張り裂けそうな気持ちを知ってか知らずか、バットを持ち、背番号百のユニフォームに堂々と袖を通したゴリアテ課長が、大ケガを負ったはずの右肘が万全であることをみんなにアピールするかのように、ネクストバッターズサークルで、二回、三回と、豪快な素振りを見せた。
 その姿は……、そう、その姿は、まるでアンドロイド・ゴリアテだった。
 じっと見とれちゃうくらい美しい、ホントに完璧なスイングだった。
 特別観覧席の豪華なソファに座ったまま、言葉も出ない私の肩に手を置いて、青柳クンのお兄さんがこう言ったわ。
「ねえ、ちび博士。アンドロイド・ゴリアテと『意識の共有』をしたことがある僕だから分かるけれど、ゴリアテ課長もアンドロイド・ゴリアテと『意識の共有』をして、アンドロイド・ゴリアテにインストールされてた最新の『生きた』バッティング理論を、頭にしっかりと叩き込んだんだよ。しかもゴリアテ課長、僕と違ってアンドロイド・ゴリアテと全く同じ体格だし、ああ見えて、自分の国の百メートル走の記録を持ってるくらいのスーパーアスリートだからね。実はこの数ヶ月、リハビリっていう名目で毎晩、僕の弟や、ウォリアーズのピッチャーたちと、研究所のスポーツ施設でバッティングの猛特訓をしてたんだ。今の彼の実力は、プロ野球選手である弟のお墨付きだよ。だから……、彼を信じてあげて」
 一緒に話を聞いていたロン・スミス会長の青い瞳が、あまりの驚きに真ん丸になった。
 その瞬間、私は全てを理解したわ。
 秋が近づくにつれ、何かにつけてキャッチャーの青柳クンが、
「あいつは絶対戻ってきます! 俺たちはあいつと優勝するんです!」
 なんて言い始めたことや、ゴリアテ課長が、
「ボクが行くヨー。それならナニも問題ナイでしょー?」
 って、サラッと言ってのけた、本当の意味を。
 ゴリアテ課長、いえ、本物のゴリアテ・マーキュリーが、静かに右バッターボックスに入った。プライドの高いイケメンエース君が、初対決でゴリアテに打たれた内角高めの全く同じコースへ、全く同じ剛速球を投げ込んでくることは分かってた。
 九回裏ワンナウト、ランナーは一塁にキャッチャーの青柳クン。得点は一対○、常磐ジェット・ファルコンズが一点をリード。
 ここでゴリアテに一発が出れば、東海メトロ・ウォリアーズが逆転優勝。逆に内野ゴロでダブルプレーに終われば即ゲームセット、優勝は大本命の常磐ジェット・ファルコンズ。
 ランナーが一塁にいるにも関わらず、イケメンエース君が大きく振りかぶり、渾身の一球を投じた。唸りをあげてホップする、時速百五十九キロのストレートが、ゴリアテの内角を容赦なくえぐる。あの日のように、恐れることなく器用に腕を折り畳んで、ゴリアテがフルスイング。
 振り遅れた!
 誰もがそう思った。
 でもそれは……、そうね、それは『神』のようなスイングスピードだったわ。
 振り遅れるどころか、これ以上はないという完璧なタイミングで、ゴリアテの太い両腕から魂を吹き込まれた命のバットが運命の白球を捉える。ただ焦げ臭い匂いだけをバッターボックスに残し、ボールはスコアボードさえも軽々と越えて、夢のように場外へ消えていった。
 こうして東海メトロ・ウォリアーズは優勝したの。

 そうよね、次の年のことも、ちゃーんと話しておかなくっちゃあいけないわよね。
 ゴリアテ課長は正式にメトロ・アンドロイド研究所を退職して、プロ野球選手になったわ。
 もちろん、東海メトロ・ウォリアーズのね。
 アンドロイド・ゴリアテのほうは、外見を日本人に変えられて、ウォリアーズ専属の極端に無口な警備員として、試合がある時は、いっつもチームについて行くようになった。また、相手チームのベンチの天井が崩れるような事故が起こったとしても、ゴリアテ課長が飛び込んで行かなくて済むようにするためにね。
 私?
 私は小学校五年生になったわ。
 五年生になって、ずいぶん背も伸びたけれど、時々研究所に遊びに来るゴリアテ課長……、いえ、ゴリアテ選手に相変わらず軽々と飛び越されて、いまだに『ちび博士』って呼ばれてる。
 ええ、もちろん算数は大の苦手のままよ。

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