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BookReview

レビュアー:[雀部]&[栄村]

『ワン・ヒューマン・ミニット』
> スタニスワフ・レム著
> HBJ, New York 1985
「逆進化」が収録された短編集
「逆進化」粗筋:
 2105年に刊行された「21世紀の兵器システム;逆進化」の概要について書かれたもので、100年後の未来に刊行されるはずの本(?)の紹介です。架空の本の紹介ということで「完全なる真空」や「虚数」に近い作品です。書かれたのは、まだ米ソ冷戦が続いていた時代。故人となった学者が、どういう経路かわからないけれど、20世紀から21世紀にわたる兵器開発の歴史書を手に入れていた。そして、レム本人がそれを見て書いたという、法螺と真実が入りまじった手の込んだ設定にしています。

『砂漠の惑星』
> スタニスワフ・レム著/飯田規和訳/中原脩カバー
> ISBN 4-15-010273-2
> ハヤカワ文庫SF
> 320円
> 1977.12.15発行
 6年前に消息をたった宇宙巡洋艦コンドル号探索のため〈砂漠の惑星〉に降りたった無敵号が発見したものは、異星の地に傾いでそそりたつその船体だった。生存者の姿は見あたらない。船内が混乱を極めているにもかかわらず、不思議なことに攻撃を受けた形跡はなく、さまざまな防衛手段は手つかずのまま残されていた。果てしなく続く風紋、死と荒廃の風の吹き抜けていく奇怪な〈都市〉、偵察機を襲う〈黒雲〉、そして金属の〈植物〉――探険隊はテクノロジーを駆使して異星を探査したが……。

先々月号からの続き
栄村 >  人工頭脳学の創造者、ノーバート・ウィーナーにちなんで名をつけられたシリコバクター・ウィーナーという、蠅の卵より小さなソリッド・ステートの回路。ケイ酸塩、銀、そして秘密の成分を含んでいる溶液の中で造られ、大量生産の後には、ひとにぎりのトウモロコシ以上のコストはかからなくなってしまう。これによって軍隊組織は非生体のマイクロ・マシン化した部隊へと変化を始めるんだけれど、当初の変化は、それほども劇的なものではなかった。自動車の発明者がすぐには完全で新しいかたちを思いつかず、馬のいない荷車か四輪馬車に内燃機関を単純に置いただけのものや、飛行機を作ろうとして、鳥の翼に似たものを機械にくっつける発想をしたように、従来の枠組みというか、慣性的な思考からはすぐには逃れられなかったんだね。人工知能を搭載した戦車や、自己推進式のカノン砲は、この新しいテクノロジーに適応したものではなく、単に搭載したコンピューターによって制御されているコマンド・モジュールを減らしたり、兵器のサイズを小さくしただけのものだった。 しかし、OPECのカルテル形成と原油価格の高騰、そしてOPECの崩壊とオイル価格の突然の下落による経済危機が世界を襲い、輸送機やミサイル、トラック、戦車などの重装備品や重兵器、さらに空母や潜水艦にに燃料が行き渡らなくなり、各国の防衛機能が麻痺状態に陥いる事態が起こったあたりから、兵器の極小小型化の動きが加速化しはじめる。
雀部 >  現在でも原油価格は高騰しているわけですが。兵器の極小化に向かうかな(笑)
 小型化・極小化は本来なら日本人がもっとも得意とする分野なんですが、兵器は憲法との絡みもあって難しいでしょうね。
栄村 >  これは21世紀も後半、未来の話ですからねえ……。さすがに極小化は無理ですが、兵器の小型化は、対戦車ヘリなどの場合、被弾率を少なくして生存率を高める効果があるし、輸送面や有事の際のすばやい展開にも対応できるので技術的に研究されているんでしょう。核爆弾では、北朝鮮の場合、弾道ミサイルに搭載できるだけの小型化に成功するかどうかが、いま、深刻な問題になってます。また、ロシアではスーツ・ケース大の核爆弾がいくつか紛失したらしいというニュースが何年か前にありましたね。
 雀部さんのいらっしゃる医療分野では機器の小型化が進んでいるんでしょう。胃カメラなんて、チューブ付きじゃなくて、飲み込めるカプセル・サイズの物が開発されてますね。クラーク&ジェントリー・リーの『宇宙のランデヴー2』にでてきた「ハカマツ探針」みたいな、人間の血管の中を移動してさまざまな情報を集め、役目を終えたら自動的に分解、体に吸収されて害をなさないマイクロ・マシンはいつか実用化してほしいですね。でも、これは使おうと思えば証拠を残さない暗殺の方向で使えるか……。まあ、ディッキンソンの『エヴァが目ざめるとき』に出てくる登場人物のひとりじゃないけど、「血管の中に小さい虫どもがうじゃうじゃ入りこんで、追いかけっこしてた」というイメージが浮かんできて、多少、体がムズムズしてきますが……(笑)。

 ――じつはそれまで、情報理論の専門家とコンピューター科学者たちは何代も、コンピューターの中に人間の脳機能を模倣しようと苦心してたんだが、彼らはやがて獲物を見つけて神経毒で麻痺させ、卵を産みつけるジガバチや、ハチなど昆虫の本能―信じられないほど小さく、非常に信頼性が高いうえに、脳より百万倍単純なメカニズムに注目しだす。
 「エイリアン」のモデルにもなったけれど、アナバチ科のジガバチは、コオロギを見つけて、神経を麻痺させるだけで死なない毒を相手に刺す。砂に穴を掘り、湿気がなく、蟻が来ないかを確認してコオロギを中にひきずりこみ卵をその体に産みつける。作業を終えると、同じプロセスをくり返すために飛び去るが、その幼虫は、サナギに変わるまで、コオロギの生きている体を食べてゆく。ジガバチの信じられないほど小さな頭の中には、犠牲者の選択、状況への優れた対応能力、穴が卵に適した状態かを調べる管理能力、積極性、それらがすべて存在していた。別の見方をすれば、この昆虫の神経組織は港から遠い都市までトラックを運転したり、あるいは大陸を横断するミサイルを誘導するのに十分な能力を持っているのかもしれない。そして、ジガバチの一連の行動は、ただ神経系が完全に異なった仕事のために、自然の進化によってプログラムされただけのことなのかもしれなかった。研究者たちは、ジガバチやミツバチ、蜘蛛といった昆虫たちの神経構造に注目して、人工知能ではなく、知性よりほとんど10億年も早く現れた「本能」―それだけ人工知性よりも作ることが簡単だと彼らは考えたわけだが―をプログラムとしてシミュレートできないかと考え始める。
雀部 >  なるほど。『砂漠の惑星』の"黒雲"からは、昆虫ぽい感じを受けましたが、やはりアイデアは、そこから来ていたんですね。
栄村 >  それと彼らが昆虫に注目したのはもうひとつ、6500万年前、白亜紀と第三紀の間に直径10キロ、およそ3.5兆トン以上の質量を持った巨大隕石が地球に激突し、「核の冬」にも似た生物の大量絶滅を引き起こしたとき、「種」としてのシロアリやミツバチといった社会性のある昆虫が、ほとんど損なわれない形で生き残ったという事実だった。古生物学は次のことを物語っている。すなわち、小さなもの、あるいは昆虫の解剖学的構造と生理機能を持った小さな生き物が、もっとも容易に、もっとも大きな確率で、この破滅的な大変動を生き延びることができたということ、そして、同じように昆虫がより高等な動物、つまり脊椎動物より概して致命的な放射能の影響をうけにくいことが偶然とは考えられないということだった。全地球規模の核戦争を思わせる大隕石の激突は、大きい動物を尽く殺したけれど、昆虫には小さなダメージしかあたえず、バクテリアには手をふれなかった。ここから小ささそれ自体が、自然の猛威や核兵器が生み出す巨大な破壊的作用から無事に生き残るための一つのシステムではないかという結論が導きだされた。
雀部 >  単純なものが強いというのは、真理ですなぁ。
栄村 >  過酷な条件下で使われるものは、構造が単純で部品が少ないほど、故障する率が低く、信頼性が高くなりますからね。

 ――こうして作りだされたのが「シンセクト(synsect)」と呼ばれる人工の合成昆虫。ヒューマノイド・タイプではなく、空飛ぶ擬似膜翅(まくし)類の昆虫型マイクロ・ロボットを始め、さまざまなタイプがある。外見はセラミック性の極小甲殻類やチタン性の環形動物に似て鋭い針を持っており、内部には、これは後で用途が説明されるけれど核物質まで内蔵している。このロボットには自主性と集団性のふたつの特性が組み込まれている。単体で飛行しているシンセクトは、そっくりそのままミニチュアの飛行機、パイロット、さらにはミサイルにさえなる性質を持っているが、密集した群体になると、雲のような姿を形成したり、アリの縦隊や、微生物の波のような動きを見せて移動してゆく。
雀部 >  そこらあたりは、明らかに『砂漠の惑星』の発展形ですね。『カエアンの聖衣』にもそのアイデアは使われてました。
栄村 >  戦場では個々に散らばった状態で待ち伏せ、敵を探知するや、さまざまな方向から目標へ接近を開始する。あらかじめ戦略や戦術に従ってプログラムされていた統一体へと変化するために。シンセクトたちはおたがいに融合して、さまざまなタイプの戦闘マシンをつくりだすように、あらかじめマイクロ・マシンの製造ブロックで設計されていた。おかげで工場で戦車などの重兵器や自動小銃などの小火器が完成した形で生産され、前線まで貨車やトレーラーで輸送されるというプロセスは消えてしまった。そうした例のひとつが、シンセクトの雲が“自己結合”して作りだす“分散する核爆弾”だった。先にも話したとおり、シンセクトの体内には核物質が内蔵されていた。この時代、陸上、船、潜水艦から発射されるどんなミサイルも、宇宙空間に浮かぶ衛星からのレーザーによって破壊されたけれど、シンセクトが作りだす細かい粒子からなる巨大な雲は、限界質量のプルトニウムやウラニウムを運んでおり、目標として破壊することは非常に難しい。なぜなら、索敵の最中に、霧か塵か見分けがつかなくなり、途中で分散し消えてしまうからだった。
雀部 >  そ、それは正に爆発する本能を備えた核爆弾ではないかと。
栄村 >  シンセクトの大群に、たとえ核を使用したとしても、その効果は期待できない。地上にいるシンセクトは、核攻撃を受けた際、地面に深い穴を掘って潜み、核の炎であたりが焼き尽くされた後、激しい残留放射能の中で戦闘を再開する。たとえ放射線によって司令センターとの通信が断絶しようとも、各個には前もって設計者が自主性をプログラムしており、独自に戦闘を継続してゆく。さらに、雲のような姿で空中を移動するシンセクトは、核ミサイルでその雲のような群れに巨大な穴を穿つことはできるものの、後続のさらに多くのシンセクトによって穴は結局ふさがれてしまう。たとえ大量の熱核爆弾を爆発させ広大な戦場の地下まで焦がし、ガラス化させ、生命のない砂漠に変えようとも、一時間もすれば、あとに続く金属の雲が戦場の空をおおい、シンセクトの雨が降りはじめる。もうその頃には地上では攻撃グループの先遣隊が活動を始めている。
 極小兵器による侵攻は、敵の防衛システムを雨や雪よりも簡単に通り抜け、そして敵領土の奥深くに侵入することができる。雨や雪よりも、簡単に浸透を達成できるため、敵味方の境界線はもはや完全に消滅してしまった。戦場では、これらは塵や、花粉、ブヨ、あるいは水滴に模倣し、獲物を待ちうける。無論、その仮面の下には、腐食性か、あるいは致命的な作用を忍ばせているのだけれど……。これらの擬似昆虫のいくらかは銃弾のように人体を貫通し、数秒で生きているものすべてを死に追いやる能力を持っていた。もしこの自己誘導プログラムされた極小兵器に遭遇しようものなら、人には戦場を放棄して逃げる以外の選択肢は残されていない。その場にとどまれば、肉体は無数のシンセクトによって弾丸の雨に晒されたようになり、数秒で無惨な屍を晒すことになる。頑丈に装甲された兵員輸送車や戦車、航空機も、人間同様、これらの攻撃の前には無力だった。なぜなら、目に見えない細菌が体内に侵入して、中から細胞を破壊していくように、シンセクトは戦車や戦闘機にもぐり込んで、内部で“自己結合”を始め、触媒作用で部品を腐食させ、砲身、薬室、エンジンをつらぬき、火薬、燃料タンクにとりつき内側から爆破してしまうからだった。
雀部 >  ぎゃ。もはや無敵の兵器ですねえ。破壊することだけに限定すれば。
栄村 >  こうした直接攻撃型のシンセクトのほかに、戦場の気象条件をコントロールする目的で光学式システムを構成するタイプが存在した。作戦行動の必要に応じて、大きな気団の温度を変え、激しい雨や晴天を作りだしたり、所定のエリアに思いがけない温度変化を引き起こすために大量のエネルギーを吸収し、濃い霧や気温の逆転として知られている現象をも生じさせる。また、みずから凝集させてレーザー・ビームを作り出すシンセクトもいたが、これはやがて人間の砲兵隊に完全に取って代わってしまう。
 シンセクトがつくりだす疑似社会はハチの巣や蟻塚とは比較にならないほど複雑だった。その共同体の内部構造とシンセクト間の相互関係は、自然界に存在する進化的に均衡のとれた特殊な地域や生息地に見られる共生型の生態学的ユニット―敵意と共生が複雑な相互依存のネットワークをかたちづくっている植物と動物の「種」のピラミッド型社会―に非常によく似ていた。しかし、その全体像は―実際の作戦行動はおろか、単なる査察でも―大学の評議委員会の頭脳を持ってしても完全に掴みきれないほどの複雑さをそなえていた。もはや、軍の伍長あるいは下士官、将官であろうと、この存在を掌握して指揮することはできなかった。あまりにも複雑で、しかも人間の組織とは遠くかけ離れたものであるがゆえに。そして新しい兵器が新しい戦いの条件を規定し、その結果、新しい戦略と戦術は、両方とも完全に人間のものではなくなる事態がはじまる。
雀部 >  こういった防ぎようがない最終兵器は、敵味方の双方が開発しちゃうと手詰まりになりやすいんだけどそこらあたりについては?
栄村 >  どうでしょうか。 作戦の立案から実行まで、もはや人間以外のものが行っているのですから……。対立する二国間で、とめようのない大惨事がおこり、国が消滅したという話は書かれていないので、雀部さんのいわれるとおり、何らかの手詰まりがあったのかもしれませんね。

 ――ここでこの21世紀の歴史書につけられた「逆進化」というタイトルの意味が明かされる。地球上に最初に現れたものは単純な、微視的なシステムで、数十億年の時をかけて、ますます大きい生命体へと変化していったが、脱核化時代のミリタリー・エボリューションの中で、正確に反対のことが起こってしまった。すなわち極小小型化が。この時代の軍事専門家たちは、その新しいミリタリー・サイエンスを「逆進化」と呼ぶようになる。
雀部 >  より高度に複雑にという今までの兵器のあり方が百八十度転換しちゃうと。
栄村 >  いや、これはおそらく軍事専門家が皮肉ってつけたのでしょう。生存率を高める目的で極小化したものの、やはり内部にはより高度な技術が使われていますから……。兵器としてのあり方は変わっていないと思います。

 ――マイクロ・マシンによる陸軍はふたつの段階で発展した。最初の段階では、まだ人間によってマシンが設計され組み立てられていたけれど、次の段階では、人間が関わるのは設計、戦闘テストまで。後はマイクロ・マシンによる「建造大隊」によって大量生産がおこなわれるようになる。おかげで最初は軍事組織、次には武器産業から人間が追われるという事態が始まる。キャリアのある軍人たちはこれに抵抗するのだが、職を失った絶望から地下組織に身を落とす者も出てくる。でも、皮肉なことに、彼らは特定のゴキブリ―空気中のわずかな振動をも感知する毛を腹部に持ち、まったくの暗闇でも敵の接近を知り逃げることができた―をモデルに、諜報活動専門に作り上げられたマイクロ・マシンによって鎮圧されてしまう。
 ここに至って、人間の生み出した人工知性、シンセクト、マイクロ・マシンが、戦場のみならず政治や社会、諜報の世界(諜報機器は壁のクギやランドリーの洗剤にさえなりえた)にまで浸透しはじめ、人間が政治や軍事において人工知性の前に力を失った時点から事態は異様な展開を見せはじめる―これは後で詳しく説明するけれど、ひとことでいえば、シンセクトや微生物サイズのマイクロ・マシンの群れが人工知性によって巧妙に使われることによって、一国で起こった大きな災害が、ある意図のもと他国によって人工的に引き起こされた破壊活動か、あるいは純粋に自然が引きおこした災害かの判別がつかなくなり、世界中が疑心暗鬼の状態に飲み込まれてしまう事態が起こる。そして、その状況下では、自国が平和の状態にあるのか、戦争状態にあるのかという判断さえも人間にはつきにくいものになってしまう。
雀部 >  はいはい、いよいよ本筋ですね(笑)
栄村 >  実はこうした事態に陥る可能性はかなり前から始まっており、この架空の歴史書では20世紀の終わりに端を発する二つの例を紹介していた。そのひとつは、議会制の国々で起こった事態だった。これらの国の政治家たちは自分たちの国で起こっているすべての事柄―世界中で起こっている事は言うまでもなく―について、遅れずに理解してゆくことは困難だった。そこで彼らや党には専門のアドバイザーがついたものの、政党によってアドバイザーたちは、まったく異なった意見を口にした。やがて、助けとしてコンピューターシステムが導入されたものの、大衆が政治家がコンピューターの代弁者になっているのに気づいたのはかなり後のことだった。
 人々は政治家がコンピューターのメモリィによって与えられたデーターをベースにして独自の結論を描いたり、推論を行っていると考えたが、実際は、政治家はコンピューターセンターによって前もって処理された資料をもとに動いていた。それに資料自体も人間の判断によって決められていた。若干の混乱の期間を経て、多数党はアドバイザーたちが、いなくても支障のない単なる仲介者だと判断し、それから、各政党の本部にはメイン・コンピューターが置かれるようになった。21世紀後半、ある政党が力を得たとき、コンピューターは時として大臣級の意志決定を任され、民主主義国家における重要な役割は、プログラマーによって演じられるようになってしまった。しかし、それに大きな効果があるとは証明できず、民主主義が人工知能による支配形態になってしまった、と多くの者たちが警告した。政党のための選挙はまだ行われていたものの、どの政党も最善の経済計画よりも、社会悪と問題をすべて解決する可能性を秘めた優秀なコンピューターについて話していた。仮に二つの優れたコンピューターの出した答えが一致しない事態が起こった場合でも、最終決定は政府が下すと一般には知らされていた。しかし、実際に調停に立っていたのは、人間ではなくもう一台の別のコンピューターだった。
 もう一つの例はアメリカ軍内部で起こっていた分裂に象徴される、省庁間の対立に似た事柄だった。数十年の間、アメリカの陸海空の三軍は、彼ら自身の間で支配権の確立のために苦闘していた。それぞれが他の部門を犠牲にして、最も大きい軍の割り当て予算を得ようとしていた。三軍とも独自に司令部、セキュリティシステム、暗号、コンピューターを持ち、それぞれが政府がばらばらに壊れない程度に他の部門との絶対最小限の協力を保っていた。そして、政権の主な関心は、国家における政治体制と外交政策の運営の中で最小限の統一が維持されるよう注意を払うことだった。おかげで、アメリカ合衆国の実際の軍事力がどれくらいのものだったか誰も知らなかった。なぜなら、その力はホワイトハウスの報道官のスピーチ、あるいは対立する大統領候補者によって、一般大衆の前にはまったく違って示されたからだった。
雀部 >  ひょっとして、ここらあたりの描写はパロディなのかなぁ。いかにもありそうだ(笑)
栄村 >  軍事面にしろ、経済面にしろ、実際の力がどれくらいか、大衆にはなかなかつかめないというのは、どこの国でも同じでしょう(笑)

 ――人工知性による統治形態が、人間が運営する政治形態におきかわるにつれ、この混沌とした状況にはますます輪がかけられ、21世紀後半には悪魔でさえ理解に苦しむありさまになっていた。
 かつては自然現象と間違いなく判断できる明確な現象があった。けれど、いまや誰にもわからなかった。もし、その現象が誰かによって故意に引きおこされていたとしても。強い腐食力を持った酸性雨が送電線や工場の屋根を溶かしても、その雨が公害によって引きおこされたのか、敵国の破壊行為によって引きおこされたのか判断するのは不可能だった。家畜の病気は自然のものかあるいは人工のものか? ハリケーンの進路は偶然か、あるいは、微生物サイズの気象をコントロールするマイクロ・マシンの群体によってコントロールされたものか? 旱魃は自然発生したものか、あるいは、低気圧のコースを巧みに脇へそらせて、人工的に作られたものか? さらにそこには何者かの殺意が存在したのか……? これらの災禍は世界全体を脅かしていた。ある者は災害の痕跡から自然による要因のものだと考え、他の者は世界中に蔓延しているからと言う理由で確信を持っていた。なぜなら、今やすべての国々はどんなに遠く離れていてもシンセクトやマイクロ・マシンで自由に攻撃できる手段を持っており、いかなる破壊行為も行っていないと公式宣言をする間にもお互いの国同士で損害を与えている状況だった。かりに破壊活動を行っている最中に相手を捕まえたとしても尋問はできなかった。なぜならシンセクトと人工の微生物は口がきけなかったからだ。
雀部 >  いよいよ手詰まり状態ですね。さて、レム氏はどう結末をつけたのでしょうか。
栄村 >  戦争においても、実際のものとそれらしきものとの境界があいまいになり始めた。
 ある国では大衆に他国への敵意を抱かせるために、自国の領土の中で明らかに人工的な「自然の」大災害を作りだした。その結果、国民は政府による他国への非難を疑うことなく信じた。また、ある経済大国は人口過剰の低開発国に非常に安い価格で食料支援を申し出たが、その食料には性的能力を衰えさせる薬が添加されていた。いまや秘密の戦争が行われていた。そして、テクノロジーの進歩は、人間の生命を含むあらゆる領域で自然と人工との境界線を消し去ろうとしていた。この趨勢が近い将来、大惨事を引きおこすことは明らかだった―勝利も破壊も区別できず―世界は致命的な方向へと動き続けていた。
 光がブラックホールの中心にひきずりこまれ、重力の罠から逃れられないように、人類はテクノロジーの罠、みずから自身が作りだした罠に陥っていた。そしてその暗黒の穴の中心には相手に対する敵意が存在していた。新しい兵器に投資する決断は、政府、政治家、将官、企業の利権、圧力団体ではなく、常に増大する恐怖―誰かが最初に偶然に思いつく究極の利益を生みだす発見や技術といったものへの恐怖―が下していた。これは伝統的な政治を麻痺させ、サミットにおいても、政治家たちは交渉ができなかった。なぜなら、相手方の新しい兵器を放棄しようという自発的意志には別の思惑があり、彼らが別の兵器を所有しているのではないか、新しい兵器を隠し持っているのではないかということを暗に示していたからだった。
 さらにサミットである特定の決定が合意に達しても、交渉中に軍の根本的な刷新がおこなわれた場合、長い時間をかけて合意に達した平和を進める決議は、それがいかなる決定であっても、容認された瞬間に時代遅れのものになってしまう。「昨日」存在した何かについて「今日」決めた時、その決定は現在から過去にはたらき、それゆえに、無意味な政治的駆け引きになる。結局、21世紀の終わりに、新しいタイプの協定―人類の歴史で新しい時代を開いた合意―に世界の強国を押しこみ、破滅への歩みをとどめたのはこの認識だった……。
雀部 >  なるほど、限りなく進歩するテクノロジーに依存した戦争のジレンマですね。では、この合意で相互敵意やテクノロジーの罠というものから、人間は解放されたのでしょうか?
栄村 >  いや、この架空の歴史書が語っているのは21世紀の終わりまで。ひとつのテクノロジーのトラップから解き放たれたものの、人間の運命が永久にフライパンから火の中へ飛び込んでいくことを繰り返しているように、別の何かが22世紀に現れてきたらしいという記述で終わってます。ダンテの『神曲』なら、長かった地獄の第一圏目がやっと終わったと思ったら、さらにその下層の、第二圏目が眼の前に現れてきたところか……。
雀部 >  『神曲』は三部構成だから、あと二つ人類にとって大変な時代がつづいたりして(笑)
栄村 >  レムが「21世紀の兵器システム、もしくは『逆進化』」を執筆したのは1983年、ポーランド国内の不穏な政治情勢をさけて移り住んだ先の西ベルリンでした。この小説が書かれたのは、米ソ間の軍事バランスの緊張が高まり、その均衡が崩れたとき偶発的に戦争が勃発するのではないかといわれていた時期です。その後、冷戦はソ連崩壊で1991年に終わり、二国間による全面核戦争の危機は遠のいたものの、人はまた別のテクノロジーの罠、みずからが作りだした罠の中に陥ってしまったように思います。
 他国からの攻撃や侵略、天災といった緊迫した恐怖があるとき、国民は団結して政府の指示を仰ぐが、経済が発展して人々の知識が豊かになった場合、危機感はうすれ、国より特権をあたえられた集団はますます利益に貪欲になってゆく。人々は地球規模に広がったインターネットで、国の貿易収支、公定歩合、経済成長率、事件、事故、ありとあらゆる情報を手に入れ、どの株を売り、どの株を買った方が得かを考え、あらゆるものが投資と投機の対象になり、電脳空間に誕生した為替市場では貨幣を“自己増殖”させ、利益を極大化させることが唯一の目的となっています。
 その結果、ミヒャエル・エンデが書いていたが「西暦元年に1マルクを年6パーセントの複利で預金した人は、現在太陽4個分の金塊が買えるはずだが、毎日8時間労働した人では直径2.5メートルものにしかならない」(注)という、訳のわからないことがおこり、身近なところでは、雇用を派遣に切り替えることによって、経営効率が上がり、会社の利益がふえ、株の値と配当があがって、投資家が大金を手にする反面、失業者が増えて購買力が弱まり、物が売れなくなるという矛盾を抱え込んでしまいました。現在の“格差”や“労働環境をめぐる様々な問題”“家庭の崩壊”“自殺”“国力の衰退”など国の根幹を揺るがす多くの深刻な問題も、つまるところ、ここから出ているように思えて仕方ありません。さらに、経済のグローバル化でさまざまな国との経済的絆が強くなったものの、他方では、一国の経済が遠い他の国で起こる偶発的な紛争や災害による、投機マネーの大きな流れにおびやかされるようになってしまいました。
 レムがこの小説の終わりで「人間の運命が永久にフライパンから火の中へ飛び込んでいくことを繰り返しているように……」と書いていたけれど、人は冷戦終了後、また別のパンドラの箱を開けてしまい、未来を見通すことのできない混沌と混乱の中にいるのかもしれませんね。
    (注)「ハーメルンの死の舞踏 ミヒャエル・エンデ作 朝日新聞社刊」収録の「解説・子安美知子」より引用


[雀部]
SFファンには、ある意味『ソラリス』よりお薦めかも知れないのが、『砂漠の惑星』です。今回は、未訳の短篇の紹介ということで、もっぱら聞き役な私。あ〜、もすこし英語力があったなら(汗)
[栄村]
レムの30年来のファン。「砂漠の惑星」を読んだのが、SFに本格的に身を入れるきっかけとなりました。彼が亡くなる前に一度、ポーランドを訪れたかったのですが……。
生前、レムが言っていたように、インターネットで世界中から情報が入ってきて便利になる反面、駆けめぐる膨大な情報のために、ますます世の中は複雑化し全体像が掴みにくくなっているような気がします。彼のような広い知識と視野をもつSF作家は、これからますます生まれにくい状況になっているのかもしれませんね。

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