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BookReview

レビューア:[雀部]&[桓崎]

『夜陰譚』
> 菅浩江著/藤原ヨウコウ装画
> ISBN4-334-92342-9 C0093
> 光文社
> 1,600円
> 2001.10.25
収録作:
「夜陰譚」現実の自分の姿に絶望し、他のあるものに変わろうとする願望を持つ女性が、夜毎、不思議な空間に存在する電柱に傷をつけることによって変身していく。
「つぐない」ドメスティック・バイオレンスによって傷ついた女性を取材する女性ノンフィクション作家が陥った罠とは。
「蟷螂の月」常に姉に気を遣いながら生きている女性が思い描く幻想の世界。
「贈り物」リゾート地で知り合った姿の良い男からもらった人魚のうろこに隠された恐るべき秘密に気が付いたとき・・・
「和服継承」子供心にも色っぽいと感じた叔母の和服に秘められた秘密の力とは。
「白い手」冴えない職場の同僚にアドバイスを与え、一緒に仕事をしていくうちに、その女性は、生き生きと変わっていったのだが・・・
「桜湯道成寺」日本舞踊の家元に影で仕え取り仕切る老女の、一生一度の晴舞台に隠された哀話。
「雪音」部下を叱咤激励する女性起業家は、妥協する事が嫌いだったのだが・・・
「美人の湯」ブスを自称する女たちが温泉の中でくつろぎさらけ出した本音とは。

菅浩江先生初のホラー短編集

雀部 >  今月のブックレビューは、菅浩江先生初のホラー短編集ということなんですけど、今まででもホラーぽいものはありましたよね。
 日本ファンタジー系の『末枯れの花守り』とか、長編ミステリと銘打っているけど、私的にはホラーだと思っている『鬼女の都』とか。
桓崎 >  雀部さんが挙げておられる二冊はあいにく未読なのですが、私も「初の」というフレーズを聞いて、あれ?と思いました。今までにも何か無かったっけ?と。もともと、情緒的にぞくぞくっとさせられる作風をお持ちの作家さんだったので、いつホラーを書かれても不思議ではないと思っていましたし。
雀部 >  あ、“初の”というのは、私が勝手に付けたんで、この本の帯にそう書いてあるわけではありませんが、帯にホラーとか恐怖という字が踊っている本は、初めてだと思います。
 考えてみれば、『暁のビザンティラ』とか『メルサスの少年』などのファンタジーに分類されると思われるような作品も、SF的な骨格を持っていることが多いですからね、菅さんの場合。
 bk1の著者コメントでも、 ホラーの衣を纏うと<幻想文学>に近づけるのに気が付いたと書かれていますから、幻想文学の短編集でもあると言えるかも知れませんね。
 また「発表媒体のカラーによっては、なるべくホラーと呼んでもらえるように努力したものもあります。共通するのは〈闇の美学〉と〈女の狂気〉」とあるのですが、桓崎さんのご感想はどうでしたか?
桓崎 >  〈闇の美学〉と〈女の狂気〉というのは、確かにその通りだと思います。ただ、私はそれらの要素を、実直に「恐怖(=ホラー?)」というふうには捉えませんでした。
 むしろ、ある種の肌触りの良さというか、自分の中にもこういう要素があるなぁという一種の親近感に近いようなものを感じながら、ちょっと斜めに構えてブラックに笑う、あるいは、こっそり冷や汗を流す。そういう受け止め方をしました。
 ホラー作品として怖がるというよりも「懐かしくも禍々しい底なしの闇の世界に共振した」という感じに近いのです。これは私が、元々、幻想小説に愛着を持っている人間だからかもしれませんが。菅先生のコメントに出てくる泉鏡花と山尾悠子は、私も非常に好きな作家です。
雀部 >  う〜ん、私は同じ要素は自分の中には確認できなかった。やはり男だからだろうか(笑)

女の狂気

桓崎 >  いや、それは、人それぞれではないかと(笑)
 たまたま、私はこの作品がツボに嵌ったのでそういう見方になるのですが、女性読者でも「それほどでも……」と言っておられる方もいますので、本当に、人それぞれだと思います。

 〈女の狂気〉については、私は、外側と内側からの二重の視点を持って読みました。外側というのは、〈女の狂気〉を客観的な他者の目で見て恐れる視点、内側というのは、〈女の狂気〉を自分自身の目で見る――つまり自分の中にもあるに違いない同種の狂気をそこへ重ね合わせることによって、狂気を共感的に捉える・時にはある種の救いとして見る――そういう視点です。その視点の二重性、視点の拮抗や相克が、私にとっては、この本を読み進めてゆくうえでの大きな快感だったのです。

 男性読者である雀部さんは、そのあたりのことをどう感じられたのでしょうか。女性の底なしの狂気に、純粋に、言いようのない不安や恐怖を覚えた、それゆえのホラー作品としての認識――が強かったのでしょうか。もしよろしかったら、そのあたりのことを、少し、お伺いしたいのですが。
雀部 >  ホラーと言っても、色々ありますからねぇ。この本の中では、一番怖かったのは、DV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者とフリーライターが登場する「つぐない」という短編。このDV被害者の優しげな狂気は本当に怖いです。でも、これは女性でなくても成立しうる話ですけど、男の側からすれば、こういう女性は本当に怖いです。いわゆる現実感を持った怖さでしょうか。
桓崎 >  これは私も非常に好きな一編です。怖い話ですよね。他の作品と比べると、狂気が、はっきりと外側を向いていますしね。
 「つぐない」は、津和子の優しげな狂気自体も勿論怖いんですが、典恵自身の中にも見え隠れする別種の狂気――狂気という表現ではまずいかな、精神の危うさのようなもの――に私は興味があって、それが、DVの語り手―記録者という関係の中で、お互いを、強烈に引きつけてゆく怖さに惹かれました。
雀部 >  典恵は結構自分勝手ですよね。自分だけの世界を作り上げているし。そういう思いこみの面では、津和子と似ているかも。
 反対に「夜陰譚」のような純粋な幻想文学系の話は全然怖くないです。女の人は、本当にああいう風な変身願望があるんですか?
 ま、怖くない一因として、アクリルってのは、歯科医が日常的に使うプラスチック素材でして、主な用途は義歯ですから、ちよっと現実に引き戻されちゃうてのもあります(笑)
桓崎 >  これは変身願望というよりも、人間の攻撃性を、ひと捻りした形で表現している作品ではないでしょうか。防御のふりをした攻撃とでも言うのかな。これは別に女性特有の行動ではなくて、この作品が、それを女性の側から描いた形になっているんだと思います。

 私が特に印象に残った作品は、「つぐない」以外では、「白い手」「雪音」です。

文章にも色気がありますし

雀部 >  攻撃性ですか。それは気がつかなかったなぁ。
 あと、好きなのはやはり「桜湯道成寺」です。こういう“踊り”と“和装”が出てくる話は、菅さんの独壇場ですね。読んでいてなんかわくわくどきどきしちゃいます。私はだいたい和服を着た女性というと、映画の影響かもしれませんが“姉御肌”とか“気っぷがいい”とかいう方向にしか連想が働かない男なんです。でも、菅さんの小説に登場する和服を着た女性だと“たおやか”とか“儚げ”という感じで……文章にも色気がありますし。
桓崎 >  ほんと、色っぽいですよね。
 “踊り”“和装”とくると、菅先生の昔の作品で「お夏 清十郎」(早川書房/『雨の檻』に収録)というのがあって、私はこの作品を、オールタイムベストで選びたいぐらい好きなんですが、このあたりの雰囲気と、『夜陰譚』の諸作品の雰囲気は、好対照ですね。
 私は『雨の檻』の頃の雰囲気は勿論大好きなんですが、その一方で、女性作家にしか書けないあの暗い闇の世界、狂気の世界を菅先生の筆で読んでみたいなぁという気持ちがずっとあって、ですから『夜陰譚』が出た時には「来た来た来た!」(笑)という感じで大歓迎だったんですが、菅浩江=SF作家というイメージで読んできた読者は、今回の『夜陰譚』を、どんなふうに受け止めたんだろうなぁと思ったりもしました。
雀部 >  菅浩江さんの作品は、SFといっても、ハードじゃないし、なんせあの『メルサス』(註:『メルサスの少年〜螺旋の街の物語』)の作者でもあられますから、それほど違和感は無いのではないかと。
 あ〜、それから「お夏 清十郎」は、私も大好きな短編ですね。
 SFと芸術という面からすると『博物館惑星』と相通ずるものがあると思います。
桓崎 >  「お夏 清十郎」は美を作り出す側の話、『博物館惑星』は美を見い出す側の話。視点の位置が違うだけで、芸術に対する真摯な態度は同じですよね。

 あと「お夏 清十郎」には、恋という要素も入っているでしょう。あれがいいんですよね。愛しい男からあのシチュエーションで「踊って下さい、存分に」と言われたら、私だって「ああ、これでもう死んだっていいや」と思いますよ(笑) 『博物館惑星』の場合は夫婦の話だから、またちょっと違うんですけど。

女性の情念の深さ

雀部 >  死んでも良いですか〜(笑)ま、男だったら、芸のために死ぬのは厭わないというのはあるような気がします。あ、死んだらなんにもならないか^^;「芸のためなら女房も泣かす」の方かな(爆)
 芸に対するのめり込みとか、情愛については、どういう違いを感じられたでしょうか。
桓崎 >  のめり込みということでは、あまり差違は感じませんでした。孝弘(『博物館惑星』の主人公)たちは、ただの観客ではなく、プロとして、仕事として芸術と接しているわけですし。情愛については――恋は松明のように激しく燃え上がっているものだけど、夫婦間の愛情は炭火みたいなものでしょうか^^; 熱いというよりも、温かいもの。

 「お夏 清十郎」は、女性の情念の深さが魅力的に描かれた作品ですが、面白いことに、この作品にも「狂気」「狂乱」という言葉が頻繁に出てくるんですよね。
 でも、「お夏 清十郎」は、狂気という言葉の持つ暗さとは裏腹に、非常に感動的な話です。読んでいて、涙が滲んでくるほど美しさがある。それは多分、主人公の奈月が、芸に支えられていることによって、狂気に堕ちずに済んでいるからだと思うのです。狂乱の野を彷徨いながらも、彼女には、その情念を昇華してしまえる舞の世界がある。
 その支えが、とっぱらわれてしまっているのが『夜陰譚』じゃないかな、と。
雀部 >  そうですよね。芸術が身の支えというのは、よくわかりますね。天才芸術家と**は紙一重ですし(爆)
桓崎 >  『夜陰譚』では、主人公たちが心の支えにしている感情なり仕事なりが、救いにならず、むしろ、狂気を呼び込む装置として働いていたりしますよね。そういう部分が、随分、現代的というか、今の世相をよく映しているように感じました。『夜陰譚』は、そういう怖さがストレートに出た作品ですが、作者自身は、現代のリアルな日常の中で、奈月の持っていた「支え」を、あらたな形で見い出そうとしているような気がします。最近の他の作品を読んでいると、そんな感じがするんです。
雀部 >  『アイ・アム』とかも?
桓崎 >  そうですね。『アイ・アム』の主人公も、最初は自分の存在の意味を仕事に求めるんですが、自分は誰?という疑問を抱いた瞬間から、全てに空虚さを感じてしまう。そこから自分の「支え」を探す行為が始まるわけですが、結局、自分が誰かということはこの主人公にとって答にはならない。もう少し先へ進んで、自分が存在すること――そのこと自体に意味を見い出してゆく形になる。全てをとっぱらってしまった後に残るものが、他者の存在を受け止めることにも繋がってゆくという部分には、大変、共感を覚えます。

「美」を際だたそうとする作者の意図

雀部 >  それから、この短編集に共通した特徴として、コンプレックスを持った女たちが主人公であるというのは言えませんか?
 ブスを描くことによって「美」を際だたそうとする作者の意図なんでしょうか?
桓崎 >  女性というのは、年齢や外見に関係なく、いつまでも「美」への関心を失わない存在だと思うんです。いつも「もっと、もう少しだけ……」と上を目指す部分が自分の中のどこかにあって、そういう意味では、どんな女性も、その人が思い描く「完全な美」の前では劣った存在にならざるを得ませんよね。
 これは何も外見のことだけを言っているのではなくて、精神的に美しくあろうとする場合でも同じことだと思うんです。「美を求め続ける」ということは、ある意味、いつまでも、何かが欠け続けた状態であるのだと。

 自分の中の欠落した部分に気づき、それを埋めようと行動を起こした時、人はその道の選び方によって、幸せにもなるし、狂いもするのではないでしょうか。
雀部 >  なるほど。じゃ「美」への関心を失った人は女性であることを自ら放棄しているんでしょうね。で、「美」を追い続けることが女性の糧となり、様々な行動に駆り立てるエネルギーの源となっていると。
桓崎 >  そこまで全てを決定しているとは思いませんが、女性について考える時、美は、一つのキーワードになっているんじゃないでしょうか。「美人の湯」は、それが端的に出た作品ですね。これほど劣った自分でもこの一瞬だけは……と思う主人公たちの気持ちが、切なくもあり滑稽でもあり――。「一秒一秒、煮出されていらっしゃい」という台詞が、これ以上ないぐらいに「女性的」で、『夜陰譚』という本の締め括りに、実に相応しいと思います。
雀部 >  狂っていても幸せという情況もあり得ますね。「和服継承」とか「桜湯道成寺」に登場する女性は、ある面幸せではないかと思うのですが。
桓崎 >  その通りです。私がこのレビューの最初のほうで、狂気を救いとして見ることもあると言ったのは、まさにそのような意味です。
 男性の場合でも、何かにこだわって狂ってゆくという例はあると思うのですが、そういう時でも、場合によっては、幸せそうに見えることがあるのではないでしょうか?
雀部 >  男がこだわって狂っていくですか、う〜ん。男の場合、自分が狂うんじゃなくて、自分のこだわりを押し通そうとして、他人に迷惑をかけるというパターンのほうが多いような気がしますね。犯罪に走っちゃうとか。やはりこういうのも、狂っていると言って良いのかなぁ。まあ本懐を遂げたら本人は幸せなんでしょうけど(爆)
 女の人は、そういう教育を受けてきた、又は社会からの圧力があるので、自分のなかで、こだわりを昇華しようとして精神に破綻をきたしちゃうのでしょうか。
桓崎 >  こだわりの昇華と精神の破綻に、男女の性差が「どこまで」「どのような形で」影響しているのか(あるいは「していない」のか)は、私自身、もっと深く考えてみたいテーマです。今ここでスパッと回答するのは難しいので、雀部さんの言葉をヒントに、今後、自分の中で更に掘り下げてゆきたいと思っています。
雀部 >  おおそれは!一読者として大いに期待してますよ〜。
 今回は女性(女心)について大変勉強になりました(笑)
 菅浩江さんファンのみならず、女性心理の綾をちょっとでも味わいたいという男性読者にもぜひ読んでいただきたい一冊だと思います。
桓崎 >  こちらこそ、長時間おつき合い頂き、ありがとうございました。
 女性作家が女性の心理を描いた本に関して、男性読者と話ができるのは大変貴重な体験ですし、ありがたいことだと思っています。そのきっかけとなってくれたこの本と、この場には、大変、感謝しています。

>『博物館惑星』著者インタビュー
>『夜陰譚』bk1著者コメント

[雀部]
48歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。
ホームページは、http://www.sasabe.com/
[桓崎由梨]
 SF同人誌『ソリトン』同人。
 ※Anima Solaris でも活躍中!
 http://www.sf-fantasy.com/magazine/novelist/y-kanzaki.shtml

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