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Author Interview

インタビューア:[雀部]&[三好]

*三好道夫さんの作品紹介*

前号インタビューより続く

雀部 >  今回はなんと、もうお一方インタビュアーをお願いしているのです。平谷さんの学ばれた大阪芸術大学で、後輩にあたられるイラストレータの三好道夫さんです。
 三好さんは、平谷さんと同じ学科同じゼミだったそうですが。
三好 >  芸術学部美術学科守谷ゼミというところで同じでした。
 というよりも、ゼミ選びの際に平谷さんにお伺いをたてて、決めた覚えがあります。
雀部 >  では、お互いに旧知という、著者インタビューとしてもユニークな企画となりましたが、よろしくお願いいたします。
三好 >  今回は妙な縁で雀部さんからおまけインタビューを依頼され、お受けする事になりました。何ぶんにもインタビュアーなど、初めての経験なのでいろいろと至らぬ点もあるかと思いますが、よろしくお願いします。
 平谷さんとはひとつ違いなので、同世代人としての立場から『SF作家:平谷美樹の出来るまで』ということで、その創作活動の原風景についてお尋ねしたいと思います。いささか抽象的ではありますが、平谷さんを含むある世代にとっての“SFとは何か”をあぶり出して行けたらいいなとは思っていますが、はたしてどうなる事やら‥。
 え〜っと、記憶違いがなければ、SFマガジンの創刊号が書店の店頭に並んでいた時、平谷さんはこの世に生を受けていますね。いや、すごい。で、私はその翌年生まれなのですが、丁度日本SFの商業的な誕生と歩みに人生が重なる、生まれながらのSF世代ということで、それより上の世代とも下の世代とも違う“状況的にSF環境に恵まれた世代”であると認識しているのですが、平谷さんはこの事にどのような印象をお持ちですか?
平谷 >   確かにSF環境は恵まれていたと思います。
 う〜ん。ウルトラQとかウルトラマンなどをSFとくくればですが。ぼくとしてはくくっておきたいと思うので、そういう観点で発言していきます。
 う〜ん。どうも据わりが悪いな。
 やはり平谷にとってSFとはなにかということをぼんやりとでも語っておかなければなりませんね。
 実は(三好くんは知っているのだけれど)大学時代まではSFピュアリストとでも名乗らなければならないほど、ぼくのSFの許容範囲は狭かった。スペースオペラはSFじゃないし、アイディアだけで書かれたSFはSF小説じゃなかった。
 だけど、今はかなり許容範囲が広がっています。自作に対する自己弁護ではないのだけれど(笑)。熱くなっている人たちを見ると冷めてくる性格だからかなぁ。
『作者にしろ読者にしろ、その作品をSFとして楽しんでいる人がいればSFでいいじゃん。SFとして楽しめなかった人間がとやかく言うことではない』と、思うようになっているのね。
 これは三好くんのおかげなんだよね。学生時代、マンガ研究会の連中が何人か集まって、たしか、性善説・性悪説についての話をしてたんだよなぁ。そこで三好くんが「世の中白か黒かではなくて、灰色というものもあると思うんです」って言ったのがずっと気持ちの中に残っていて、何かにつけてポンと頭の中に出てくる。
 そういうことがたびたびあって、許容範囲が広がったんだよね。
 と、いうことで「ぼくがSFと思うものがSFなのだ。他人がSFだと思うものもSFなのだ」というスタンスで語らせて頂きます(笑)。
三好 >  仰る通りですね。個人的には大学生ぐらいの頃、「SFとは何か」と問えばそれは明らかに場の問題でした。<好きなものを全て包含しうる器>としてのしたたかな“鵺的性格を持つSF”なるものについての<コミュニケーションの場>の獲得が大きかったと思う。丁度“あれもSF”“これもSF”の頃だったので質・量ともにあらゆるSFの代表的なものについて、あらまし目を通す事が出来た最後の世代かもしれないですね。SFの定義論争も盛んだったしね。各人がいろいろ目を通した上で、自分にとってのSFの定義を確認するために他者とのコミュニケーションも盛んだった。そのことで、大いに刺激を受けたし鍛えられたんだよね。自分の嗜好ないし指向性を明確に把握も出来た。それでも、各人の好みとは別にそうでないものも教養として読み込む事が可能な物量バランスだったんだと思う。上の世代はまだまだ物量が不足していてSFには飢えていただろうし‥。その分、ファースト・インプレッションのインパクトとそれに伴う推進力は目を見張るものがあったのだと思うけれども‥。後の世代の不幸は物量的に流されて、選択の自由がありそうで却って、選択肢そのものをあらかじめ奪われているような気がする事と全体像を把握するのが困難なんじゃないかと思う事。そういう意味で僕らは正に一番幸福な世代だったと感じますね。
平谷 >  そうですね。八十年代の半ばぐらいまでは幸せでしたね。それ以降はSFをほとんど読まなくなったからなんとも言えないんだけれど。
三好 >  先程、ウルトラQにウルトラマンの話が出ましたが‥‥個々の作品については世代間で当然意見は異なるだろうけども、やはり同じく元祖怪獣世代としては三つ子の魂云々と云うやつで、頭ではなく全身で堪能した体感的なSF認知の初期のモデルと思っています。“それら”を抜きにそもそも活字SFに行き着いたかどうかも不明な訳で、経験を共有する立場としては温度差はあるかもしれないけれど、SFにくくっておきたいのは、同感ですね。当時、50年代SFの名作群をズラリと並べられても、残念ながらSFマガジンやなんかの価値を正しく理解する知性はあるはずもないんだから仕方がない。発達段階の問題とかもあるんだしね。小説形態で科学と文学の融合したハイブロウなSFが趣味なんて5、6歳児がいたら、それこそウルトラQなんだけど、そういった意味で平谷さんにとってのSFとの出会いは何歳頃でそのメディアは何だったんでしょう?
平谷 >  ウルトラQはリアルタイムで見ました。ケムール人の歩き方を真似したり、製鉄所から出るクズの鉄の塊をガラダマにみたてたりしてあそんでましたなぁ。
 あの時代はSFアニメも多かったし、目にする《子供の娯楽》はSF色がすごく強かった。身近にごく普通にSFがあるっていう感じだったと思います。
 《荒唐無稽な発想を許容する素地》のようなものを得たのがこの時代なんだろうなと思います。
 しかし、都会はどうだったのか判らないけど、物心つく1960年代後半あたりは、東北はまだ貧しくて、欲しい物がすぐに手に入る現在とはまるで違っていた。つまり、荒唐無稽な空想世界とは別に、確固たる現実というものが存在したんだよね。
 もし、ぼくが現在子供だったら、空想の世界にだけ耽溺してしまう人間になっていたかも。
 と、いうことで《SFとの出会いについて何歳頃でそのメディアは何であるか》という質問への答は「リアルタイムで見たウルトラQ」と答えておきます。もっとも、当時SFとして意識していたわけではないけれど。

大学時代、自分はSF者だと思っていなかった。

三好 >  なるほど、そうですか。確かに当時の子供を取り巻くエンターテイメント環境はSF色が強かったかも‥時代ですかね。バックではまだその存在も知らなかった幼児期に、SFマガジンの国内的な啓蒙は着々と進行していた訳だから‥陰謀の臭いがするな(笑)。内外TVシリーズや映画、アニメ、漫画といったメディアの中の怪物やスーパーヒーロー達に心奪われ荒唐無稽な空想物語の虜でしたね、私は。それは確固たる現実が反語的に厳然と存在した事の証でもありますよ。
 ところで、平谷さんが最初に読んだ小説作品のタイトルと作家名(ジュブナイルと一般向けとは別々に)を教えて下さい。
平谷 >  これについては難しいな……。ジュブナイルは、小学校の図書館でたまたま手に取った海外SFの抄訳ものだったような気がします。宇宙船の中に宇宙生物が侵入してきて……というような話だったと思う。タイトルと作者は覚えていません。当時は少年探偵団シリーズの方が好きだったから。その小説はあまり当時のぼくの心の琴線に触れなかったから、続けてSFを読もうとは思わなかった。小学校時代に読んだSFで唯一タイトルを覚えているのが《ドウエル教授の首》かな。
 一般向けは、平井和正さん、小松左京さん、光瀬龍さんの作品のどれかじゃなかったかなぁ……。これもはっきりとは覚えていない。海外SFでなかったことは確か。
 一般向けのミステリーは覚えているんですがね。中学校に入って、ジュブナイルに少し不満を感じ始めた頃でした。江戸川乱歩の文庫の全集みたいなものが出て、少年探偵団シリーズがらみで読み始めたんです。その頃からポツポツと日本SFを読み始めています。
 あっ。今、思い出した。眉村卓さんの《燃える傾斜》!たぶん、これが一番最初に読んだ一般SFです。
三好 >  平谷さんと初めて会ったのは芸大に入学した79年の春で、当時同学内にはSF研もありながら、何故か漫研の部室でしたね。(笑)そのまま漫研に入り、平谷さんとはほとんどSF関連の話ばかりしていたように思います。(笑)
 70年代から80年代にかけて当時のSF状況はスターウォーズ公開と国産SF専門誌の創刊ラッシュ、TVアニメ機動戦士ガンダムのヒット、家庭用ビデオの普及、国産SF作家たちの、幻魔、グイン、太陽の世界などのマルペ化状況が華やかなりし頃で、そんな直中に青春時代を過ごし、それらの洗礼を受け、自らもSF関連の創作にいそしんでいましたよね。その当時の平谷さんの意識というか、SF者としての当時の気分みたいなものについてお聞かせください。
平谷 >  う〜ん。大学時代、自分はSF者だと思っていなかった。実は、現在でも怪しいんだけど……(笑)。
 ぼくが当時「面白い」と思ったものが、たまたまSFだったという感じですね。
 で、面白いものはすぐに真似したがるので、マンガやSFアートを描いたり、小説を書いたりしていたんです。それは、プラモデルを作ったり、フルスクラッチに挑戦したり、フライフィッシングにのめり込んで竿まで自作するようになってしまった、ぼくの別の面と同様で、ぼくの本質である《面白そうなことはとりあえずやってみる精神》の発露であったわけです。
 マンガ研究会に入ったのは、自分で創作する人たちが集まっている集団だったから。

ぼくは格好いいメカが描けない(笑)。

三好 >  平谷さんは当時から大変着実な多産家で、しかもその活動はマンガ・イラストレーション・小説の異なるメディア全般に及ぶ、驚異的なものでした。現在は最終的な選択として小説を選ばれたように思いますが、その当時からそうした判断の萌芽のようなものはあったのですか? 最終的に「小説を選択した」判断に至った経緯、またメディア観なども聞かせて下さい。
平谷 >  ぼくの創作の第1段階は、頭の中に映像が浮かんでくるというものです。これは、マンガにしてもイラストにしても小説にしても同じ。だから、一番自分のイメージをストレートに表現できるのは映画なんだけど、そんなものを造る金はない。だけどマンガだったらケント紙とペンと墨汁があれば描ける。スクリーントーン代を入れたとしても短編一本数百円でしょ? 
 だけど、それにも限界があった。ぼくは格好いいメカが描けない(笑)。そして、マンガの原稿一枚と小説の原稿一枚の制作時間の差。
 マンガの方が一枚の情報量はすごく多い。下描きをしている間に、頭の中ではどんどん話が進んでいく。「あっ待ってくれ!」と思いながら描くわけ。
 だけど、小説の方は頭の中に出てきたものを、わずかなタイムラグで文章にしていける。
 だから、小説を選んだんだと思います。う〜ん。あくまでも、しいて理由付けすればね。
 なぜイラストではなかったかというと、三好くんがいたからかな(笑)。あんな華麗な絵を描かれてはかなわない(笑)。まぁ、それも一因ではあるわけだけど、ぼくが描きたいのは《物語》であって、一瞬を切り取ったものではないということかな。
三好 >  当時(の記憶では)、映画「ハイランダー」や光瀬龍原作/萩尾望都作画のマンガ 「百億の昼と千億の夜」などがお気に入りであったと思いますが、その他にもあればお教え下さい。もちろん、小説についても。
平谷 >  《ハイランダー》が出てきたけど、ぼくがあれを観たのは結婚してからビデオで。当時なら《コナン・ザ・グレート》か《エクスカリバー》だと思う。
三好 >  あっ、失礼「エクスカリバー」でした。「ハイランダー」は社会人になってからでした。
平谷 >  そうでしょう。
 大学時代に観た映画で印象に残っているのはやっぱり《2001年宇宙の旅》と《カリオストロの城》かな。スターウォーズにはあまり燃えなかった。でも、あの映画に出てくるような宇宙船のモデルを造ってみたいとは思いました。
 小説は、半村良さんの“嘘”のうまさに引かれてましたね。当時は大宇宙が舞台になる壮大な物語よりも、現代を舞台にした小説に興味を持っていました。
 もちろん光瀬さんの《百億の昼と千億の夜》小松さんの《果てしなき流れの果てに》は目の前に立ちはだかる巨大な山塊であり、越えなければならない目標であると思っています。実は、当時から。
 その二作を読んだのは中学生の頃だと思うのだけれど、読了して本を閉じた瞬間『ちくしょう。こんな話を書きたいなぁ』と思ったことを覚えています。
 それから山田正紀さんの《神狩り》。これは大学時代、先輩からすすめられて読んだような記憶がありますが『ちくしょう。こんな話を書きたいなぁ』と思いましたね。
三好 >  ところで少し話を戻すけれども、平谷さんにSF者としての認識がなかったと云うのは興味深いですね。
 何を今更な気もするけれど、私はジャンルSFのカテゴリイで云う『ハードSF』に関しては、明らかに平谷さんの方が知悉しておられるのは疑いようもない事実であるにも拘らず、平谷さんとは逆にSF者としての自己認識を持っていたりします。どーもすいません。
 たぶん平谷さんが仰っているのは“ジャンルSF”の事だと思うのですが、<器としてのSF>に“なんでもあり”の風通しの良さを感じていた私の云う“SF者”なる言葉に誤解が入り込む余地があったなら御容赦下され。
 平谷さんが仰った『《荒唐無稽な発想を許容する素地》のようなもの』ならぬ《壮大なるその余地》の奥行きと懐の深さこそが私の思うSF概念そのものなので。つまりジャンルではなく<器としてのSF>。もっとも現在のSF状況がどのように変転推移してきたかについて必ずしも明るくないので、今もって私の思うようなSFなる概念が、有効であるかは不明なのですが‥‥。
 キングやマキャモンやF・P・ウィルスンのようなホラー作品が日本ではSFの括りに入りかねない内容である事を思えば、かつてSFの器に収まるかたちで作品の場を保持していた感さえある境界上のホラーやファンタジー、伝奇と云ったジャンルが、逆にこの20年程の間の状況変化に伴い、ボーダーSFのバリエーションの量産流通に、概念的“核”となる作品が皮肉にも埋没して衰微した日本SFを、独立した幻想文学やホラーの器の中に収めていくかたちで逆定義がなされてきているような気もしないのではないのですが、そのあたりについて既に「宝石」誌上でホラー作品「穢レ地」を発表され、先だって「百物語 実録怪談集」(ハルキ・ホラー文庫)も発売された事で新たにホラー作家の肩書きを獲得されそうな平谷さんとしてはどのようにお考えですか?
 浸透と拡散でSFはホラーやジャンルSFに吸収されながら発展解消していくのでしょうか? どう思われます?
平谷 >  ジャンルの感覚というのは、極めて個人的なものだと思います。他者と共有できるのはごく一部ではないですか?
 SFは巨大な許容量をもつ器だと思います。浸透も拡散もせず《未だそこにある》とも思っています。見る側によって、切り取りかたが異なるので、拡散して見えたり浸透して見えたりしているのではないでしょうか。
 ですから、ジャンルに関して他者と論争するのは愚の骨頂と思っています。
「わたしはこう思う。あなたはこう思う。両方とも間違ってはいない」というのが今のところのぼくの考え方です。
 もっとも、ぼくにしたところで毎日、その見方、切り取りかたが異なりますから明日は別のことを言っているかもしれませんが(笑)。
 SFは巨大な峰として《未だそこにある》。北壁しか登らない人は北壁しか見えない(笑)。だけどその人は確実に北壁を登っていることを知っているからSFを北壁側から語るわけです。ぼくはどこを登っているか判らない。だけど「たぶんここはSFという峰のはずだ」程度には判っている。今日は鞍部を歩いているかもしれないけれど、明日は尾根筋を歩いているかもしれない。まぁ、そういうことですかね。
三好 >  現在、作家としてのフリーハンドを維持しつつ、新たな分野へも少しずつ創作の幅を広げつつある段階だと思うのですが、そうした中で敢えて、「こういうものは書かないだろう」と言うようなモノはありますか?
平谷 >  ありますとも。リアルな学校モノはタブーですね。守秘義務に引っ掛かっちゃう(笑)。最新作の『君がいる風景』(朝日ソノラマ刊)は学校が舞台になっているけど、だいぶデフォルメしています。書きたいネタは山ほど有りますから、退職したら書くかもしれませんが。守秘義務に抵触しない程度に。
三好 >  なるほど、さすが教育者としての配慮がありますね。学園物は、SFに限らずジュヴナイルの必然的な王道ですし。“守秘義務”かぁ‥‥。舞台装置が普遍的日常そのものな分だけフィクションであっても平谷さんの場合、現実とのリンクが様々な憶測を呼ぶ? そう言えば師匠にあたられた光瀬龍先生も教師をなさっておいででしたね。たしか生物の先生だったように記憶しています。
平谷 >  そうですね。高校の生物の先生をなさっていたようです。執筆と教師との両立の難しさを色々聞かせていただきました。ぼくの場合よりもずっと苦労なさったようです。
 県によって異なるようですが、県職員で作家をなさっている方が《兼業の届け》をだしたという話を聞きました。ぼくも、《エンデュミオン・エンデュミオン》が出版されるとき、届けを出さなければならないかと校長に訊きました。しかし、『勤務時間外にしていることだから、趣味の延長』と言われて、届けを出さなくてもよかったのですけど。
 執筆上の苦労は、“名前”ですね。特に作品中の中学生の名前は教え子とかぶらないように気を遣います。“名”の方はたまにかぶったりしますが、“苗字”で調整します。

《お約束》のある物語は書き辛いですね。

三好 >  いろいろ細かい気苦労がおありのようですが、『君がいる風景』の話題に関連して、これまで発表された一般向けの作品とジュブナイルでは、執筆される上で何かご自身で意識された事や、ルールをお決めになると云ったような事が他にもあれば、教えて下さい。また、どちらが書きやすいですか?
平谷 >  一人称で書いてみました。今までの多視点と違って、主人公が見ていることだけしか描けないので、なかなか世界を広げられずに苦労しました。
 ルールですか? 厳密な科学設定をしない!(爆)
 時間テーマの小説ですが、科学設定を重視するよりも主人公の思いを重視した作品ですので、さらっと流しました。そこにツッコミを入れる無粋な人はいないと思いますが……。まぁ世の中、重箱の隅をつつきたい人はたくさんいますからね(笑)。中には文句を付けるために読んでいるフシのある方もいらっしゃる。自分に合わなければ読まなければいいのに(笑)。
 おっといけない余計なことまで言ってしまった……。
 執筆する上で意識したことでしたね。
 初期の少年ドラマシリーズの匂いが出るようにしました。そして、エンディングは後味よくまとめたいと考えました。初めてオマージュというものを意識して書きました。
三好 >  ふんふんふん。後は、今の読者にとって某国営放送“少年ドラマシリーズ”という言葉のもつ意味合いが了解出来ているかどうかは不明なれど‥‥こちらとしては、そういう世代なので同様の元少年少女にアピールするというのは分かりますねぇ。おじさんおばさん専用ジュヴナイル作家の肩書きが増えたりして‥‥(笑)。
平谷 >  《君がいる風景》で狙った読者層は、まさにそこかなと(笑)。20代後半、もしかすると30代前半から上かもしれませんね。派手なアクションやキャラ萌えの作品が多い中、よくこんな地味な作品を書かせてくれたと思っています。ありがたいです。すでにネットでは書評が出ていて、ラストの論理性に疑問出しがされていましたが、“そういうふうに読む小説”ではないので(笑)。素敵な物語に仕上がっていますので、三好くんも是非読むように(笑)。
三好 >  じゃ、衿を正して読ませていただきます(笑)。
 佐竹美保さんのカヴァーはいい雰囲気ですね。
 山田正紀さん、菊地秀行さん、朝松健さん(各先生とも、以降失礼ながら敬称略)といった日本作家以降、今では他の作家たちも当たり前のように書くようになった、クトゥルー神話ものやソーズ&ソーサリー物などの怪奇幻想系の作品にも関心があるように思いますが、具体的にそう言った注文があった場合、お書きになられますか? 
平谷 >  基本的に《お約束》のある物語は書き辛いですね。マニアの方ほど読んでいませんから、ここが違うあそこが違うと突っ込まれてしまうことを考え、自由に書けなくなってしまいそうで。基本的に「我が道を行く」つもりでいるのですが、まだ吹っ切れていないんです。それを承知で注文があればチャレンジしてみたい題材ではあります。
三好 >  山田正紀の「銀の弾丸」、菊地秀行の「妖神グルメ」、朝松健の「秘神黙示ネクロノーム」いずれも温度差はありますが《お約束》に縛られていては書けなかった作品だと思います。むしろその事が、かえって好印象でそれぞれ神話作品としては番外編としか言い様のない位置付けだと思いますが、極めて闊達に素材を料理しており、神話作品の賦活化振興に対する貢献度も大きく、関連作品全体の質的底上げを含め新鮮きわまりない活性剤としても重要な気がするのはスタンスの差かな?過去、神話作品の私物化を試みただけとしか言い様のない、アイデアもヘチマもない微笑ましい凡作のいかに多い事か。文句を言う訳ではないですが‥せっかくのコンセプトが勿体無い。要するに魅力的な素材を使うに相応しい刺激的な傑作意欲作が出来さえすれば、大概の読者は作品を通じて作家の対応やオリジナルに対する愛情といったものを正しく理解してもらえるんじゃないかな。平谷さんがこの分野でお書きになる物語を是非読んでみたいですね。ちなみに「妖神グルメ」は特にお薦めです。
平谷 >  でも、それは『お約束を熟知しつつ、新しいバリエーションを造り出す』という手法でしょ? それはとても難しいことだと思います。書いたものがオリジナルか、実はもう誰かが書いているかも判らない状態では《誰かが創作した設定》を利用するのはとても危険なことだと思うんです。
『すべての物語はすでに語られている』とは思うんですが、語られた《物語》を自分の口で語り直すのと、語られてしまった《クトゥルー》を知らずに語るのとはやはり、大きく違いますよね。
 ペリー・ローダンを読まずしてペリー・ローダンは書けない(笑)。二足の草鞋という現状から、《誰かが創作した設定》を勉強する時間を捻出できない状態ですから、もしやるとしても教職を辞してからになるでしょうね。
三好 >  気長にお待ち致しております。ホントだよ。

 大学生の頃、平谷さんの下宿にお邪魔した際に、伺わせていただいた藤原不比等の話や、第1部のみ読ませて頂いた未完の吸血鬼ものの「真紅の鏡像」(3部作だったかな?)などの長編伝奇の構想も、改めて本のかたちで読む事は出来るようになりますか?
平谷 >  『真紅の鏡像』はどこかで発表したいと思っています。テーマが「肉親への愛の形と復讐」というもので、当初、暗い・重い・救いがないという話だったのですが、ぼくは現在、救いのない話は書かないと決めているので、第三部がどういう形でまとめられるかと、頭の中で転がしている最中です。
 不比等の話はもしかすると光文社から九月刊行予定の伝奇ホラーに絡んでくるかもしれません。
三好 > 「百物語 実録怪談集」の中で触れておられる、平谷さんが書こうとすると奇禍を呼び込む、書いてはならない話の歴史上のある人物というのは、当面係累に難が及ばぬような状況になるまで封印されているとのことですけど‥不比等、違いますよね、九月刊行予定に絡むんでしょ。あ、いや、絡むかもしれないんであって当面、不明と云う事か‥?
「真紅の鏡像」はスティーブン・キングの「呪われた町」と、云ったところですか。アン・ライスの「ヴァンパイア・クロニクル」(海外版「ポーの一族」)の線かな?登場してくる吸血鬼がレスタトをなんとなく連想させたりしてるだけか‥あっちはなんだかマトリョーシカみたいな起源遡行から神に肉薄するような展開だとかどうとか。平谷さんとも共通項はいろいろありそうな‥ライスと云えば、お伽話にヤオイ加工したベストセラーもあるようで、平谷さんも色っぽいのを書いて荒稼ぎしてみるというのもあるんだろうか?
平谷 >  封印した物語については、そのうちお会いした時にでも。
 それから、色っぽいモノは駄目です。生徒も読むので(笑)。
 作家としての意識では《性》をテーマに書いてみたいと思ったりするのですが、やはりこれも教職を辞するまでは書けないでしょう。岩手の中学生は純朴なのです。
三好 >  和歌山の中年も純朴ですヨ(爆)。
 後、学生時代お描きになった長編SF漫画「ノアズ アーク」は確かまだ最終回は描かれていなかったように思うのですが、小説のかたちで完成される予定というのは、ありますか?
平谷 >  う〜む。古傷をえぐるようなご質問。(笑)
 『ノアズ アーク』はネタが古いですからね。あれは永遠にオクラではないかなと思います。思い出してしまった。あ〜恥ずかしい。
三好 >  『反逆のキラーサテライト』というのもあったな。
 こちらは完結済みでしたなぁ、うりゃうりゃっ!(棒でつつくまね)
 百部限定で単行本化して、SF大会で売って、暴利をむさぼりましょうぜ。
平谷 >  時航機を造って歴史改編をしなくては……(汗)。
 でも、こっちは君が描いたラフデッサンの原画を持ってたりするんだからね!
 ジョン・ウー監督お得意の、主人公と敵役が至近距離で拳銃を突きつけあっている図だな、こりゃあ。でも、こっちが持っている君のラフデッサンはとても素晴らしい作品なので、あまり威力がない……。
三好 >  ん〜〜〜〜っと。
 今年の4月の末に小松左京マガジンの関係の『小松先生と行く瀬戸内バスツアー』にカミさん共々参加しまして、その節にカミさんが小松先生が昔、モリミノル名義でお描きになられた漫画の復刻版を持ち込み、先生にサインをして頂いたんです。それも、<モリミノル>と<小松左京>両方のサインをお言葉も一筆添えて!
 しかも、その本、箱入りの初版本なんですが、箱が逆だか何だかのミスプリで(現在は修正版が既にでています)、考え様によってはスゴいプレミア本だったりするんではないかと。もちろん私もサイン頂いているんですけど小説本で、モリミノル名義は無い訳です。カミさん勝ち誇ったような顔しとりましたな‥‥(笑)。
 何が言いたいかと云うとですね、「永遠にオクラ」なんて勿体無い言葉はすぐに撤回して、将来70歳くらいになったら「平谷美樹マガジン」を出して、『東北バスツアー』を企画して、「幻の平谷美樹SF漫画集」という箱入りミスプリ版が出てる予定だから(笑)、1歳年下の上品そうなお年寄りがそれを持って、夫婦で参加した時に備えて、平谷美樹と未来(ミキ:平谷さんの漫画の時のPN)の2つの名義で、きちんとお言葉も添えてサイン出来るように改心すべきだと‥、まぁそういう事です(爆)。
『第1回小松左京賞』の受賞者としては、これが必然の王道なんではないかい(笑)。
平谷 >  ぼくの漫画作品は、少ないから単行本にはならないでしょう。
 でも、漫画を描きたいという衝動は今でも勃然として沸き上がることもあるから、時間が出来たら新作の執筆もあるかも(笑)。
三好 >  出た、爆弾発言! これをどうとるかは、編集者の器量次第かなぁ。怒る人もいるんだろうなぁ、ぼくの所為じゃないですう。平谷さんが自発的に仰いました〜(笑)。
 あ、でも〆切りに関して、時間厳守の平谷さんにしたら問題ないか。
 というわけで、フォローも無事済んだようで、エ〜、時間の話ですが現在、教師との二足のワラジで作家業を営むに当たり、1日の執筆時間、および時間帯についてお伺いします。
 また、1日あたりの平均的な原稿生産枚数など、差し支えなければ。
平谷 >  執筆時間は家に帰ってから午前一時くらいまでと、土曜日曜です。
 休みの日は一日80枚書けたこともあったのですが、現在はせいぜい50枚ですね。平日は全く書かない日もあったり、20枚くらい書く日もあったり。平均すると15、6枚というところですかね。

段ボールで何箱分だとか

三好 >  思い返せば、常にコンスタントに書き続けていたイメージのある平谷さんですが、果たしてデビュー前に一体どの程度の量の原稿をお書きになりましたか?
 例えば、段ボールで何箱分だとか、火○功先生(特に名を秘す)の何人分ぐらい、とか(笑)。
 また、作家を目指す人は、読者のパイが縮小傾向にあると云われる中、反比例するかのように拡大してきているとも言われていますが、その中でプロとして実際にデビューしてくることは今日かつて無い困難な倍率を勝ち抜いてきた事を意味すると思います。そうした経験を踏まえ、プロ作家を目指す人々にアドヴァイス出来る事はなんでしょうか?
平谷 >  デビュー前ですか……。そんなに書いてはいませんよ。書き始めは小学生ですから、そこから積み上げれば結構なものになるでしょうけど、社会人になって、新人賞に応募するようになってからを考えれば、400枚から800枚程度の長編は10本くらいかな。50枚ほどの短編も同数くらいじゃないかと思います。なにしろ、やりたいことがいっぱいあって、プラモデルにのめり込んでいた時期やアウトドアにのめり込んでいた時期などがありますから。光瀬龍氏が生前「岩手にSFを書く奴がいるんだけど、釣りにうつつをぬかして書かなくなっちゃった」と仰っていたそうで……。慚愧にたえません。
 それからアドヴァイスでしたね。
 とにかく、読むことと書くことでしょう。書きもしないで「プロ作家になりたい」と言う人が多いと聞いています。いわゆる《傾向と対策》は色々いわれていますが、ぼくがお薦めするのは「とにかく自分の好きなモノを書く」ことです。どの新人賞に出したらいいかは完成後に考えればいい。
三好 >  ちょっぴり、耳が痛いけれども、実践者の説得力のあるお言葉です。箴言かな?
平谷 >  ぼくたちはいい絵をたくさん見て、何百枚も石膏デッサンをして、デッサン力を磨いたじゃないですか。あれと同じですよ。(でもE・エドワーズという方の研究で右脳を活性化する方法が公表され、あの膨大なデッサンは遠回りでしかなかったということに気づいてしまったのですけれど……)
 書くことによって、読むことによってしか腕前は上がらない。小説界にもE・エドワーズみたいな人が出てきて、ぼくたちの全く気がつかなかった方法で小説の技法が上達する方法を見つけだしたら、また別ですが。
三好 >  う〜ん、落書きは随分したけれど、石膏デッサン自体はなぁ。僕は200枚もしてたらいいとこかな‥‥?
 それと、右脳活性化法ですか、不勉強なので言葉は聞いた事あるんですけど、その内実もエドワーズさんと云う人も残念ながら存じあげません‥‥そんな魔法のような方法があるんですか‥、正直、半信半疑かな???
 ところで、話変わって気になる同業者はおられますか? おられるとして国内外を問わず、その方のお名前と理由をお聞かせ下さい。(複数回答可)
 また、同業者以外の気になる方について、やはり国内外を問わずその方のお名前とジャンルと理由を。(同じく複数回答可)
平谷 >  う〜む。ぼくは新人ですので、全ての方が気になりますね。特に誰と言われても……。うん。「目指せSFの書けるスティーブン・キング」ですかね(爆)
 同業者以外では、浦沢直樹さんの作品がすごく気になっています。絵のうまさもさることながら、ストーリーテリングの妙は素晴らしい。
三好 >  嬉しいですね。こちらも夫婦揃って浦沢さんの「モンスター」を別々に全巻買い揃えた程のファンです。最終18巻なんて「なまえのないかいぶつ」の絵本付きがあるのを後から知って、2冊ずつ買ったものだから、今、家には最終巻が4冊もあったりする始末‥‥狭い家なのに‥(苦笑)。
平谷 >  浦沢さんの最近の作品ってキングの匂いがすると思いませんか? 人物の掘り下げや多視点からクライマックスに収斂していくスタイルなんかが。《二十世紀少年》なんかは《It》を思い出してしまう。
三好 >  なるほど、でもそれは、平谷さん自身も受け継いでこられているスタイルですね。

 私事で恐縮ですが、今秋、東宝系で劇場公開される“ガン&アクション”の国産オムニバス映画「キラーズ」の内1本で、弟が照明担当したのを記念して、宣伝がてらにお聞きします(エヘヘ)。
 平谷さん自身は「一番自分のイメージをストレートに表現出来るのは映画なんだけど、そんなものを造る金はない」と仰いましたが、もし仮に経済的な問題がクリア出来たとして、自ら小説ではなく、映画を造ると云う事はあり得ると思いますか?
 あるいはご自分の小説をベースに、外部から映画化の依頼が来た場合お受けになりますか? また、TVもしくは、市販映像ソフトとしてのミニシリーズ化については如何ですか?
平谷 >  映像化は興味があります。ただ、見るのは好きですが撮ったことはないので、自分で監督しようとは思いません。たとえ金があったとしても、監督のノウハウを覚える時間がもったいない。だから、どなたかが映像化した作品を「ちゃうねん。そこの映像はもっとこうやねん」とツッコミを入れながら自宅でビデオで見たいですね。
 映像化は、予算や監督さんの感性などいろいろなものが介入し、作品を良い意味でも悪い意味でも変形させていくものだと思います。だから、映像化された作品そのものは、もうぼくの作品ではなくなっているでしょう。でも、ぼく以外の人がどのようにイメージを膨らませるかというのにすごく興味がありますので、もし映像化の話があれば即、受けるでしょうね。
 本のカバーもそうです。ぼくは自分でも絵を描くけれど、他の人が描くぼくの作品世界というのがとても楽しみなんです。なので自分でカバーを描く気は失せてしまいました。昔は「小説もカバーも挿絵も自分で」と思っていたのですが(笑)。
三好 >  分かりました。私は大変物わかりのいいクチなので本については当面、様々なイラストレーターさんの仕事ぶりをお楽しみ下さい。そして70歳くらいになったら『幻の平谷美樹一人二役ヴィジュアル・ノヴェル集』と銘打って、代表作のために自ら絵筆を執ってカヴァー、口絵、挿し絵を新たにぷるぷると震える手で書き下ろし、巻頭巻末に過去のイラストやなんかを蔵出しして収録し、『平谷美樹と行く東北バスツアー』に参加してきた老夫婦のため‥(爆)
平谷 >  そうですね(苦笑)。考えておきます。
三好 >  同様に、かつて漫画アニメーション研究会の会長を務められた事を踏まえ、将来的に自著のアニメ化について依頼があればやってみたいと思われますか?
 さらに同様の漫画化の依頼、ないし漫画のための原作依頼があればやってみたいと思われますか? また、現時点で単行本化されていない短編も含めて、実現を希望する作品はありますか? あるとすればそのタイトルと、どういったクリエイターを希望するかも具体的に。
 個人的には浦沢直樹さんの描く「エリ・エリ」なんてのは面白いんじゃないかと思う。如何?
平谷 >  浦沢さんの「エリ・エリ」!かなうならば是非やってほしいですね!それから星野之宣さんの絵も好きだなぁ。基本的にデッサンがしっかりしている絵じゃないと駄目なんですよ。
 そうそう。三好くんが遅筆を克服しているなら、君にお願いしたい作品があります。小松左京マガジンに載せていただいた「ゆらぎの海」に出てくる吟遊詩人の物語。萩尾望都さんの絵のイメージで書いたのですが、君の絵柄がよく合うのではないかと思っています。もし、どこかであれの長編を書くときにはカバーやイラスト、やらない?
 でも、その前に遅筆を克服してね(笑)
三好 >  光栄です。世代が近いせいか、「ゆらぎの海」を読んでいる時、こちらも確かに萩尾望都さんの絵を連想したのでした。少し、驚き!
 そういえば、高寺彰彦さんの絵もお好きでしたね。松久由宇さん、雨宮慶太さん、前嶋重機さんなんかもしっかりした、いい絵を描きますよ〜。
 遅筆の件‥(汗っ)、今ふっと思い出したのだけど、昔、江口寿史さんの漫画にトーマス・ブラザーズだか何だか云う、とっても下品なのがあって‥。それ風に言うならば「そ・れ・だ・け・な・ら・ば・ま・だ・い・い・がっ!」(自爆)
平谷 >  それ! 覚えてます! 
 江口さんの描くカバー絵もいいですよね。矢作俊彦氏の単行本だったかな、とても素敵なイラストを描かれていました。
 三好くんは完璧主義者だから、自分が納得するまで編集者に作品を渡したくないのではないですか?
 って……。今度はぼくが《イラストレーター三好道夫》へのインタビューをしようかな(笑)。
 《ゆらぎの海》のイラストの話は本気なので考えておいてください。
三好 >  へへ〜、おありがとうござ〜い。(後悔するなよ−爆)

 「エリ・エリ」の装丁を担当なさった三浦均さんのカヴァ−オブジェは渋くて格好良いという事で当時、平谷さんは大変喜んでおられましたね。続編の「レスレクティオ」も同じ方の作でこちらは人物フィギュアも加わり、よりシャープに洗練された感じでした。
 で、同じフィギュア繋がりと云う訳で‥‥こちら、2年程前から夫婦揃って、海洋堂のチョコエッグに端を発した現在の食玩(お菓子のオマケ)ブームで一般的な認知を受けはじめている廉価・高精度のフィギュアに今では首までどっぷりの状態だったりします。(笑)これがまた、今日の日本のファンタジーアートシーンを語るにおいて、無視出来ないクォリティとモチーフの選択があると思います。AKIRAのミニビネッツやダーティペア・クロニクル(安彦イラストの再現精度は凄い、の一言)、食玩ではFFクリーチャーズに妖怪根付、テニエルの挿し絵を見事に再現してのけた人形の国のアリスやハリウッド御用達の海洋堂の十八番の恐竜もの等、まだ新参者の道楽夫婦には目も眩むばかりのラインナップです。そこで、SFアートやプラモデルにも造詣の深い平谷さんにも是非、一言頂かなくてはと、愚考する次第。この分野は発展するよね〜。
 きっと、平谷さん御夫妻も、お好きに違いないと思うのですが、そちらのお宅の食玩フィギュア状況は如何ですか?
(実はカミさんがトレードの相手を全国的に物色しているだけともいう−笑)
平谷 >  うううううう。見抜かれている。チョコエッグも妖怪根付も、グリコのおまけも集めてます……。困るんだよね。ああいうものが出てくると。すぐに造りたくなっちゃう。実際、東急ハンズからモデリングの素材を買い込んでいるので、やろうと思えばいつでもできるのだけれど、それをやっちゃうと小説が書けなくなる。
 トレード、妖怪根付の「かまいたち」ならいっぱいあるよ(爆)
三好 >  ありがたいことながら、“妖怪根付”すでにコンプリート済み。翡翠ヴァージョンも入手済みです。目下、“FFクリーチャーズ第2弾”残り5体といったところ。スレイプニルが格好良い! 第1弾もまだ抜けていますが‥‥ セブンイレブン限定商品だとかで、そちら、お近くにセブンイレブンはございますか?
 あ、そうだ“ユニヴァーサル モンスターズ”も“デモンズ クロニクル”もいいですよ。(シークレットのケルベロスが手に入らないよう〜。)
平谷 >  残念ながら、セブンイレブンは近くには無いですね。
 先日家内がついに《不思議の国のアリス》に手を出してしまいました……。
 ああ、立体作品が造りたくなってきた!
 ファンドっていう粘土がすごくいいんですよ。細かい皺の表現なんか容易にできるんです。フォルモかラドールで芯を造って、その上にコーティングするようにファンドで肉付けしていくと、次第にリアルな造形が現れてくる……。
 うううう。我慢がまん。
三好 >  旦那、我慢は身体に良くないですぜ(ヘッヘッヘ)。
 というわけで(真面目モード)、作家にとって日々のストレス発散は現実的で大変重大な問題だと思います。その点、平谷さんの趣味は極めて健全にバランスのとれたアウトドアのようですが、なかなか好きな釣りにも出掛けられなくなって久しいのではありませんか? だとしたら、現在の最も有効な気分転換法について、新しく何か代替になる良い方法は見つかりましたか?  それとも、強行組ですか? オフレコかな?(爆)
平谷 >  学校で仕事をすること(爆)。
 いや、冗談抜きで。学校の仕事と小説の仕事はまったく違うので、交互にやっていると、あまりストレスは感じません。釣りの方はあきらめがつきました。良い季節に集中して行って、あまり釣れない時期は執筆に専念します。
三好 >  予想もしなかった答えですが、言われて見ればナルホドと妙に納得。カミさんも横で「それはそう」とえらく共鳴しています。二人とも教員だものね、相通ずるものがあるわけだ。
平谷 >  教職も、執筆も、釣りも、絵を描くことも、単独だとストレスが発生しますが、組み合わせることによって巧い具合にストレス解消になるんですよ。
三好 >  さて、現在は作家平谷美樹の有能なセクレタリとしてサポート役であり、第1読者でもある奥様は、大学在学の当時から、社会人として様々な「小説コンテスト」における習作時代に至るまでも、平谷さんとは創作のあらゆる面で、強力な良きライヴァル関係にあった事を存じ上げています。
 そのことを踏まえた上での、現在の「作家 平谷美樹」とは存在自体が間接的にお二人の合作作品と言えなくもないかな? そう云えばお二人の直接的な合作(小説ではなく、漫画作品でしたが)と云うのも学生時代にはありましたね。
 もしかすると、短絡的で迷惑だとお叱りを受けるかも知れませんが、妄想を逞しくして、敢えてお伺いするなら将来的に“おしどり作家”が実現する可能性は残されていると思いますか?また、その上で、お二人の直接的な合作が再現される事があるとするなら、一読者としては、大いに感慨深いものがあるのですが‥‥、如何なものでしょうか?
 気が早すぎますかね? 先走りし過ぎでしょうか?
平谷 >  家内も作家を目指しています。地方の文学賞ですが、ぼくと同じ《北の文学》で賞をもらっています。
 ぼくの作品は家内との合作と言ってもいいと思います。読んだ後に、色々と示唆を与えてくれますし。その言葉のおかげで突破口を見いだすこともたびたびです。
 そのうちどこかからデビューするでしょうが、ペンネームを使っていますから、編集者以外は誰もぼくの家内と知ることはないでしょう。彼女はそういうデビューのしかたをするつもりらしいです。
三好 >  とても楽しみです。と云う事は、ペンネームは学生時代に使用されていたものとは別ということなのかな。う〜ん、これ以上は聞かない事にしましょう。

 今、奥様に何か一言だけ言葉をかけて差し上げるとしたら?
平谷 >  いつも苦労をかけてますからね。「おたがい、体を壊さないように頑張りましょう」ですかね。
三好 >  最後に読者に何か一言!
平谷 >  まだまだ未熟者ですが、一作毎にレベルアップをはかりたいと思っています。
 これからどんどん面白い物語を書き続けていきますので、よろしくお願いいたします。
三好 >  お忙しい中、ありがとうございました。
雀部 >  平谷さん、三好さん大変ありがとうございました。
 やはり他の方に担当していただくと、思いもよらない視点から話が展開するので面白いですね。これからのご活躍を期待しております。

[平谷美樹]
'60年、岩手県生まれ。大阪芸術大学卒。2000年『エンデュミオン エンデュミオン』で作家デビュー。同年『エリ・エリ』で第一回小松左京賞を受賞。本格SFの書き手として、もっとも期待されている作家である。
[雀部]
50歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。
ホームページは、http://www.sasabe.com/
[三好]
若干、ヤングアダルト向けのジュニアノベルでファンタジー物の挿絵を手掛ける

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