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イムカヒブ族とともに 62
高本淳

 オトネの意識はまだしっかりしていた。幸運にも腕輪が呪術師の吹き針が深く刺さるのを防いだのだ。とはいえ肌には毒針のつくったひっかき傷がはっきり残っていた。わたしは弓の弦で彼女の二の腕をきつく縛り、皮膚を鏃で切り開くと繰り返し毒を吸い出した。
「村からずっと後をつけてきたのだな? −−それにしてもなんでこんな無茶をした?」傷口を水で清め、携えていた消毒作用のある葉でしばりながらわたしはたずねた。「そこまでしてこんな余所者のために生命を危険にさらすなんて?」
「ほんと馬鹿だよね」そう吐き捨てるように言う彼女の言葉にはいつもの力がなかった。「あんたはいつまでもここにいる人間じゃない。それはわかってるのに……なぜか、そうしないではいられなかった」
思わずため息をついたもののわたしは強いて明るい笑顔を相手に見せた「とにかく、おかげでこうして生きながらえることができた。おまえがいなければこの背中に毒針を受けていたかもしれない。オトネ、礼を言わなきゃならないな」
「気にしないでおくれ。こっちが勝手にしたことさ」
とはいえ彼女の返事はすでにかなり苦しそうだった。「わかった。もうあまり喋らないほうがいい」額の汗をそっと掌でぬぐってやりながらわたしは言い聞かせた。「こんどはこちらの番だ。村までがんばれるな?」
 朦朧としはじめた表情で、しかし健気に彼女は答えた。
「だいじょうぶさ。そのまえに−−あんた、奴を負かした印をわすれちゃだめだよ」
かたわらをゆっくり回転しながら漂っていた吹き矢の筒をつかむと腰紐に差し込み、もういちどオトネに笑いかけうなずくとその身体を抱きかかえるようにしてわたしは闘いの場を後にした。

 森の民が狩猟に使う毒は遅効性だがやがて獲物の心の臓を止めてしまうのだ。体内に残った毒は微量であっても確実にオトネの身体を蝕みつつあるだろう。解毒薬を手にいれるため−−もはや呪術師がいなくなった村にそれがあるとしてだが−−一刻も早くもどらなければならなかった。 しかし、そうしていくらも進まないうちにわたしは自分たちがいまだに困難の渦中にあることを悟った。さきほどからの霧がますます濃くなってきていてほとんど見通しがきかなくなっていたのだ。
 重さのない世界、しかも密集したジャングルのなかでひとたび視界を奪われれば上下をふくめた方向感覚がまったく働かなくなる。うすぐらい中でぼうっと浮かび上がるまがりくねった枝々は道標となるべき手がかりを一切伝えてはくれず、ついにわたしは進退きわまって立ちつくした。
 幼い頃から森で暮らすオトネならまだ何かの勘が働いたかもしれない。しかし彼女はすでに腕のなかでぐったりと目を閉じているばかりである。その身を案じる焦燥の思いにもかかわらず、闇雲に進んだとしてそれは事態をより悪くするばかりだろう。一向に晴れる気配のない濃霧にもはやわたしは気も狂わんばかりであった。

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