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イムカヒブ族とともに 36

高本淳

 

 緊張した面持ちで飛び込んでくるなりムズクハは自分といっしょに来るように命じた。道すがら聞けばどうやら部族の男たちがやっかいなトラブルにまきこまれたらしい。われわれにもコドリガにいっしょに乗るようにと言うのだった。村の男が出はらっているため舟を動かす人手が足りないようだ。コドリガ乗りを目指すわたしにとっては願ってもない機会でもあった。
 しかしいざ舟がもやってある場所についてみると、わたしは一瞬尻込みしたくもなった。風雨に侵食されマストがいまにも折れんばかりの老朽舟ではないか。だが背後でいつになくひきしまった顔つきのイクニがじれったそうに待っている以上否応もない。指示された場所に慣れぬ手つきで身体を結びつるのを待たずして早くも舟は漕ぎ出された。
 出航してじきにわたしは気分がわるくなってきた。漕ぎ手が船尾の大きな櫓をあおるたびに弾力性のある骨組みだけの船体は軋みつつ振動するのだ。いましがみついている場所は中央の一番揺れの少ない箇所であるはずだが、それでも大きく上下にゆすられているうちに、いまにも軸柱がへし折れるのではないかという不安とともにわたしは胃の腑のなかのものが逆流しそうな気がしてきた。
 幸いまもなく舟は風に乗りすみやかに森を離れはじめ、漕ぎ手は櫓の動きをとめ、これ幸いとわたしは篭にしがみついていた指をもみあわせつつ痺れをほぐした。その間に舳先に移動した男のひとりがロチを高くかかげもち例のごとく「トーヤィ!」と叫ぶと、まもなく『ドゥク』――つまり彼に飼いならされた専属の鏃鮫が姿を現した。男はさも愛おしげに『オグ・トゥクイ』と呼ばれる牽引のための柔らかいあてもののある輪をその首にかけ、一声「ハッシ!」と鋭く命じる。その声とともに獣はヒアのロープを後にひきながら素早く前方へと飛翔し、やがて全長十ひろもある舟が強靱な筋肉が生み出す小刻みな加速とともにぐいぐいと風を切って進みはじめた。
 おそらく一生を重力の軛に縛られてすごす故郷の人々にはそのようにして天駆ける爽快さは到底理解できないに違いない。見はらす限り広がる蒼穹のただなか、船首を行くドゥクのすべらかな体表に反射する陽光の揺らめきとそのリズミカルな尾翼のはばたきを見、それが生み出す疾走の力強さを味わうことは他に比べようもない体験だった。


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