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星間戦争

下巻:火星人占領下の地球
第2章 破壊された家で我々が目にしたもの(承前)

H. G. Wells / 中条卓訳

火星人襲来よりもずっと以前に、似非科学の領域ではそこそこ評判だったある空想的な作家が、人類の最終形態を予想してみせたことがあるのだが、その姿が現実の火星人のようすに似ていなくもなかったということは特筆に値しよう。私の記憶するところによれば彼の予言は1893年の11月だか12月だかに、廃刊になって久しいポール・モール・バジェット誌に掲載され、これも火星人襲来以前に出版されていたパンチという名の定期刊行物にその戯画が載ったはずだ。ばかげた、おちゃらけた調子ではあったが、彼はこんなふうに指摘していた:完全な機械装置が発明されればいずれ脚は不要になるし、完全な化学的装置は消化機能を代替し、頭髪や外に突き出た鼻や、歯や耳それにあごといった臓器は人間の基本的な部品ではなくなるだろう。来るべき時代にあっては自然淘汰の結果、これらの臓器は着実に矮小化していくであろう。必要不可欠なものとして残るのは脳だけである。他に身体の中で確実に残りそうなものはただひとつ、「脳の教師にして代理人たる」手である。身体の他の部分が縮んでいく一方で、手は次第に大きくなっていくだろう―

冗談から駒とはよく言ったもので、生物の動物的側面を知性によって抑圧していったまさにそのなれの果てがこの火星人だと言ってまず間違いない。思うに火星人の祖先は我々自身とそう大して変わらない存在だったのかも知れず、そこから身体の残りの部分を犠牲にしながら徐々に脳と手(ついにはふたつに束ねた精妙な触手になってしまったわけだが)を発達させてきた子孫が連中だったとしても不思議はない。身体というものがなかったならむろん脳は、人類にあってはその下層に存在する情緒を失い、単なる利己的な知性とならざるを得ないのだ。

火星人と我々のそれぞれをとりまく系には目立った違いがあるのだが、それはひょっとしたら取るに足らないことに見えるかも知れない。地球上で多くの疾病や苦痛を引き起こしている微生物というものが、火星すなわち火星人の衛生環境ではとっくの昔に絶滅されていて、以後まったく現れていないというのがその違いである。人間生活にはつきものの発熱や感染、消耗性疾患、癌や腫瘍といった病的状態が彼らの生活で問題となることはないのだ。ところで火星と地球における生活の違いについて触れるついでに、ここで赤い草のことに触れておこう。

あきらかに火星の植物界は、その主たる色彩が緑色ではなくて鮮血のような赤色であるらしかった。故意か偶然かいずれにせよ火星人たちが携えてきた種子から芽吹いたものはどれも赤色だったのである。しかしながら、地球上の植物との競争に打ち勝って地歩を築いたのは赤い草として知られるようになった植物だけだった。赤色のつる植物というのもあったが育ったのはほんのひとときのことで、ほとんど人目にふれることなく消えていった。だが赤い草の方はまたたく間に驚くべき勢いで繁茂した。我々が生き埋めになってから3日めか4日めには窪地の側面に広がり、そのサボテンのような枝が三角形の窓べりを洋紅色に縁取った。その後では国中に広がり、とりわけ水が流れているところならどこでも見かけられるようになった。

火星人の聴覚器官は頭部と一体化した胴体の背中にある単一の円い膜であるらしかった。彼らの視覚域は我々のそれとさほど変わりないようだが、フィリップによれば、青とすみれ色は連中には黒く見えるのだという。連中は音声および触手によるジェスチャーで意思を疎通していると信じられていた。これは例えば私がすでに述べた、有用ではあるがやや性急に作られすぎた感のある例の小冊子(どう見ても火星人の侵攻を目の当たりにした人間が書いたものとは思えないのだが)でも主張されていたことで、当時はこの小冊子が火星人に関する主な情報源だったのだ。彼らの行動を私ほどつぶさに観察し得た生存者はいなかったのだから無理もないが。これは私の手柄でも何でもなくて、我々を閉じこめるに至った例の事故のおかげだったのだ。私は幾度となく観察する機会に恵まれたのだが、4人か5人、ある時には6人もの火星人たちが一緒になって、大変に込み入った複雑な作業を声も立てずジェスチャーを交わすこともなくのろのろとこなしていくということがあった。確かに連中はホーホーという奇妙な音を立てることがあったが、これは常に摂食行動の前触れであった。音程には変化がみられなかったので、信号などではなく吸引に先だって空気を吐き出すときの音に過ぎないと私は信じている。私は心理学について少なくとも基礎的な知識を有しているつもりだが、この件に関するかぎり、火星人たちが物理的な媒介なしに思考を交わしていたに違いないと確信している。テレパシーなどというものには根強い先入観を抱いていたものだが、それにも関わらずこう信じざるを得ないのだ。火星人の侵攻以前には私がテレパシー理論を断固否定する立場だったことを覚えている読者もおられよう。

火星人たちは何も身にまとっていなかった。装飾や体裁といったことがらに関して我々とはまったく異なる考えを持っていたのであろう。彼らは気温の変化に鈍感であったのみならず、気圧の変化にもさしたる影響を受けなかったようである。彼らは衣服こそ着けていなかったが、その身体資源を人類よりもはるかに優勢なものとしていたのは別の人工的な付加物だった。我々は二輪車やローラースケート、リリエンタールの飛行機械、銃や杖といったものを発明してきたが、人類は火星人たちが歩んできた進化の道のりを考えるならまだほんのスタート地点にいるに過ぎなかった。彼らは言ってみれば単なる脳と化していたので、必要に応じて異なる身体をまとうことができたのである。我々が必要に応じて服を着替えたり、急いでいる時に自転車に乗ったり、雨が降ったら傘を差すようなものだ。そして連中の装備についていえば、およそあらゆる人間の道具の主たる特徴とも言うべき車輪を欠いているということが、我々にとって何よりも驚くべき事なのであった。彼らが地球に持ち込んだすべての物には車輪の痕跡すらなかった。いやしくも交通機関なら車輪がついていてしかるべきだと誰しも思うことだろう。だがこの地球上においても自然は決して車輪を生み出すことがなく、他の手段に頼ってきたということを忘れてはならない。火星人たちは車輪というものを知らなかった(信じがたいことだが)かあるいは使うのをやめてしまっただけでなく、彼らの用いる道具には相対的にであれ絶対的にであれ、回転運動をある平面内に限局する固定された回転軸というものがほとんどなかったのである。機械類のほぼすべての接合部は小さいが精妙に加工された摩擦ベアリングで支えられながら互いにスライドする複雑な部品でできていた。もっと詳しく言うと、彼らの機械から突き出た長いレバーはたいてい弾力のあるさやに包まれた多数の円盤から成る筋肉に似た仕掛けで動かされていた。これらの円盤は電流を通すと分極して互いに力強く引き寄せ合うのである。このようにして動物に似た奇妙な動き、人間から見るとあまりにも動物に似すぎていて困惑させられるような動きが生み出されるのだ。このような疑似筋肉は私が例のすきまから外をのぞいた時に円筒を解体していた、カニに似た操作機械にもたくさん使われていた。実際の火星人よりも操作機械の方がよっぽど生き生きとしていたわけだが、その火星人たちはといえば宇宙空間を横切るはるかな旅路のあとで夕陽を浴びながら機械の向こうに横たわってはあてどなく触手を振りつつあえぎ、弱々しくうごめいていたわけだ。

陽光の中で連中がゆっくりと動いているのを眺め、彼らの奇妙な形態を子細に観察していた私の袖を荒々しく引っ張るものがあったので、ようやく私は副牧師のことを思い出した。振り向くと彼は顔をしかめていた。無言ではあったが何を言いたいのかはよくわかった。自分でもそのすきまから外をのぞいて見たかったのだ。一度にひとりずつしか覗く事はできなかったので、私は観察をあきらめてしばらくそこを明け渡さなければならなかった。

ふたたび私が外を見たのは、忙しく立ち働く操作機械が円筒から取り出した機械部品のいくつかを自分自身とそっくりな形に組み立てたあとだった。左手の下の方にはこれも忙しそうに動く小さな掘削機械が現れ、緑色の蒸気をもうもうと噴き上げながら、整然としたやり方で窪地をぐるりと囲むように溝を掘っては堤を巡らしているのだった。こいつが規則的な打撃音を響かせ、リズミカルな衝撃を生み出しては我々の壊れかけた隠れ家を振動させ続けているのだった。そいつはピーピーあるいはシュッシュッという音を立てながら作業を続けていた。作業を監督する火星人の姿は見あたらず、それはひとりで勝手に動いているようだった。

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