コドリガの上でイムカヒブの戦士たちがつぎつぎと手のひらのひとにぎりの灰を風に乗せて流していた。
端でそれを眺めるわたしたちもつい先ほど同じ行為をすませたばかりであった。灰はナヤンの遺骨を焼いて砕いた一部であり、森の民の遺体はその肉も内蔵も骨も原則としてすべて森の大いなる物質の循環に戻されるのであるが、ほんのひとにぎりの灰は最後にこうして天空にまかれるのである。
灰を撒き終わった船が去っていくのを眺めつつ、わたしは掌に残った灰の感触を名残惜しくもてあそんでいた。あの快活な青年の存在の名残がこのわずかなざらつきだけであるとは、かつて戦地で幾人もの若者たちを見送ったわたしにすらいささか信じられぬ思いであった。
この弔いの最終的な儀礼に際して列席する人びとの顔はいまひとつさえなかった。本来なら死者を見送るすべての過程をつうじて部族の呪術師が立ち会い、半ば祖先の精霊に憑依されながら、逝く者の魂が無事に天空の彼方−−彼らの祖先がやってきたという原初的な世界へもどっていく助けをするはずだったからである。
しかし肝心のツマヤクがああして姿を消してしまい、その代わりとしてディングの村の呪術師が葬儀に立ち会えたのはようやくこの最後の段階であった。それがみんなの心におおいに不満足な思いを残していたのであった。
わたしもまた、彼らの信仰とは別の意味で、ナヤンの死に対して同様にやりきれなさを覚えざるを得なかった。そんなわけで本来ならもうすこし−−故郷ならむしろ不謹慎と受け取られるほど−−興奮し浮き立った別れと再生を願う儀式になるはずが、今回に限っては終始沈んだ寂しい送別の集いとなっていたのだ。
そうして言葉すくなに人々が村への帰路につこうとしたまさにそのとき、突然タウヤヘがびくりと立ち止まり、いささか緊張した面持ちでその腕をのばすとじっと空の一点を指差したのである。人々もそのその視線の先を追い、同様にはっと息を飲んだ様子で呆然として見とれている。
わたしはかくも劇的にすべての人々の心をとらえたものがいったい何かを探るべくあわただしく虚空に目をはしらせた。最初は何を見たらいいのかわからなかったが、やがてはるか遠くに妙に細長い一筋の雲があることに気づいた。
ちょうど時間は「赤い陽」をすこし過ぎた頃。天空は淡い紅色に染まっていた。雲はわずかにそれより濃い紅と灰色に近い明るい薄紫に染め分けられて、あたかもこの世とはべつの天界に属する手によって色づけられたごとく見えた。
見守るうちに雲が長くのびはじめた。長く、長く、どこまでも長く−−何やら目に見えない神の指が一筋の直線を天空に描くごとく。まさに人の力を越えた存在による類いまれな啓示としか思えなかった。いまだかつてそんな光景を見たことがないわたしはおおいに混乱しかつ我が目を疑った。
きらり、と−−伸びつづけるその先端が光った。明らかな金属光沢を含むその光にわたしは得体の知れない興奮と畏怖の念に全身の毛がぞっと逆立つのを感じた。
それが何ものであるにせよ、あの不思議な雲をつくりだすほどの大きさと速度をもつ存在は人知を絶する圧倒的な力を持っているのは間違いなかった。
「ムキナ! ムキナ……!」 そう唱える声が周囲からわきおこり、わたしはこれこそイムカヒブ族が最も崇拝するかのトーテム−−聖なる甲虫である、と突然悟った。
ひとびとの顔がいっきに明るく晴れ晴れとしたものに変わった。彼らの気持ちは傍らのアイカダがささやく言葉を聞くまでもなくわたしにもはっきりとわかった。
「よかったな。ナヤンは間違いなくいま偉大な精霊たちに受け入れられた……!」
*
あの日、霧深い密林の奥でイクニに出会った後、わたしたちはディングの村に迎えられた。そこでオトネが毒の治療を受けているあいだにわたしはムズクハに彼らの呪術師を借り受けることを願い出て、彼とともにイムカヒブの村へと向かった。
ツマヤクは−−あるいはあのまま虚空に流れ出ることなくこの森のどこかで生命を長らえていたとしても−−二度と村へ戻ってくることはなさそうだった。呪術師にとって一対一の闘いで破れることはひどい恥辱と権威の喪失を意味したからだ。戦士たちに必勝と無事の祈祷をさずける本人が闘いで破れてしまっては確かに面目のたてようもないだろう。
とはいえそのことはわたしをかえって微妙な立場に置くこととなった。
長老たちはもっとも村人たちに影響力のある味方を失ったことでひどく当惑していたし、またそれを余儀なくさせたわたし−−いらぬお節介ばかりをする余所者−−を腹立たしく感じていたのは間違いない。
むろん村長をふくめ味方は少なからずいたが、それでも長老たちを完全に敵にまわしてまでわたしを守ることは難しいと思われた。もっとも仮りにそれができたとしても当人であるわたしがそれを望みはしなかっただろう。
何にしてもすでにわたしは一刻もはやく村を出て故郷へもどる道をさぐる決心をしていたのである。
というわけで誰にとっても望ましいのはなるべく早い機会に交易の旅へ出向くコドリガにわたし自身クルーとして加わることに他ならなかった。
それゆえわたしは、それまでの期間をコドリガ乗りとしての技量をみがくいっぽう、この手記をしたためる事で過ごすことにしたのだ。幸い異邦人の使う「怪しげな」呪術的記号=文字にもこのところ村人たちは慣れてきたのか拒絶反応を示さなくなってきていたし、またそれを書き記す媒体として友人のひとりとしてゆずりうけていたナヤンの持ち物のひとつが運よく利用できることとなった。
わたしは書き上げたそれ−−陸生の貝の一種からとれるインクで古い帆布に書き記した巻物−−をオトネに託して行こうと思う。そう−−いまだに軽い身体のしびれは残っているものの、ディングの村人たちの親切な看護によって彼女は無事生命をとりとめたのである。
新しい旅にはどんな危険が待ちかまえているかわからない。わたしとともにこの記録が失われれば、この地で過ごした日々の記録がだれにも知られることなく消えてしまうだろう。だからこそそれをオトネにあづけ、いつの日かそれを読み、わたしの故郷に持ち帰ることができる旅人がイムカヒブの村を訪れる可能性に賭けよう思うのだ。
さてどんなものにも終わりは来る。長く書き続けてきたこの手記であるが、そろそろペンを置くべきだろうと思う。
もしあなたがこれを読み書きしるされた内容が理解できるのであれば、伏してお願いしたい。どうかこの手記をわが故郷へと運んでいただけないだろうか?
アーサー王国徴税監察官警護隊隊長 サミュエル・ゴールドブラット
あるいはイムカヒブ族戦士 ヒワ・サプル・エ=クサル・ノブジ
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