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左は、SFマガジン掲載時の「消滅の光輪」と『消滅の光輪』初版本他。
右は「映画を見ての記」(眉村卓著)。もちろん映画『僕と妻の1778の物語』を見てから書かれたエッセイです。
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左は、イラスト付き俳句四選。
右は、『不定期エスパー』(1~8巻)。 |
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左は、「眉村卓著書販売リスト」。入れ替えに当たって、以前には無かった手書きのPOPが貼られていますね。
右は、加子浦歴史文化館の西﨑さんに撮って頂いた今回のメンバーの集合写真です。西﨑さん、ご案内ありがとうございました。
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ここからは、「聖地巡礼」企画です。
本家加子浦歴史文化館の「聖地巡礼!?-作品の舞台をめぐるー」企画も、21日(土)に開催されました。右の石坪さんがこしらえて下さった《コース紹介》画像の道のりを歩きました。
左は、お昼を食べた「はましん」入り口」。
食事中に私が、奥さんはこういう活動に理解がありますか?と話を振ったら、みなさん理解のある奥方をお持ちみたいで、SFファンはこうあらねばと(笑)
食後、急に雨模様になって困惑しましたが、しばらく経つと止んだのでホッと一息。
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ヨータイの入り口まではタクシーで来ました。ここから歩きます。
←は、眉村先生が、かつて勤務されていた(株)ヨータイの全景。チェックの入っている右側の敷地だけではなく、その隣の写真の左側もヨータイの工場とのことです。ググったらそこそこの規模の会社のようで驚きました。大阪に本社があるのは小説の中に書かれてましたが、岡山にも日生の他に工場があるし。
右は、その近くの赤い鳥居?。眉村さんが勤務されていた頃からあったのかどうかは不明。ここから加子浦歴史文化館まで歩きました。
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左は、(株)ヨータイ近辺から望む「備前♡日生大橋」(備前市日生町と鹿久居島を結ぶ橋梁)
右は、ヨータイの寮があったのではないかとおぼしき場所。ヨータイという記名入りの小さな看板が立てかけられていましたのでヨータイ所有の土地であることは間違いなさそう。なお、私有地ですので、無断で立ち入りするのはご遠慮下さいとのことです。
追記:堀晃先生のHPに確認記事が載りました。
2023年10月26日(木)播州龍野/日生。ここは社員寮跡地で、寮があったのはもう少し北のようです。
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左、日生港と漁船。
右、日生を歩く一行。
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←、日生漁港。
→、行きつけのスナック「錦水」入り口(サインのある直ぐ下の扉)
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←、『夕焼けのかなた』収録の「峠」に出てくる「峠」はここではないかと推理した場所。あまり峠という感じはしないです。ヨータイから日生駅に向かう道路です。少し坂になってます。
→、日生駅側から同じ道路を見たところです。
正直、ここかどうかは不明(汗;)
追記:加子浦歴史文化館の西﨑さんから、この場所で間違いないですと確認を頂きました。
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巡礼後、しばしおしゃべりを楽しませて頂いたのですが、皆さん何らかの形でファンジンに携わっているので、その話題が。高齢化と人材不足は、老舗ファンクラブではどこでも同じなんですね(汗;)
若い世代のムーブメントは確かに起こってきているのですが、10年後20年後も続いていって欲しいものです。
喫茶店ならぬ、お好み焼きやさんでお茶をして(二人はビール)関西へ帰られるお三人さん。
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全部の謎が明かせたのではないので、また日生まで、「おいでま~せ~」の心でございます(笑)
加子浦歴史文化館さま、今回は故眉村卓先生を偲ぶ素晴らしい企画を実施して頂き誠にありがとうございました。また機会が出来ましたら、訪れてみたいと思います。
企画展「眉村卓と日生(ひなせ)ー没後5年、作家デビュー60年記念ー」レポート前編はこちらから→
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