1989年10月。
大学研究室の先輩の俊作に誘われた則夫は、俊作の兄のログハウスに来ていた。女の子も何人か来ると言っていたのに、誰も来ない。おまけにやたらと蜂が飛んでいて刺されそうだ。すっかり気が滅入った則夫は、しかたなく俊作の話につきあっていた。
「そもそも俺たちは、情報伝達の手段として電磁波に頼りすぎていないか?たとえば生体の生産物質そのものを利用して…」
「そりゃ、センパイはバイオ好きだし何でもバイオにしちゃいたいのは分かりますよ。でも…」
「じゃあ、これは?」
俊作は、車に積んできた20箱ほどの段ボール箱の一つを開けた。
「あ〜っ!S藤教授んとこの昆虫ハイブリッドロボット、ハッチイくん2号じゃないですか!いいんですか?勝手に持ち出しちゃって」
「S藤研に美咲さんって女の助手がいるだろ。昼食に誘って頼んだら、S藤研はもう昆虫ロボやめたからって気前よく貸してくれた」
則夫が両手で抱え上げてみると、ずっしりと重い。
「なんかあんまりムシって感じしないなあ」
俊作は、箱を次々に開けて機器類を取り出しセッティングしはじめた。その中に片面が高級絨毯のようにけばだった円盤が何十枚もあるのを見て、則夫は目を丸くした。
「そのディスク……まさかT中研の順子助教授を口説いてフェロモンセンサー借りてきたんじゃ…だけど何でこんなに?」
「これでハッチイくんと話す」
「えっ?」
「S藤研のハッチイくん2号は、昆虫の筋神経組織の一部を歩行制御のためにロボットに組み込んだものにすぎなかった。だが、これは格段に生体化が進んでいて、もっと面白い使い方ができる」
「面白い使い方?」
「たとえば、ほら」
俊作がキーボードを操作すると、ディスプレイのモノクロ画面に文字が表示された。
(現在、摂氏15度。現在、晴れ。5時間後、雨。)
「天気予報ですか?天気予報が面白いんですか?」
「ハッチイくん2号、いや、もうハッチイくんじゃないな。ミツバチのワーカーを使っているから雌だし。アピスちゃん1号にしよう。そう、アピスちゃん1号は裏庭にあるミツバチの巣箱内の全個体と情報を共有していて天気予報もできる」
「へえ…」
「人類滅亡後に地球を支配するのはネズミか昆虫と相場が決まってるだろ。逆に言えば、制御可能な高機能昆虫を開発すれば、危機的環境に陥った人間のサバイバルに役立つかもしれない」
「地球におっきな彗星でも衝突したら、何かの役に立つってわけですか」
則夫は、ぎこちなく六足歩行するアピスちゃん1号の動きをじっと目で追いながら、自分だったらオオクワガタ型にするのにと想像を巡らしはじめていた。
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