……アナングの人々をウルルに登らせることなどできるわけないじゃないか?
ビルはこんな無謀な決定を下した連邦危機管理委員会を呪った。確かにこの一帯でもっとも標高が高い土地といえばマウント・オルガとここエアーズロックしかない。しかしオーストラリア原住民たちにとってこれらの岩山は単に避難のための高台ではないのだ。
「頼むから言うことを聞いてくれ、トミー。きみが登ればみんな後に続く。ここにいれば誰一人助からないんだぞ!」幾度目かの若いレンジャーの説得にも老人は首をたてにふろうとはしなかった。
「われわれが聖なる岩ウルルに登るのは特別に許される時だけだ」
「そうとも、いまがまさにその時だ。科学者たちの計算によるとスージーがタスマン海に落ちればここまで津波が押し寄せてくることはほぼ確実なんだ」
「まあ落ち着け。おまえさんはこの土地が水で被われると言う。だがそりゃあ違う。おれの 夢 はそうは告げなかった」
「また夢かっ!」ビルはげんなりした口調で言った。「ふた言めには 夢 をもちだすんだな、トミー。ただの迷信だよ。きみらの生き方に干渉するつもりはない。だがいまは大勢の仲間の生命がかかっているんだ。少しは現実に目を向けてくれ!」
「向けているとも。ドリームタイム――チュクルパは迷信じゃない。ビル……おまえにも見えるはずだ。空にウォンジナの身体の徴があらわれているのを。見るがいい」
ビルは頭上を振仰ぎ息をのんだ。雲一つない夏の夕空いっぱいに数えきれぬほどの光の筋が並んでいる。傾いた夕日を中心に放射状に広がるおびただしい光芒が天球を横断したあげく反対側の東の地平線上で一点に収束しているのだ。乾燥した砂漠地帯では決して見られないはずの気象現象――地球を包み込む彗星ハローがつくり出す反薄明光線だった。
「夢のなかでウォンジナは言った。いまはまだ大いなる水の時ではない。それはずっと後になってからだ。そのときになったら白人たちに祖先の生き方を教えてやれ、とな……」
そしていつものとおり、アボリジニの長老の言葉は正しかった。
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