古典力学においては、どういう状態のときにその運動の状態が決定されたとすべきでしょうか。物体がどこにいるか、だけでは情報が足りません。どのぐらいの速さで移動してるかの情報も必要となります。つまり、ある時刻に物体がどこにいて(位置)、どのように動いているか(運動量)のふたつがわかってはじめてその運動が決定されたといえます。以前話しましたように運動量とは物体の質量と速度を掛けあわせたものです。
ところが、量子力学の世界では、この原則は成り立ちません。なぜならば位置と運動量を同時に測定することができないからなのです。
粒子の話として考えるとよくわからないのですが、波のこととして考えるとよくわかるかと思います。波はいろいろな周波数のサインカーブを足し合わせることで作ることができます。うまくその組み合わせを用意してやると、一カ所にかたまってるような波を作ることができます。 このとき、波の存在範囲は限定されますが、一方で波の周波数の取り得る値は広がります。逆に足し合わせる波の種類を減らして、周波数を限定してやります。すると、波は広がってしまって、もはや一カ所にとどまっていません。 波の存在範囲は位置の不確かさを意味して、周波数の取り得る範囲は運動量の不確かさを意味してます。
コンプトン散乱のところで光の運動量は光のエネルギーに関係してることを話しました。さらに光量子仮説のところでは、その光のエネルギーが光の周波数に関係してることも話しました。つまり、周波数と運動量は関係してきてるのです。
さて、位置の不確かさと運動量の不確かさのことは何を意味してるのでしょうか。これは位置を限定すると運動量がわからなくなってしまい、逆に運動量を限定すると位置がわからなくなってしまうということをあらわしてるのです。このことを波の不確定性原理といいます。
何度もこの連載のなかでくりかえしてますが、粒子が波の性質も持つというのが量子力学のキモです。
当然粒子の世界でも位置を確定しようとすると運動量が決まらなくなり、運動量を確定しようとすると位置が決まらなくなるということになります。これは古典的な意味での運動の確定ができないということに他なりません。
実際には位置の平均と運動量の平均は同時に確定することができます。ただ、その実際に取り得る値の不確かさが存在するということなのです。
このことはよく粒子の観測の問題として説明されます。
物を調べるにはどうすればいいかというと、まずは光を当てて、その反射してきた光を調べるということになると思います。光は少ないとはいっても普通の波と同じくまわりこみをおこしますので、あんまり小さな物体だと光が反射しないで通過していってしまいます。その場合、光の周波数を大きくしてエネルギーをあげてやれば解決します。どんどん小さな物体を調べるためにどんどん光の周波数を小さくしていきます。すると、あるスケールまでいくと物体が光ではじかれてしまうようになります。つまり、光が反射してきた瞬間にその物体がそこにいたことはわかるのですが、その後どのように運動してるかがわからなくなってしまうのです。これが位置と運動量(運動の状態)を同時に計測することができないということだと説明されます。
あるスケールと言いましたが、実際、原子の大きさ以下ぐらいのスケールにならないとこの不確定性はめだちません。そのため、大きなスケールの世界では位置と運動量が同時に確定されることになり、近似的に古典論がなりたつことになります。
ここで注意しなくてはいけないのは、不確定性は光がぶつかることが原因であるということではなくて、波の例で説明したように粒子の本質的な性質なのだということです。ともかく、位置と運動量が同時に確定できないのだということを憶えていてください。
相対論によると、空間と時間というのは常に組になって説明されます。同じように、運動量はエネルギーと組になって説明されます。空間(位置)と運動量の不確定があるということは、時間とエネルギーの間にも不確定性があるということになります。 これはどういう意味でしょうか。極短い時間を考えると、エネルギーの不確かさが大きくなります。その不確かさが粒子のエネルギー(質量)よりも大きくなると、その短い時間のあいだに粒子が存在しうるということになります。短い時間に限っていえば、なにもないところから物質が生じることになるのです。
不確定性原理こそは、波と粒子の二重性と並んで量子力学における重要な原理といえるのです。
|