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Author Interview

インタビューア:[雀部]

『レスレクティオ』
> 平谷美樹著
> ISBN 4-89456-937-X C0093
> 角川春樹事務所
> 1900円
> 2002.4.8発行
 自分では死んだと思っていたのだが、イキッスィア文明圏の交易惑星ロブで目覚めた榊は、円筒型機械にダウンロードされ本来は肉体を持たない純粋知性体カァに出会う。そして巨大な人工天体「サジタリウスACB」の出発点をたどる旅に出た。
 純粋情報にまで進化したイキッスィア文明と、彼らが啓蒙したものの見離した野蛮な征服者ウォダ文明とがせめぎあう殺伐とした世界を探訪する榊は、やがてかつての同僚だったクレメンタインと、カズミたちの存在を感じ取る。彼らはなぜここにいるのか、何のために生かされているのだろうか。
 地球とは段違いのテクノロジーが発展したイキッスィア文明の秘密を知るにつれて、なぜ彼らにとって野蛮な未開人に過ぎない地球人の自分が再生されたのか、謎はふかまるばかりだった。
 一方、ヴォダ星系の女戦士アッシュは、血で血を洗う戦いに明け暮れる毎日を過ごしながら、幻聴のように自分を呼ぶ声を聞く。地球人がモデルとされた戦士アッシュの本当の生い立ちとその目的は何なのだろうか。

 神とは?生きる目的とは?これらの根元的な問いかけに真っ正面から向き合った意欲作です。

平谷美樹先生のその他の著作

お手柔らかに。

雀部 >  今月の著者インタビューは、この四月に角川春樹事務所から『レスレクティオ』を上梓された平谷美樹さんです。平谷さんどうぞよろしくお願いいたします。
平谷 >  よろしくおねがいします。お手柔らかに。
雀部 >  よくお手柔らかにって言われるんですが、ハードSF研所員と書くからいけないのかなぁ(笑)
 他のご著作として『エンデュミオン エンデュミオン』『エリ・エリ』『運河の果て』があるのですが、これらの作品はアプローチの違いはあるにせよ、一連の物語世界に内包されると考えてよろしいのでしょうか。
 SFマガジン2001/7月号に掲載された「創世記の筺」は、あきらかに『エリ・エリ』と『レスレクティオ』を繋ぐ短編だと思いますが(番外編かな)
平谷 >  ぼくは科学知識がないものですから、ハードSFと言われると構えてしまうのですよ(笑)
 ぼくの作品群が一連の物語世界に内包されるか、というご質問でしたね。
 「創世記の筺」はそうですね。
 『エンデュミオン エンデュミオン』から『運河の果て』までは、とりあえず同じ世界の物語として考えていますが、厳密に年表を作ってというようなことはしていません。
 年代記的なものにも引かれるのですが、それにとらわれてしまうとなにかと不自由なので、「とりあえず同じ」程度に考えています。
 でも『エリ・エリ』や『運河の果て』の地球にはまだ月がありますけど(笑)。
 『エリ・エリ』では「月面での原因不明の事故」というのがでてきます。でも月は遠ざかっていない。微妙に異なる未来です。
 物語を造りあげていく上で「どうしてもこの年から話を始めなければならない」という設定上の都合が出てくる場合があります。これから『運河の果て』の時代以前に、地球が滅亡してしまう話を書くことになるかもしれません。そんなときに、年表に拘ってしまうと物語そのものが成立しなくなってしまいます。
 一つの物語を核として、色々な物語が派生していく形として描くこともあると思います。『エリ・エリ』にはまだ「イエスの残した石版の話」が残っています。それらは「一連の物語世界に内包される」話になります。

“人間が信仰を失うと、神も滅びる”

雀部 >  なるほど、同一の時系列で進行はしてないのですね。
 私は『エリ・エリ』の感想で“でも、実際のファーストコンタクトはこんなものかも知れないなという感想もある反面、もっとドラマチックな終わり方は出来なかったのかとも思います”って書いちゃったんですが、やはりこういう続編があったんですね(爆)
 キリストの名前が出ましたが、『エンデュミオン』では集合無意識((C)ユング)の中でつくりだしてきた神を人間が切り捨ててしまうというアイデアが出てきますが、“人間が信仰を失うと、神も滅びる”というのは、ブラッドベリとかハインラインも作中で使ってますが、面白い一致ですね。
 ところで、平谷さんはキリスト教に興味を持たれたのは、どういうきっかけからなのでしょうか?けっこうお詳しいようですが。
平谷 >  『エリ・エリ』と『レスレクティオ』は本来一本の話でした。小松左京賞の締め切りや、当時のぼくの筆力から考えて『レスレクティオ』のパートまで書くのは無理だと判断して、あそこで切ってしまったんです。ぼくとしても忸怩たる思いはあったのですが……。ただ、今でも、もっと腕前が上がってから書きたかったとは思います。 でも、そんなことを言っていたらいつまでたっても書き出せない。「ええい! 当たって砕けろ!」……。ぼくが小説を書き出すのって、たいていそんな感じです。当たって砕け散った作品もありますが(笑)
 それからキリスト……ですか。ごめんなさい。詳しくないんです。聖書を読んだり宗教の解説書を読んだりして、面白そうなエッセンスだけすくい上げてます。きっと、キリスト教を信仰なさっている方々は怒ってますよ。曲解もいいところだって。日本をよく知らない外国人の描く日本と同じぐらいに奇妙な解釈をしていると思います。
 興味を持ったきっかけですか……。中学時代に見た映画『エクソシスト』からですか。原作も読みましたし、聖書を買ったのもその頃だったような気がします。
 強烈に「これが知りたい」ということを感じた覚えは無いですけど、『エクソシスト』はオカルト映画じゃなくて宗教映画だと強く感じたことだけは覚えています。
 それから、たぶん、日曜学校に通ったことのない日本人が聖書に触れたときに感じる違和感ってやつですかね。「こういう背景があるのですよ」って言われなければ、「なぜこんなことを?」と思う言動が多いじゃないですか。
 それを予備知識のない日本人の頭でこね回していると、妙な物語が浮かび上がって来るんです。
 それから……恥ずかしながら、ブラッドベリやハインラインはほとんど読んでいないんです。これから勉強します(笑)
雀部 >  いやぁそうなんですか、筆力ですねえ。私はてっきりキリスト教に関係している方かと思ってしまいました。まさか『エクソシスト』がきっかけとは(爆)
 あちらの作品ですと、神が居るのはもとより当然ですから、それよりもブリッシュの『悪魔の星』に代表されるように人間の原罪とかの方向にベクトルが向いているように感じています。日本だと小松左京先生や山田正紀さん平谷さんのように神の存在自体をテーマに据えて書かれた作品が多いような気がしますね。
 同月のSFマガジンに大森望さんによるインタビュー記事も掲載されているんですが、その中で“大きなテーマを扱うSFが80年代の後半ぐらいからあまり見当たらなくなって、一時日本SFから離れていた”という意味のことをおっしゃられているのですけど、なぜ海外SFを読まれようとは思われなかったのでしょうか。差し支えなければお教え下さい。
平谷 >  当時は、翻訳ものが肌に合わなかったというのが理由でしょうか。
 以前からハードボイルドや冒険小説も好きでしたので、日本もののそれらのジャンルをしばらく読んでいました。内藤陳さんの『読まずに死ねるか』などで紹介されている海外冒険小説も少しずつ読むようになりました。それで翻訳物に慣れて行ったという感じですかね。
 そうするうちに早川からモダンホラー・セレクションが出ました。怖い話も好きでしたので、すぐに飛びつきました。最初に読んだのがデビッド・マレルの『トーテム』だったかなぁ。その後書きにスティーブン・キングの『呪われた町』に触れた部分があって、キングに飛びつきました。あとはもう、キングをどんどん漁りました。
 あの頃は、SFはすっかり忘却の彼方でしたね。

ストーリーテラーはぼくの目標です

雀部 >  キング氏はストーリーテリングは本当に上手いですよね。SFとしては破綻してますが(笑)キング氏の影響を受けた部分というのは、おありになるでしょうか?著作を読ませて頂いた限りではあまり気がつかなかったんですけど。
平谷 >  ええ。SFは破綻してますね。ぼくのもそうかもしれない……(汗)
 ただ、キングの描く人物や風景、事物へのこだわりがすごく好きなんです。で、ひところ饒舌文体に陥っていました。
 それから脇役の老人たち(笑)味のある老人がたくさんでてくるでしょう?
 あれが凄く好きです。
雀部 >  あ、なるほどそうですね。『エリ・エリ』でいうと佐々木沙弥という老婆が存在感がありました。関係ないですけど、いまは洒落た名前を付けるのが流行っているので、将来はこういう名前のお祖母ちゃんが増殖するに違いないと感心しながら読んでいました(笑)
平谷 >  そうなんですよ。生徒の名前を見ても、実にお洒落。現在はお婆さんお爺さんって、いかにも時代を感じさせるお名前の方が多いんですが、未来のお爺さんお婆さんは、お洒落な名前ばかりになるでしょうね。だから、“名前から人物の印象を連想させる”という小技が使いづらくなりますね。
雀部 >  将来、**子とかいう名前が若い子を感じさせる時代になったりして(笑)
 そう言えば『エンデュミオン エンデュミオン』には饒舌さを感じました。
平谷 >  最近は、できるだけ書き込みを少なくするように心がけているのですが、まだ自分の文体としてしっくりと身についていない感じはあります。
 ストーリーテラーはぼくの目標です。「だんな。面白い話がありますぜ」って、街角で袖を引いて、見ず知らずの人を物語の世界に引き込めたら最高だなぁ。

横殴りの雨が降ってきたりする描写

雀部 >  街頭の物語売りですね。上手く売れれば語り部冥利に尽きるというか。
 『エリ・エリ』を読んだ頃から、科学的設定のセンスに感心していたんですよ。なんていうか、数式を使わない相対論の解説書を読むようなとでも言えばよいかな。日本の作家で言うと山田正紀さんに近しい感じを受けました。
そこで、平谷さんは、執筆されるにあたって、どれくらいの資料調べをされているのでしょうかお聞かせ下さい。
平谷 >  すみません……。数字、苦手なんです。だから、できるだけ数字のデータは出さないようにしています。計算されちゃうと困るから(笑)
 『運河の果て』の時に、コロニーの遠心力利用の疑似重力の算出方法をハードSF作家の方たちに教えていただいたんですが、直後にわたしの脳の回路が吹っ飛んでしまいました。だから、『こういう状況下ではこんなことが起こる』という具体例を教わりながら、頭の中に映像を浮かべて書いてました。
「コロニーの回転軸付近から雨を降らせるとどうなるんですか?」なんていう質問をして、教えてもらったわけです。
 資料は山ほど集めます。主に、入門書ですけど。それ以上のことは理解できない。ある作品の執筆に必要があって複素数の本を買ってきたんですが……。
 頭が痛かったです。一回読んだら頭に入った気になるんですけど、一作書き終わると、もう忘れてしまっているので効率悪いです。
 ぼくに判る程度の科学設定でなければ書けませんので(笑)、平易な文章で記述できる程度の設定になっていると思います。
雀部 >  なるほど。コリオリの力を考慮した制動が出てきたり、スペースコロニーには、横殴りの雨が降ってきたりする描写はそういう努力のたまものなんですね。
 それとSFマガジンのインタビュー記事にもあったのですが、アウトドアに凝っていらっしやったとか。『運河の果て』のナロウボートでの運河下りの描写にリアリティがあって、私も思わず「やりたい!」と思いました。
 岩手県のお生まれで、現在岩手県で教師をされていらっしゃるそうなのですが「芋煮会」とかされたことはあります?あれはアウトドアとは言わないか(笑)
 私は大学が仙台だったので時々ありましたが。
平谷 >  「芋煮会」ですか(笑)。岩手では「芋の子会」と言います。結構好きですが、あまりやりませんね。汁物より肉の塊の方が好き(笑)。骨付きのラム肉を炭火で炙って……想像しただけで涎がでます。
 「芋煮会」は、ぼくが尊敬するアウトドアライター故芦澤一洋氏が「アウト・オブ・ドア」と表現していましたね。ぼくがやっているのも、そっちに近いな。厳しい自然と対峙するような場面には出きるだけ遭遇しないように、軟弱にやっていますから(笑)。でも、一度だけ雷に当たったことがあります(爆)。

降りてくれればすごく助かるのになぁ(笑)

雀部 >  げ、雷に当たられてご無事だったんですか。それは凄いなぁ。その頃から、小説の神様が降りてこられるようになったとかいうのはありませんか(笑)
 ご著作の後書きに、厳密な科学的考証よりも物語性の方を優先されるという意味のことを書かれていたように思いますが。
平谷 >  小説の神様ですか。降りてくれればすごく助かるのになぁ(笑)
 SFには色々なタイプがあると思うんです。ぼくが書きたいのは『SF的仕掛けの中に放り込まれた人々が、どう生きるか』というものです。もしかするとSF的仕掛けというものすらいらないと考えているフシもありますが……。
 『物語を書きたい』というのが一番の欲求ですね。だから、物語を面白くするために必要ならば、ぼくは科学設定を犠牲にします。
雀部 >  そういったところは、平谷さんが師事されていた光瀬龍先生と共通するような気がします。光瀬龍先生の世界は、科学的な設定はそれほど詰めてないけれども悠久の時間の流れと、宇宙空間の広大さ人間のちっぽけさと無常観を感じさせてくれて、SFファンには大いに支持されていると思います。そういう面から言うと、小松左京先生より光瀬龍先生の影響がおありになるのでしょうか。
 もちろん、ある年齢以上の日本のSF作家の方で両先生の影響を受けてない方は居ないとは思いますが。
平谷 >  故光瀬龍氏とは、岩手県の地方紙『岩手日報』が主催する文学新人賞「北の文学」で賞を頂いた折り、知遇を得ました。いわゆる一般小説の短編で賞を頂きました。SFっ気はない話でした。その授賞式の時に、ぼくが以前からファンであったことを知っていた文芸部長さんから「弟子入りしては?」と言っていただき……。でも、光瀬先生は笑っているだけで「弟子にする」とは言ってくれなかったな。「作品は読んであげるから送りなさい」とは仰っていただき、以後、何度か作品を読んでいただきました。
 中学時代に《百億の昼と千億の夜》を読んで、衝撃を受けました。
 文体が好きでした。今でも「寄せては返し、寄せては返し、返しては寄せる」のリズム感は素晴らしいと思います。光瀬先生の物語の背後には、茫漠たる空間が確実に広がっているという、何というか、存在感があって、それを出せたらといつも思います。ぼくのはまだ“映画のセット”みたいで。
 でも、自作を読んでみると時々、文体に光瀬先生の影響がモロ出ていたりしてビックリすることがあります。意識して書いているつもりはないのに、あのリズム感が染みついているのですね。
 小松先生の作品はやはり《果てしなき流れの果てに》が大好きです。当時の最先端の科学知識がぎっしり詰まっていますよね。そこが魅力でした。もちろんあの構成にも舌を巻きましたが。
 文体は光瀬先生の影響。構成やストーリー展開は小松先生の影響。無理矢理こじつければそうなるでしょうか。でも、あの時代の日本SFはぼくの骨肉になっていて、分けて考えることはできませんね。

もしかすると、自分の現状を物語として書いているのかも知れませんね。

雀部 >  それは実に良いとこ取りですよ。恐いもの無しですね(爆)
 『運河の果て』では、<選択>ということが大きなテーマになっていて、火星のモラトリアムという存在(ある年齢に達した時に男女の性を自ら決定できる)を描きながら、同時に地球外に住む人々に究極の選択を迫るという上手い構成になっていて感心したのですが、これは最初からのアイデアなのでしょうか。それともある程度書いていて出てきたのでしょうか。
平谷 >  完成するまで気がつかなかった……と、言うと怒られてしまいますかね(笑)。実は、他人から指摘されるまでその大きな構造については意識していなかったのです。
 最初は《火星の運河をナローボートで川下り》という単純な発想で設定を構築していったのですが、プロットを考えているうちに色々な〈選択〉が立ち現れてきました。それを組み立てて行ったらああなったという……。
 「ぼくたちは選ばなければならない」ということだけは強く意識しながら書いていました。
 日常は選択の連続ですからね。年齢を重ねるうちに、その選択はどんどん重いものになっていきますよね。ぼく自身の目の前に突きつけられた重大な選択。誰かに助けを求めたくて振り返っても、誰も居ない。そういう場面に直面するようになってきました。
 もしかすると、自分の現状を物語として書いているのかも知れませんね。
雀部 >  ん〜、ということはSF私小説ですね(笑)
 『運河の果て』では、最先端の科学とナロウボートや運河に代表される古来からの伝承技術が上手く溶け合っていると思います。また同時に、火星の重力の小ささによる地球との違いを際だたせないことによって、主人公たちが小さい重力を当たり前のものとして受け止めている“火星人”であることが、言外に示唆されていたと思います。彼らがもはや“火星人”であるということが、クライマックスの決断に大きな感動を呼び起こすのですが、やはりこれも最初から狙われた設定なのでしょうか?
平谷 >  そう読みとってくださいましたか。ありがとうございます。意識的に火星の重力の小ささは描写を控えました。そこに生まれてそこに暮らす人は意識しないことですから。たとえば、岩手の空気や水がおいしいと感じるのは、外から来た人ですからね。
 ところが、ちゃんと書かれていないと突っ込んで来る方がいらっしゃいまして。わたしたちだって1Gを意識して生活していないのにって、溜め息ついたことがあります。
 《現火星人》たちの選択は、あまりに理想的すぎるかなと思いましたが……。本当ならもっとドロドロしたものが絡みあって、なかなか決着がつかなかったり、《現火星人》側の都合で事が進んでしまうだろうなと思います。
 でも、わたしは、いくら甘いと言われても、原則として作品の中に“救い”や“希望”を残したいと思っています。
 「最初から」と訊かれると首を傾げますが、事件の背後で起こっていることの見通しがついたときには、「もう結末はこれしかないだろう」と思っていました。
雀部 >  やっぱ、SFは、理想が高くないとね。それと、それを実現するための“やせ我慢”。本当はちょっと違う安楽な道も選びたいんだけど、男ならこれっきゃないだろう!という(笑)
 個人的には、救いと希望の無い物語は正直言って読み進めるのがしんどいし読み終えた後もどっと疲れてしまいますね。ディッシュの『人類皆殺し』なんかでも、なんでこんな話を書いたんだろうとブツブツ言いながら読んでいた記憶があります(爆)
 そういう意味からは、『レスレクティオ』のエンディングには満足しています。キャラ的には、加寿美が出色だと思いました。最後に現れるカズミ・マリアの存在は、やはり"救い"でしょうね。
平谷 >  『レスレクティオ』のラストに言及していただけると、嬉しくなります。あとがきにも書いたように、十六年同居した猫に死なれて、精神的に参ってしまったんですけれど、あのラストをより所にして、へこたれた自分にカツを入れたんです。
 今までずっと、家内が第一読者だったんですが、家内が涙を流して読んでいたのは『レスレクティオ』のラストが初めてでしたね。
 ああ、やっぱりSF私小説だなぁ(笑)。 
雀部 >  『レスレクティオ』も、個々の人間を語ることによって、宇宙の広大さをかいま見せてくれるのですが、元神父の榊和人や女戦士アッシュは存在感があるのに、イキッスィアのカァ(のダウンロードされた金属円筒)は存在感のかけらもありませんね。やはり純粋知性ということで、このような描き方になっているのでしょうか。それとも、血肉を持った知性体がより感情移入しやすいとお考えなのでしょうか。
平谷 >  それをどうするかが、難しいところでした。
 イキッスィアの最大の関心事は《自分たちの干渉による宇宙の存続は是か非か》ということですから、有機生命体がどこで何をしようと構わないわけです。たとえば、宇宙の秘密を解いて《憂鬱な神の座》にたどり着けば、それはそれでよし。『君たちは自力でここまでたどり着いた。さあ、これからどうする?』と訊くだけ。
 もっとも、彼らは自分たち以外その高みに到達するとは思っていません。
 また、外の世界に自分たち以上の存在を求めようとはしません。彼らは宇宙と共に自己完結しています。そういう存在を“人間味溢れた”描写で書くことはできません。
 ただ、あまりにも非人間的に描いては、さらに感情移入できません。
 我々の知っている世界ではない場所の住人たちを、我々が理解できる形で描かなければならない。それが『レスレクティオ』を書くための大きな障害でした。
 科学設定ガチガチで異なる世界を描くのはぼくの手法ではないと思いました。だから、《汎用翻訳機》という小道具が出てきたわけです。
 SFを普段読まない方にも読めるようにと頑張ったつもりなんですが、やっぱり「難しい」と言われてしまいました(笑)
雀部 >  一般には、やはり難しいんですね。う〜む。
 ということは、クレメンタインが事故で《憂鬱な神の座》に同一化したのも、物語を読みやすくすると言う面においては必然なんですね。
 あの《汎用翻訳機》のアイデアは感心したんですよ。最近では、AIがらみで、認識論の研究も進み、海外ではイーガン氏や日本でも瀬名さんの作品を始め北野安騎夫さんの『デヴィル・メサイア』とか清水義範さんの『銀河がこのようにあるために』など、臨死体験とか神・宗教を脳の働きに求めたり、“百聞は一見にしかず”と言いますが、実際にあるものと人間が見ているものは実は違うのかも知れない(脳が見せたいものだけを見せている)というアイデアの物語が増えてきた感じがしていました。それが、『レスレクティオ』では《汎用翻訳機》というSF的なガジェットの"一つ"として出てきたんで、唸ってしまったんですよ。
これからは、この《汎用翻訳機》というアイデア、広がりそうですね。
平谷 >  そうですか? それは嬉しいな。ぼくはてっきり『そんな安直なもの使うな!』と怒られると思ってビクビクしていたんですよ。どういう原理なのか説明がないと怒ってらっしゃる方もいましたし(爆)。
 雀部さんのお墨付きだから、ぼくも安心して使うことにします(笑)。
 「脳が見せたいものだけを見ている」というのは、実はよく体験しているんです(笑)。実はぼく、たまにこの世ならぬモノを見てしまうので。で、一緒にいる家内や友人には見えない。まぁ、ただの錯覚・幻覚と言われればその通りかもしれないんですけど、自分に見えて他人に見えない(たまに複数で同じ物をみることもありますが)という状況は、やはり脳が造りだしているんだろうなと。そんなところから、《汎用翻訳機》っていう考え方はわりとすんなり出てきました。
雀部 >  いや、私のお墨付きなんてそんな大したものではないかと(大笑)
 全然人類に理解できない高次知性体というのもまた魅力的だと思うのですがどうでしょうか。古典では『ソラリスの陽のもとに』とか、最近ではスティーブン・バクスター氏の著作に出てくるジーリーとフォティーノ・バードの(人類などは眼中にない)戦いとかありますが(笑)
 というのは、カァの考え方があまりに人間的であるように思えるのです。これは、純粋知性体といえども、機械知性にダウンロードされた状態では、そのマシンの性能限界に思考が左右されるということなのでしょうか。
平谷 >  人類に理解できない高次知性体というのは、結局、クリーチャーになってしまいますよね。理解できる範囲で行動してくれないと、彼らの意図もこちらに伝わらない。
 小説で描かれた《人類に理解できない高知性体》というものは、どんなものなのでしょう?
 読者が『ああ、こいつはこういう意図を持っているのだ』と、科学などをキーワードに理解できるならば、それは《人類に理解できる高知性体》ですよね。
 だから、カァを代表とするイキッスィアはわざと人間的に描きました。つまり、《レスレクティオ》そのものが《汎用翻訳機》を通して描かれているということです。
雀部 >  なるほど。ポン(膝を打つ音)
 《汎用翻訳機》というフィルターをとおして書かれた物語というわけですね、深いなあ。単なるSF的なガジェットとだけ思っていたらいけなかったんだ。そうすると"あれ"や"これ"も《汎用翻訳機》のなせる技という可能性が、こりゃもう一度読み返さないと(汗々)
平谷 >  え? “あれ”や“これ”ってなんだろう……。ドキドキ。
雀部 >  人間にまったく理解できない存在を描くというのは確かに物語になりにくいですね。海外作品では、イーガン氏の『宇宙消失』のメインアイデアは、波動関数が収縮しなかったら(できないのが普遍的な状態だったら)そういう生命体(?)にとっては、"観測"することによって、波動関数を収縮させちゃう人類という存在は、すげーはた迷惑なものなんだというものでした。こういう生命体の活動意図なんかは、現象面から推測するしかないわけで、そもそも人類とは相容れないというかまるっきり異質だと思います。高知性体かどうかも、そもそも知性というものがあるかどうかもわからないですが(笑)当然人類側の視点からしか物語は進みませんが十分刺激的でした。
平谷 >  『宇宙消失』は面白かったですね。
 量子力学にはすごく惹かれます。数字の苦手なぼくでも“なんとなく”イメージできるっていうのが気に入っています(笑)。たぶん、そのイメージはすごく間違っていて、歪んでいると思いますけど、いいんです(爆)。
 ペンローズなんかを拡大解釈するのが好きですね。そういうネタで何作か書いています。

ハードSF的に《存在力》ってアリですか?

雀部 >  なんと。それは楽しみにしています。
 ハードSFファン的には、存在と非存在の傾斜からエネルギーを得るという《存在力》のアイデアがとても良かったです。それでも、やはりエントロピーの呪縛からは逃れられなかったりして、設定のセンスに感心しました。このアイデアは、どこから得られたのでしょうか。差し支えなかったらお教え下さい。真空エネルギーあたりかなとも思ったのですが。
平谷 >  え? ハードSF的に《存在力》ってアリですか? ああ、よかった。これも怒られるネタだなと思ってました(笑)。
 真空のエネルギーは意識しました。すごく魅力的なエネルギー源ですよね。どうやって取り出すかは問題ですけどね。
 《存在力傾斜》は、SFをあまり読まない人も、“位置エネルギー”ならイメージしやすいのではないかと思って“傾斜”という言葉と“転がるイメージ”を出してみたんです。
 “あの宇宙の状態”を造るためには、とんでもないエネルギー源を設定しなければならなかったので、ちょっとしんどかったです。あとはネーミングですね。ぼくはネーミングが下手なんです。
雀部 >  いやそんなことは無いと思いますよ。《存在力》もちょっといかがわしいけど、なんとなくイメージ出来るような気がするし、イキッスィアとかウォダも異国風の味が出ているし。まあアッシュというのは、私なんかは田中光二さんの『アッシュ―大宇宙の狼』をどうしても連想しますが、同じ戦士ということで問題はないですね(笑)
 今回は、著者インタビューにお付き合いいただきありがとうございました。より平谷ワールドに対する理解が深まった気がいたします。
 さて、今後の執筆予定などをお聞きしてもよろしいでしょうか。『エリ・エリ』『レスレクティオ』の二部作は、一応の完結を見たわけですが、インタビューのなかでも出てきた「イエスの残した石版の話」も当然お書きになられる予定なんですよね。またその他のご執筆予定についてもお知らせいただければ。
平谷 >  たいへん楽しかったです。ハードSF研の方との対談ということだったので、最初は怯えてたんです(笑)。きついツッコミにそなえて、脇にブルーバックスを用意してました(爆)。
 えー執筆予定というか、出版予定も含んでいいですか?
 イロモノ! と言われるのを覚悟で『百物語』を書きました(笑)。ぼくやぼくの友人たちの体験談集です(笑)。春樹事務所から七月中頃に出ます。幽霊話や妖怪話をしてはいても、宗教的にはニュートラルですので、引かないでください(笑)。
 それからソノラマ文庫から『君がいる風景』が七月下旬に出ます。少年ドラマシリーズ・テイストのSFです。
 九月には光文社からホラー長編小説が出ます。編集さんは「SFファンは怒るでしょうね」と嬉しそうです。ぼくは怖いです(笑)。
 十一月には早川書房のJコレクションから『ノルンの永い夢』が出ます。現代と過去の日本とドイツが舞台の時間SFです。
 とりあえず、ここまでは原稿が出来上がって、校正も終わっているものや、現在手直し中のものです。
 いま執筆中の作品は春樹事務所から来年の春に出る予定の超能力SFです。春樹事務所のHPでやっていたショートショートの連載の中から生まれたアイディアで進めています。もう一本、量子論がらみのSFを構想中です。
 宇宙や遠未来はちょっとお休みで、現代を舞台にした作品が主になります。
 おたずねの『イエスの石版の話』は、イスラエルとパレスチナの状態が少し落ち着かないと(落ち着くことがあるのかなぁ……)ちょっと取りかかれません。
 とにかく面白い物語をどんどん書いていきたいです。SF、非SFに関わらず、面白い物語を。
 兼業作家ですので、レベルを落とさずにコンスタントに書くというのはなかなか難しいですけど。
 今後ともよろしくお願いいたします。
雀部 >  それはたいへん楽しみです。とくに量子論がらみのSFヽ(^o^)丿
 角川春樹事務所のホームページで書かれていたショートショート、拝見してました。
 超能力ものは、これまた好きな題材ので、うれしいですね。
 これからも刺激的な作品を期待しております。

次号へ続く...

[平谷美樹]
'60年、岩手県生まれ。大阪芸術大学卒。2000年『エンデュミオン エンデュミオン』で作家デビュー。同年『エリ・エリ』で第一回小松左京賞を受賞。本格SFの書き手として、もっとも期待されている作家である。
[雀部]
50歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員。
ホームページは、http://www.sasabe.com/

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