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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[いするぎ]

『マルドゥック・スクランブル 圧縮』
> 冲方丁著/寺田克也イラスト
> ISBN 4-15-030721-0
> ハヤカワ文庫SF
> 660円
> 2003.5.31発行
設定:
マルドゥック市:湾岸型重工業都市。政令中枢に設置された“天国への階段”と呼ばれる螺旋階段状のモニュメントを都市名の由来とする。
マルドゥック・スクランブル:マルドゥック市における裁判所命令の一種。人命保護を目的とした緊急法令の総称。
マルドゥック・スクランブル−09:緊急法令の一つ、非常事態において、法的に禁止された科学技術の使用が許されることをいう。
粗筋:
 マルドゥック市の中央公園で停車中の最高級エアカー。そしてそれを監視する赤いオープンカー。賭博師シェルの保護した家出娘は、市民登録後、全員死亡するか失踪していた。エアカーに同乗している元娼婦の少女バロットの身に危機が迫る。事件屋のドクター・イースターと何にでも変身可能なネズミの姿をしたウフコックのコンビの、バロットを助ける闘いが始まった。しかし、シェルの雇った担当官―ウフコックの元同僚で凄腕事件屋のボイルドが、彼らの前に立ちはだかる……

『マルドゥック・スクランブル 燃焼』
> 冲方丁著/寺田克也イラスト
> ISBN 4-15-030726-1
> ハヤカワ文庫SF
> 680円
> 2003.6.30発行
粗筋:
 驚異的な空間認識力をもたらす人工皮膚をまとって生まれ変わったバロット。彼女もまた、かつてのボイルドのように、強大な力に陶酔しウフコックを濫用しようとしていた。
 科学技術発祥の地“楽園”を訪れたバロットは、そこで“金の卵”ことウフコック生誕の秘密を知る。しかしこの場所にも“錆びた銃”ボイルドが……
『マルドゥック・スクランブル 排気』
> 冲方丁著/寺田克也イラスト
> ISBN 4-15-030730-X
> ハヤカワ文庫SF
> 720円
> 2003.7.31発行
粗筋:
 犯罪の証拠を握るためにカジノに繰り込んだ三人組。ウフコックの助けを借り、ポーカー、ルーレットに挑んだバロットの勘は冴えわたるが、最後の勝負ブラックジャックで最強のディーラーと相対することに……そしてここにも、ボイルドの魔の手が迫る。

『ばいばい、アース(上・下)』
> 冲方丁著/天野喜孝装画
> ISBN 4-04-873245-5
ISBN 4-04-873246-3
> 角川書店
> 上下巻共2900円
> 2000.12.25発行
粗筋:
 いかなる種族の特徴ももたない孤独な“理由(ことわり)の少女”ベル。師シアンの元を離れ、ただ一つ<唸る剣(ルンディング)>だけを手に、今<旅人(ノマド)>となるための試練を受けに<王>の元に……
『[冲方式]ストーリー創作塾』
> 冲方丁著/ヤスダスズヒト表紙イラスト
> ISBN 4-7966-4658-2
> 宝島社
> 1300円
> 2005.6.16発行
内容:
ホームルーム:本書について
1時間目:マルドゥック・スクランブルの書き方
2時間目:カオスレギオンの書き方
3時間目:蒼穹のファフナーの書き方
4時間目:とりあえず書いてみましょう
5時間目:こんな風に言われたんですが
放課後:読む娯楽から、書く娯楽へ

雀部 >  今月の著者インタビューは、皆様お待ちかね、2003年度SF大賞受賞作『マルドゥック・スクランブル』著者の冲方丁先生です。冲方先生、よろしくお願いします。
冲方 >  あ、どうもです。よろしくお願いします〜。
雀部 >  今回は、もうお一方インタビュアーをお願いしました。ご自身のホームページなどで、冲方丁先生の大ファンであられると公言されていらっしゃる、いするぎりょうこさんです。
 いするぎさん、よろしくお願いします。
いするぎ >  冲方さん、お久しぶりです。
 アニマ・ソラリスの雀部さんに声をかけていただいて、インタビュアーとしてしゃしゃり出てきてしまいました。よろしくお願い致します。
冲方 >  どうもですー。お久しぶりですー。
いするぎ >  最近は、お身体の調子はいかがですか?
冲方 >  昨年の十一月から四月まで体のあちこちを壊し続けたことを反省して、今は健康第一でやっております。月に一日か二日は絶対に仕事をしない日を設けるようにしました。正直、「休日を作る」という課題の方が、「一日百枚書く」より辛いです。それでも、何もしない空白の時間がもたらしてくれる恩恵は限りないものがあるので我慢です。
いするぎ >  我慢……なんですネ。書きたいお気持ちがそれだけ強くていらっしゃるのでしょうネ。
 ファンとしては大いに働いていただいてたくさんの作品を見せていただけるというのはとても嬉しいことなのですが、これから長きにわたって素晴らしい作品を生み出し続けていただくためにも、お身体は大切になさって下さいネ。
雀部 >  いするぎさんから見た冲方先生の作品の面白さとか魅力は、どういったところなのでしょうか?
いするぎ >  主人公の焦がれるような自由への希求と、それと引き替えにしなければならない様々な苦しみ、そして、そうした思いが弾ける時に主人公とともに味わうカタルシス……といったあたりに、非常にシンクロするものがあるのです。
 もっとも、あまりに深いところで感応してくるところがあるため、触れるのが楽しくもあり苦しくもありで、かなりの覚悟を決めないと読み始めることができなかったりもするのですが。
雀部 >  なるほど。冲方先生の物語世界のなかにどっぷりと漬かられていらっしゃるわけですね。
 いするぎさんは、ファンタジー関連のご著書もあるので、普通のファンのかたより感情移入も深いのでしょうね。
いするぎ >  そういった、自由への希求やそれにともなう苦痛や苦悩といったあたり、もちろん、自覚なさって書いていらっしゃると思うのですが、冲方さんご自身は、どのように考えていらっしゃるのでしょうか?
冲方 >  自由って何だろうというのは子供の頃からのテーマでした。ただ自由と言っても様々で、無軌道な自由を束縛する倫理や法律の正当性についてもそうですし、先入観や既成の価値観からの自由、新しさや古さからの自由、自己意識を規定するものからの自由、政治的な自由、経済的な自由、職業上の権限としての自由度など、色々とあります。自由の観念は、自己意識の成長に伴って複雑化していく一方ですね。
いするぎ >  自由であることは往々にして孤独と引き替えであり、冲方さんのこれまでの作品でもそちらの方向に針が振れていたように思うのですが、『マルドゥック・スクランブル』の主人公は、信頼できる他者を得ることで他者とのスタンスの取り方を知るに至り、困難な闘いを経て、他者を傷つけることなく自らを守る事を知り、孤独ではない自由な未来を掴んだのだと、わたしはあの作品を読みました。
冲方 >  もう、あれですね。孤独を感じる心はいったい何のためにあるかと問われれば、愛を知るためだと言ってしまいましょう。それ以外に答えはないですね、やっぱり。
 孤独は自己意識の成長の一段階で、それをはっきり意識することによって他者意識を包含する、より複雑化した自己意識を獲得できる段階に至るんだなと、あの作品を書いていて思いました。孤独の克服の第一歩は、自他の孤独を認めることによって、同時に、もはやそうではないことを認識することですね。それは宗教や政治や倫理が不可分となる瞬間で、全てを一体化する、高度な精神の働きです。その瞬間、孤独を超越するための「契約」が発生し、それが宣言されます。この契約は表面的には箇条書きにすることが可能な、非常に論理的でドライなものであると同時に、その内側にあらゆる生命的な感情を抱いてます。人間の精神が、論理と生命を出会わせる場所に、愛があるのであって、それが本質的な宗教の意義です。人間が最も欲するものであるゆえに、幾らでも悪用できるものでもあります。悪用を防ぐための方法は、今のところ、対等契約しかありません。責任と権利の天秤が均一に働かなければなりません。
いするぎ >  「対等契約」……、難しいですネ。
 冲方さんと宗教の関わりについて少しお聞かせいただけますでしょうか?
冲方 >  ああ、すいません。つい余計なことを・・・。宗教との関わりは、子供の頃ですね。色んな国の人に、「あなたの信仰は何?」と質問されまくった次第で。とりあえず「フリーです」みたいな返答でかわしつつ、うーん、なんだろう、といまだに考え続けてる次第です。
雀部 >  『マルドゥック・スクランブル』を読ませて頂き、海外作家だとポスト・サイバーパンクの旗手ニール・スティーブンスンあたりに通ずるスピード感と格好良さに圧倒されたのですが、『SFが読みたい!2004年版』の座談会(秋山瑞人先生、小川一水先生)によると、サイバーパンク作品はあまり読まれていなかったとか。とするとSFとの出会いは、どこらあたりからだったのでしょうか?
冲方 >  映画『アキラ』以前のモノは、ほとんど知らない状態です。
 SF初体験は何なんだろうと考えたんですが、どうやら小学生の頃に見た、ドラえもんの劇場版『宇宙小戦争』(プラモで戦うヤツ)と、映画『ザ・フライ』のようです。もっと深層心理に潜り込むと色々あるのかもしれませんが…。あとは、親が半村良のファンだったので、家の本棚にあった『軍靴の響き』あたりを読みかじった影響もあるでしょうか。
 サイバーパンクという言葉は知っていたのですが、具体的にどういうものなのか分かっていませんでした。『マルドゥック』がSF大賞を受賞してのち、初めて、ああ、こういうのがサイバーパンクかと理解しました。
 「凝り性(アーティスト)」とかいった表現も、サイバーパンクの何それの踏襲だろうと、よく言われるんですが、それもよく分かってなかったです。単に海外で思春期を過ごしたせいで、言語感覚が二重というか、英語と日本語が混ざって思考してるだけでして…。

 一般の読者からすれば、とっつきにくい文章なので、もっと平易なものに直したいんですが、なかなか直らないというか、直しようがないのが悩みの種です。
雀部 >  いえいえ、翻訳SFを読み慣れたSF者からすると、文章はアメリカのSFだと紹介されても信じちゃうくらい決まってますし、日本語と英語がどちらもnativeとは羨ましい限りです。ところで言語感覚というと『蒼穹のファフナー』では、ドイツ語のルビが当てられていますが、こういった外国語の使い分けはどういう基準でされているのでしょうか。
冲方 >  恐縮です。nativeというほど正当な英語でもないところが、また…ごにょごにょ、です。
 たいてい世界観にふさわしい言語が自然と選ばれますね。『マルドゥック・スクランブル』は英語、『ピルグリム・イェーガー』はイタリア語、『ファフナー』は北欧神話がベースだったせいかドイツ語寄りのネーミングに。最近では『シュヴァリエ』という作品で(※『マガジンZ』で漫画、『日経キャラクターズ』で小説を連載)、フランス語を勉強してます。
 作品にかこつけて語学を勉強してる感じですね。
いするぎ >  言語感覚の二重性ですか……。
 工夫が凝らされて幾重にもイメージを喚起する冲方さん独特の単語群がどこから来ているのかという謎の答えの一端が伺えたように思えて、とても興味深いです。
 日本文学研究者の小森陽一氏、このかたは小学校低学年から旧チェコスロヴァキアのロシア語学校で学び、6年生の年末に帰国なさって今度は日本の学校に通われたというかたなのですが、このかたの『小森陽一、ニホン語に出会う』(大修館書店)に次のような文章がありました。
 「家の近所ではチェコ語、親とは日本語、学校ではロシア語という生活が一年半ばかりつづくと、頭の中で考える言語はロシア語になっていきました。やはり、学校教育の中で使われる言語が、最も強い支配力をもつのでしょう。この状態が日本に帰ってからもしばらくつづいたために、当初は耳から聞いた日本語を、いったんロシア語に翻訳して理解していました。しかし、帰ってから半年ほどたったある日、朝目覚めてみると、頭の中が日本語になっていて、なんとも不愉快な気持ちになったことをいまでも忘れられません。ことばのシステムが変わると、身体による外界の感じ方も変わってしまいます。」
 引用が長くなってしまいましたが、冲方さんの場合もそういった感覚はおありでしょうか?
 それとも、切り替わるというようなことはなくて、ふたつの言語が同じような比重をもって冲方さんの中に混在しているのでしょうか?
冲方 >  おっ、帰国子女につきものの、例のあれですね。
 僕もありましたよ。ある日、夢を見たんですが、海外でのワンシーンの記憶が、全て日本語吹き替え版になってました。声も顔も過去のままなのに、ドイツ人もアメリカ人もインド人も、みんな日本語喋ってるんです。俺の頭って何ていい加減なんだろうと、がっくりきましたが、けっこう誰でもそうみたいで、ひと安心です。
 ちなみに、そういう風に言語が切り替わると、まずインプレッションの仕方が変わりますね。何かに第一印象を受けるときの自分が「日本的」になります。上手く説明できないんですが――たとえば、驚いたときの、驚いてる自分が、ああ日本っぽい驚き方だな、という感じで自覚されるんです。これは「オーマイガッ」と「なんてこった」の違いというんでしょうか。普通、「なんてこった」は相手と共感する気持ちってあんまりないですよね、むしろ責める気持ちがあるかも。でも「オーマイガッ」は、その場にいる全員と共感する気持ちがあるんです。同情心とか、協力を求める気持ちとか、相手を誉める気持ちとかもですね。そういう意味合いの違いが無数に生じて、「あ、なんか違う自分になった」という気分になります。
いするぎ >  ああ、言語はそういう感覚まで規定するのですネ。
 頭の中が日本語一辺倒のわたしには見えていなかったものが、ちょっとだけ見えた気がします。
雀部 >  冲方先生にも『バベル−17』みたいな言語がテーマのSFを書いて欲しいです〜。
 『エンベディング』を分かりやすくしたようなのでも良いですが(汗)
いするぎ >  わあ、いいですネ。『バベル−17』、大好きです。
 冲方さんの『バベル−17』……(しばし夢想)。

 主人公が韻を踏んで思考を進めていくといったあたりも、冲方さんの中におありの英語的感覚のなせる技なのでしょうか?
冲方 >  うーん、どうなんでしょう。韻を揃えるって、あらゆる言語に共通した遊びですので、僕個人の才能だといった考えはないです。ただ、韻のノリが生まれる瞬間は、割と海外での生活が根本にあると思います。気持ちが動く瞬間ですね。上手く説明できないんですが。あ、こんな感じって、こういうノリを表現してくれそう・・・みたいな。キャラの名前をつけるときに、そういうのが出てきますね。
いするぎ >  もうひとつ、これも「どこから」という質問になってしまうのですが、冲方さんの書くことの衝動はどこから出ていらっしゃるのか、よろしければお聞かせいただけると嬉しいです。
 以前、SF大会のパネルディスカッションで少しだけお話しなさっていたように思うのですが、これもやはり海外で成長期をお過ごしになったこと、そして、そこで体験なさったことが大きく関係していると推測されるのですが。
冲方 >  うーん…まず一つはっきりしているのは、執筆の衝動だけが、そう特殊であったり崇高であったりするものではないということですね。ありとあらゆる人間の感情が特別で崇高になりうるわけで、充実した人生を送りたいと思っている人の全てが、そうした衝動を抱いているのだと思います。その衝動の根本にあるのは、一体自分は何をしたら満足した人生だと言えるのだろう、ということでしょうね。
 文章の執筆が僕に充実した人生をもたらしてくれることを教えてくれたのは、まず家族です。幼い頃から僕が作ったり書いたり描いたりしたものに、感想を言ってくれたからです。作ることが親や兄妹とのコミュニケーションになったんですね。それから海外での教育体験で、絵や模型やらの制作が、言葉が通じない相手とのコミュニケーションになりました。自分が最も楽しいと思うことを相手に見せ、それが相手にとっての楽しみになるよう努力した。それが徐々に言葉を使っての創作――小説という形になっていったんだと思います。
 なぜ絵や音楽ではなく、最終的に言葉を選んだのか。多分、色々なことがらに対して、答えが欲しい、定義が欲しい、なぜなのか知りたい、という欲求があったからだと思います。
 たとえば、最初に小説らしきものを書いたのは、アニメのガンダムの「ポケットの中の戦争」の英訳だったんですが、その動機もまた、多くの「なぜ」でした。アニメを見た海外の子供たちに、「なぜ彼らは戦争しているの?」「彼らの宗教観は何?」「なんで人間よりでかいものが、モバイルスーツ(モビルスーツ)という名前なの?」とか訊かれてですね(笑)。それらの疑問への解答や、相手を楽しませるということ、自分の欲求を満たすこと、といったことがらがブレンドされて、小説という形式を発見したんだと思います。
 で、その形式がもたらしたものが、自分の予想を超えて大きかったんですね。その解答なり娯楽なりの結晶である英訳小説が、学校の先生によって教室の壁に貼られたんです。大勢の生徒が読んで、それまで知らなかった高学年の人間にまで感想を言われたりして、非常に驚いたし嬉しかったし、びびったりもしました。そんなわけで気づけば作家になるための道に立っていて、あとは真っ直ぐ歩いていくだけでした。
雀部 >  そういえば『SFJapan 2005SPRING』号で押井先生と対談されてましたね。その中で「僕は常にコミュニケーションの成立と断絶を巡る問題の間を往復してます」「コミュニケーションが創作の根本にある」と発言されてますが、これは子供の頃に外国で暮らしていらっしゃったことと関係するのでしょうか。
冲方 >  そうだと思います。単に複数の人間の意思疎通というだけでなく、ありとあらゆる文化や人生や物事の究極的な表現として「コミュニケーション」という言葉をとらえています。
 それは複数の人間が成立させる一つの「系」というかゲシュタルトであると。だから異なる文化が接触すると、いったん互いの系を崩しにかかり、その後、再び一つの系になったり、複数の系に分裂したりするのだと思います。
 言語や文体は、決してコミュニケーションそのものではなく、その一部――動物が持つメッセージ能力が発展した、「系」を認識する力の一つだと思います。ミツバチの8の字ダンスと、本質的には何も変わらないのが言語だと思ってます。そうした「メッセージの方法」としての文体を、もっとしっかり考えて行きたい次第です。
雀部 >  “「メッセージの方法」としての文体”ですか。まさに文体にこだわりを持たれる作家の方らしいとらえ方ですね。
 上記座談会に、ウフコックに「萌え」現象が起こったのには驚いたとありますが、ウフコックというキャラクターを思いつかれたのはどこからだったのでしょうか。
冲方 >  ネズミという生き物は生きている限り細胞が増え続けるので、どれだけ寿命を延ばしても、いずれ自分自身の体重で死ぬというのを、どこかからか聞きかじってまして。そういう宿命を背負ったキャラを書きたいと思ってました。増殖する攻撃本能みたいなイメージがそれにかぶさって、武器に変身するネズミになったようです。
 それを少女と絡めたところ、未熟な紳士かつ援護キャラになったため、「常にそばにいる守護天使的な少年のイメージ」が付加されて萌えられたのかな…?と思っているんですが、どうなんでしょう。
いするぎ >  これは「萌え」現象とは関係ないことかもしれない……というか、「萌え」というのはわたしにはよくわからない、まだその意味をちゃんと掴みきれてはいない言葉なのですが、わたしの目から見たウフコックは、ストレートにとてもかわいいです。
 『燃焼』181ページ、カプセルから出てきたウフコックが、「お気に入りのズボンを造り出」したり「てくてく歩い」たり「しげしげとそれらを眺め」たりといった描写を読んだ時は、完全に胸キュンでした。
冲方 >  胸キュンありがとうございます(笑)。ウフコックも大変喜ぶと思います。
雀部 >  ウフコックは既に身体が大きくなっていて、この世界に見せているのは実は体の一部で、別次元に残りの身体が隠されているというのは、SF者にとっては凄いヒットです。質量保存とかエネルギー保存をさらっと出されるとそれだけで“あ、この人はSFがわかってくれてる”って思う(笑)
 SFだと『20億の針』という身体に共生する異生命体が出てくる有名な作品がありまして、実に“捕り手”に寄生して欲しかった。そこから考えるとウフコック萌えは、必然ではないかと思います。
冲方 >  身体に共生する異生命体は、書きたいですね。『寄生獣』の記憶が強すぎるので、それを払拭しないと書けないのが悩みです。
 ウフコックの存在が多次元に渡っているのは、知性と武力を両立させている背景には、醜悪なまでに矛盾した人間精神があることを、具体的に表現したかったからだと思います。
 当時のネタ帳を見ると、そんなようなことが書いてあるので…多分そんな感じかと。
雀部 >  う〜む、ウフコックの設定はかなり深いんですね。それで“ウフコックに「萌え」現象が起こったのには驚いた”とのご発言につながるのかぁ(かなり納得)
 『寄生獣』はSFとしても面白かったです。冲方先生の共生体のお話もぜひ読ませて下さい。
 『ばいばい、アース』も、剣と共生している少女剣士の物語として読めないこともないですけど(笑)
冲方 >  先程のコミュニケーションの話に関連しますが、共生というのは、複数の系が互いに存立しあっている状態だと考えています。それらの系が互いに異なっていればいるほど、そのコミュニケーションにダイナミズムが――様々な「可能性」が生まれるのだと思います。
 そうした「無数の可能性についての示唆を、系の内外から放つ、特殊なメッセージ群」が、つまり物語なのではないでしょうか。
 また、共生というテーマは、系の安定と崩壊の両方を内蔵しており、僕に限らず、様々な物語の中に繰り返し登場するメッセージの一つなのだと思います。
 僕もまた、「共生というテーマを抱くこと」によって、この世界を成り立たせている無数の系と存立しあうことが可能になり、かつそれらの系に対し、異質なテーマを投げかけることが出来ているのだと思います。
雀部 >  はい。最初バロットは、現代社会というシステムから外れた存在として描かれますが、ウフコックたちとのコミュニケーションを経ることによって、委任事件捜査官としての“系”に居場所を見いだしていきます。そこからさらに外界との関わりを深めていくところなんかは、象徴的ですね。
いするぎ >  冒頭で申し上げたことと重なるのですが、主人公はウフコックとドクターという信頼できる他者を得ることで、もっと多くの不特定多数の他者との関わり合いを感得し、自らを守るとともに、他者を傷つけることなく生きるという困難な戦いを引き受けることになる。
 そして、そうして生きることを選び取ったことで、彼女はさらに実り多い明日を掴みうるのだと……、冲方さんの表現とは言葉が違うのですが、そのようにわたしはこの物語を読んでいました。
 そして、それこそが、わたしにとっての今回の物語の感動の要でもありました。
冲方 >  全くそうですね。実り多い時間、充実した人生、個人の至福、といったことがらは、これからも僕のテーマになるんだろうと思います。あの作品の登場人物たちが僕に教えてくれたことを、僕もちゃんと取り落とさずに抱えていきたいですね。
いするぎ >  自由であるために他者を傷つけて自分だけを守っても、どうしても苦い思いは残ってしまう。
 他者を傷つけて生き延びることが巡り巡って自分自身を精神的に殺してしまうことにも繋がってしまう。
 戦わなければ生きていけない世界でそうした問題をクリアーしていくのは非常に難しいことではありますが、現実に現代を生きるためにも、それは考えていかなければならないことではないかと思います。
 教訓的に小説を読むのは嫌いなのですが、同時期に読んだ上橋菜穂子の『神の守り人(来訪編)』『神の守り人(帰還編)』(偕成社)とともに、『マルドゥック・スクランブル』はそんなことをわたしに考えさせてくれました。
冲方 >  やはり、傷つけられること傷つけることの衝撃を無に帰すことは不可能ですね。それはどこまでも残り、何らかのかたちで精神に影響を与えます。しかし、そのことをしっかり認識すれば、衝撃を受け止める方法も確かなものになってくる。そういった方法の全ては、冒頭の「契約」と同じように、箇条書きに出来る論理的なものであると同時に、内側に生命的な感情を秘めている。宗教や倫理や政治が秘めていなければならないものであり、どんな人生を生きる上でも必要なものだと思います。
いするぎ >  主人公が全面的に信頼することのできるふたりの男……というか、男性的存在であるふたりの他者が、彼女にとって性的な脅威になり得ない存在であるというのはちょっと気になるところです。
 そのあたり、何かお考えになっていることがおありでしょうか?
冲方 >  まず間違いなく言えることは、バロットが次に直面する困難は、ウフコックの死ですね。それを乗り越えたとき、バロットの思春期は終わりを告げます。そして多くの男性と対等な関係を結べるだけでなく、自分のパートナーとなる相手に、「こう生きるべきだ」という理念を提示し、相互の教育を可能にすることが出来るようになるでしょう。もしかすると、その理念に従って、知らず知らずのうちに相手を操作してしまう危険を抱きながら。
 そうして壮年期を過ぎ、多くの経験を積むことで、ベル・ウィングみたいな一種超然としながら、欲望の世界に静かに佇んでいられる老女になるのではないでしょうか(笑)。
いするぎ >  バロットにはこれからさらにたいへんな試練が待っているのですネ。
 読むのが怖い……、でも、読みたい!!
 ベル・ウィング、好きです。ちょっと届きそうにありませんが、理想の完成形のひとつです。
雀部 >  ところで、ラストにカジノのシーンを持ってこられたのは、最初からの予定なのでしょうか。
冲方 >  ちょうどベル・ウィングの話も出ましたね(笑)。
 書き始める前から、カジノについては漠然と後半でやろう、というイメージがありました。殺戮以外の闘争を描かなければ、にっちもさっちも行かなくなるんじゃないかという予想があって、じたばたしながらカジノという異世界に突入した次第です。
雀部 >  なるほど、闘争の一分野としてのカジノのシーンなんですね。私が思ったのは、カジノというところはゲームというシステム(系)の中で行われる客とディーラーの戦略的行為(成果志向型のコミュニケーション的行為)と見なすことが出来るということなんです。ハーバーマスによると、近代社会においては、「貨幣」や「権力(法)」が「脱言語化されたコミュニケーションメディア」として登場するとされてますから、『マルドゥック・スクランブル』の背景となってる社会そのものが戦略的行為を是とした世界であると考えられますよね。
冲方 >  貨幣については昔から興味があって、上手くやれば金融モノ以外に、ホラーやSFなどのエンターテイメントにもなるなと考えてました。
 一般社会の貨幣経済は基本的には「交換」や「利益」が表向きの主眼ですが、カジノは極めて合理的な「掠奪」の経済でした。通常の経済の戦略と違って、相手の経済の系を破綻させることが目的なんです。ただし相手を殺してしまってはしょうがないので、安全な範囲で破綻させて、また来させるというか。構造を俯瞰すると、客というミツバチが、カジノというハチの巣に、金やら蜜やらをせっせと運んでる感じで、非常に支配的です。それは「偶然」という神の見えざる手を、これでもかというくらいに逆手に取った支配で、宗教や娯楽が政治的に用いられたときの構造に似てます。
 マルドゥックの社会背景でもそうですが、成熟した社会の特徴といえると思います。
雀部 >  そうですね、政治経済というサブシステムが確立した近代社会の特徴とも言えますね。
冲方 >  カジノに限らず、「サービス」という言葉の裏には、系を侵害する搾取の要素が必ず見え隠れします。搾取といっても、客の側の要求や復讐もまた合理化されるとき、一概に悪とは言えなくなるのが面白いところです。
 そこで最も高度な戦術は、掠奪経済を無効化する「引き分け」です。宗教における中庸の思想と似てます。ただし「引き分け」の経済も、かつての冷戦構造のように、すぐに支配的になるので、結局は無限に系のバランスを取り続ける運動こそがコミュニケーションの原理みたいなオチになるのかもしれません。
雀部 >  “囚人のジレンマ”(笑)
 『マルドゥック・スクランブル』のラストシーンは非常に熱いんですが、カジノというか賭博シーンでこれだけの感動を呼ぶというのは、まさに力業だと感心しました。最初、メインがカジノのシーンだということで、いったいどういう展開になるんだろうと想像してたんですよ、例えばウフコックの能力によって勝つとか、SFらしく“ゲーム理論”を応用して勝利するとか。賭博って、冷徹な確率に支配されているように見えて、実はディーラーが介在することによって、これだけ“熱く”なれるんですね。ここらあたりの展開も予定どおりなんでしょうか。
冲方 >  あのシーンでディーラーの存在が突出したのは、どうしても「システムVS人間」だけだと描けない部分があったからです。システム自体に意志はないし、勝者が犠牲者の上に成り立っているのが掠奪経済なわけで、バロットVSシステムを駆使する人間、という構造にする必要があったんです。
雀部 >  なるほどなるほど。それで最後のゲームが“ブラックジャック”なんですね。海外SFでも賭博のシーンが出てくるものも多いのですが―『死の世界1』の冒頭でのクラップ・ダイスなど。例えばバロットが、全能力を使ってこのゲームに挑戦すれば、望みの目を出し、勝利するのは簡単だと思います。しかし、それでは人間性の関与する余地が無くなってしまうからなんですね。
冲方 >  バロットにサイコロ握らせたらダメですね(笑)。ただ、クラップスは相手が出す目によって戦略が変わるので、それはそれで面白いものが書けそうですね。
いするぎ >  お恥ずかしいことに、わたしは肝心のカジノのシーンの意味をもうひとつ掴みきれていなかったようです。
 おふたりのお話をお伺いして、『マルドゥック・スクランブル』の世界がさらに深化されて目の前に立ち上がってくる思いが致します。
 そのあたりを考えながら、もう一度あのシーンを熟読したくなりました。
雀部 >  雑誌に連載を持たれているそうなのですが、ご自身でやられるゲームとしては、なにが一番お好きなのでしょう(競馬とかのギャンブルも含んで)
冲方 >  好きなゲームは色々あって、テレビゲームでは、シューティングものより、戦略ものが好きです。ファミコン・ウォーズはいまだに好きかも。
 チェスは、よく仲の良い作曲家さんと、ファミレスでどっちが奢るかで戦いました(笑)。

 今一番好きなのは、麻雀ですね。
 以前、大森望さんと水鏡子さんと小川一水さんとで卓を囲み、東一局で大森さんと水鏡子さんにダブロンを食らい、全局振り込んだ挙げ句、とどめは小川さんのリーチによって流局――テンパイできずにハコにされるという惨劇に遭遇するも、小川さんの男心によって支払いはカンベンしてもらうということがありました。
 もう少しで大のギャンブル嫌いの嫁に、麻雀禁止令を出されるところでした。

 次は絶対に勝ちますよ〜。
 ちなみに今、ひそかに作家の伊坂幸太郎さんご夫妻と、先日出版された『[冲方式]ストーリー創作塾』の編集をして頂いたライターさんとで、卓を囲む計画があって、かなり楽しみにしています。
いするぎ >  あたりまえですが、バロットのようにはいかないのですネ(笑)
 ご健闘お祈り致します。
雀部 >  大学では<囲碁・将棋・(麻雀)部>所属でした。下手の横好き(爆)
 『[冲方式]ストーリー創作塾』の「マルドゥック・スクランブルの書き方」の項、面白かったです。そうなんだ、ウフコックが居てくれたおかげで、バロットのキャラが動き出したんですね。やはりウフコック萌えだ(笑) この本、小説家を目指す人には勿論のこと、冲方ワールドをより良く読み解くには絶好の本だと思います。文中の「休み時間」で“業界が発展するには、数人の天才作家より、千人の中堅作家と、一万人の新人と、百万人の同人作家”と書かれてますが、冲方先生の見るところ小説業界は構造不況業種なのでしょうか?
冲方 >  確かにウフコック萌えかも(笑)。
 小説不況にかんしては、詳しい数字を挙げて、ここがこうだ、みたいなことをするつもりはないんですが、単純に、ベンチに座ってる人数が、他の業界と比べて圧倒的に少ないな、と。選手層の厚さは、どんな場合においても業界に良い影響を与えるものだと思いますし、それだけの層を受け入れることが出来る器を作ることも大事だと思ってます。コミケはすごいですね・・・やっぱり。大したものだと感心しきりです。
雀部 >  『[冲方式]ストーリー創作塾』の「蒼穹のファフナーの書き方」の項に“『マルドゥック・スクランブル』の続編をなかなか終わらせないせいで殺されかけてます”とありますが、続編の完パケは、まだですか(笑)
冲方 >  あと何百枚か書いたら終わりますー・・・多分。きっと。あと何百枚か・・・。
 すいません。今ちょうど、続編の追い込み中でして、もう、色んな思いがいっぱいです。
 ほんと、なかなか終わらせないせいで、各方面にご迷惑おかけしてます。すいません。
 でもその代わり、たっぷり時間をかけて薫製にした冲方節を削って削って書いてますので、どうぞ応援のほど、よろしくお願い致します。
雀部 >  『蒼穹のファフナー』の「味方殺しの甲洋」と『ばいばい、アース』に出てくる伴奏者(その剣は、戦線から逃げ出そうとする味方に対してこそ振るわれるのだ)がキャラ的に好きなんですが、どこか屈折していて共通点がありそうです。冲方先生にも思い入れのあるキャラだろうとにらんだのですが、いかがでしょうか?
冲方 >  けっこうありますねー。割と必然的に生まれてくるので、思い入れが持ちやすいといいますか。ただの暴発キャラではなくて、コントロールされた暴力が、必要とみなされて味方殺しになるというのは、悲劇の典型のような気がします。同士討ちとか。ドラクエのパーティアタックは、子供心にも大変ショックでしたし(笑)。
雀部 >  冲方先生のホームページでもちらりと触れられているのですが、『黒い季節』と『ばいばい、アース』の文庫化のお話は、どの程度進んでいるのでしょうか?
冲方 >  あ・・・いや、あんまり。すいません。新しいものに力を注いでる最中でして、それがひと段落し次第、なんとか。はい。がんばります。
雀部 >  進捗状況といえば、SFマガジン7月号に『マルドゥック・スクランブル』アニメ化のお話が載ってましたが、もうだいぶ製作が進んでいるのでしょうか(2006年末リリース予定とか)
冲方 >  けっこう、ぼちぼち、進んでますねー。
 ART−MANIAで、GONZOの村濱CEOがインタビュアーとなっているメルマガがあって、そこで割と暴露しているんですが、なかなか面白いものになりそうですよー。
 詳しいことはアニメ誌等でそのうちパブが打たれると思いますので、よろしくお願いします。
いするぎ >  わたしも『[冲方式]ストーリー創作塾』、楽しく読ませていただきました。
 主人公を「戦う女の子」にするという編集者からの要請に、少女の心情を理解してその心に寄り添って書くためにと、様々な取材を重ねるなどして悩み抜き、考え抜いた挙げ句に、「女性差別」や「男女問題」の本質に迫ろうというところにまで行ってしまう、冲方さんのそういう誠実で真摯な姿勢が好きです。
冲方 >  あ・・ありがとうございます。さっさと書け、という至上命題の前では、ああいう書き方はしばらく出来ないんだろうなあ・・・と。ただしマルドゥックの続編では、事実上、またもや、そういう書き方になりつつあったりしてご迷惑お掛けしております。すいません。
いするぎ >  極上の冲方節のおダシのきいた美味しい料理を仕込んでいただいているのですから、迷惑なんてとんでもないです。お待ちした分おなかがすいて、それだけ美味しくいただけるというもので……(笑)
 冗談は抜きにして、納得のいくまで書き込んだ素晴らしい作品が出来上がるものと、期待度大でお待ちしております。

 冲方作品における弱者や女性についてなど、まだまだお聞きしたいこと、お話ししたいことはたくさんあるのですが、時間切れになってしまったようですネ(残念)。
 お話をお伺いして、冲方さんの世界がわたしの中でさらに深まり、また、広がったように思います。
 ありがとうございました。
 冲方さんのさらなるご活躍、とてもとてもと〜〜っても楽しみにしております。
雀部 >  あ、冲方先生の物語は、セカイ系のようでもありますがもっと独自で、私的にはSEKAI系とでも書かせて頂くとしっくり来ます。
 今回は、超ご多忙な時期に著者インタビューをお受け頂きありがとうございました。
 これからも、SFにファンタジー、さらにアニメにとご活躍を楽しみにしております。
 『マルドゥック・スクランブル』のアニメ化のお話、『黒い季節』『ばいばい、アース』文庫化のお話は、05年6月末の時点での情報です。最新情報は、冲方先生のホームページや、各媒体でご確認下さい。


[冲方丁]
1977年岐阜県生。早稲田大学大学中の'96年に『黒い季節』でスニーカー大賞金賞受賞。受賞後の第二作が書き下ろし2647枚の大作『ばいばい、アース』。『カオスレギオン』『ストーム・ブリング・ワールド』等々のファンタジーあり。『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞受賞。他にもコミック原作、『蒼穹のファフナー』はアニメの小説版とその活躍は多岐にわたっている。
ご自身のホームページは→(http://www.kh.rim.or.jp/‾tow/)
[いするぎ]
SF&ファンタジー・ファンな会社員。
著書は『ファンタジーノベルズガイド』(新紀元社)と『ファンタジー・サバイバル・ブック』(新紀元社)。『終わらざりし物語』(J・R・R・トールキン 著 クリストファー・トールキン 編 河出書房新社)翻訳作業のまとめ役の一人。
『黒い季節』(角川書店)以来の冲方丁作品の大ファン。
ホームページは  http://www.d4.dion.ne.jp/‾ryowcyuw
[雀部]
ファンタジーも好きなハードSF研所員。今回の著者インタビューは、冲方丁先生のお忙しい時期と合致してしまい、冲方先生には多大なご負担をかけて申し訳なかったです。突っ込み足りない掘り下げ足りない面が多々あるのは、すべて私の不徳のいたすところでありまする〜(汗)

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