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ラスト・エコー

桓崎由梨

 大量の酸性雨と、破壊された都市から流出した毒素は、多くの海洋生物と共に、クジラ達を死の淵へ追いやった。食物連鎖、あるいは直接汚染物質に曝されることによって彼らは次々と斃れ、その骸は誰にも顧みられることなく、海底へ沈んでいった。屍肉を喰らう海鳥や魚達自体が、すでに激減していたからだ。
 深海性のマッコウクジラ達も、この葬列から逃れることはできなかった。呼吸のために浮上した際、力無く海面に横たわり、ただ喘ぐばかりの仲間達を見続けた後、ある一頭が、甲高い鳴き声をあげて海底へ向かった。ほどなく、数頭の仲間達がその後に従った。彼らの声に呼応するように、さらに多くのクジラ達が同じ海域を目指した。大きな四角い頭部を次々と海面下に振りおろし、暗い海の底へ向かって泳ぎ始めた。
 水深3000メートル――。太陽光も届かず、何も見えず、音だけが頼りのその一角に、今や、百頭近くのマッコウクジラが集まり、クリック音を発し続けていた。クジラ達の腹の下方には、海底から突き出した、列柱に似た巨大な構築物が何十本も立ち並んでいた。それは、かつてこの海域で繁栄した後に海没した、古代文明の遺跡の一部だった。
 クジラ達は、エコーロケーションを続けながら、遺跡の中へ潜り込んだ。悠然と、灰色の遺跡の間を泳ぎまわる。彼らのクリック音は、やがてリズムを生み、一定間隔で繰り返されることによって、音楽に似たものへと変わっていった。遺跡の海域は、クジラ達が歌を楽しむためにいつも集まっていた場所だった。彼らは最期のひとときを、音楽と共に締めくくることに決めたのだ。クジラ達の音楽は、遺跡の中で激しく渦巻いた。それは海水を媒体として遙か彼方まで響き、まだ生き残っていた生物達の身体を震わせた。深海に棲むクラゲ達は驚いて激しく発光し、小さな海老やユメナマコは振動に合わせて踊り跳ねた。かつて、広大な海洋で繁栄の喜びを謳歌してきた海獣達の鳴き声は、滅びの時に至っても、なお、ほとばしるような生命の輝きに満ちていた。
 太古の文明の名残りの上で、マッコウクジラ達は、自分達を送る葬儀のためのレクイエムを奏で続けた。最後の一頭が死んで海底へ沈んでゆくまで、エコーは繰り返し、水底の遺跡の中で跳ね返り続けた。

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