「なぜでしょうね、そう言われてみればたしかにわたしはこれまでずっと生き急いで来たような気がする。でもこのところふっと、前へ行かなくちゃ先へ進まなくちゃっていう焦りが薄れたんですよ。実は今回の勤務で星を発つ前になんだか無性に身の回りを整理したくなりましてね、古い手紙やら昔書いた論文、買ったまま読まずに積んでおいた本なんかを片っ端から処分したんです。今思えばあのときすでに発病を予感していたのかも知れない。でもなぜ肺をやられたのかとなると見当がつかないなあ」
わたしが少し咳き込むと、呪医は何かを追い払うような手振りをしたが、そのとたんに咳が治まり、楽に話せるようになった。
「今何をされたんです?」悪霊を祓ったのだといった答えを期待しつつ尋ねてみた。
「あなたの幻が、真実を語ろうとするあなたの邪魔をしていたので少しの間黙らせたのです」
「まぼろし?」
呪医は無言でうなずき、言葉を継いだ。
「あなたは香り草の煙を吸っていたことがありますね」
タバコのことを言っているのだとすぐに気づいたが、わたしは習慣的な喫煙者だったことは一度もない。そう言おうとして、はっと気づいた。もう10年も前のことだが、同じ職場の上司がヘビースモーカーで、朝から晩まで文字通り煙に巻かれながら一緒に仕事をしていたことがある。自分で吸うよりも発ガン率の高い、いわゆる受動喫煙というやつだ。なぜ今まで忘れていたのだろう。また咳き込みそうになったが、呪医のジェスチャーに促されてゆっくりと呼吸するうちに咳をしたいという衝動が薄れていく。
「あなたはその師を敬愛していたのですね。でも彼の悪習は許容できなかった。煙を吸って吐くのをやめろと面と向かって言うことができなかったあなたは、彼の吐き出す煙をあなたの奥深くにしまい込んだのですよ」
その煙が10年かかって出口を見つけたというのか。
「それだけではありません」呪医は続けた。
「あなたがたとわれわれでは心拍のリズムが違いますが、心臓が5回打つ間に呼吸は1回、1−2−3と吸って4−5と吐く、この関係はまったく同じなのです。だがあなたは体格のわりに胸郭が小さい。ということは、あなたはこれまでずっと浅くて速い息をしてきたのです。言ってみればあなたは心臓よりも早く肺を使い果たそうとしているのです。」
「わたしは先ほどあなたの額を通してあなたがたの言葉に触れました。あなたがたのことばでは『息』と『生き』が同じなのでしょう? 生き急ぐとは息を急ぐこと、息苦しさは生き苦しさなのではありませんか。肺というのはいのちの火を燃やすためのふいごなのです。ふいごはひとりで勝手に動くものではない。ふいごが止まろうとしているということは、あなた自身が火を燃やせなくなったということなのです」
生きる意志をなくした? このおれが?
「そんなはずは…」ない、といいかけて口ごもってしまう。辺境に移住した人々の検診を20年も続けてきたが、ちかごろ天職とも思えた仕事に倦んできていたのは確かだ。もっとほかにやるべきことがあるように感じ始めてはいたのだが、だからといってそのせいで癌になるなんてことがあるのだろうか。
呪医はふたたび無言でうなずいた。
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