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イムカヒブ族とともに 48

高本淳

 

「おはよう」――目覚めのあとで出会う相手についわたしはそう挨拶してしまう。むろん故郷の言葉が通じるはずもないし、仮に通じたところで昼夜の区別のない世界では意味のない台詞だ。異邦の者であることを自ら広言するようなものであるからイムカヒブの一員となった今その習慣は改めるべきなのだろう。だが明日も――そう、『明日』という言葉もまた彼らは持ってはいない――たぶんわたしは言ってしまうはずだ。
 ナヤンはいつものとおりそれを黙殺し、茂みのなかからコドリガを曵きだす作業を続けている。わたしも手を貸しふたりはやがて微風がわたる青空のただ中へと漕ぎだした。
  幅広い葉を編んで作った櫓を漕ぐたびに船は大きくしなう。はじめのうちそれがひどく頼りなく感じられてならなかったのだが、最近ようやく剛性というものに乏しいその作りにも慣れ逆に反動を上手く利用するやりかたもこの身についてきた気がする。
 確かにそのほうが少ない力で効率よく船を進められる。そしてこれは限られた自然の素材の制限から来る粗末さでは決してなく、むしろ高度に洗練された仕組みであることは疑いえない。
 このあたりでは『赤い陽』――すなわち『夜』――がおとずれてまもなく、『大地』から世界の中心にむかってしばしば強い風が吹くのだが、もしコドリガが故郷の乗りものや建築物のごとく融通のきかぬ固さであったらその最初のひとふきであっけなく帆柱をへし折られてしまうはずだ。
  これに限らずイムカヒブ族の作るものはすべて巧みに風をうけながす工夫がなされている。重さを欠いた環境、遮るもののない虚空では風は想像を越えた力を及ぼすのであり、だからこそ間違いなくこれは数知れぬ経験を重ねたあげくの奥深い知恵なのだ。
 とはいえ――こうした文明人を顔色なからしむるほどの技術の冴えを見せるいっぽうで彼らが生活のすみずみまで呪術と迷信に色どられた未開人であることも否定できぬ事実だ。そしてそのことを痛感する悲劇的な事件にわたしはまもなく遭遇することとなるのである。
  始まりはナヤンの『ドゥク』が船を曵いているありさまをまさに例のごとく嬉々として眺めているときだった。ふいに何かが焦げているような異臭を風のなかに感じたのだ。確かめるべく振り向いたわたしはぞっとして立ちつくした。船体にむすびつけられた篭のひとつからまるでこの手で掴めるかと思えるほどの濃さでもうもうと煙がたちのぼっていたからだ。


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