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Author Interview

インタビュアー:[雀部]]

鴎外のオカルト、漱石の科学
『鴎外のオカルト、漱石の科学』
>長山靖生著
>ISBN-13: 978-4104241026
>新潮社
>1400円
>1999.9.30発行
 西洋があみ出したサイエンスがひとり歩きを始めた十九世紀末。「進化論」が有色人種への偏見を正当化し、「進歩」と「覇権主義」が表裏一体だった時代のヨーロッパを、森林太郎と夏目金之助は身をもって体験した。
 鴎外の疑似科学=オカルトとの関わり、漱石の自然科学への強い関心は、日本が自分を取り戻し、「和製リアリズム」を獲得するための、したたかなプロセスだった…。

『「人間嫌い」の言い分』
> 長山靖生著
> ISBN-13: 978-4334032739
> 光文社新書
> 700円
> 2004.10.20発行
 「人間嫌い」というのは、いくらか偽悪的な言い方だが、仲間に甘い顔をせず、自分の信念を押し通す人間は、日本社会ではこう呼ばれる。それが現実である。それなら、人間嫌いでいいではないかというのが、まず私の出発点だった。そうやって「人間嫌い」を標榜してみると、意外とこれがけっこう楽しい。少なくとも楽である。友達がいないと不便かもしれないが、別に恥ずかしくはない。恥ずべきは自分がいないことである。自分がいてこそ、はじめて本当に他者とかかわれる。変わり者の多かったあまたの文士の生き方などを引きながら、煩わしい人間関係や世間との距離の取り方を説く。
「人間嫌い」の言い分

千里眼事件 科学とオカルトの明治日本
『千里眼事件 科学とオカルトの明治日本』
> 長山靖生著
> ISBN-13: 978-4582852998
> 平凡社新書
> 720円
> 2005.11.10発行
 二十世紀を特徴づけるなら、自然科学の発展とともに、メディアが大衆を扇動する「噂と迷信の時代」ということができる。明治末期、人々の想像力の限界を試す「千里眼事件」が起きた。透視や念写ができる「超能力者」が現れ、世を騒がせたのである。その能力の実在を証明しようとしたのが、心理学者の福来友吉だった。錚々たる学者を前に公開実験が行われ、騒動は一層広がることになる。「千里眼事件」が社会に投げかけたものは一体何だったのか? この事件の顛末を通し、人間にとっての「認識」の意味を問う。

『日米相互誤解史』
> 長山靖生著
> ISBN-13: 978-4122047785
> 中公文庫
> 952円
> 2006.11.25発行
 親善とは名ばかりのペリーの略奪外交、理想の日本人女性は「からゆきさん」だった!
 コレラを外国がもたらした災厄ととらえた明治の庶民……。ペリー来航から日米開戦に至るまで、誤解・差別・曲解を生んだ背景を分析、「近代」という病に冒された明治・大正・昭和を検証。また文庫版のために、未だすれ違いの日米関係について終章を書き下ろす。
日米相互誤解史

「論語」でまともな親になる
『「論語」でまともな親になる』
> 長山靖生著
> ISBN-13: 978-4334035389
> 光文社新書
> 760円
> 2009.12.20発行
 子供に世渡りや処世術ばかりを語ることに違和感を覚える、そんな時『論語』の出番だ。「学ぶとは」「礼と中庸」「お金」「教育」「家族」「人間関係」「人の上に立つ」「才能を伸ばす」など、自分の人生においても問い直したいトピックを、『論語』二十編から再構成し意訳。現代的課題、現実的対応を模索する。

『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』
>長山靖生著/小杉未醒筆装画(押川春浪「鉄車王国」口絵)
>ISBN-13: 978-4309624075
>河出書房新社
>1200円
>2009.12.30発行
 日本SFの誕生から百五十年、“未来”はどのように思い描かれ、“もうひとつの世界”はいかに空想されてきたか―。幕末期の架空史から、明治の未来小説・冒険小説、大正・昭和初期の探偵小説・科学小説、そして戦後の現代SF第一世代まで、近代日本が培ってきたSF的想像力の系譜を、現在につながる生命あるものとして描くと同時に、文学史・社会史のなかにSF的作品を愛を持って位置づけ直す野心作。
日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで

 前号の続き)
雀部> さて『日本SF精神史』ですけど、日本SFの通史としては初めてだそうで。さらに精神史ということで“近代SFが培ってきたSF的な発想、その想像力の系譜を現在につながる生命あるものとして確認する”という性格のものなんですね。
長山> そうですね。初の日本SF通史ということについては、森下一仁先生や風野春樹先生が書評でそう書いてくださったのを見て、「ああ、一冊の本になったものでは初の日本SF通史だったのか……」と驚いています。ホントは横田順彌先生が先に出すべきだと思っていましたし。それが10年くらい前から「通史は君がやれ」と言われて、本もこちらに回ってきたりして……。
 「精神史」という構えは、ジャンルとしてのSFがなかった時代に、「まだ存在しないSF的なもの」を模索した人々の個々の活動をつなげるために取った構えでした。本当に古典SFの作家たちの手探りの努力や、ジャンルSFを確立しようとした戦後作家の方々の情熱は「文学史」という言葉では言い表せない感じがします。
雀部> そうなんですか、横田順彌先生のお墨付きでしたか。それにしても、長山先生の情熱も相当なものだと感じましたよ。
 第一章「幕末・維新SF事始」で、日本初のSFとして、安政4年(1857)に書かれた幕末の儒学者・巌垣月洲作の『西征快心編』が紹介されています。日本がモデルの架空の島国がアジア侵略を進める英国を成敗すべく西進し、英国本土まで攻め入って制圧するも、領土を拡張することなく自国に戻るという架空戦記ものの元祖みたいな話です。
 この「儒者の聖戦」的な非野心的結末は、なんか日本人として誇らしいです。
長山> 本来、武士は戦国時代には領土拡張や恩賞のために命をかけて戦ったのですが、江戸時代に儒学道徳の浸透したことで、幕末には領土的野心を持たない、純粋な義戦・聖戦の思想が生まれたことは、記憶しておくべきだと思います。『西征快心編』は太平洋戦争中に『英国征服記』というタイトルで翻案が出るのですが、筋立ては同じでも両者には大きな隔たりがあります。幕末のオリジナルは領土を求めなかったのに、二十世紀の翻案では「征服」です。近代化の暗部がここにあります。
雀部> 儒者は〈征服〉などせず、あくまで戦いは大義名分を遵守し〈自己〉を貫く行為だったんですね。これはやはり二百年数十年鎖国したことによる理想主義なのでしょうか。
長山> そうですね。江戸時代を美化しすぎるのも危険ですが、江戸時代が長続きしたのには、それなりに当時の社会システムに良い面があったからだと思います。開国して海外の文物が大量に入ってくるようになり、幕末の佐久間象山は「和魂洋才」を唱えていましたが、維新後には「脱亜入欧」が知的スローガンになりました。福沢諭吉は『学問のすゝめ』で、個人的な欲望充足のためにも実学を学ぶことをすすめ、正当な自己主張が社会全体の発展のためにも必要だと説きましたし、中村正直は『西国立志編』で真面目な努力による立身出世を道徳的にも肯定した。しかしそれは江戸時代の門閥制度の悪弊を破るためであって、日本人が道徳的な謙虚さまで失うことには、明六社の人々も忸怩たるものがあったのだと思います。それが福沢諭吉に『痩我慢の説』を書かせ、中村に儒学回帰をもたらしたのだと思っています。「正しさ」というのは単純でないから難しいですね。
雀部> 「正しさ」は相対的にしか規定できないというのは、SFで学びました(笑)
 『日米相互誤解史』のなかで、〈和魂〉とは、〈大和魂〉のことではなく、〈才〉を誇って海外侵略を欲しいままにする西洋的魂に陥らない和やかな心という意味合いをもった言葉だと言及されてますね。
長山> 〈大和心〉には〈荒心〉と〈和心〉の両面があって、何度か例外はありますが基本的には海外拡張よりも内部を豊かに繊細に磨いていくのに重きをおくのが、日本の伝統的な感性だと思っています。美術工芸品でも、大きいものよりむしろ小さな細工物にこだわる傾向がありますよね。現代オタク文化のフィギュアや食玩は、前近代の雛道具や凝った根付細工の延長線上にあるというのが私の考えです。そういう日本的感性を、海外から押し寄せてくる帝国主義とかグローバリズムとかに対応できるように、無理して捻じ曲げなくてはならないのですが、それぞれの時代の不幸のはじまりだと考えています。
雀部> そういう文化面の軋轢は、表面に出にくいので問題ですよね。
 〈痩我慢〉というと私は「武士は食わねど高楊枝」を連想します。そう言えば小松左京先生にも「痩せ我慢の系譜」という傑作短篇がありました。この作品、大好きなんです(笑)
長山> 小松左京先生の作品は、どれも風刺を超えて、社会批評としても深いものを湛えていますよね。その意味でも明治の政治小説やユートピア・反ユートピア小説の伝統を、最も発展的に継承された方だと思います。
雀部> それに加えて、物語として面白いですし。
 明治政府は「脱亜入欧」ということで、それまでの日本的な良さを捨てて、追いつけ西欧と邁進していくわけで、現代から見るとあまりに性急すぎる感がありますね。しかし『日米相互誤解史』を読むと、彼等には今のままでは日本が植民地にされてしまうという切羽詰まった危機感があったんだなと感じました。
長山> それはもう、強烈な危機意識だったと思います。国内では政府に対して個人の権利、自由や平等を唱えた知識人や自由民権運動の理論家たちも、対外問題では一致団結して政府を支持する国権論を唱えたのも、保身のためではなくて、切実な危機感から来ていると思います。幕末に不平等条約を締結させられて以降、関税自主権がないために国内産業が大きな打撃を受けて失業者が増えたり、外国人の犯罪を裁けないために国民の生命財産が不当に奪われるといった現実的な損害をこうむっていました。また海外留学した知識人は直接的に人種差別を体験しています。欧米の自由思想に敬意を抱いていただけに、欧米人の現実の差別的態度に接して強い衝撃を受けたんですね。
雀部> 実際にもアメリカは、1897年にハワイを植民地に、翌年フィリピンの独立援助を大義名分にしてスペイン勢力を駆逐したあとは、ちゃっかりアメリカの植民地にしてるし。
 夏目漱石も、英国留学の際に差別的扱いをされて精神的に落ち込んだらしいですね。
長山> 狼の群れのなかの羊のようだ、とか言ってますよね。英国の圧倒的な国力やジェントルマンの生活にショックを受けて神経衰弱気味だったともいわれていますが、そんな中で漱石は西洋を相対化する視座を構築してゆきます。それに対して、羽化仙史や木村鷹太郎、浅野和三郎といった人たちは、英文学者としてスピリチュアリズムに出会い、最終的には催眠術、超古代史(偽史)、オカルトのほうに行ってしまいます。何しろ当時の英国ではスピリチュアリズムはブームでしたから、漱石も少しは関心を持っていたようです。そもそも英国でそうしたものが流行っていたのは、目まぐるしい社会変化のなかで癒しを求めたり、激しい競争のなかで正攻法の努力に挫折した人々が乾坤一擲の妄想から熱中したという面がありました。羽化仙史らも、後進国である日本への不安や、自分が置かれている状況への失望感から、次第にのめり込んでいったようです。
雀部> 『千里眼事件 科学とオカルトの明治日本』とか『鴎外のオカルト、漱石の科学』を読ませて頂くと、明治時代にもオカルトが流行していたんですね。しかも東京帝国大の助教授や教授まで巻き込んで大々的な検証実験が行われていたとは。現代日本でも、TV番組に〈占い師〉とか〈スピリチュアルを売りにする人〉が登場し視聴率を稼いでいますが、明治時代から全く変わってないですね。嘆かわしいというより、人間って本質的にはそうしたものなのかと心せねば。
長山> SFファンは、そういうものを相対化して眺め、距離を保ちながら考察したり、楽しんだりできる人が多いですが、しゃれにならない人もいますからね。『偽史冒険世界』を出した後、何人か完全に「トンデモ」の人からコンタクトがあって、困りました。オウム真理教も、あんな事件を起こす前は、選挙に出てヘンな歌を歌ったり、宣伝用にショボいアニメを作っている団体として、楽しみながらウォッチしていたのですが、まさかあれほど「本気」だったとは……。あの事件の後、一時、テレビも反省したのか、その手のものは消えていたのに、いつの間にか復活してしまいましたね。たしかに明治も今も、占いに頼る人と、自分で合理的な思考をめぐらすことができる人間の比率は、あまり変わってないのかもしれません。どうせ妄想を抱くなら、占い師の話に耳を傾けるよりも、SFを読んであれこれ考えるほうが、ずっと楽しいと思いますが。
雀部> あれこれ考えるのが嫌な人がはまるのかも知れませんね(笑)
 そういえば、日本で初めて電信機を作ったと言われる異才佐久間象山も、安政元年に気球が登場する「甲寅初春之偶作」という漢詩を作っているんですね。気球でアメリカに攻め込むという。太平洋戦争時の風船爆弾はそこから思いついたのか(笑)
長山> 象山は偏西風のことも知っていて、気球を高く上げればアメリカに着けると知っていました。まさに太平洋戦争中の風船爆弾ですよね。十九世紀にはまだ飛行機が現実のものになっていなかったので、気球による「空中征服」が欧米でもロマンを掻き立てました。日本でもほぼ同時期に、こういう漢詩が作られたことは、やはり欧米SFと日本SFの平行進化を考えるうえで記憶しておくべきエピソードだと思います。
雀部> セレンディピティだったのかも(笑)
 『日米相互誤解史』に、『西征快心編』に見られる国際情勢の正確な把握は、月洲の友人であった象山の協力があったのだろうと書かれてますが、象山が月洲をそそのかして書かせていたりして(笑)
長山> ふたりとも当時は異端の学者でしたから(だからこそ最先端の知にコミットしたわけですが)、SFファンがそうであるように、世間の人が聞いたら目をむきそうな莫迦話をやっていて、しかしその中に意外な真実が含まれているようなことがあったのではないか、と想像します。まさに雀部先生がおっしゃるように、そそのかしたというか、刺激しあってよりラジカルに想像力を育んだのではないかと思うと楽しいですね。
雀部> まさに日本SF作家クラブの萌芽か(笑)
 形式が漢文ということから、江戸儒学の影響の元に書かれたということですが、現代日本でも、やはり儒学は通用するとお思いでしょうか。
長山> 政治家が上から、国家的権威をもって説くのは感心しませんが、個々の人間が自分の道徳理念、人間として矜持を育てるためには、有効だと思います。今、実際に子供と一緒に『論語』を読んでいて、それを『「論語」でまともな親になる』(光文社新書)にまとめたのですが、読めば読むほど反省させられます。「人知らず、而して慍らず、亦君子ならずや」という言葉を身にしみて知っていれば、理不尽な目にあったときにもキレることなく、また卑屈にもならず、誇りを持って身を律することが出来るのではないかと思います。
雀部> ですねぇ。読ませて頂いて、なるほどなぁと感心する章も多々ありました。
 小説の形式で実際のエピソードみたいに読めると小さい子供にも読んで聞かせられると思ったんですが、書いていただけないでしょうか(笑)
長山> とてもそんな大それた真似は! おこがましくて腰が引けてしまいます(笑)。でも、『論語』をかみ砕いて子供に聞かせてやるのは、本当によいことです。繰り返しになりますが、そうやって子供に話してやると、大人自身も身にしみます。私は奇抜な物語も好きですが、どっしりとした普遍的な言葉には、またひとしおの味わいがありますね。
雀部> 長山先生の目から見て、現代の道徳的な規範として、他に有望なテキストはなかったんでしょうか。
長山> 今、講談社新書で福沢諭吉と夏目漱石を参照しながら、「自立」について考えるものを書いている最中なのですが、『学問のすゝめ』と『道楽と職業』は並行して読んでみるといいと前から思っていました。『学問のすゝめ』だけだと、あまりに手厳しい自由競争主義だし、『道楽と職業』だけだとひきこもり肯定論になってしまいますので、前近代の道徳と近代の道徳もそうですが、やはり論理を現実に当て嵌めようとすると、プラスにあらわれる場面とマイナスに現れる場面がありそうです。それから、好きな漢籍というと『荀子』『墨子』もわりと好きです。
雀部> そういえば長山先生は『「人間嫌い」の言い分』で、ひきこもり肯定論というか「孤独に強い」ことのどこがいけないのか、この世知辛い世の中では立派な資質ではないかと、ひきこもりの若者や鬱病の中高年層に向けたエールを書かれてますよね。目から鱗というか、なるほどと、ひどく感心したんですよ。
長山> 私自身がそうですが、「みんなと一緒に」というのがプレッシャーになる人もいますからね。ただし、「孤独に強い」というのは「面倒に巻き込まれず、迷惑をかけず」なので、自分が困ったときになって「どうして助けてくれないんだ」と言うのはズルイですね。困ったらSOSを出すのはいいけれども、それなら他人のアドバイスを受け入れなければならないし、自分も困っている人を見たら助ける立場にならなればならない。孤独が「孤立」ではなくて「孤高」のものであるためには、やはり自分で自分を律する道徳観が必要です。
雀部> 『孫子』が未だに兵法の基本書として人口に膾炙しているのに比べると、『論語』は少し影が薄いような気もしますね。
長山> 本当は違うんですけど、説教くさいイメージがあるんでしょうね。それに『孫子』で兵法を学んだほうが、儲かりそうだし。史書や兵法・軍記物は娯楽としても読めるし、ビジネス実用書としても需要があるんでしょうね。そういえば子供の頃は、私も『戦国策』や『十八史略』が好きでした。そうか、この出版不況を乗り切るには『SF版「孫子」を百倍活用して一万倍儲ける方法』とか『「銀河帝国」の知恵でビジネス・チャンスを掴む』『スター・ウォーズ投資術』とかを書けばいいんですね。でも私には書けないから、誰かそういうのを書いて、ベストセラーになったら印税の1%下さい。私にではなく、日本SF作家クラブのSF図書館建設準備委員会宛でいいですから。そういう委員会はないですが、資金とハコモノさえあれば収蔵する本や資料のほうは協力したいという方々はたくさんいますから。
雀部> 「ガンダム」「宇宙戦艦ヤマト」や「仮面ライダー」等々をプロジェクトマネジメントの観点から考察した『空想プロジェクトマネジメント読本』とか、『スタートレック指揮官の条件』(仮想ビジネス書の金字塔)という本があって――宇宙艦隊アカデミー公式教科書採用予定とか書いてある(笑)――当然買って楽しく読んだのですが、ベストセラーには残念ながら届かなかったようです(爆)
 それにしても、SF図書館って出来るといいなぁ。
長山> いいですよねぇ。野田昌宏先生の旧蔵書は現在、早川書房が収納してくれていて、整理を進めているようですが、SF図書館設立は一出版社に頼り切れるものではないし、われわれSFファン全体にとっての大きな課題のひとつです。


[長山靖生]
1962年茨城県生まれ。評論家、歯学博士。鶴見大学歯学部卒業。歯科医の傍ら、文芸評論、社会時評などの執筆活動を展開。96年、『偽史冒険世界』(ちくま文庫)で大衆文学研究賞を受賞。著書に『テロとユートピア』『人はなぜ歴史を偽造するのか』『日露戦争』『日米相互誤解史』『不勉強が身にしみる』『若者はなぜ「決められない」か』など。
[雀部]
1951年岡山県生まれ。アマチュアインタビュアー、歯科医師。東北大学歯学部卒。歯科医の傍ら、SF作家の先生方にメールインタビューする毎日です。


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