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イムカヒブ族とともに 57
高本淳

 ふつう戦地にあるとき敵は前方にいる。むろん密かに側面や背後にまわられないとも限らないから油断するべきではない。それでも足下や頭上から不意に攻撃を仕掛けられることはまずないだろうと考えていい。

 しかしジャングルでの戦闘ははるかに複雑な可能性をはらむ。おのれを中心とした球形の方位のいったいどこから相手の毒針が飛んでくるかわからないのだ。

 そのうえ以前も言ったように重さを欠いた世界では枯葉や砂利を踏みしだくこともなく誰もが密かにすばやく移動できる。いまこの瞬間にもかの呪術師はわたしの死角にそうしてまわりこもうとしているかもしれない。おのれの位置を知られてしまった者は言わば絶体絶命の窮地にあるのである。

 とはいえわたしとて幾度となく死線をくぐりぬけてきた戦士だ。もし臆病風に吹かれこの場を逃げようとすればそれこそ命取りであることが十分わかっていた。いかに森の中での闘いに精通していようと相手もまた人、けっして鬼神というわけではない。無用な恐怖に心を乱されるな、と自分に言い聞かせた。戦場において何より必要なのは勇気をもって逡巡なく決断することなのである。

 素早く周囲を見極めて苔むした巨大な岩塊のくぼみのひとつにわたしは身をひそめた。もつれ合った根を見上げる位置に身体を移動させる。これで背後と頭上というもっとも注意を払いにくい方向を塞いだわけだ。ついで手早く弩に矢をつがえいつでも相手の攻撃を迎え撃つ準備する。まったく兵士にとって武器を手に身構えるほど心強いことはない。

 それでも身体は相手の攻撃に対してほぼ無防備にさらされているのはわかっていた。致命的な毒を塗った吹き針がいまにも飛来するかもしれない。そう思えば鳥肌がたつ思いであるが、強いてわたしは自らを落ち着つけた。−−感覚を研ぎすませて周囲の気配をさぐらなければならない。

 そうして長い時間がたった気がした。実際は小半時もなかったろう。それは聞こえたとも言えないほどの微かな音だった。ちらりとそちらに向けた視線が薄やみの中にきらりと光る何かを捕らえ、反射的にもちあげた楯に鈍い音をたてて毒針がつきたった。

 素早くわたしは吹き矢が飛来したと思われる方向に矢をはなった。音をたてぬ敵の武器と対照的にそれはすさまじい唸りをあげつつジャングルの木々の間を飛翔した。一瞬のうちに闇の彼方へ姿を隠したそれはそれでも葉や枝をさわがせつつ、突然の飛来物に驚いた生き物たちの悲鳴や羽ばたきの音をともなってどこまでも飛んで行った。

 あるいはツマヤクの身体をかすめたかもしれない。だが長い時がたち静けさのもどった森はなにごともなかったかのようにふたたび午睡のごとき沈黙のなかに沈んだ。たぶん矢はまるで見当違いの方角に飛んで行ったのだろう。しかし−−わたしはそれでもよしとした。ともかく最初の一撃をかわすことはできた。加えてこちらに強力な反撃の手段があることがわかって奴もそれほど気やすくは攻撃できなくなったはずだ。
 

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