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スタートリック

高本淳

 ふたたびブリッジが揺れ、角艦長はクルーに報告を求めた。
「やれやれ今度は一体何だというんだ?」
「……艦は何かの力場に捕われています。ワープ推進不能。前方にいる何者かがその原因と思われます」
「戦闘態勢。遮蔽シールドを展開。航宙士、その何者かの正体をつきとめろ」
「物質反応ゼロ。相手は強大なエネルギーで構成された存在のようです」
「おそらく『トリックスター』でしょう」ストック副長が言った。「謎の古代種族によって創造された純粋エネルギー生命体です」
 突然、ブリッジの中央にまばゆい光が出現した。
「気をつけろ!」
 しかし光はすぐに消え、あとにはチョコレート色をした物体がひとつ残った。
「ミスター・ストック。いったいこれは何だ?」
「『トリックスター』が送りこんできたもののようですね。色合い、光沢、そしてこの匂いから推測すると……」ストックは尖った鼻をぴくぴくさせた。
「チョコレートと思われます」
「『チョコレート』だって!?」ドクター真古井がすっとんきょうな声をだした。
「しかもセミスイートです」
 さすがの艦長も当惑していた。「なんのつもりで奴はチョコレートなんか送って来たんだ。バレンタインデーじゃあるまいし……まさか食べてくれというんじゃなかろう?」
 彼は船医から甘いものを控えるよう忠告されていた。
「ひょっとしたらこの形に意味があるのかも知れません。試してみましょう」
 ストックはコンピューター端末に座るといくつかの指令を入力した。
「何を思いついたんだね、副長?」
「……このチョコレートはそれぞれ長さのちがう三辺からなる直方体です。いま、それらの長さをコンピューターに精密に計測させています」
 機械の合成音声が答えた。
『……各辺の長さを測りそれらの比率を計算しています』
「長い辺に対する短い辺の比として三通りの組み合わせが考えられます。それらは1より小さいので小数点以下をある規則のもとに一連の記号に対応させれば……」
『解読のためのアルゴリズムが見つかりました。最初のメッセージを出力します』
「何が見つかったって?」真古井が尋ねるのと同時にプリントアウトがコンソールから吐き出された。
「……これが最初のメッセージです。有理数が有限小数あるいは循環小数で表わされることはご存知でしょう?」
 艦長と船医はそろって首をふった。
「ではそうご承知ください。そこである数字の組がひとつのアルファベットの文字に対応するとします。例えば『01』が『A』、『02』が『B』、……『26』が『Z』という具合に――。このとき例えば数列『1920150311』は『STOCK』という文字列をあらわすことになります」
「するとあのチョコレートの各辺の比率がわれわれへのメッセージに翻訳されるというのかね?」
「そのとおりです」
「そんなこと信じられん!」船医は肩をすくめた。
「……メッセージには何と書いてあるんだ?」
「どうやら、われわれの最近の活躍に関係した内容のようです」ストックが艦長に手渡した用紙には次のような文が打ちだされていた。
『(作者注 : トリックスターによって送られてきた文章は以下のURLのテキストの内容と同じです。http://www.sf-fantasy.com/magazine/column/relative/200209-1.shtml)』
「……『できごとの前後関係がひっくりかえってしまうような現象が超光速を認めると発生してしまう』だって?」艦長は途方にくれた面もちでプリントをにらんでいた。
「おそらくこのロジックが艦のワープ・エンジンを拘束しているのです」
「ミスター・ストック、きみの言うとおりだとしたらわれわれは非常に困難な状況にあるぞ……」
 さき程からじっと聞いていた桜園航宙士が叫んだ。
「ワープ航法が使えないなんて……。超光速宇宙船なしにどうやって宇宙連邦を維持できるんです? 第一『インサープライズ』は現在地球から一万七千光年も離れているんですよ……。艦長、全行程を補助駆動で飛んでいたら故郷にたどり着くまえにみんな老衰で死んでしまいます!」
「おちつきたまえ桜園くん」艦長は全員に聞こえるように言った。
「このメッセージが正しいのなら宇宙連邦は破滅しわれわれは失業だ。しかしこの結論は白田英雄氏が現時点で一般に受け入れられているものとして語っているにすぎない」
「きみには何か考えがあるのか? 角」
「ドクター。いまや副長だけが頼りだ。……ミスター・ストック。きみの得意なロジックで別の結論はひきだせないのか?」
「残念ですが、艦長。特殊相対論のもとでは光速を越える運動はあり得ません。この白田氏の文章は正しいのです。ただし……」
 ちょうどそのときコンピューターから二枚目のプリントが打ち出された。
「今度はなんと書いてある?」
「『自由の代償としてπのなかに出現する偽の文だけを取りだすアルゴリズムを引き渡すこと』……」
「なんだそれは? ……パイのなかの  偽  の  文  フォールス・テクスト? フルーツパイのなかの 秋  の  果  物 フォール・プロダクトなら見たこともあるが……」
「このメッセージが送られてきたやり方から考えると先方の意図は明らかです、ドクター。……πすなわち円周率が無理数であることはご承知ですね」
「え−と、数には無理数と有理数があって……」
「……さっきとは逆に有限でなく循環もしない小数であらわされる数だろう?」
「そのとおりです、艦長。πの小数点以下には無限の長さの不規則な数列が続きますが、この数列にさきほどの方法で文字を対応させるのです」
「それではデタラメに文字が並んでいるだけだ」
「ほとんどすべての部分ではそうです、ドクター。……しかしごくたまに偶然意味がとおる順序に文字が並ぶことがあります。そういう文字列を『判読可能な文』と呼ぶとすると、無限の数列のなかにはそれでも無限の数の判読可能な文が含まれます。トリックスターはそのなかから正しくない文だけを選び出すプログラムを要求しているのです」
「わけがわからないな。奴はたわごとを収集する趣味でもあるのか……?」
「それは難しい注文なのかね? ストック?」
 バンカン人の副長が数年ぶりに顔をしかめるのを見て艦長は不安になった。
「……とりあえず第一のメッセージの問題を考えてみましょう。特殊相対論は平坦な空間のなかでの運動学をおもにその対象とするものです。一方、質量やエネルギーが空間の曲がり具合に影響を与える場合――例えばそれは加速運動している物体の座標系や巨大な質量の近くでの物体の運動を取り扱う場合などですが――重力質量と慣性質量とを同じものとみなす『等価原理』を含む一般相対性理論の枠組みのなかで行われなけれぱなりません」
「だから……?」同時に二人は尋ねた。
「アインシュタインは以前からあったニュートン力学の重力の方程式を参考にして、空間のなかでの質量=エネルギーの存在と空間の位相幾何学的構造とのあいだの関係を表わす方程式を導き出しました。もっとも彼自身はこの方程式に不満であったらしく、その右辺を『木造』と呼んでいましたが……」
「たのむから話をもう少しだけ簡略にしてくれ、ストック!」
「……では『補遺1・“トリッキー”なパラドックス解題』にあったふたつめの図表を思い出してください」
 副長はモニター画面に図形を描いた。

「この図のなかで『インサープライズ』のワープ航路に相当するのは座標原点から点Pに至る線分です――ここで点QとPそれぞれのt'軸への投影を考えてみてください」
 艦長と船医は同時に画面にかがみ込もうとして嫌というほどお互いの頭をぶつけた。
「……両者はほとんど同じ位置にあります。すなわちカリンゴン基地で『最終爆弾』が爆発した瞬間とほぼ同時刻にわれわれはクラックスに到着することになるのです」
「ああ痛、……しかしそれはおかしい。われわれが爆発のことを知るのは爆発から一年以上たってアルコアでエネルギー波に出合ってからだ。それが爆発の瞬間にクラックスに到着するなんて」
「そう考えるほかありません。ラムラン艦から見たものがわれわれの経験した事実と一致するためには彼らは『インサープライズ』のクラックスへの出現→アルコアへのエネルギー波の到達の順番で一連の事件を見ていなければなりません。……結局、彼らにとってワープする『インサープライズ』号は時間を逆行するように観測されるのです」
「つまりきみはワープ航法は過去への時間旅行であると言っているのか?」
「そのとおり」
「知らなかったな。われわれが日常的にタイムトラベルをしていたとは……」
 だがドクター真古井にはいまひとつ納得がいかないようだった。
「しかしたとえそうでもワープ航法が超光速運動であることにはかわりはない。君はさっき相対論のもとでは光速を超える運動はあり得ないと言ったじゃないか?」
「『特殊相対論』と言ったのです。なぜなら『一般相対論』では超光速運動は必ずしも否定されていないからです。たとえば不完全性定理で有名な論理数学者クルト・ゲーデルはアインシュタインの『木造』方程式を解いて、時空内で閉じたループとなるような世界線が存在することを示しました。彼の解によれば仮に全宇宙が回転している場合、慣性ひきずりによって通常の時間と空間が逆転するような特殊な領域が生まれ、宇宙船などがそうした領域に入ってある方向に運動すれば時間を遡って過去へ旅したのと同じ効果がうまれるとされます。現実にわたしたちの宇宙が回転しているという証拠はありませんが……『ワープ』を光よりも傾きのなだらかなミンコフスキー時空内の世界線――スペースライクな世界線と考えるなら、こうした結果はまさにワープ航行の可能性を示しているといえるでしょう」
 ふたりの会話に耳をすませていたブリッジ全部が歓声にわいた。
「やった!万歳。これで地球に戻れるぞ」
 気がつくと各人の手にはグラスが配られ、どこから取り出したのかシャンパンのコルクが景気よく抜かれていた。こういうことになるとクルーの動きが実に素早いことに艦長は気づいた。
「ストックはまだ浮かない顔をしているぜ」ドクター真古井が彼にささやいた。
「艦長、じつは問題は解決していません」
「なんだと?」
「スペースライクな世界線は光円錐の内部と外部の事象を結びつけることで因果関係の逆転をひきおこすことができます。例えばビリヤードの玉が未来から来た『自分自身』にぶつかって突然転がり出す、といったような事態も起こり得るのです。このような因果律の破れは時間の一様性を失わせ、ラグランジュ/ハミルトン方程式の対称性を損ない、運動量とエネルギーの保存則を破綻させます。そうなればこれらを土台とする既知の物理法則はことごとく成り立たなくなるでしょう。つまり宇宙連邦とワープ航法が助かるかわりにこんどは物理学自身が崩れ去ってしまうかもしれないのです」
 ドクターが唸った。
「だんだん話が大袈裟になるな。最初はクラックスの植民地を助けようとしただけなのにつぎにはワープ航法と連邦を守らなくちゃならなくなり、あげくの果てには全宇宙の物理法則を救わなくちゃならんというのか……?」
「いっぽうで第二のメッセージの要求も難問です。というより――どうやらこれは解決不可能ではないかと思われます」
「われわれのコンピューターならすぐにこんなものは組み立てられそうだが……」
「艦長、この要求はまさにゲーデルの不完全性定理に関係するのです」
 船医はうんざりしたように言った。
「……『相対性』のつぎは『不完全性』だと!」
「πの数列に含まれる判読可能な文の集合を考えてください。それらはふたつの部分集合を含みます。つまり正しい文と間違った文それぞれの集合です」
「ちょっとまちたまえ、ミスター・ストック。例えば『琥珀色の嫉妬は地政学的に目覚める』のような文はどうなるんだ」
「詩人ですね、ドクター。そのような文は真偽が決定されないのでこの議論では除外しなければなりません。論理的に真偽が決定できるグループを『意味のある文』と呼び、そうでないものを『無意味な文』と呼びましょう。これで包含関係は以下のようになります。『判読可能な文』は『意味のある文』と『無意味な文』を含み、『意味のある文』はさらに『正しい文』と『間違った文』を含む。そして『意味のある文』の要素である各々の文はその定義から必ず真偽いずれかのはずです。しかし……」
 ストックは悩みぶかい目つきでふたりを見た。
「そのような文を決定する有限の手続きはないということがゲーデルによって証明されています。『意味のある文』を出現する順にかたっぱしから真偽のどちらかへふりわけるプログラムがあるとすると、少なくとも一つはそうしたプログラムでは分類できない文が確実に存在するのです」
「それじゃ、トリックスターはわれわれをいつまでも離してくれないぞ!」
「残念ながらそういう結論になります」
 そのときすっかりできあがった桜園航宙士がろれつのまわらぬ口で報告した。
「くあんちょう、……トレックスターがうごきだしましゅ」
「なんだと?」
「ワープそくろで……ひっく……ちょ−くうかんへきえました……」
「どういうことだ」
 そのときコンピューターがふたたびプリントを打ち出した。
「これが最後のメッセージだ」ストックはそれを見て考え込んだ。
「何と書いてある!?」
「『ふたつの問題には類似点あり。要求は冗談でした。あらよっと!』」
 彼らはたがいに顔を見合わせた。
「なんと。どうやらわれわれは奴におちょくられたようだな!」
「それがいつものトリックスターのやりかたです、艦長。――しかし、類似点とは……?」

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