しゃれっ気のあった祖父がのぞみ・かなえ・たまえと名付けた三姉妹のうち成年に達したのは次女だけだった。皆に「かな」と呼ばれるうち自分でもかなと名乗るようになったその子の本当の名は叶絵と綴るのだが、祖父が亡くなった今となっては誰もそれを覚えていない。しきたりに従い、かなは「おっしゃ」とたった二人で嫁ぎ先へ旅立った。その「おっしゃ」がもともとは「御使者」だったことを知るものも今はほとんどいない。四代目になる今のおっしゃはまだ若い男だったが、しきたり通り去勢されているのでかなの貞操については心配なかった。嫁ぎ先はキタムラの次男坊で、深い山奥に持参する品は干した海藻と魚介類、それに焼き塩だった。
夫となる「みちお」とは文字をおぼえて以来ずっと文通してきた仲だが、実際に会うのははじめてだ。かなはみちおの手紙を全部おぼえている。一枚しかない紙に書かれた手紙の文句を、おっしゃから受け取ったその晩にすべて暗記したあと一個しかない消しゴムで丁寧に消し、一本しかない鉛筆をなめなめ返事をしたためてきたのだから。
数年ぶりの婚礼とあってキタムラの衆はほぼ全員が花嫁を見にやってきた。おっしゃが水瓶から水を汲んで皆に配ると、お客は誰もかれも顔を赤らめて陽気になり、歌ったり踊ったりしだすのだった。前の晩おっしゃがだぶだぶの服の下に茶色い瓶を隠すのをかなは見ていたがもちろん黙ってにこにこしていた。
宴も果てて初夜を迎える段になって突然みちおが泣き出した。かなももらい泣きして、ふたりは泣きながら何度も交わった。ふたりが疲れ果てて眠るころ、ムラはずれの広場にはミソギを済ませたみちおの名付け親とおっしゃの姿があった。
「言い残すことはないか」しきたり通りおっしゃが尋ねた。
「みちおの嫁をこの目で見られたからには思い残すことはない」名付け親が答えた。
「よい子をたくさん産んでくれろと伝えてくれ」
「こころえた」
おっしゃはうなずき、懐から出した匕首を深々と名付け親の胸に突き立てた。
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