一万年ぶりに目覚めたと言っても主観的にはほんの一瞬。見下ろす身体の鱗はつややかな緑――平均寿命三百歳というわたしたちの種族としては若い世代に入るのだから、この異星人がまるで掘り出された化石でも見るような目つきでいるのはどうも面白くない。
「ぽかんと眺めていないで何か言ったらどう?」
「なんということだ! 言葉がわかるのか?」
相手はあきらかに度胆をぬかれた様子。それはそうだろう。まがりなりにもファーストコンタクトなのだ。本来ならおたがい知的生命体同士かどうかすらわからないかも知れない。
「わるいね……じつは『ピラミッド』に入ってからここ『玄室』にたどりつくまでの間に脳の中身をすべてモニターさせてもらったのよ。その内容からきみたち人類のことはすべてわかったわ。まあ、マナー違反なんだろうけど、この星域には墓荒らしが多いもので……」
「するとやはりあなたは失われた古代星間文明の生き残りなのですね?」
「はたして生き残り、と言えるかな? この身体は記憶クリスタルから再生されたにすぎないのだけど」
「究極的情報処理による肉体の再構成か! ……ありがたい! これで数々の謎が解けるぞ! 最初にお尋ねしたいのは、あなたがたが全員、なぜそうしてクリスタルのなかで永遠の眠りについてしまったのか?ということです」
「遺跡調査員であるきみが喜んでいるのを見るといかにも気のどくだけど、しかしわたしはそうした質問に答えるために蘇ったわけじゃないの」
「なんですって? そんな、……じゃあなんのためです?」
彼は警戒する身ぶりで後ずさった。わたしを血に飢えた怪物とでも思ったのだろう。
「安心しなさい。とって食うつもりはないわ。ただ、個人的な問題にからんだ思い違いを正したいだけ」
そう聞いてこの男、完全に混乱してしまったらしい。
「個人的な、思い違いを正す、……?」
「きみは以前、最愛の人物を事故でなくしているでしょ?」
「なんでそれを!? そうか、わたしの記憶をぜんぶモニターしたのでしたね?」
「そう、当然きみの個人的な体験もすべて了解しているわ。……彼女はきみたちの太陽を観測するステーションにいて突発的かつ大規模なフレアのために生命を失った。その亡骸を自分たちの惑星の土に埋め、それからきみはそこへ戻っていない」
「そのとおり。しかしこんな場所であなたのような存在に自分の古傷に触れられることになろうとは……」
「それだけでなく、きみはその最愛の者を殺したフレアが観測できる範囲にも近づこうとしないわね。つまりその出来事が起こって後きみたちの太陽が発した光が届く範囲――太陽系を中心とした半径二十光年の球体の内側に入ることをも頑固に拒んでいるわけ……」
「だからなんだと言うのです? それがわたしが選んだ生き方なのだ。異星人にとやかく言われる筋合いはないはずだが」
わたしは相手の流儀をまねて肩をすくめ、冷静になる暇をあたえるべく『黄金の棺』のうえにどっかりと腰をおろすと彼に隣に坐るようにうながした。
「わたしが正したい間違いとはまさにそれよ……まあ、頭を冷やすことね。きみは感情で理性を曇らせているわ」
「どういう意味です?」
「状況をはっきりさせましょう。きみたちの種族の星――地球はここから何光年離れている?」
「銀河の反対側だからまあ十万光年と言ってしまっていいでしょう」
「きみたちの“跳躍航行”はそれだけの距離を一瞬で結ぶことができるみたいね。なかなかたいした技術じゃない?」
「その昔天の川銀河すべてを支配していたあなたがたに誉められてもたいして嬉しくないですよ。われわれの力などまだまだちっぽけです」
「その“ちっぽけな力”をきみはもっとまともに活用するべきね。……自分の過去から逃げ回っていないで」
「べつに逃げ回ってなどいない」
「じゃあなぜ故郷へ帰ろうとしないの? きみがやるべきことは愛する者を救うために自分たちの星へ戻ることじゃないのかな?」
「地球へもどってどうなるというのです? 彼女はもう二十年も前に死んでいるんだ」
わたしは相手の血のめぐりのわるさにいいかげんサジをなげたくなった。
「頼むから少しは頭を使ってよ。きみはいま地球から十万光年離れた場所にいるのよ! ここからきみたちの太陽が見えるとしてもそれは十万年前にそれが発した光。きみの連れ合いを死なせたフレアの光が届くのは遥かに遠い未来のことになるわ」
「そんなことは言われるまでもない。だからといって、それは光速度が有限であることから生じる見かけの現象にすぎないでしょう。実際には跳躍航行で地球に戻ってもすでに彼女の死から二十年たってしまっているのだから」
「うーん、ちがうんだな。それこそが思い違いなの……」
まだ腑に落ちない表情の相手にわたしは辛抱づよく説明しはじめた。
「察するにきみは相対論的効果が光速度に近いスピードで運動する物体にだけ作用する特別なものと思い込んでいるらしいわね。しかし現実にはそれはすべての速度で観測されるべき効果なのよ。たとえばきみたちの地球が太陽の周りを公転するときの速度――秒速三十キロ程度でもね」
「確かに理屈のうえではそうかも知れないけれど……しかしその程度の速度で起こる時間短縮やローレンツ収縮の影響なんて観測誤差と区別がつかないほどわずかでしかないのでは?」
「まだ勘違いしてる。わずか、と思えるのはきみがごくごく狭い範囲に観測を限っているがためなの。運動する物体の時空は静止座標系に対して必ず歪むわ。そして小さな相対速度での歪みがその物体の近傍では観測されないほど微かであっても、十分遠方に目をやれば明白な効果を生じている――例えば銀河系の反対側などではね」
反論しようとしていた男はとまどったような表情で口を閉じた。どうやらわたしの言わんとしていることが漠然とながら予感できたらしい。
「仮に地球が軌道上を天の川銀河の中心――いて座の方向に向かって運動しているとしましょう。このとき地球上にいる観測者のミンコフスキー座標内での『同時性』を示す直線[ct
- v/c・x = 0]は静止座標系のそれに対し光速度c=30万キロ/秒分の地球の軌道速度v=30キロ/秒、すなわち1万対1という勾配を持つわ……わかるわね? この同時性のズレは1天文単位つまり地球-太陽間の距離では0コンマ05秒というごく小さな値でしかない。でも十万光年離れた銀河系の反対端までいけば十年という十分意味のある大きさになるのよ」
「つまり地球がいて座方向に向かって運動しているとき銀河の反対端、つまりこのあたりでは十年先の『未来』になっているというわけ?」
「そのとおり! そして地球が逆方向に運動しているときにはここは十年巻き戻された過去になっているの。都合二十年におよぶ過去と未来の間のシーソー的タイムトラベルをきみたち人類は銀河系のスケールでなら日常的に経験しているわけ――ここでおなじことを宇宙船でやってみたらどうなると思う? きみの船はもちろん地球の軌道速度の数倍程度の巡行速度は出せるのでしょ?」
「探査船は当然、惑星表面の重力場から脱するだけのエンジンを積んでいます」
「それならまずその通常空間用の動力を使って地球と反対方向にv/cが1万分の2以上になるように速度を稼げばいいわ。そしてその速度をたもったまま、こんどは地球へ向けて十万光年を“跳躍”する……きみにとっての同時性ラインに沿ったスペースライクな世界線を通って……二十年前の事故からフィアンセを救うに十分な余裕をもって、きみは過去の地球に到着することができるはずよ。……もうわかった? 『超光速航行が可能である』ということはそのまま『過去へのタイムトラベルが可能である』ことと同義なのよ」
失われた過去への悔恨からまだ見ぬ未来への希望へと転じる彼の表情の電撃的な変化は種族の壁を超えてなお、なかなかの見ものだった。
「……なんということだ! わたしは無意味に人生を浪費していた! いつでもその気になれば彼女の生命を救えたのに!」
やみくもに『玄室』を飛び出そうとしてからくも踏み止まり、戸口から振り向きざま彼はたずねた。
「あなたには感謝しなければ……ありがとう! しかし、なぜわざわざ蘇ってまでそれをわたしに教えてくれるのです?」
銀河文明の先輩らしい威厳を見せてゆっくりと立ち上がり、わたしはこの若い銀河文明の一員に言ってやった。
「どうやらきみたちの種族はわたしたちの後をついで天の川銀河を支配する定めらしいわ。となれば……後輩の個人的悩みの相談に乗ってやるっていうのも年長者の務めのひとつじゃない? それに……」
片目の瞬膜を下ろし鋭い牙を見せつつわたしはにんまりと笑った。
「あなたちょっとばかりあたし好みだったしね!」
了
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