雀部 |
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今月の著者インタビューは、この9月に裳華房から『われらの有人宇宙船』を出された松浦さんです。松浦さんよろしくお願いします。
インタビュアーとしては、宇宙関係の書籍を紹介するときにはいつも助けられているアニマソラリスのお二人、白田さんと彼方さんもよろしくお願いします。 |
白田 |
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よろしくお願いします。 |
彼方 |
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よろしくお願いします。
まえがきにあった「自分が宇宙に行きたいと思うのならば、自分で自分の乗る宇宙船をつくるべきだ」という言葉に勇気づけられます。 |
松浦 |
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こちらこそ、おてやわらかにお願いします。しかし恥ずかしいものですね。インタビューを受けるというのは。こっちはずっとインタビューをする側だったので、なかなか奇妙な感じです。 |
雀部 |
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そうなんですか。そう言えば、支部探訪ということで、私もインタビューを受けることになるみたいです。焦るなあ^^;(本業のほうです)
では、のっけから核心に迫りますが(笑)
使い捨てのカプセル型宇宙船が、コスト的にはスペースシャトルに代表される再利用型の有人宇宙船より有利だというのは、直感で思いつかれたのでしょうか、それとも最初からちゃんとコスト計算をしてみた結果そういう結論に達せられたのでしょうか? |
松浦 |
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これはわたしが思いついたんじゃありません。野田司令こと野田篤司さんが検討して到達した結論です。私はその主張を可能な限りわかりやすく本にまとめたに過ぎません。野田さんからこの議論を聞かされるまでの私の立場は、「未来はやはり再使用型なんだろうな。しかしX-33といいX-34といい、計画中止で情けないことになっているなあ」というものでした。
私が再利用型に期待をかけていた証拠はwebにちゃんと残っています。1998年のSFオンラインの記事を読んでください。
http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no17_19980725/special1-5.html |
雀部 |
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ほ〜っ、これは上手くまとめられた良い記事ですね。さすが「SFオンライン」。
確か'95年の頃、すでにasahi-netのハードSF研会議室で、「宇宙を我が手に」のご講演を拝聴させて頂きおおいに感服した記憶があります。あの当時も、再利用タイプがこれからのメインになるような雰囲気でしたね。 |
松浦 |
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ああ、恥ずかしい。ブラックホールがあったら落ちていきたい気分です。ハードSF研で話したことで、まあ正しかったかなといえるのは、「宇宙開発の非効率は官が行っているから、という部分が大きい」というところだけですね。
最初は2001年の3月末でした。野田さんが「俺ねえ、グレーレンズマンになっちゃったよ」といってきたのです。なにかと思ったら彼が、職場(宇宙開発事業団)で、「自由な立場で将来のコンセプトを考える」という役職になったということでした。つまり上司にも通常のライン業務にも邪魔されず自由に考えて発表しうる立場になったんです。 |
雀部 |
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グレーレンズマンですと。SF者には、すごく良く分かるたとえですね(笑) |
松浦 |
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野田司令のことだから、きっと面白いことを考えるだろうと思っていたら、「有人をやらなくちゃ」と彼は言い出した訳です。
野田さんの目標は恒星間飛行の実現です。嘘でもはったりでもなくて、本当にそうなんですよ。そのためには布石として有人をやらなくっちゃっということになったんです。有人というとすごいことと思う人は多いけれども、野田さんからすると、恒星間飛行への準備でしかないんですよ。まだ幕は上がってねえぞってレベルです。 |
彼方 |
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恒星間飛行ですか。早く実現して欲しいです。それには、人工冬眠技術の確立か、アインシュタインを騙くらかすかしないと、生きて帰ってこれないですけど(^^;。 |
松浦 |
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野田さんはアインシュタインを騙くらかす手法もいろいろ考えてますよ。まだ、そこらへんは「マツドサイエンティスト研究所」で
しか発表していないですけど(笑)。
野田さんによると、4月のはじめに熱を出して数日寝込んでいるうちに基本的な考えがまとまったというんですが、我々の前にその思考の一部が公開されたのは2001年5月の宇宙作家クラブ例会でした。
ここで野田さんは実に明快に「再利用では駄目だ」ということを数字を持って我々に示したのです。 |
雀部 |
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いままで、再利用型のロケットがこれからのメインとなるような風潮だったのが一挙にひっくり返ったんですから、私のような素人はともかく、専門家の皆さんはさぞ驚かれたことでしょう。 |
松浦 |
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ショックでしたね。なにしろ野田さんが論拠としていることはツィオルコフスキーの公式をはじめとして、「物体が大きくなると断面積は二乗で大きくなるけれど体積は三乗で大きくなる」だとか、「水素と酸素を燃やして出るエネルギーとガス噴射速度の上限」とか、すべて我々が知識として知っていることだったんです。
それを曇りのない目で現実に適用して検討していくと、「当面再利用では駄目だ」という結論が反論のしようがないほど明快に導かれてきたわけです。いったい俺たちはいままでなにを見て何を期待していたんだ、です。
そして、6月28日に、野田さんから「宇宙船を造ろう」という題名のメールが送られてきたわけです。
2001年7月4日に、最初のミーティングを東京・芝のNASDA会議室で開きました。この時点で、「ふじ」構想の骨格はすでにできあがっていました。だから「ふじ」の基本は徹頭徹尾、野田さんの頭脳から生まれたものです。
その後の検討には作家や漫画家や私のようなノンフィクション物書きも動員されましたが、その役割は野田さんの頭脳に宇宙開発のプロからは出てこないような刺激を与えて、その発想を活性化させるということでした。 |
雀部 |
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で、野田司令をサポートする人材が集まって色々アイデアを出し合ったと。 |
松浦 |
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最初のミーティングの直後、私は笹本祐一さんとアリアン5打ち上げ取材で南米に飛んでいます。このあたりは「宇宙へのパスポート」で笹本さんが書いていますね。パリからネットで議論に加わってあれこれ意見を書いて送ったことは忘れられません。 |
雀部 |
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ああ、そういうこともあったのですか。笹本さん、ネットで議論したこと書かれてましたっけ。なんか、連日飲んでいる描写が多くて、そちらに気を取られて(笑) |
松浦 |
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いやいや、笹本さん、検討の話は省いています。あの頃はまだ検討しているということ自体が秘密だったからかな。 |
雀部 |
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この部分って、欧日の宇宙開発に対するスタンスの違いが如実に出ているようでとても面白かったです。 |
松浦 |
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それは宇宙開発をどこまで国の根幹をなすものと考えているかですね。欧州は明らかに、「今後の欧州の自立と生存に宇宙開発は必要であり、政策レベルできちんとした手当が必要だ」と考えています。で、日本はそうは考えている形跡すらないという…
ともあれ、その後8月にかけて、週一回の割合で詰めて集まって検討を進めました。私はどちらかといえば頭が固いほうなのであまり役に立たなかったのではないかと思います。こういう場合、ビジュアル系の人はすごいです。あさりよしとおさんと小林伸光さんのアイデアは、野田さんにとって色々と刺激になったようです。
その検討結果が、8月に横浜であったSF大会の企画「宇宙開発の部屋」で、例の「この部屋を出たら忘れろ」というプレゼンにつながったわけです。 |
雀部 |
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すみません。「この部屋を出たら忘れろ」というプレゼンはどういう内容だったんですか。 |
松浦 |
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ほぼまとまっていた「ふじ」構想を野田司令が話したのですよ。
これは大変勇気のあることで、というのは、まだNASDAオフィシャルになっていない仕事をSF大会という限定的な場所はあるけれども、不特定多数に提示したわけですから。もちろん野田さんには「話が漏れたってなんとかならあ」という開き直りがあったんだと思うんですけどね。
「ふじ」構想が出てくるまで、「日本独自の有人宇宙開発」はタブーになっていました。関係者に聞けば「人一人死んだら社会の批判を浴びて宇宙開発そのものが終わってしまうよ」という返事が返ってくる状況で、議論をすることすらはばかられる雰囲気でした。
日本の有人開発といえば、いつできるか分からない有人スペースプレーンとか、そんなもので、やや現実に近いところではNASDAの無人ミニシャトル「HOPE」構想が、将来的に有人化可能な設計にして布石だけでも打っておこうとしている、と、まあそんなレベルでした。航空関係者も巻き込んだ観光宇宙船「観光丸」構想というのもありましたが、私から見ると、「観光丸」はどこまでが本気かよく分からないコンセプトでした。「本気じゃなくて検討しているだけなら有人と言ってもいいだろ」といういいわけを感じるというか… |
雀部 |
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私は、観光目的の宇宙船というのは、実現性が高いと感じていたんですが。
というのは『宇宙に暮らす』の著者インタビューで、松本先生におうかがいした際に、宇宙観光というの
は、お金を集めるという点で有望だとお聞きしたからなんですけどね。 |
松浦 |
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宇宙観光自体は大きな産業になる潜在的可能性を持っていると思います。
ただそれとは別に「観光丸」は、単段で何人もの人を乗せて軌道上に行って帰ってきて、しかも再利用というものです。もちろんそれができれば言うことないのですけれども、でも技術開発としては目標に至る道筋を示せなければ本気でやっているとはいえないでしょう。「観光丸」ではどういう技術的困難があって、どうやってクリアするのかが、はっきり見えてこなかったんです。 |
雀部 |
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しかし、どうしてこの「ふじ」構想が洩れることがいけなかったんでしょうか? |
松浦 |
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つまりタブーだったわけですから、「野田が有人を考えている」と不用意に漏れたらば、宇宙開発関係者自体が率先して構想をつぶしにかかるかも知れなかったんです。
でも、話は漏れなかった。野田さんが「この部屋を出たら忘れろ」と言ったら、あの大人数のSFファンはみな忘れてくれた。不心得者がネットに匿名で書き込んだらそれだけですべてが終わるかも知れなかったのに、そうはならなかった。
私はSFファンというのはすばらしい人種だな、と強く思いました。
と、同時にその時の皆さんの熱狂的といってもいい反応を見て、「これはいけるかも」と思いました。少なくとも日本独自の有人宇宙開発について自由に議論する雰囲気はできるかもしれないと感じたのです。
もちろん、我々としては議論で止まる気は毛頭なくて、「ふじ」を実現する意気込みで検討していました。
で、11月に構想が公開されたのですが、そこからがまた茨の道というか、なにしろほら、まだ「ふじ」構想から「構想」が取れていないわけですからね。 |
雀部 |
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まだ「構想」の段階に過ぎないということですね。はぁ…… |
彼方 |
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再利用型については、現状の技術レベルでは実現は難しいし、運用コストも却って高くつくということで、カプセル型が実現可能なソリューションになるという事ですが、ここで、素朴な質問ですが、打上がった後のロケットやカプセルというのは、どういう運命になるんでしょうか? ロケットは海中に置去りにされるのかと想像つきますが、回収されたカプセルは、博物館行きの他はどうなるんでしょう? もしや、資源ゴミ(^^;。 |
松浦 |
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打ち上げ用ロケットに関しては使い捨てです。軌道上で使うモジュールは再突入で消滅させます。回収したカプセルは、調査の後、どんどん小学校に寄贈して子供が遊べるようにすればいいと話し合っています。本物のカプセルで遊んだ記憶というのは、たぶん一生残るし、教育的効果は抜群でしょうから。
もちろん、打ち上げ回数がどんどん増えていけば使い捨てロケットはどこかで限界がくると思います。私見ですが、たぶん年間100機あたりが分岐点になるんじゃないでしょうか。100機というのは旧ソ連の打ち上げペースですね。そうなったらば再利用型の開発を真剣に考えるべきで、そのための研究は止めるべきではないと私は考えています。
ただ、まだ研究段階のものに期待をかけ、「20年後にずっと安全な再利用型の機体で有人宇宙活動を」というようなロジックで政策を決めるのはやめて、現在使える技術を使って有人宇宙活動を考えようと主張しているわけです。 |
彼方 |
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再利用型に対して、使い捨て型というのは、このご時世語感的に良くないと思うのですが、やはり妥当なのはカプセル型でしょうか? |
松浦 |
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「使い捨て」は語感が悪いという話題は、検討段階でも出ました。「撮りっきりカメラ」みたいな言い方はないか、とかね。あまり実体と離れた名称でもいけないので、「カプセル型」でいいんじゃないでしょうか。
技術的妥当性という面では、カプセル型で使い捨てだと、構造が単純なので構造強度を初めとした安全のためのマージンが大きくとれるというメリットがあります。
スペースシャトル「コロンビア」は翼の前縁が破損したことで空中分解しましたね、つまり翼の前縁が弱点だったわけです。カプセルだとそういう弱点を最小限にできます。
たぶん彼方さんはリフティングボディを考えているんじゃないかと思いますが、リフティングボディだと、まず円筒形のロケットに搭載するために特製のアダプターを用意しなくちゃなりません。もしもフェアリングよりも横に張り出す大きさだったら、ロケット打ち上げ時の横風安定のマージンが小さくなります。
それに、結局翼がないから着陸最終段階の揚抗比は大して大きくはなりません。安全性をあげるとなるとパラフォイルを展開することになりますが、それじゃカプセルと同じになっちゃう。となるとカプセルより形状が複雑で製造コストがかさむ分損です。それじゃということで現在の技術で再利用をすると、コストがかさむというのはシャトルが証明していますね。
さらには発射台上から初期加速をしている時の脱出手段をどうするか、という問題もあります。カプセルだと緊急脱出ロケットでカプセルごとロケットから離れるという方法があり、実際ソユーズの打ち上げではそれで助かったという事故も起きています。それに対してリフティングボディだと機体全体を分離しなくてはなりませんが、それだけの質量をロケット本体から引き離す緊急脱出ロケットは非現実的です。射出打席を使うことになるでしょうが、それは軌道上から帰還に至るまでデッドウエイトになりますし、搭乗員全員分の射出座席をどのように機内に配置するかはかなり頭の痛い問題となります。 |
雀部 |
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なるほど。緊急時の脱出のことも考えておかなくてはいけないのですね。
一人とか二人ならともかく、何人もの射出座席を打ち出すとなるとキャノピーも大きく開けられるようにしなくてはいけないし、そうすると強度の面で問題が出てきますよね。
はぁ、大変だ。 |
松浦 |
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技術的に美しくないですよね。同じ目標に対してよりシンプルな解を提示するのが技術における美の基準ですから。 |
雀部 |
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それで、リフティングボディを使うメリットはあるんでしょうか? |
松浦 |
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リフティングボディのメリットはもっと速度の高い領域での揚抗比が大きいので、再突入時に軌道をぐっと曲げる幅が大きくなるということです。専門用語で言うと「クロスレンジが大きい」といいます。
つまり「このまま行くと海に落ちちゃう」とか「砂漠のどまんなかだ」という時に、ぐっと再突入時に大気の抵抗を使って軌道を大きく曲げて着陸地点を選べるというのがメリットです。カプセルでもある程度は軌道を曲げられますが、リフティングボディや有翼式ほどではありません。
宇宙機のクロスレンジは、むしろ軍事ミッションで必要とされる能力です。短期間で敵の衛星にランデブーして観察するなり回収するなり破壊するなりして、すぐに地上に降りてくるというようなミッションではクロスレンジが大きいことが意味を持ってきます。スペースシャトルが大きな翼を持っているのは、アメリカ西海岸から打ち上げる予定だった軍事ミッションで、大きなクロスレンジを要求されていたからです。 |
白田 |
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「ふじ」の「構想」はアニマソラリスでも注目していました。
日本の宇宙開発、特に有人宇宙飛行に対する世論というものはかなり厳しいものがあると思います。そこに「ふじ」が構想でとどまっている理由があるのではないでしょうか。
下地としての世論が宇宙に向いていないので、政治家も宇宙で票を取ることができないということで、政策も宇宙に向かないと。
私はこうした世論に対して「ふじ」のような構想が実現可能であるということをいかにして訴えるかということが重要なのではないかと思っています。いかにやさしく、インパクトをもって世論に訴えることができるかということが鍵をにぎっているのではないでしょうか。
結局、マスコミがどう動くかということが重要だと思うのですが、そういう意味でも松浦さんらの活躍や私たちアニマソラリスなどでの地道な活動が必要なのでしょうね。 |
松浦 |
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そうですね。それは、日本がどのような方向で有人宇宙開発をやっていくべきなのか、ということと関係してくるでしょう。
これまで有人宇宙開発というのは、国家威信の非常にわかりやすい象徴でした。「ロシア人が宇宙を飛んだ」「アメリカ人が月に行った」。わかりやすいですよね。その流れは今も続いています。中国の有人飛行も国家威信の現れという側面が強いです。アメリカはスペースシャトルでごく普通の学校の先生を飛ばして教育効果をねらおうとしたけれども、クリスタ・マコーリフ先生の搭乗はまさにチャレンジャーの事故にぶつかってしまい、その後、普通の人をシャトルに乗せるという動きは途絶えています。
ところがこの流れで見ると、宇宙飛行士というのは普通の人と違う、一種の「超人」になってしまう。そして超人が飛んでいるのであって普通の人は宇宙にはいけないものなんだ、ということになってしまいます。「77歳のジョン・グレンが飛んだ」と聞いて「すげー」と思っても、「よし俺も」と普通の77歳は考えもしないでしょう。
これじゃいけない、というのが「ふじ」を考える際の前提条件としてありました。ごく普通の人が、宇宙にいって、面白いことバカなこと、いいこと悪いこと役に立つことたたないこと――あれこれやってみないことには、真の宇宙への進出などあり得ません。
日本の有人宇宙開発を、国家威信の象徴である超人の活躍の場ではなくて、誰もが行ける場にするという方向に向けたいと思うのです。江戸時代のお伊勢参りは一世一代の行楽でしたけれども、まあせめてそんな感覚で行けようにしたいわけです。
そのためには、多くの国民が「宇宙に行ってみたい」と考えるようになって、それに応える形で技術開発が進むのが理想ですよね。そうなるためには今おっしゃられた「地道な活動」というやつがとても大切になると思います。
本当に普通の人は宇宙開発で何が起きているかというのを知らないし、興味もないものです。自分もかつてはそうでした。
今でもはっきり覚えているのですが、私は1986年に雑誌社に就職して機械技術の専門誌の記者になりました。その年の夏に、H-Iロケットの1号機が打ち上げられましたが、編集会議で話題になったのは、確か打ち上げの一週間前でした。先輩記者が編集会議で「今度、H-Iって新しいロケットが打ちあがるんですけれど…」というのを、私も「へー」とそんなものなのかと思って聞いたのを覚えています。かつては機械技術誌の記者ですら、その程度の認識だったんです。
あれから17年経っていますけれど、まだまだ多くの人にとって宇宙というのは、「今度種子島からロケットが上がるんですって」「へー」、「スペースシャトルが空中分解しちゃったよ」「ほー」、というレベルなんだと思います。 |
雀部 |
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ですねぇ。12日付けの岡山県の地方紙に、中国の「神舟」打ち上げの紹介と共に、日本の「宇宙航空研究開発機構」が発足したとの記事が載っていたのです。その紹介記事で“その新機構に受け継がれた中には夢のある計画もある。「再使用型宇宙輸送システム」もその一つ。打ち上げコストを抑えスペースシャトルの代替をめざす」”と書かれていました。新聞社でもその程度の認識しかないんですね。
新聞社にメールしなくっちゃ(怒) |
白田 |
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中国人の反応も多分にトップダウン的なものを感じましたが、あちらは国策としての方針がはっきりしているところが日本と決定的に違いますね。 |
松浦 |
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中国は、有人宇宙開発にはっきりしたメリットを感じています。なにしろ多民族国家で、しかもチベットみたいに人民中国になってから国際的に問題多いやり方で併合しちゃった地域もあるから、国威発揚だけでも国家統一という意味では大きなメリットです。 |
彼方 |
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その神舟5号の有人飛行ですが、日本の宇宙開発関係者にはどの程度のインパクトをもって受け止められているものなんでしょうか? |
松浦 |
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最初の神舟は1999年に打ち上げられましたから、いつかはこの日が来るというのを皆知っていました。その意味ではインパクトは織り込み済みだったんですが、それでも「ついにか」と感じた人は多かったようです。
問題は、現場が「よしそれなら俺たちも」と思っても、JAXA設立の過程の政策決定の段階でがんじがらめにされていることですね。
この件についてはBiztechに記事を書きました。読んでみてください。
http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/ntec/271444
http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/show/leaf/CID/onair/biztech/ntec/271666
http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/show/leaf/CID/onair/biztech/ntec/272117
http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/ntec/272478 |
雀部 |
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あちゃあ。日本は600億円の予算削減なんですか。神舟の成功を見て考えを変えてくれないのかなぁ(泣)
これを読ませていただくと、神舟はロシアのソユーズをお手本としているけれど、それに中国の独自技術が加わった自信作の宇宙船だということが良く分かりますね。 |
松浦 |
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神舟をなめてはいかん、というのが私の立場です。「日本には日本の行き方があるんじゃないでしょうか」と福田官房長官が言いましたけど、あの方の頭の中に具体的な「日本の行き方」がイメージできていたかといえば、怪しいものですね。 |
白田 |
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「ふじ」のコンセプトのひとつであるオープンアーキテクチャーについてお聞かせ下さい。
オープンアーキテクチャーのアイディアにはオープンソースも念頭にあったと思うのですが、その普及への戦略のようなものはあるのでしょうか。
LINUXやApacheなどは成功したオープンソース・プロジェクトだと思うのですが、Mozillaなどは必ずしも成功してるとはいえないと思います。(異論はあると思いますが。)
規格をオープンにした後の戦略が、その規格の正否を握ると思うのですが。 |
松浦 |
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Mozillaはまだこれからじゃないかと思いますよ。なにせあれだけIEがセキュリティホールを出しているので、IEはいやだという層は増えているでしょうから。
という話はおいておいて、正直に言えば、「ふじ」の検討ではそこまで頭が回りませんでした。ですから戦略については現状白紙です。
ただし目指す世界ははっきりしていて、「有人宇宙飛行技術を国家の囲い込みから解放する」ということです。私もあなたも誰でも望むなら宇宙に行ける可能性を作るためには、国家が威信や象徴としての宇宙飛行をやっていては駄目で、それこそ思い立った者がその日から自分の宇宙船を設計製造できるようにしたいと考えたわけです。
そこで普及の戦略という目で過去のオープンソース運動を見ると、まずLinuxはUNIXユーザーが一定数存在しているけれどもAT&Tはうるさいこといってるしタンネンバウム教授はこれまた厳格でうっとうしいという状況で、トーバルズが手頃なカーネルをコミュニティに提供したところから始まっています。これがIBMPCだとまずマッキントッシュやアミガといった魅力的なパソコンがすでに存在していた市場にIBMがあまりぱっとしない事務向けのパソコンを出したわけです。ところがそいつは誰が作っても良かったし拡張のための仕様が用意してあった。そこでコンパックは本体を作るし、グラフィックスボードやサウンドボードは発売されるしで、どんどんできることが増えていって市場が拡大していきました。
これらの事例を有人宇宙船に敷衍していいのかどうかという疑問はありますが、とにかく当てはめてみると、まず「宇宙にいってみたい」という欲求はかなり強く一般の人たちの間にあります。だからそこにオープンな規格を提示することは普及に意味のあることとなるでしょう。ただしLinuxの場合と異なり、有人宇宙船にはUNIXハッカーのコミュニティのようなエキスパート層が存在しません。だから戦略的にそういう層を育てる必要があるでしょう。
どうやって育てるかについて、これは全く個人的な意見なのですが、何らかの形でレースができないかと考えています。有人宇宙を巡って任意の参加者が同じ土俵で競い合うことで全体の底上げを図れないかと思っているわけです。この分野ではすでに「Xプライズ」という賞があり、誰が賞金を獲得するかというレースが存在しますが、Xプライズには勝ち負けがありますが「競い合って技能を向上する」という部分がありません。「参加したらそこにはライバルがいて、情報交換ができて何度となく挑むことができる」というようなレースが組織できればと思っています。イメージとしては「ROBO-ONE」ですね。
IBMPCの事例はその次のステップでしょう。IBMPCでは、グラフィックスボードのエスキューブドも、サウンドボードのクリエイティブメディアも「もうかる」という目算があって参入してきています。もうかると考えた理由はまずIBMPCはIBMという大企業が作るものだからある程度の台数が出荷されるだろうということ、そしてその地味な市場に、画像や音を付加すれば喜ぶ消費者がいるだろうということですね。また、グラフィックスボードに関しては、初期のWindowsが凶悪なほどにグラフィックスの処理速度が遅くて、ハードウエア的に早くしてやれば喜ぶユーザーが多いであろうという理由もありました。
ですからレースで育ったエキスパート層に利便を提供することがビジネスとして回るようにするのが次の目標となるでしょう。
こんなもので十分かといえば、私にはまだ分かりません。オープンソースに期待する理由は発案者の思ってもいなかった発展をする可能性があるというところなのですが、初めから予想外の事態を期待するというのはあまりに他力本願で無責任な態度でしょう。 |
白田 |
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そうですね。種々のオープンソースコミュニティがかかえているのと同じ悩みを「ふじ」もかかえているということですね。
とはいえ、戦略を練ること自体は有効なのではないかと思います。
この戦略についてのいいアイディアがすぐに浮かぶというわけでないのがつらいところですが、松浦さんが提示していただいたような、オープンソースについての分析は戦略としての方向性を練るのに必要なんでしょうね。 |
松浦 |
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オープンソースは、無為を最上とする老子の思想とは異なり、放置しておけばいいというものではありません。しかし一方で、Linuxの発展にはトーバルズのパーソナリティが大きな意味があったように、きわめて属人的な要素に左右されやすい仕組みでもあります。うまくやるにはなんらかのケアが必要だけれども、望ましいケアのありかたが属人的なのですね。こうすればいいというマニュアル的な方法論が通用しないのです。だからこそ官僚組織に代表される組織の病弊とは無縁でいられるわけですが、運営という点では難しい方法論だなと思っています。
でも、私としては官僚的に「粛々とことを進める」のとオープンソースとどちらがいいかといえば、オープンソースですね。伽藍よりバザールです。 |
彼方 |
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今回の本は、宇宙開発の啓蒙書としてだけではなく、有人開発に関する書籍・情報の紹介に小説・コミックが紹介されていたり、宇宙開発への関わり方が書かれていたりと、身近なものとして、そして決して受け身だけではなく、宇宙開発に関われるんだということを示してくれる良書だと思います。少しでも早く「ふじ構想」から構想の字が取れることを期待しています。って、期待だけでなく、自分たちも行動しないといけませんね(^^;。 |
松浦 |
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そうですね、政治家が持つ立法の権限は、官僚が持つ行政の権限をコントロールできるというものですが、議員立法が少ないことでも分かるように、我々が選挙で選んだ政治家は、これまでずっと本来の職分を果たさずに、地元に鉄道を敷くだとか道路を造るとか、空港を作るとか、農産物に補助金をつけるとか、利益誘導で動いていました。すると官僚は、政治家に利益を与えていればイニシアチブを取れるわけで、日本という国を事実上運営してきたのは選挙による国民の審判を経ていない官僚ということになってしまっていました。
ただ、官僚といっても世間の非難囂々というような世間が沸騰している案件では、なかなかそれに反することはできません。昨今の北朝鮮拉致問題で分かりますよね。それでも世間の目をかいくぐって自分の意見をちょろっと通そうとしますけれども。
だから、自分たちが行動するということは、たとえ小さくても組織化されていなくても意味があることだと思います。「ふじ」では「自分が宇宙に行きたい」と思った時に、今の日本で妥当な資金と時間とで可能な技術的な解を示しました。本にも書きましたけれども、実現には何よりも、「行きたい」と思う人の声が必要だと思います。 |
雀部 |
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行きたい人は多いと思うんですけど。選挙の時に、応援する政治家の講演会に行って、宇宙へ行きた〜いと伝えてくるのが早道ですかねぇ。
官僚制度以外に、クリアしなければならない難しい問題は他にもあるでしょうか。 |
松浦 |
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課題は山ほどありますが、「ふじ」実現を阻むもう一つ大きな問題として、政策立案過程の関係者の理系的素養の不足というのはかなり深刻です。これを言うと理系文系の不毛な対立になってしまう可能性があるのですが、冷静に考えるとかなり危険なことだと思っています。
情報収集衛星を巡るどたばたをみていると、2500億円のお金がかかる衛星を導入するに当たって、どうやら意志決定を行う者は、衛星とはどういうもので、軌道というのはどういう性質があって、上空から撮影するというのはどういうことかということを理解していなかったふしがあるのですよ。衛星は便利な気球に類する仕掛けで、北朝鮮上空でいつもふわふわ浮いていると思っていた形跡があります。
軌道がどんなものというのはニュートン力学が分かっていれば高校生レベルの知識です。画像取得時の分解能とセンサー画素数と焦点距離の関係は、比例計算で、それこそ中学入試で小学生がやる計算の延長でしかないわけです。ところが、どうもそんなことも理解せずに2500億の金を動かしてしまったらしい。特に軌道要素公開を巡る内閣府の対応を見ているとそう思わざるを得ません。
法学や会計学や経済学といった文系の知識は、極論してしまうと「社会のダイナミズムを理解するもの」で、「他人をコントロールするための知識」です。
あ、文系の人、極論だから怒らないでくださいね。
一方理系の知識は「人間存在以外を理解するためのもの」で。それが工学系となって応用されると「世界をコントロールするための知識」です。ものすごく大ざっぱで粗雑な議論ですけれども。
政府というのは国民の統治機構ですから、文系の知識は大変重要です。でも、情報収集衛星などを見ているとそこに理工系の知識が加わらないと、もはや正しい政策判断ができないところに来ている、それほど科学技術は人間存在と不可分になっているなと思うのです。
じゃあ、どうやってそういう知識を、現状の政府に持ってもらえるのかと考えると、これは厳しいなあと思案しているところです。 |
雀部 |
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銀行だの生保だのは、随分前から理系出身の大学生を採用してますよね。政治家の政策秘書のうち一人は、理系出身者にすべしという法律でも作ってもらわないといけませんか(笑) |
松浦 |
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なによりも必要なのは「理系の知識」ではなくて、「理系のセンス」でしょうね。学校の試験で100点を取るための知識は不要ですが、例えばエネルギー保存則だとかエントロピー増大則を皮膚感覚で把握していて、なにかあった時にぱっと目前の事態に応用することができるという。まあ、これは理工系教育を受けていても難しいんですが…私だってできているかどうか。 |
雀部 |
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『われらの有人宇宙船』と同時期に出版された笹本祐一先生の『宇宙へのパスポート2』と勿論前作の『宇宙へのパスポート1』はクルマの両輪みたいなもので、両方読むと色々と宇宙開発の背後にある制約が伺い知れて面白さ倍増だと思うのですが、どうでしょう?(笑) |
松浦 |
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宣伝しておきますと、『宇宙へのパスポート2』には、私も「宇宙研の歴史」を初めとした記事を書いていますので、ぜひとも『われらの有人宇宙船』と合わせて読んで頂ければと思います。笹本さんのユニークなところは、突出した行動力で打ち上げ現場に出かけていって、そのおもしろさを的確に説明しているところですね。
部数は『パスポート』のほうが遙かに多いです。ええい、笹本め。
えー、『パスポート』の読者の皆様、なにとぞ『われらの有人宇宙船』もよろしくお願いします。 |
笹本 |
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面白いのは、これらの仕事に関するかぎり笹本と松浦の立場が完全に逆転しているところですね。SF作家の笹本が書いた『宇宙へのパスポート』は取材日記で、ノンフィクションだから、笹本の創作部分はありません。ところが、ノンフィクション作家である松浦の『われらの有人宇宙船』は未だに実現していない架空の宇宙船の話です。現在の世界の宇宙開発状況とか物理法則に関する説明こそ現実ですが、そこから導き出される日本独自の有人宇宙船というのは理論的に可能であることが机上でしか確認されていない想像上の存在で、NASDA内部の有志によって検討された計画でありながら政府には認められず、提案の形に留まっています。
じゃあなぜそれを松浦が書いたかというと、世間に日本独自の有人宇宙船計画というものを活字媒体の形で発表する時、筆者はSF作家であるよりもノンフィクションライターである方が説得力が高いだろう、という深慮遠謀があったのですが。 |
松浦 |
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ないない。そんなものないって。単に「ふじ」という題材が私にとって魅力的だったということです。ただ、確かに笹本さんが書いていたら「星の王子さま」のトルコ人天文学者みたいなことになっていたかもしれない。「SFの服装をやめて背広を着るんだ」とか。 |
笹本 |
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松浦の次回作はあの伝説の名著、『H-IIロケット上昇』の続編にあたる『H-IIAロケット上昇』になるはずです。パスポート1の著者紹介でも言ったことですが、H-IIAロケットの打ち上げ予定やら増加開発やらがまだ決まっているうちに、とっとと書け。 |
松浦 |
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だから書いておりますがな。まくりが入っているので今せっせと書いています。ただ、H-IIの開発は「坂の上の雲」的なサクセスストーリーだったのに対して、H-IIAは色々と紆余曲折があり、今も続いているのでなかなか書きにくいです。現実にハッピーエンドはなくてハッピーな時間とアンハッピーな時間が複雑に積み重なっているだけなんだということを痛感しています。
というわけで、もう少しお待ち下さい、って「いつまでまたせるんだ」という人もいるでしょうが、とにかく書いています。何が何でも書きます。 |
アニソラ一同 |
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おお、それは楽しみです。ぜひ完成させて下さいませ。 |
白田 |
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今回は色々と質問に答えていただきありがとうございます。
これからも、アニマソラリスは有人宇宙飛行が実現できるように協力していきたいと思います。
どうもありがとうございました。 |
彼方 |
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様々な面白いお話や、有意義なお話をありがとうございました。これからもがんばってください。 |
雀部 |
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今回は、ちょうど打ち上げやら、中国の神舟やらの事件でお忙しいところありがとうございました。『宇宙へのパスポート2』の笹本先生の後書きにもありましたが、素人ではなかなか直感的に理解できない宇宙開発の難しさと面白さを、今後も分かりやすくご紹介して下さいませ。 |