雀部 |
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なるほど、同一の時系列で進行はしてないのですね。
私は『エリ・エリ』の感想で“でも、実際のファーストコンタクトはこんなものかも知れないなという感想もある反面、もっとドラマチックな終わり方は出来なかったのかとも思います”って書いちゃったんですが、やはりこういう続編があったんですね(爆)
キリストの名前が出ましたが、『エンデュミオン』では集合無意識((C)ユング)の中でつくりだしてきた神を人間が切り捨ててしまうというアイデアが出てきますが、“人間が信仰を失うと、神も滅びる”というのは、ブラッドベリとかハインラインも作中で使ってますが、面白い一致ですね。
ところで、平谷さんはキリスト教に興味を持たれたのは、どういうきっかけからなのでしょうか?けっこうお詳しいようですが。 |
平谷 |
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『エリ・エリ』と『レスレクティオ』は本来一本の話でした。小松左京賞の締め切りや、当時のぼくの筆力から考えて『レスレクティオ』のパートまで書くのは無理だと判断して、あそこで切ってしまったんです。ぼくとしても忸怩たる思いはあったのですが……。ただ、今でも、もっと腕前が上がってから書きたかったとは思います。
でも、そんなことを言っていたらいつまでたっても書き出せない。「ええい! 当たって砕けろ!」……。ぼくが小説を書き出すのって、たいていそんな感じです。当たって砕け散った作品もありますが(笑)
それからキリスト……ですか。ごめんなさい。詳しくないんです。聖書を読んだり宗教の解説書を読んだりして、面白そうなエッセンスだけすくい上げてます。きっと、キリスト教を信仰なさっている方々は怒ってますよ。曲解もいいところだって。日本をよく知らない外国人の描く日本と同じぐらいに奇妙な解釈をしていると思います。
興味を持ったきっかけですか……。中学時代に見た映画『エクソシスト』からですか。原作も読みましたし、聖書を買ったのもその頃だったような気がします。
強烈に「これが知りたい」ということを感じた覚えは無いですけど、『エクソシスト』はオカルト映画じゃなくて宗教映画だと強く感じたことだけは覚えています。
それから、たぶん、日曜学校に通ったことのない日本人が聖書に触れたときに感じる違和感ってやつですかね。「こういう背景があるのですよ」って言われなければ、「なぜこんなことを?」と思う言動が多いじゃないですか。
それを予備知識のない日本人の頭でこね回していると、妙な物語が浮かび上がって来るんです。
それから……恥ずかしながら、ブラッドベリやハインラインはほとんど読んでいないんです。これから勉強します(笑) |
雀部 |
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いやぁそうなんですか、筆力ですねえ。私はてっきりキリスト教に関係している方かと思ってしまいました。まさか『エクソシスト』がきっかけとは(爆)
あちらの作品ですと、神が居るのはもとより当然ですから、それよりもブリッシュの『悪魔の星』に代表されるように人間の原罪とかの方向にベクトルが向いているように感じています。日本だと小松左京先生や山田正紀さん平谷さんのように神の存在自体をテーマに据えて書かれた作品が多いような気がしますね。
同月のSFマガジンに大森望さんによるインタビュー記事も掲載されているんですが、その中で“大きなテーマを扱うSFが80年代の後半ぐらいからあまり見当たらなくなって、一時日本SFから離れていた”という意味のことをおっしゃられているのですけど、なぜ海外SFを読まれようとは思われなかったのでしょうか。差し支えなければお教え下さい。 |
平谷 |
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当時は、翻訳ものが肌に合わなかったというのが理由でしょうか。
以前からハードボイルドや冒険小説も好きでしたので、日本もののそれらのジャンルをしばらく読んでいました。内藤陳さんの『読まずに死ねるか』などで紹介されている海外冒険小説も少しずつ読むようになりました。それで翻訳物に慣れて行ったという感じですかね。
そうするうちに早川からモダンホラー・セレクションが出ました。怖い話も好きでしたので、すぐに飛びつきました。最初に読んだのがデビッド・マレルの『トーテム』だったかなぁ。その後書きにスティーブン・キングの『呪われた町』に触れた部分があって、キングに飛びつきました。あとはもう、キングをどんどん漁りました。
あの頃は、SFはすっかり忘却の彼方でしたね。 |
雀部 |
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それは実に良いとこ取りですよ。恐いもの無しですね(爆)
『運河の果て』では、<選択>ということが大きなテーマになっていて、火星のモラトリアムという存在(ある年齢に達した時に男女の性を自ら決定できる)を描きながら、同時に地球外に住む人々に究極の選択を迫るという上手い構成になっていて感心したのですが、これは最初からのアイデアなのでしょうか。それともある程度書いていて出てきたのでしょうか。 |
平谷 |
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完成するまで気がつかなかった……と、言うと怒られてしまいますかね(笑)。実は、他人から指摘されるまでその大きな構造については意識していなかったのです。
最初は《火星の運河をナローボートで川下り》という単純な発想で設定を構築していったのですが、プロットを考えているうちに色々な〈選択〉が立ち現れてきました。それを組み立てて行ったらああなったという……。
「ぼくたちは選ばなければならない」ということだけは強く意識しながら書いていました。
日常は選択の連続ですからね。年齢を重ねるうちに、その選択はどんどん重いものになっていきますよね。ぼく自身の目の前に突きつけられた重大な選択。誰かに助けを求めたくて振り返っても、誰も居ない。そういう場面に直面するようになってきました。
もしかすると、自分の現状を物語として書いているのかも知れませんね。 |
雀部 |
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ん〜、ということはSF私小説ですね(笑)
『運河の果て』では、最先端の科学とナロウボートや運河に代表される古来からの伝承技術が上手く溶け合っていると思います。また同時に、火星の重力の小ささによる地球との違いを際だたせないことによって、主人公たちが小さい重力を当たり前のものとして受け止めている“火星人”であることが、言外に示唆されていたと思います。彼らがもはや“火星人”であるということが、クライマックスの決断に大きな感動を呼び起こすのですが、やはりこれも最初から狙われた設定なのでしょうか? |
平谷 |
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そう読みとってくださいましたか。ありがとうございます。意識的に火星の重力の小ささは描写を控えました。そこに生まれてそこに暮らす人は意識しないことですから。たとえば、岩手の空気や水がおいしいと感じるのは、外から来た人ですからね。
ところが、ちゃんと書かれていないと突っ込んで来る方がいらっしゃいまして。わたしたちだって1Gを意識して生活していないのにって、溜め息ついたことがあります。
《現火星人》たちの選択は、あまりに理想的すぎるかなと思いましたが……。本当ならもっとドロドロしたものが絡みあって、なかなか決着がつかなかったり、《現火星人》側の都合で事が進んでしまうだろうなと思います。
でも、わたしは、いくら甘いと言われても、原則として作品の中に“救い”や“希望”を残したいと思っています。
「最初から」と訊かれると首を傾げますが、事件の背後で起こっていることの見通しがついたときには、「もう結末はこれしかないだろう」と思っていました。 |
雀部 |
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やっぱ、SFは、理想が高くないとね。それと、それを実現するための“やせ我慢”。本当はちょっと違う安楽な道も選びたいんだけど、男ならこれっきゃないだろう!という(笑)
個人的には、救いと希望の無い物語は正直言って読み進めるのがしんどいし読み終えた後もどっと疲れてしまいますね。ディッシュの『人類皆殺し』なんかでも、なんでこんな話を書いたんだろうとブツブツ言いながら読んでいた記憶があります(爆)
そういう意味からは、『レスレクティオ』のエンディングには満足しています。キャラ的には、加寿美が出色だと思いました。最後に現れるカズミ・マリアの存在は、やはり"救い"でしょうね。 |
平谷 |
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『レスレクティオ』のラストに言及していただけると、嬉しくなります。あとがきにも書いたように、十六年同居した猫に死なれて、精神的に参ってしまったんですけれど、あのラストをより所にして、へこたれた自分にカツを入れたんです。
今までずっと、家内が第一読者だったんですが、家内が涙を流して読んでいたのは『レスレクティオ』のラストが初めてでしたね。
ああ、やっぱりSF私小説だなぁ(笑)。 |
雀部 |
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『レスレクティオ』も、個々の人間を語ることによって、宇宙の広大さをかいま見せてくれるのですが、元神父の榊和人や女戦士アッシュは存在感があるのに、イキッスィアのカァ(のダウンロードされた金属円筒)は存在感のかけらもありませんね。やはり純粋知性ということで、このような描き方になっているのでしょうか。それとも、血肉を持った知性体がより感情移入しやすいとお考えなのでしょうか。 |
平谷 |
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それをどうするかが、難しいところでした。
イキッスィアの最大の関心事は《自分たちの干渉による宇宙の存続は是か非か》ということですから、有機生命体がどこで何をしようと構わないわけです。たとえば、宇宙の秘密を解いて《憂鬱な神の座》にたどり着けば、それはそれでよし。『君たちは自力でここまでたどり着いた。さあ、これからどうする?』と訊くだけ。
もっとも、彼らは自分たち以外その高みに到達するとは思っていません。
また、外の世界に自分たち以上の存在を求めようとはしません。彼らは宇宙と共に自己完結しています。そういう存在を“人間味溢れた”描写で書くことはできません。
ただ、あまりにも非人間的に描いては、さらに感情移入できません。
我々の知っている世界ではない場所の住人たちを、我々が理解できる形で描かなければならない。それが『レスレクティオ』を書くための大きな障害でした。
科学設定ガチガチで異なる世界を描くのはぼくの手法ではないと思いました。だから、《汎用翻訳機》という小道具が出てきたわけです。
SFを普段読まない方にも読めるようにと頑張ったつもりなんですが、やっぱり「難しい」と言われてしまいました(笑) |
雀部 |
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一般には、やはり難しいんですね。う〜む。
ということは、クレメンタインが事故で《憂鬱な神の座》に同一化したのも、物語を読みやすくすると言う面においては必然なんですね。
あの《汎用翻訳機》のアイデアは感心したんですよ。最近では、AIがらみで、認識論の研究も進み、海外ではイーガン氏や日本でも瀬名さんの作品を始め北野安騎夫さんの『デヴィル・メサイア』とか清水義範さんの『銀河がこのようにあるために』など、臨死体験とか神・宗教を脳の働きに求めたり、“百聞は一見にしかず”と言いますが、実際にあるものと人間が見ているものは実は違うのかも知れない(脳が見せたいものだけを見せている)というアイデアの物語が増えてきた感じがしていました。それが、『レスレクティオ』では《汎用翻訳機》というSF的なガジェットの"一つ"として出てきたんで、唸ってしまったんですよ。
これからは、この《汎用翻訳機》というアイデア、広がりそうですね。 |
平谷 |
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そうですか? それは嬉しいな。ぼくはてっきり『そんな安直なもの使うな!』と怒られると思ってビクビクしていたんですよ。どういう原理なのか説明がないと怒ってらっしゃる方もいましたし(爆)。
雀部さんのお墨付きだから、ぼくも安心して使うことにします(笑)。
「脳が見せたいものだけを見ている」というのは、実はよく体験しているんです(笑)。実はぼく、たまにこの世ならぬモノを見てしまうので。で、一緒にいる家内や友人には見えない。まぁ、ただの錯覚・幻覚と言われればその通りかもしれないんですけど、自分に見えて他人に見えない(たまに複数で同じ物をみることもありますが)という状況は、やはり脳が造りだしているんだろうなと。そんなところから、《汎用翻訳機》っていう考え方はわりとすんなり出てきました。 |
雀部 |
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いや、私のお墨付きなんてそんな大したものではないかと(大笑)
全然人類に理解できない高次知性体というのもまた魅力的だと思うのですがどうでしょうか。古典では『ソラリスの陽のもとに』とか、最近ではスティーブン・バクスター氏の著作に出てくるジーリーとフォティーノ・バードの(人類などは眼中にない)戦いとかありますが(笑)
というのは、カァの考え方があまりに人間的であるように思えるのです。これは、純粋知性体といえども、機械知性にダウンロードされた状態では、そのマシンの性能限界に思考が左右されるということなのでしょうか。 |
平谷 |
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人類に理解できない高次知性体というのは、結局、クリーチャーになってしまいますよね。理解できる範囲で行動してくれないと、彼らの意図もこちらに伝わらない。
小説で描かれた《人類に理解できない高知性体》というものは、どんなものなのでしょう?
読者が『ああ、こいつはこういう意図を持っているのだ』と、科学などをキーワードに理解できるならば、それは《人類に理解できる高知性体》ですよね。
だから、カァを代表とするイキッスィアはわざと人間的に描きました。つまり、《レスレクティオ》そのものが《汎用翻訳機》を通して描かれているということです。 |
雀部 |
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なるほど。ポン(膝を打つ音)
《汎用翻訳機》というフィルターをとおして書かれた物語というわけですね、深いなあ。単なるSF的なガジェットとだけ思っていたらいけなかったんだ。そうすると"あれ"や"これ"も《汎用翻訳機》のなせる技という可能性が、こりゃもう一度読み返さないと(汗々) |
平谷 |
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え? “あれ”や“これ”ってなんだろう……。ドキドキ。 |
雀部 |
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人間にまったく理解できない存在を描くというのは確かに物語になりにくいですね。海外作品では、イーガン氏の『宇宙消失』のメインアイデアは、波動関数が収縮しなかったら(できないのが普遍的な状態だったら)そういう生命体(?)にとっては、"観測"することによって、波動関数を収縮させちゃう人類という存在は、すげーはた迷惑なものなんだというものでした。こういう生命体の活動意図なんかは、現象面から推測するしかないわけで、そもそも人類とは相容れないというかまるっきり異質だと思います。高知性体かどうかも、そもそも知性というものがあるかどうかもわからないですが(笑)当然人類側の視点からしか物語は進みませんが十分刺激的でした。 |
平谷 |
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『宇宙消失』は面白かったですね。
量子力学にはすごく惹かれます。数字の苦手なぼくでも“なんとなく”イメージできるっていうのが気に入っています(笑)。たぶん、そのイメージはすごく間違っていて、歪んでいると思いますけど、いいんです(爆)。
ペンローズなんかを拡大解釈するのが好きですね。そういうネタで何作か書いています。 |
雀部 |
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なんと。それは楽しみにしています。
ハードSFファン的には、存在と非存在の傾斜からエネルギーを得るという《存在力》のアイデアがとても良かったです。それでも、やはりエントロピーの呪縛からは逃れられなかったりして、設定のセンスに感心しました。このアイデアは、どこから得られたのでしょうか。差し支えなかったらお教え下さい。真空エネルギーあたりかなとも思ったのですが。 |
平谷 |
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え? ハードSF的に《存在力》ってアリですか? ああ、よかった。これも怒られるネタだなと思ってました(笑)。
真空のエネルギーは意識しました。すごく魅力的なエネルギー源ですよね。どうやって取り出すかは問題ですけどね。
《存在力傾斜》は、SFをあまり読まない人も、“位置エネルギー”ならイメージしやすいのではないかと思って“傾斜”という言葉と“転がるイメージ”を出してみたんです。
“あの宇宙の状態”を造るためには、とんでもないエネルギー源を設定しなければならなかったので、ちょっとしんどかったです。あとはネーミングですね。ぼくはネーミングが下手なんです。 |
雀部 |
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いやそんなことは無いと思いますよ。《存在力》もちょっといかがわしいけど、なんとなくイメージ出来るような気がするし、イキッスィアとかウォダも異国風の味が出ているし。まあアッシュというのは、私なんかは田中光二さんの『アッシュ―大宇宙の狼』をどうしても連想しますが、同じ戦士ということで問題はないですね(笑)
今回は、著者インタビューにお付き合いいただきありがとうございました。より平谷ワールドに対する理解が深まった気がいたします。
さて、今後の執筆予定などをお聞きしてもよろしいでしょうか。『エリ・エリ』『レスレクティオ』の二部作は、一応の完結を見たわけですが、インタビューのなかでも出てきた「イエスの残した石版の話」も当然お書きになられる予定なんですよね。またその他のご執筆予定についてもお知らせいただければ。 |
平谷 |
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たいへん楽しかったです。ハードSF研の方との対談ということだったので、最初は怯えてたんです(笑)。きついツッコミにそなえて、脇にブルーバックスを用意してました(爆)。
えー執筆予定というか、出版予定も含んでいいですか?
イロモノ! と言われるのを覚悟で『百物語』を書きました(笑)。ぼくやぼくの友人たちの体験談集です(笑)。春樹事務所から七月中頃に出ます。幽霊話や妖怪話をしてはいても、宗教的にはニュートラルですので、引かないでください(笑)。
それからソノラマ文庫から『君がいる風景』が七月下旬に出ます。少年ドラマシリーズ・テイストのSFです。
九月には光文社からホラー長編小説が出ます。編集さんは「SFファンは怒るでしょうね」と嬉しそうです。ぼくは怖いです(笑)。
十一月には早川書房のJコレクションから『ノルンの永い夢』が出ます。現代と過去の日本とドイツが舞台の時間SFです。
とりあえず、ここまでは原稿が出来上がって、校正も終わっているものや、現在手直し中のものです。
いま執筆中の作品は春樹事務所から来年の春に出る予定の超能力SFです。春樹事務所のHPでやっていたショートショートの連載の中から生まれたアイディアで進めています。もう一本、量子論がらみのSFを構想中です。
宇宙や遠未来はちょっとお休みで、現代を舞台にした作品が主になります。
おたずねの『イエスの石版の話』は、イスラエルとパレスチナの状態が少し落ち着かないと(落ち着くことがあるのかなぁ……)ちょっと取りかかれません。
とにかく面白い物語をどんどん書いていきたいです。SF、非SFに関わらず、面白い物語を。
兼業作家ですので、レベルを落とさずにコンスタントに書くというのはなかなか難しいですけど。
今後ともよろしくお願いいたします。 |
雀部 |
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それはたいへん楽しみです。とくに量子論がらみのSFヽ(^o^)丿
角川春樹事務所のホームページで書かれていたショートショート、拝見してました。
超能力ものは、これまた好きな題材ので、うれしいですね。
これからも刺激的な作品を期待しております。 |