| TOP Short Novel Long Novel Review Interview Colummn Cartoon BBS Diary |

イムカヒブ族とともに 24

高本淳

 

 霧のなかに力強く回転する風車の影がうっすらとうかがえ、懐かしい故郷へ戻ったことを知った。たゆみない滑車の音と樋に落ちる水滴の規則正しい調べが響く。快調に薦綱が繰り送られている証だ。主が労を惜しまず日頃から手をかけているのだろう。天地創造のおりマキナ・イシュタルが『大地』を編み上げたと伝えられる薦綱のマスターケーブルは信じられぬほど丈夫なのだが『下空』にたなびく雲の水分を汲みあげるための複雑で長大なからくりは微妙で不断な調整なしには決して円滑に動くことはないのだ。いっとき旅衣をひるがえす風が霧を吹き払うと街道の両脇に収穫間近の麦を実らせた棚畑が紫色の雲海まで続く早朝の田園風景がかいまみえる。讃えるべきかな機械神――今年は豊作らしい。道脇の家畜小屋のなかで餌をはむ豚もまるまる太っているはずだ。それらの糞尿を溜めた池はあふれんばかりだろう。ひなびた臭気に顔をしかめる貴族は少なくないがこの地に生まれたわたしにとっては懐かしい故郷の香だ。田舎を羞じる理由がどこにある? これら肥溜から発する沼気が大気を温め、発酵した堆肥がやがて豊かな実りを約束する土壌を育てるのだから。
  水の貴重なこの国でも絞り車を通る前に樋にしたたった滴は公共の財とみなされ大切に集められて協同の洗い場に導かれる。農家の女たちはそこで野菜を洗い、手足を清め、衣類を洗濯する。とはいえ朝まだき、ふだんは多くの主婦たちが集い世間話をかわす井戸端に人影はない――いや、ひとり女がむこうをむいたまま洗い物をしている。近づくうちにそれが見慣れた背中であることがわかって胸は高鳴った。自ずと速まる足音にいぶかしげにふりむく妻は霧のなかから現れたわたしを認めるとにこりと微笑んだ。
  喜んでくれ。いま帰った――しかし、まくり上げた妻の白い二の腕に絡みつく蛇のような紋様を認めてわたしはそう言いかけた言葉をのみこんだ。見違えるはずもないそれはイムカヒブの入れ墨だった――。

 目覚めは一瞬のうちに果てしない距離を飛び越え異境の客という現実にわたしを連れ戻した。周囲でははやポカラを受け渡す男たちの声が賑やかだ。目を開き回転する居住輪の心棒をぼんやり仰ぎみつつ大きくため息をつく。またいつもの朝がはじまったのだ……。

トップ読切短編連載長編コラム
ブックレビュー著者インタビュー連載マンガBBS編集部日記
著作権プライバシーポリシーサイトマップ