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イムカヒブ族とともに 31

高本淳

 

 眩い光と青空と木々の緑が周囲をめまぐるしく回転し、そして腰がぐいと引かれる感覚とともに動かなくなった。羊水に包まれた胎児がへその緒で母体につながっているように一本のヒアの細紐がわたしを森につなぎとめているのだ。死臭にまみれた供犠の立場から一転、朝の光に満ちた空に産み落とされる見事な死と再生のアナロジー――だが、こうして『羊水』にすっぽり包まれていては儀式の主人公も誕生まもなく溺れ死ぬしかない。それでも不思議なことにわたしはパニックにとらわれることはなかった。大量に摂取した麻薬が死の恐怖を鈍らせていたこともあったのだろうが、森の民とともに過ごした年月が彼らへの信頼を育んでもいたのだ。そうして息をとめ身体の力をぬいてじっと待つうちにやがて目の端に黒い影が蠢くのを見ることができた。
 メンダクルワイの斥候だ。それが飛び立ってわずか後には森の葉の間から今度は黒い雲に似た大群がわきだし、いっせいにわたしを閉じこめている水塊に群がってきた。以前も触れたがこの奇妙な昆虫たちは――特に陽に照らされた透明な水面があるとまるで仇でもあるかのように襲いかかり集団で押し包むのである。
 『仇』というのはあながち間違ってはいないかもしれない。というのもイムカヒブ族の神話によればメンダクルワイにはかつて欲深い妻ナムドクマイがいた。あらゆる装飾品でわが身を飾りたいと願い太陽神ゼータの金色のマントまでも望んだ彼女は、ゼータが眠っている夜の間に密かにそれを身につけたあげく炎に焼かれて死んでしまうのだ。以来この虫は日の光を憎みそれを反射する水面をつねに覆い隠そうとするのだという……。
 そうこうしているうちに身体を覆っていた水の膜はほとんど消え、いまや数匹の昆虫が肌の上をごそごそ動き回るだけとなっていた。もっとも最後のころには懸命に頭を振り鼻と口から水滴を吹き飛ばすことでようやく呼吸をすることが出来たのであるが――ともあれ通過儀礼の試練をようやく終えたわたしは、不純物の多い酒のおかげでがんがん鳴る頭はべつとして、ほっとした気持で爽やかな風に吹かれつつ再生の喜びを感じていた。
 そのときふたたび腰がぐいっと引かれ、わたしの身体は森へとひきもどされはじめた。儀式の最後の段階としてわたしはふたたびあの岩の上で戒めを解かれ、本来なら割礼の儀式を経てあらたにイムカヒブの成人男性のひとりとして迎え入れられるのである。
 しかし突然思いもかけぬ事態がおこったのだ。再度ヒアの細綱に力が加わったとき、それがぷつりと切れる嫌な衝撃とともにわたしの身体はふたたび風に乗って漂い流れだしたのである。


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