桓崎 |
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いや、それは、人それぞれではないかと(笑)
たまたま、私はこの作品がツボに嵌ったのでそういう見方になるのですが、女性読者でも「それほどでも……」と言っておられる方もいますので、本当に、人それぞれだと思います。
〈女の狂気〉については、私は、外側と内側からの二重の視点を持って読みました。外側というのは、〈女の狂気〉を客観的な他者の目で見て恐れる視点、内側というのは、〈女の狂気〉を自分自身の目で見る――つまり自分の中にもあるに違いない同種の狂気をそこへ重ね合わせることによって、狂気を共感的に捉える・時にはある種の救いとして見る――そういう視点です。その視点の二重性、視点の拮抗や相克が、私にとっては、この本を読み進めてゆくうえでの大きな快感だったのです。
男性読者である雀部さんは、そのあたりのことをどう感じられたのでしょうか。女性の底なしの狂気に、純粋に、言いようのない不安や恐怖を覚えた、それゆえのホラー作品としての認識――が強かったのでしょうか。もしよろしかったら、そのあたりのことを、少し、お伺いしたいのですが。 |
雀部 |
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ホラーと言っても、色々ありますからねぇ。この本の中では、一番怖かったのは、DV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者とフリーライターが登場する「つぐない」という短編。このDV被害者の優しげな狂気は本当に怖いです。でも、これは女性でなくても成立しうる話ですけど、男の側からすれば、こういう女性は本当に怖いです。いわゆる現実感を持った怖さでしょうか。 |
桓崎 |
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これは私も非常に好きな一編です。怖い話ですよね。他の作品と比べると、狂気が、はっきりと外側を向いていますしね。
「つぐない」は、津和子の優しげな狂気自体も勿論怖いんですが、典恵自身の中にも見え隠れする別種の狂気――狂気という表現ではまずいかな、精神の危うさのようなもの――に私は興味があって、それが、DVの語り手―記録者という関係の中で、お互いを、強烈に引きつけてゆく怖さに惹かれました。 |
雀部 |
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典恵は結構自分勝手ですよね。自分だけの世界を作り上げているし。そういう思いこみの面では、津和子と似ているかも。
反対に「夜陰譚」のような純粋な幻想文学系の話は全然怖くないです。女の人は、本当にああいう風な変身願望があるんですか?
ま、怖くない一因として、アクリルってのは、歯科医が日常的に使うプラスチック素材でして、主な用途は義歯ですから、ちよっと現実に引き戻されちゃうてのもあります(笑) |
桓崎 |
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これは変身願望というよりも、人間の攻撃性を、ひと捻りした形で表現している作品ではないでしょうか。防御のふりをした攻撃とでも言うのかな。これは別に女性特有の行動ではなくて、この作品が、それを女性の側から描いた形になっているんだと思います。
私が特に印象に残った作品は、「つぐない」以外では、「白い手」「雪音」です。 |
雀部 |
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それから、この短編集に共通した特徴として、コンプレックスを持った女たちが主人公であるというのは言えませんか?
ブスを描くことによって「美」を際だたそうとする作者の意図なんでしょうか? |
桓崎 |
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女性というのは、年齢や外見に関係なく、いつまでも「美」への関心を失わない存在だと思うんです。いつも「もっと、もう少しだけ……」と上を目指す部分が自分の中のどこかにあって、そういう意味では、どんな女性も、その人が思い描く「完全な美」の前では劣った存在にならざるを得ませんよね。
これは何も外見のことだけを言っているのではなくて、精神的に美しくあろうとする場合でも同じことだと思うんです。「美を求め続ける」ということは、ある意味、いつまでも、何かが欠け続けた状態であるのだと。
自分の中の欠落した部分に気づき、それを埋めようと行動を起こした時、人はその道の選び方によって、幸せにもなるし、狂いもするのではないでしょうか。
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雀部 |
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なるほど。じゃ「美」への関心を失った人は女性であることを自ら放棄しているんでしょうね。で、「美」を追い続けることが女性の糧となり、様々な行動に駆り立てるエネルギーの源となっていると。 |
桓崎 |
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そこまで全てを決定しているとは思いませんが、女性について考える時、美は、一つのキーワードになっているんじゃないでしょうか。「美人の湯」は、それが端的に出た作品ですね。これほど劣った自分でもこの一瞬だけは……と思う主人公たちの気持ちが、切なくもあり滑稽でもあり――。「一秒一秒、煮出されていらっしゃい」という台詞が、これ以上ないぐらいに「女性的」で、『夜陰譚』という本の締め括りに、実に相応しいと思います。 |
雀部 |
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狂っていても幸せという情況もあり得ますね。「和服継承」とか「桜湯道成寺」に登場する女性は、ある面幸せではないかと思うのですが。 |
桓崎 |
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その通りです。私がこのレビューの最初のほうで、狂気を救いとして見ることもあると言ったのは、まさにそのような意味です。
男性の場合でも、何かにこだわって狂ってゆくという例はあると思うのですが、そういう時でも、場合によっては、幸せそうに見えることがあるのではないでしょうか? |
雀部 |
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男がこだわって狂っていくですか、う〜ん。男の場合、自分が狂うんじゃなくて、自分のこだわりを押し通そうとして、他人に迷惑をかけるというパターンのほうが多いような気がしますね。犯罪に走っちゃうとか。やはりこういうのも、狂っていると言って良いのかなぁ。まあ本懐を遂げたら本人は幸せなんでしょうけど(爆)
女の人は、そういう教育を受けてきた、又は社会からの圧力があるので、自分のなかで、こだわりを昇華しようとして精神に破綻をきたしちゃうのでしょうか。 |
桓崎 |
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こだわりの昇華と精神の破綻に、男女の性差が「どこまで」「どのような形で」影響しているのか(あるいは「していない」のか)は、私自身、もっと深く考えてみたいテーマです。今ここでスパッと回答するのは難しいので、雀部さんの言葉をヒントに、今後、自分の中で更に掘り下げてゆきたいと思っています。 |
雀部 |
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おおそれは!一読者として大いに期待してますよ〜。
今回は女性(女心)について大変勉強になりました(笑)
菅浩江さんファンのみならず、女性心理の綾をちょっとでも味わいたいという男性読者にもぜひ読んでいただきたい一冊だと思います。 |
桓崎 |
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こちらこそ、長時間おつき合い頂き、ありがとうございました。
女性作家が女性の心理を描いた本に関して、男性読者と話ができるのは大変貴重な体験ですし、ありがたいことだと思っています。そのきっかけとなってくれたこの本と、この場には、大変、感謝しています。 |