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イムカヒブ族とともに 16

高本淳

 

 世にいれられぬ発明家の悲哀を噛みしめながらわたしは悄然と居住輪へ帰った。しばらくして戻ってきたナヤンは傍らにぼろぼろになった盾を置きながら残念そうに言った。
「この『枝投げ遊び』は確かに新鮮でスリリングだけど欠点は的がすぐにダメになることだな。いちいち修繕するのでは手間がかかりすぎるよ」
「ナヤン、遊技じゃないんだ。わたしはあれが吹き矢に代わる武器になることを証明したかったんだよ」
「わかっているさ」彼は笑った。「ただみんなには理解できないんだよ。それをお節介な余所者から教わろうなんてね……」
 この若者が故郷の人々に通じる皮肉なユーモアのセンスを持っていることを認めつつわたしは不機嫌にうなずくほかなかった。友が大いに気落ちしていることを察したナヤンは気をきかせてその場を立ち去り、そしてわたしはひとり自らの思いこみを反省する機会を得た。
 鍵は言語にあるのだ。わたしの生まれた土地では投げ矢と吹き矢は同じ言葉『ダート』で名指される。だからこそわたしは狩猟民族である彼らが一目見れば弓矢という道具の可能性に気づくだろうと期待したのである。しかしナヤンはいまあえてそれを『メハバ(枝)』と呼んでいた。思えば『吹き矢』の筒はイムカヒブの言葉ではダモノ・ヘ――『長い舌』と呼ばれ、その針に塗られる植物性の毒はウクチ――『呪詛』と同じ語である。すなわち彼らにとってその矢は投射物というよりむしろ形をなした『ことのは』なのだ。
 そもそも彼ら密林の民は物を投げるという行為そのものについてなじんでいない。ここではすべてが浮遊しているのが常態であってわざわざ力をこめて宙を飛ばす必要などないのだし、戯れにそうすればただちにやっかいなトラブルに結びつくことになる。それは何か、あるいは誰かにぶつからないかぎり回収不能な彼方へと飛び去ってしまうだろう。そう考えれば――幼いころからものを投げ出すことの無謀さを身にしみて学んでいる彼らの社会に投げ槍、弓矢のたぐいが発達しなかったのもうなづけるのであるし、わたしの弩が吹き矢と置き換わりうるものとして村人たちに容易に認識されなかったのもまた当然だったのである。

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