上流から運ばれてくる大量の土砂で視界は黄土色に濁っている。自慢のエコロケーション能力も気根のからみあう入り組んだ汽水域ではしはしば混乱させられ、ついに彼は岸辺の軟泥のきわに追い詰められた。
自分をつけねらう影があることには気づいていた。成長しきったハンドウイルカに天敵は少ない。危険よりむしろ迫り来る嵐に近い重苦しい圧迫感をその追っ手に感じていた。たしかに彼はその相手をよく知っているのだ。しかしあらためてそれが何者であるのかを思いだそうとすると、霧がかかったように思考が麻痺してしまうのだった。
とうとつに流木の陰から触手がのびて身体にからみついた。無気味な抱擁をぞっとして引き剥がそうとするものの、できない。流れるように無数のそれらは体表をはいまわり、形状を変化させ、やがてすっぽりと彼を包み込む生きた組織の膜を形成した。絶望とともに噴気口から悲鳴に似た音をしぼり出し彼は得体の知れぬ闇に飲み込まれ――。
――コンタクト! 意識の小片が怒濤のように流れ込んでくる。音響によって構成される世界に急速に視覚的で異質な構造が形づくられていく。対称面を持つ細長い流線形の自己の身体。先端に位置する頭部。そこから無限遠へ遠近法投影される対象たち。それらは相互に包含関係を保ちつつ意味のネットワークを形成する。その底に一連の数学的操作がある。移動、回転、分割、数え上げ……操作を可能にするのは『手』。身体動作にかかわる心の領域が急速に拡大され細やかな動きのイメージがそこにつけ加えられる。同時にすべての操作とその対象は形式化された抽象的音韻システムに恣意的に対応する。世界は“名づけ”を待っている。わたし自身の(相互主観的な)それは……『ブリム』!
融合が完了した。衝動と本能に支配されていた生き物は強制された視覚言語的世界を受け入れることで別種の存在へと変容した。サポーターはその生理溶液の中にイルカの身体を浮かばせつつ多関節の脚を体側から生育させる。やがて異様な姿がブリゴンガの川面をわって岸辺に這い上りマングローブの木立に潜むベンガル虎を死ぬほど怯えさせた。
密林の奥に消えるオレンジと黒の縞の閃きを記憶のすみにとどめながら、そうして巡礼者ブリムは目のまえのアッサン・モンジールの廃虚をしばし冷静に観察しはじめるのだった。
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