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イムカヒブ族とともに 09

高本淳

 

 しばらくの間そうして戯れたのちナヤンはいまだ物欲しげに周囲を飛び回っている鮫に背をむけてわたしのいる場所まで降りてきた。当然たったいま目撃した彼の行為のわけをわたしは訊ねたのだが哀しいかな、いまだ会話力が十分でないためだろういったい何をしていたのか?というこちらの問いかけはうまく相手に伝わらなかった。
「――いやね、完全に自分のドゥクにするにはまだまだかかるよ。今日も鼻面にさえ触れられなかったしね。オグ・トゥクイを使うまで少なくとも赤い陽が十はいるだろう……」
「『ドゥク』?」
「うん。見習いのおれのドゥクがすぐに役立つとも思えないだろうけど――まあ、それがきまりなんだ」
 こんな調子なのである。わたしになんとか見当がつくのは『赤い陽』が陽光が赤みがかる時間――わたしの故郷での『夜』を意味する、という一点だけだった。つまり浮遊する森の民なら誰でも知っている基本的な事柄を、そうした知識を完全に欠いた者にそもそもの初めから説明するというのは、たとえ利発な若者といえどナヤンにとってもいささか困難なことなのだ。
「ヨティレをしまうのでここで待っていてくれ。悪いがあんたは同族じゃないからな」
 そう言われ、さらに質問しようとしていたわたしはそれ以上の追求を諦めた。彼が『ヨティレ』と言ったのは『ヨティレ・マサク』、すなわち蜜をもたらす昆虫マサクの人への贈り物(ワム・ヨティレ)である『ロチ』のことだ。わたしはいまだイムカヒブの客人であり言うまでもなく彼の属するトーテム氏族に属してはいない。だからナヤンは彼らの貴重な財である『ロチ』の貯蔵場所を立場上余所者のわたしに明かすことはできないのである。
 鏃鮫顔負けのしなやかな身のこなしで若者が森の奥に消えていくのをいささかはがゆい思いで見送りながら、わたしは内心ひとつの決意をかためていた。このさき死ぬまでイムカヒブの村で暮らす気がないなら遅かれ早かれここを出る方法を見つけださなければならない。そしてたぶんその唯一の手段は――気はすすまぬながら――交易の旅に出るコドリガ乗りたちに頼んで彼らの舟に同乗させてもらうことぐらいしかないだろう……。
 そのためにはまず村人のなかでそれなりの立場と信頼を得て彼らの一員として認められることが必要なのは明らかだ。さもなければ遠洋航海にクルーとして同行することなど望むべくもない。
 さてそんなことを考えていた矢先に突然森の奥で不意をつかれた者の悲鳴があがり、それにつづいて幾人かが息をはずませ組み合っている葉擦れや小枝が折れる音がかすかに伝わってきた。平和な村の暮らしでついぞ出会ったことがない由々しい騒ぎに一瞬何事が起こったのかと呆然としたわたしではあったが、最初の悲鳴の主がさきほど姿を消したナヤンであるらしいことに思い至ると、もはや後先を考えず枝々をたどりつつそちらの方向に可能なかぎり急ぎ突き進んでいった。

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