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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[松崎有理]&[小浜徹也]

『盤上の夜』
>宮内悠介著/瀬戸羽方装画
>ISBN-13: 978-4488018153
>創元日本SF叢書
>1600円
>2012.3.30発行
第一回創元SF短篇賞山田正紀賞受賞
収録作:
「盤上の夜」囲碁
「人間の王」チェッカー
「清められた卓」麻雀→ネットで読めます
「象を飛ばした王子」チャトランガ(チェスや将棋のご先祖様)→ネットで読めます
「千年の虚空」将棋
「原爆の局」囲碁(「盤上の夜」の後日譚)

『小説現代』平成24年9月号
> 講談社
> 定価940円
“「明日」を見つめる小説特集”ということで、以下の4作品が収録
「Wonderful World」瀬名秀明
「百匹目の火神」宮内悠介
「滑車の地」上田早夕里
「終わりなき灰の国」初野晴

『囲碁殺人事件』
> 竹本健治著
> ISBN-13: 978-4488443016
> 東京創元社
> 580円
> 2004.2.27発行
(1980年に、CBS・ソニー出版から刊行)
 第七期棋幽戦第二局は、〈碁の鬼〉と称される槇野猛章九段の妙手で一日目を終えた。翌日の朝、対局の時間に槇野九段は現れず、近くの滝の岩棚で首無し屍体となって発見される。死の二週間前に目撃された奇妙な詰碁は殺人予告だったのか。知能指数208の天才少年・牧場智久と大脳生理学者・須堂信一郎が不可解な謎に挑む本格推理。ゲーム三部作第一弾、牧場智久シリーズ開幕。

『将棋殺人事件』
> 竹本健治著
> ISBN-13: 978-4488443023
> 東京創元社
> 660円
> 2004.5.28発行
(1981年に、CBS・ソニー出版から刊行)
 駿河湾沖を震源とする大規模な地震が発生し、各地に被害をもたらすなか、土砂崩れの中から二つの屍体が発見された。六本木界隈に蔓延する奇怪な噂「恐怖の問題」をなぞったかのような状況に興味を覚え、天才少年・牧場智久は噂の原型と発生源を調べ始める―。すべてが五里霧中の展開に眩暈を覚える異様な力作長編。少年探偵・牧場智久、第二の事件。

前回の続き)
雀部> 小浜さんに一つお聞きしたいことがあります。文学賞の選考基準に「今後の活躍が期待できる」というのがあると聞いたのですが、それは応募作品のどういったところから判断されるのでしようか。
小浜> 選考委員の方たちそれぞれに判断基準なり思惑なりがあると思いますが、ここでは小浜の考え方でいいですか。
 『原色の想像力』の巻末座談会で、ぼく自身も「伸びしろ」という言い方を何度もしてるんですが……5月の〈SFセミナー〉合宿での「『原色の想像力2』読書会」(岡和田晃さん主催)の部屋でも話したことなんですけど、「将来性」という名の採点枠って存在するんですよね。
 それを話しはじめるとまたもや「放送部の思い出」に突入してしまうのですが、いいですか?
雀部> もちろんかまいませんとも。お願いします!
小浜> 嬉しいな、またしても放送部の話ができる。ありがとうございます最高です。
 徳島県立城東高校放送部では当時、夏の全国大会、新春の地方大会(どちらもNHK主催)へ出場する部員を選出するにあたって、顧問の先生二人と先輩部員(アナウンスと朗読の専攻者)が下級生を採点していたんです。
 採点表には「声量・滑舌・アクセント」といった、誰もが想像するであろう項目が並んでいたのですが、その最後に「将来性」という欄がある。
 これは顧問の先生が偉かったのか、いつかの時代の先輩が偉かったのか、何にせよ、ものすごい項目です。人生観を揺さぶられるほどでした。
 だって「将来性」ですよ? どうやって判断しろと?
 でも「埋めろ」と言われる。「これまでも、おまえの先輩たちは採点してきたのだ」と言われると、埋めなくちゃならない。
 なので無理やり埋めました。それが、小浜の強烈な「原体験」です。
宮内> 中間管理っぽいことをやっていたとき、プログラマの評価シートに「主体性」「責任感」とあって頭を抱えたことがあります。「将来性」のパラメータは体感的には存在しますが、「それでも教育を試みるのが知性体ではないのか」というか、どことない丸投げ感がある。
小浜> 「主体性」「責任感」! それもすごいな。こんど弊社の入社試験のパラメータとして検討します(笑)。「それでも教育を試みる」というのは正論だけど、この場合には「取捨選択」ということがね、できるわけで。
 これは他の選考委員の皆さんがあってこそなのですが、最終に残るレベルの作品には「コアなポテンシャル」がすでにあるわけで、小浜としては立場上、技巧、力量を推し量ることに専念するので、わりとよく見えます。……なんて言っても意味不明でしょうか。
雀部> 外野席は全然分かりませぬ〜(笑)
 アナウンサーの卵の「将来性」って、素人なりに考えると、努力とか訓練で変えることの出来ない「声の良さ」とかでしょうか。あ、これは将来性ではなくて「適性」か。滑舌とかは訓練で改善できそうだし、司会とかはテクニックを学べばなんとかなりそうだし。
小浜> 「気配り力」というのも必要ですよね。それはまあ本人を相手にしないと分からないことですが。
 なんというか、「完成形への余地を想像する」とでも言えばいいのでしょうか。
雀部> 将来なれるであろうアナウンサーの完成形を想像するんですか……
小浜> そのとおりです。どこまで「なおし」がきくか想像する。実際に、そこで自分が感じた不満を解消するようにその後の練習をつけていたように思います。小説も似ています。
雀部> しかし、文学賞の選考は、本人が目の前にいるわけじゃないですよね。
小浜> そうですね。だからテキストに添って作者の内側に入っていく作業になります。
 もっとも選考の段階では、そこまで深く読むわけじゃありませんが。
 「完成形は、この目の前の作品ではなく、ここから多少は先にある」と思って読むんですけど、でもその「完成形」が遠すぎても話にならないし。「次の作品につづく力があるか」、つまり「もう1作読みたいか」ということはよく考えます。
雀部> 難しいですね。長く選考委員を務めてらっしゃる方々は、今まで何年も選考していた経験があるから、「将来性」も見抜けるのかな。でも、ある程度実績を積んだ作家の方が選ばれることのほうが多いですね。
小浜> そこは本当にむずかしいところですよね。
 第2回でゲスト選考委員をお願いした堀晃さんが、たぶんウェブで書いてらしたんですが、「ぼくは『創作者』としてよりも『読者』としての自分のほうに自信がある」。すごい言葉だと思います。それをちゃっかり敷衍させていただくと、「小説家」としての力と「批評家」としての力は必ずしも同じではないだろうし、さらに「読者」としての力というのも違うのだろうと考えています。笠井潔さんが、「自分の書いた批評は自分で採点できる。でも自分の創作は、はて、何点の出来か分からない」とおっしゃっていたことにも通じるような。すみません脱線しました。
雀部> 堀先生も笠井先生も凄いなぁ……
 では、選考委員の好みの問題もあるでしょうか。
小浜> いえ、じつは「好み」という要素は、さほど介在しないと思っています。あるいは、そう信じています。逆に、「自分の得意分野を扱った作品だったので、ツッコミどころが見えてしまって厳しい判断になったのだろう」というのは、割とよく感じます。
雀部> 私なんかは、SFを評価する場合、ハードSFにはどうしても甘くファンタジー系には辛くなるのですが、大森望さんにインタビューした時に、SFのほうが好きなんだけど、ファンタジーのほうの評価が甘くなるとお聞きしてなるほどなあと思ったのと同じような気がしますね。
 「盤上の夜」に関してだと、山田正紀先生と小浜さんが高く評価されてましたね。
 選考の様子を読ませて頂いて感じたのですが、創元SF短編賞の“一回目”ということもかなり影響したのでしょうか。
小浜> 確かにあの座談会には、「1回目だから」という言葉が何度も出てきますね。でも「盤上」については、その条件は影響していないと思います。それよりは個々のSF観の違いのように感じます。
 毎回思うのは、そのときどきで「合議に至る流れ」がどうだったか次第、ということです。一種のディベートとも言えます。ああしたかたちで「最終選考座談会」が発表されてしまうと、「その選択肢しかなかった」ように見えるかも知れませんけど。
雀部> 『盤上の夜』は、まさに盤を使ったゲームにまつわるお話で構成されているのですが、これは小浜さんのアイデアなのでしょうか(松崎さんの短編集は、同じ大学が舞台となってましたし)。
小浜> 雀部さんって、なかなか答えにくいことを訊きますね(笑)
雀部> あわわ、すみません。
 新人作家さんが出す最初の本に、編集者の方がどういう風に関わっているのかを知りたくて。
小浜> 最初、小浜から「受賞は逸したけどアンソロジー(『原色の想像力』)を出します。会いましょう」と電話しました。初対面したとき、小浜は松崎さんの場合と同様に、「これを連作にできるかな」あるいは「連作にするとしたら、どういう後継作品がつくれるかな」と言ったんだと記憶しています。
 宮内くんは「囲碁以外の種類の抽象ゲームを題材にした作品を」と即答しました。いや、即答というか、その後何度も経験するように、すこーしの何とも言えない間合いを置いて答えてくれたのでした。
 そのとき、「じゃあ語り手を「盤上」と同じ人にすれば?」と小浜が提案した……と記憶しているんだけど、確かでしょうかどうでしょうか。
宮内> (少しの間)そうですそうです。原体験の一つが竹本健治の「ゲーム三部作」ですので。
小浜> そうそう、小浜は周りじゅうから読め読めと言われてるんだけど「ゲーム三部作」は未読なんだよね。ちょっと関連について説明を。
宮内> 『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』からなる三部作でして、最初はタイトな本格ミステリであったものが、徐々にタガが外れると言いますか、かつてないような小説に変わっていく。精神医学テーマなども出てきて、全方面的に影響を受けています。
雀部> 『囲碁殺人事件』と『将棋殺人事件』を読み返して、ついでに『匣の中の失楽』を読んでみたんですが、凄いなぁこれ。ブラックホールとか物理とか色々出てきて(ま、ちょっと昔の作品なので、科学史的な部分ではあれっ?なところもあるんですが)SFファンも面白く読めるかな。ま、取っつきやすいのは確かだけど、ミステリ的にはよく分からなかった(汗;)
 おっとそういえば、来る9月19日(水)に竹本先生とのトークライブがあるんですね。平日なので、関西からはなかなか参加が難しいんですが、関東地方の方はぜひ(笑)
宮内> はい、どうぞよろしくお願いします。竹本さんの守備範囲があまりにも広く、どんな話題になるか全然読めずわくわくします。
小浜> 『トランプ』が最高にすごいと聞いてます。
 さて、『盤上』収録の連作については、『原色1』が出る頃には一度書き上がっていて、それを一話ずつ手直ししてもらいながら雑誌とウェブに発表していった、というかたちです。
雀部> なるほど、ありがとうございます。
 題材が広がっているので、SFファンだけではなく囲碁・将棋・麻雀のファンにも薦めやすい短編集に仕上がっていて、ネットでの評判も極めて良いようですね。
 しかし、いきなり直木賞候補は凄いですね。出版に当たり、やはり編集者としてはそれくらいの予測は立てられていたのですか。
小浜> 立てられるわけないじゃないですか(笑)
 本当にもう、二人で腰を抜かしあいっこしましたよ(笑)
宮内> 小浜さんに最初にお伝えする段になり、デマだったらどうしようと超悩みました。
小浜> だってSFですよ?(笑) もちろん、小浜の周囲でも、ウェブ上のコメントでも、SFにほとんど親しんでいない人たちが読んで、普通に驚いてくれたり感動してくれたりしていることは認識していますが。
雀部> 担当編集者さんがそんな弱気で良いんですか(笑)
小浜> 弱気も何も(笑)、そもそも縁がないものと思ってましたから。SF性を度外視しても、新人の第一作ですし。
雀部> Webで感想を見た感じでは、SFファンでない方のほうが受けが良いような気がしますし。
宮内> どうなのでしょう。体感的には、SFファンだから大目に見てくれた箇所もけっこうあるような。
小浜> 桐野夏生先生が直木賞選考会直後のコメントで持ち上げてくださってましたが、ほぼ「現在の文芸には、若者によるSF的想像力が必要」という趣旨ですよね。あのコメントには感動しました。と言うとおこがましいですが(笑)
 『盤上』については、SFのインサイダーからも「これってSF?」という感想が出てくるぐらいで……そのことがすでに、「"SFの想像力"はすでに文芸世界一般にひろがっている」ことを示しているんじゃないか、と(「SFファン」というものへの危惧も半分抱きつつ)感じていたところでした。
 つまり、考え方が浸透すればするほど、それは「SF」と呼ばれなくなる。『盤上』とはまったくタイプが違う作品ですけど、瀬名秀明さんの『パラサイト・イヴ』の登場あたりから(あれはモダンホラーというカテゴリで呼ばれたわけですが)、漠然と感じていたことなんですが……今回は我がことなだけに、ひしひしと感じました。
 これって、「SF」の勝利なんでしょうか、敗北なんでしょうか。……きっとそういう切り口で考えるべきことではないのでしょうけれど。すみません、脱線しましたね。
雀部> “SFの浸透と拡散”……
 私自身はSF的思考法が広がるのは良いことだと思っているのですが、コアSFも頑張って欲しいですよね。
宮内> なんとなくですが、逆に、普通の感性や発想がSFに接近している感もないではないです。世界情勢やテクノロジーを前に「すでにSF」などと言うのとは少し違う意味合いで。
小浜> ディックやバラードを「SFファン」以外の人も読む、というのに近いかも知れない。
 でも(70年代半ばのSF界最高のキャッチコピーでもある)“SFの浸透と拡散”と言ってしまうと、なにか40年ほども進歩がないようにも聞こえてしまいますが(笑)、小浜よりもひと世代上の雀部さんとしては、さきほどの小浜の疑問は、当時とまったく変わっていないように感じられるのでしょうか?
雀部> あんまり変わってはないような(笑)
 『パラサイト・イヴ』('95)と言うと瀬名先生が、“あれはSFじゃないと言われて落ち込んだ時期があった”という趣旨の発言をされてますが、似たような感覚ですかねぇ。
小浜> 面白いのは、かつては「あれはSFじゃない」と言い立てると「コアなマニアめ!」と逆襲されていたんですが……いや、「SFか、SFじゃないか」という議論自体は大切なんですよ……でも最近は逆に、「自分はコアなマニアではない」と主張する人のほうが、ぼくらからしたら「明らかなSF」を、「あれはSFじゃない」と言うことが多いんじゃないかと感じます。
雀部> 筒井康隆先生はSFから純文学へ浸透されて行った感じなんでしょうが、純文学側からだと、笙野頼子先生の「タイムスリップ・コンビナート」('94)を読んだときに、あっSFしてるなぁと感じましたね。ミステリだと西澤保彦先生の『七回死んだ男』('95)あたり。ありゃま、同じ頃なのか……
 こりゃ、小浜さんと同じ感覚ですねぇ。
小浜> 笙野さんは未読ですが、西澤さんの初期作はずいぶん読みました。『七回』は完全にSFでした。あの思考実験性はすごかったですね。当時の新本格ミステリってものすごくSFに親和性があって、その中でも「完全にSF」が受け入れられたというのは状況として面白かったですね。ほかにも麻耶雄嵩さんの代表作『夏と冬の奏鳴曲』も「ほぼSF」だったし。
 綾辻行人さんにはじまる当時のムーブメントをSFの観点から語ることって出来ると信じてるんですが。
 「限界研」で誰か論考してたりしないのかな……またまた余談ですみません。
雀部> ま、私は面白い本が読めればそれでOKなので、SFが勝っても負けてもそれほどの感慨は受けませんが、コアSFが読めなくなるのは困るんで、勝ったことにしてSF小説の出版は続いて欲しいです(笑)
小浜> そうそう、素晴らしいですね「勝ったことにして」(笑)。とても大切です。
松崎> きれいにまとまったところで。そろそろみやうちさんの話しましょうよ著者インタビューなんですから。はいおねがいします“(笑)”のおおいインタビュアーさん。
雀部> へい(笑)
 早稲田大学第一文学部ご卒業ということなんですが、ご専攻は何だったのでしょうか。
 文学部卒で、理数にも詳しいプログラマというと、SF作家の素養としては最強かも。
宮内> 英文学専修という枠がありまして、そこで言語学をやっていました。やりたいことは「文系サイドからの自然言語処理」だったので、必要な理系知識は理工学部にもぐって。素養として必要充分ではないにせよ、助けられている部分は大きいです。
雀部> そうなんですか、文系といっても理系の知識が要求される分野だったんですね。
 反対に、松崎さんは理系で文系の素養もあるという。
松崎> いえいえ。なくて困ってます文系の素養。ほんと、大学時代に文系学部の講義もぐりこんどけばよかった、っていまさら後悔してるんです。
 このへんが、若いときから作家になろうと本気で準備しているひととそんなことまるで考えていなかったひとの差。あとでじわじわきいてきますよ。
小浜> 大学時代の文系教育が、創作に生かされるとは思えないけど。
 松崎さんってすぐ、自分は「若いときから本気で作家になろうとしたひと」ではないと言うけど、そういう違いってあまり意味がないと思う。小浜は大学生時代に「星群の会」(70年代半ばから80年代半ばまで一大勢力だった、京都を拠点とするSF創作同人誌)に所属していて、「(比較的)若いときから(SF)作家になろうとした」人たちを、たくさん目の当たりにしていたので。
 ……ああそうか、大事なのは「本気で」の部分か。あるとしたら、どう「本気」であって、それゆえに、何を考えて何を身につけたか、でしょう。
松崎> うん。作家になりたかったので文学部に進学しました、なんてひとたちとはえらい差がつけられてる気がして。だってこっちが偏微分やったり電子顕微鏡のぞいてたりしてるあいだに、あっちは日本文学読みまくって「太宰治論」とかで卒論かいてるわけでしょ。読書量からしてちがうんですよ。この圧倒的な差をいかに埋めるか、がじつはものすごいプレッシャーだったり。
 森村誠一先生や大沢在昌先生が、わかいとき意図的に読書三昧の時期をつくっていた、なんて話をきくと、やっぱりさいしょから本気で作家をめざしてたひとはちがうよなあ、と。ここがないのがわたしの弱点です。
雀部> 最近出た大沢先生の『小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない』って、面白そうなので、注文しました。
小浜> 大沢先生の『小説講座』は必読書です。『原色』シリーズの巻末座談会とあわせて、応募者の方はお読みください。
松崎> わたしも買いましたよー小浜さんにすすめられて。
 作家志望者だけではなく執筆に悩む新人作家も必読だと思いますタイトルどおり。この本のおかげで、詰まっててなかなか進まなかった部分が一気に打開されました。じつは原因は“プロとしての自覚の足りなさ、決意の甘さ”だったのです。
 ああすみませんずいぶん脱線。もどしましょうね。
雀部> ところで、宮内さんは麻雀のプロを目指されていたそうですが、相当お好きなのでしょうか。
宮内> 必要以上に好きです。しかし、このごろ集中力が落ちて勝てないんですよ。
雀部> ありゃま。
 『盤上の夜』の収録作の題材からしても、囲碁・将棋も相当お強いのではないかと感じました。その昔、「日経MIX」という商用BBSに参加していたのですが、そこの将棋会議(グループ)の参加者は、大学数学の先生、プログラマ、SEの方々が多かったです。
宮内> 数学者やプログラマが囲碁将棋に興味を持つのは自然である気がします。非常にわかりやすい形で目の前に未踏峰が立っていますので。私個人は、囲碁はまあまあですが、チェス系ゲームとなるとありえないくらい弱いです。たぶんどこかで論理を捨てないと強くなれない。
雀部> それは相当レベルの高い話でしょうか。それとも囲碁は論理的で、チェス(将棋)は論理的ではないということなんでしようか。
宮内> ごめんなさい! レベルの低い話です。つまり、囲碁も将棋も、「神の目」には論理的であっても、たぶん人間にとってはそうでない。それどころか、ある程度の棋力までは、「かけた時間」に勝るものはない。脳内にブラックボックスの回路を作るイメージといいますか。効率やロジックがなかなか役立たないのですが、何事もそれを捨てるのが難しい。
雀部> それは、現在の将棋ソフトが、次の一手を論理的に読んでいるのではなくて、CPUの性能に頼った力業(可能性のある手をすべて追求する方向)で強くなったのと関係ありますか。
宮内> 似ています。いまのコンピュータ将棋・囲碁の仕組みは、「やってみたら強かった」面がありまして、「なぜか期待通りの動作をする」という意味で人間風です。
いろいろと漠然としているものですから、「味が悪い」といった漠然とした用語が有効であったりする。
雀部> 囲碁には詳しくないのですが、「味が悪い」というのは良く聞きますね。なんとなくわかるという程度ですが。
 ん?もしかしてそれは、某社OSのソースコードが汚くて長いと言われているのと同じなのかな(笑)
宮内> 関係していると思います。とにかくソフトウェアは発展が早いので、必要な言葉を私たちが発明するより前に、大きくなりすぎてしまった。
雀部> そのソフトに最適化された言語ではないために、プログラムが洗練されてないわけですね。
 コンピュータ囲碁に最適の言語を開発する話だと『バベル―17』になっちゃうけど(笑)
宮内> 囲碁の面白い点の一つは、原理的に人から人に伝えられないはずの技術を、論理を捨てた表現を使って、きちんと次世代に継承しているところです。それなのに、伝言ゲームが発生しない。これはソフトウェア工学なりジャンル小説なりが苦労している領域であると思います。ただ初学者には「躓きの石」でもあって、たとえば囲碁には「厚い」という表現がありますが、「厚い」とはどのような状態であるのか何を読んでも書かれておらず、最初はとってもいらいらする。結局、このあたりは「入りやすさ」とのトレードオフになりますか。
雀部> 将棋で厚いというと、まさに物量のことを指していると思いますが、囲碁の場合は将来どれだけ陣地を広げられるという位置取りや石相互の関連もありますよね。
宮内> そうなのです。囲碁の厚みは、具体的な報酬が目に見えない。全局的に少しずつ有利に働いて、陣地になるのは一見関係のない場所であったりする。まさに「将来性」です。(どうだと言わんばかりの顔)
小浜> ……むずかしい。
雀部> そういえば、さきほど影響を受けられたとおっしゃられていた『囲碁殺人事件』の作者の竹本健治先生は、囲碁と詰め将棋がお得意みたいで、そこらあたらも似てらっしゃるのでしょうか。
宮内> 影響を受けてしまっているのでなんとも言えないのですが……。竹本さんとの棋力の差はさておき、「プレイヤーが抱く夢」には、もちろん共通性はあると思います。たとえば『餓狼伝』の「格闘家に託される作者の夢」って、まるっきりの妄想でありながら、それでいて「ほとんど普遍」に感じられたりですとか。
雀部> 「盤上の夜」は、英語表記が"Dark beyond the Weiqi"とあり、なんか微妙にニュアンスが違う感じが。で、そういう目で見ると、他の短編の英語表記も、直訳じゃないですよね。
 これは何か狙いがあるんでしょうか。
宮内> 超笑われそうなのですが、英訳の可能性を高める目的があります。というのも、"Night on the Board" では英語圏の囲碁人口をキャッチしづらい。といって "Go" は検索ワードにならない。そこで、中国語の "Weiqi" を持ち出しました。あとは「論理の果ての非論理」を暗示したかったので、なんとなくかっこいい名詞形の "Dark" をと。英題は比較的コンセプチュアルにしやすいので、「主題そのまま」が多いです。
雀部> そうでしたか。
 中国語併記も良さそうですね。各国で話題になるといいなあ。
松崎> そうかー検索ワードになるかならないか、までは考えなかったなあわたし。
 でも英題つけるシステムって、サブタイトル考えてもいいよ、みたいでなんだかお得だと思いました著者としては。
 ところで小浜さん。この創元SF叢書の短編英題併記って今後も踏襲するつもりですか。
小浜> もちろんそんなの、成り行き次第ですよ。
 でも第2回(正賞受賞者)の酉島伝法さんは英語も堪能なので、何か思いついてくれると思いますが。そうそう、受賞作「皆勤の徒」については、すでに短編一編のみの電子書籍版に"Sisyphian"という英題がついています。もとになってるのは「シジフォス」です。
松崎> ああこれなんてまさに直訳でない、サブタイトル的英題ですよね。さすがうまい。
雀部> そういや松崎さん、『イデアル』の改稿は順調なんですか?
松崎> うわ、こっちに振られた。ええ、はい。予定よりだいぶ遅れてはいますが。上の大沢先生の本に活を入れられ、現在初稿を脱稿したところです。
 なお。例によって小浜さんによるワーカホリックなチェックが入りまくったせいで、もう改稿というよりはまったくの新作の執筆です。きっと山岸さん(=山岸真さん、翻訳家)は驚くだろうなあ、「四年前にファンタジーノベル大賞の下読みで読んだのとぜんぜんちがうー」って。
雀部> 山岸先生が審査委員されてたんですね。そうだ、また“(笑)”の半分を消費してると言われないように気をつけねば(汗;)
 順序からいうと次の創元SF叢書は、酉島さんの短編集ですよね。こちらは順調に推移しているのでしょうか。楽しみにしているのですが……
小浜> 酉島さんとはいま三作目のやりとりをしている最中です。第一回佳作の高山羽根子さんも発表済みの作品が溜まってきたので、もう少しで一冊にしようと。「創元SF叢書」自体で言うと、松崎さんの長編『イデアル』がたぶんいちばん早いかな。
松崎> みやうちさんの二冊めに追いこされるのでは、とひそかに戦々恐々。
雀部> 次が松崎さんの本になるかもなのか。松崎さんかなり素早いじゃないですか。(笑)
 話を戻しますが「盤上の夜」を読み返すたびに思うんですが、あれっ?こんなに短い話だったっけと。
松崎> すごい密度、と思いますよ。なのに読者に負担がかからない。この技術っていったい、って再読するたび驚愕します。
 そしてさいきん気づいたのですが。「盤上」は、“四肢をうしなうという絶体絶命の窮地におちいった主人公がそのピンチをいかにして切り抜けたか”というのがよみどころの冒険エンタメでもあるなあ、と。さらにいえば、そのピンチをチャンスに変えていく成長小説でもある。なお個人的には、酔った新見名誉棋聖に悪意なくふまれちゃうとこがすきですはい。あっけらかんとあかるい障害。
雀部> 乙武さんみたいだ(笑)
 由宇が勝つために各国の言語を習得するばかりか、囲碁に最適な皮膚感覚を表す新たな言語を考え出すくだりなどはもっと話を広げられるのに、敢えてそうされなかったような感があり、そこらあたりも影響しているかなと思いました。
 「千年の虚空」は、反対にSFらしい大ネタが入ってたりするので、これは宮内さんが囲碁のほうがより詳しいということと関連してるかなと想像したのですが。
宮内> 古代チェス編と対になる話ですので、同じ流れを汲む将棋を扱いました。そしてゲームを主題にする以上は、国家間のゲームや政治、ひいては「システムそのものとの闘い」も取り入れたいと。『盤上の夜』には「神の一手を目指す棋士」が出ないのですが、それは「神の一手」が「システムの枠組みの中にある」からだったりします。
雀部> この数多の外国語習得から新たな言語開発に向かう場面が、世界が広がっていく感じがして、SF者としては一番わくわく感を感じて一番好きです。
小浜> そうですね。SF性でいくと、あそこが山場ですね。
宮内> 実は『天』という麻雀漫画に「強くなるために言葉を増やす」というフレーズがありまして。もっと面白い箇所はほかにいくらでもあるのですが、このワンフレーズに得体の知れない可能性を感じてすっごいワクワクしたのですね。
雀部> 麻雀漫画にもあるんですか、それも凄いです。
 “システムそのものとの闘い”とか“システムの枠内にある”とかいう感覚は、プログラマ(数学系)ならではですね。「スペース地獄変」にも通ずるような気がします。
 ん。『囲碁殺人事件』を読んでいて思ったのですが、ひょっとして「盤上の夜」は“ゲーデルの不完全性定理”を小説の形であらわしたとかあるのでしょうか。
宮内> 似ています。「答えが出るわけがない領域を考える」作業がないと、私の場合、一瞬で自己完結したり思考停止したりしてしまうのですね。ただ、科学哲学的なアプローチという意味では、一応やらないように気をつけてはいます。
雀部> それは全然気が付きませんでした(汗;)
 Twitterで“こかだじぇい”さんとのやりとりを拝見しました。(ゲームSF短編集、宮内悠介『盤上の夜』(東京創元社)の囲碁・将棋の描写についての気になる点)
 けっこう細かいところまで読んで、事実関係も確認されているみたいで、「盤上の夜」にはそういうゲームファンを本気にさせる面白さがあるんだなぁと感じましたよ。
宮内> このかたの指摘は本当にものすごくて、資料をふたたびひっぱりだし、事実関係を把握するのに丸二日以上かかりました。幸い二刷が出て修正をしてもよいとなりまして、だいぶ反映させることができました。作品の力というよりは、その前に私自身がいろいろ調べて詳しいつもりになっていたので、そういうところが透けて見えたのだろうと思います。
雀部> それは、こかだじぇいさんも喜ぶことでしょう。
 それにしてももう重版がかかったのですか。やはり直木賞候補になった効果は凄いなぁ。
小浜> 候補作になるだけで売れるという恐るべき賞です。「読書メーター」などのコメントを見ていたら、候補になったのを境に読者の層が変わったなと感じられたぐらい(笑)。直木賞を指針に本を読んでる人ってこんなに多いんだと思い知りました。ありがたいことです。
雀部> 「人間の王」は、チェッカーについての話ですが、文中に「神が、わたしに論理的思考を与えたもうた」とあります。これはチェッカーというゲームが、完全解が発見されていることと同義なんでしょうか。
宮内> これを言ったティンズリーは故人ですし、意図ははっきりとはわからないのですが、ティンズリーという人物が言うと、「もしかしたら」と思ってしまいます。
雀部> 「人間の王」は、人とアルゴリズムの闘いの話でもあると思いますが、もし宮内さんの創作のアルゴリズムが解明されて、そのAIが宮内さんご自身も驚くような小説を書くとしたらどうお感じになりますか。
宮内> たぶん、このようなことを考えます。そのソフトはまず間違いなく私より優秀なので、無益なエミュレーションはやめて、人間に書けない小説を書いてほしいと。
雀部> 人間に書けない小説が、人間にとって面白いかどうかということも面白い命題のような気がします(笑)
宮内> 確かに。人間にとって面白いかどうかを超越しているはずですもんね。
雀部> レムの作品みたいですね。
 「清められた卓」は、宮内さんがかつてプロを目指されていたこともある麻雀が題材で、小説としては一番読み応えがあり面白かったです。第九回白鳳位戦での、総ての牌が見えているかのような真田優澄の異様な戦い方と、プロ雀士新沢駆の駆け引きも凄味がありました。また収録作の中でもこの短編が一番伏線が張ってあって、最後の謎解きでそれが総て結実する様は快感でもあります――何回か読んで気が付いたのですが(汗;)
 鴉のエピソードも、優澄に鴉とコミュニケーションをする能力があったというよりは、鴉が優澄とコミュニケーションを取れるようになったと考えれば納得がいきます。すなわち、第九回白鳳位戦で、雀士としての優澄は負けるべくして負けたけれども、シャーマンとしての優澄は使命を果たせたんですね。
 ま、有能な右腕として赤田大介医師を獲得できたわけだから、勝負にも勝ってるのかな。
宮内> あの短編は、書いたあとにちょっと憑き物が落ちたようなところがありまして、麻雀漫画のコレクションを処分したりなどしました。
雀部> ということは、麻雀小説の集大成なんですか。もっと宮内さんの麻雀小説を読みたいです。私らの年代では、映画にもなった『麻雀放浪記』が原点なんですが。
宮内> 「放浪記」よりは九十年代の麻雀漫画に近いでしょうか。
雀部> まあ年代の違いもありますし(汗;)
 「盤上の夜」や「清められた卓」「千年の虚空」を読んで感じたのですが、宮内さんは、ある方面の傑出した才能というものは、なにかと引き替えに得られるものなのではないかとお考えになっているような気がしました。
宮内> 各地のシャーマニズムに、「病に罹患したのち能力に目覚める」という話がよくあるのですね。麻雀編と将棋編はその枠組みを意識しています。囲碁編の由宇については、「ハンデがあってもなくても自分は変わらない」というキャラクター設定なので、少し意味合いが変わります(だから非常に共感を得にくい)。ともあれ、私たちは大なり小なりハンデを抱えているはずですので、「引き替え」の物語に希望を見出してしまうのも確かです。
雀部> え、由宇ってそういうキャラ設定だったんですか。不完全とはいえ思考で操作できる義肢をつけて望んだ対局では苦杯をなめ、新しい四肢を生やす試みをしたときには様々な精神疾患を起こしたので、四肢がないハンデ=盤と石が触覚となる特異能力と感じてましたので。
宮内> ああ、なるほど。もっともな疑問です。因果関係が異なるのです。たとえば将棋編では、「ハンデを負ったがゆえに」強くなったという構図がありますが、囲碁編ですと、たまたまハンデがあり、たまたま努力し、たまたま二つが結びついた、という具合です。
雀部> なるほど。読みが浅かったか〜(汗;;)
 「象を飛ばした王子」は、チェスや将棋の起源であるチャトランガが題材なのですが、ブッダの息子が主人公ということもあって哲学的・宗教的な考えさせられる短編でした。釈尊の「わたしの教えは、まさに、その心をいかに棄てるかということなのだよ――」という言葉は深くSF的でもありますね。若干意味合いは違うと思いますが、伊藤計劃さんやかんべむさしさんへのインタビューの時にも同じ感慨を持ちました。
宮内> 仏教そのものは手に余るので仏伝に特化しようとしたのですが、「世界にいかに呪いをかけるか」という問題を扱ううちに、仏教が無視できなくなってしまった。
雀部> 「象を飛ばした王子」では、最終的に「世界に呪いがかかった」んですか?
宮内>  すみません、それは結末にかかわるのでなんともです。
雀部> 愚問でしたね(汗;)
 どういう呪いをかけたのかにもよると思いますが、かかってないような……
 「千年の虚空」は、SF者としては一番好きなお話ですね。兄の一郎は量子歴史学により、現在を神話の時代まで押し戻してしまうことを企み、弟の恭二は将棋の盤上に神話世界を出現させ神を再発明することを目指していた。一郎は「ゲームを殺すゲームを作る」ということで、システムそのものを壊そうとし、恭二は、システムの中で完全解をねじりだしシステムを超えようとしたと考えて良いのでしょうか。
宮内> おおっ。ほぼその通りです!! 完全解というよりは、「神の一手」的なるものでしょうか。「神の一手」はシステムの中の出来事である、というのが『盤上の夜』の立場ですが(それが面白いかどうかは別問題として)、「システムの内からシステムを食い破る一手」はやはり夢想してしまいます。合わせ鏡や再帰関数に何か魔術的な力を感じてしまうように。
小浜> ……「アンチミステリはミステリか否か」の議論みたいだな。
雀部> 「神の一手」、囲碁将棋ファンならみんな見てみたいと思うでしょうね。
 文中で恭二の引き合いに故村山聖九段が出てきますが、持病や夭折との関連性でしょうか。それとも棋風でしょうか。
 「日経MIX」のshogi会議で知り合いになった将棋ライターの方が村山さんに注目していて、それに影響されて私も気になる存在だったんです。村山さんの故郷はお隣の広島県ですし。
宮内> 村山聖の名前を出すか出さないかで悩みました。おっしゃるように、持病と夭折の人物です。だから、名前を出すのはイージーすぎる感がありますし、出さないのも、それはそれで不自然な気がしてくる。
雀部> 将棋を指すスタイルも似てますしね。「千年の虚空」を読んだ将棋ファンが、村山九段のことを思い出してくれると嬉しいな。
松崎> “量子歴史学”というアイデア、単発で使い捨ててしまうにはもったいない大ネタです。どっかでまた出して、といいますかこれをメインにすえた長編とかどうでしょうみやうちさん。
宮内> 物語vsテクノロジー、ということで出してみましたが、うーん……、長編で扱う概念としては、ちょっと突っこみどころ満載すぎやしませんか。ただ、あのストーリーに「未練」があるのも確かです。「他者操作の病」とも言える境界性パーソナリティの問題と『ピグマリオン』の合わせ技は、もっとシンプルかつ誰もが共感する物語になりえた。
雀部> あ、それも読みたいです>境界性パーソナリティの問題
 さて、最後にひかえし「原爆の局」ですが、巻末に相応しい集大成作に感じました。広島に原爆が落とされた日に打たれた碁をモチーフに、由宇と井上をアメリカの原爆の地で対局させようという発想も凄いです。またどの作品もゲームを通じて得られる真理を追究した作品とも言えるかも知れません。
 「千年の虚空」で語られた異なる歴史によって集まった人たちによって形成されるゆるやかな塊―フリンジ―すなわちそれぞれ違ったOS上で動くシステムも、囲碁という共通するゲームで戦った二人の棋士であれば、その違いを乗り超える新しい認識、新たな地平線が開けるのではないかといわれている気がしました。
宮内> 表題作「盤上の夜」は「二人の棋士は世界を共有していたのか」(あるいは共有していないのではないか)という問いをめぐるストーリーですが、それはそれとして、一つの道を究めた者同士の世界というのは、まあ憧れます。そこに開ける新たな地平があるといいとも思います。なお、ほぼノンフィクションであったチェッカー編に対して、原爆編は「史実に負けないフィクション」を目指して作られました。
松崎> じつはひとつ気になっていることが。
 単行本『盤上の夜』をしめくくる一本としてさいしょはコメディ短編が書かれたのだけれど、「さいご笑いで落とすってどうよ」(大意)とクレームがついてボツ、かわりに「原爆」が、という経緯だったとの噂を某所(飯田橋のあたり)からききました。このへんについてなにかしゃべってもらっていいですかみやうちさん。
宮内> シリアスすぎて暑苦しいんじゃないかと心配だったんです。その前の将棋編がやたらとヘビーですし。しかし落ち着いて考えてみると、コメディを書いたところで対消滅してくれるわけでもなし。逆に、架空のゲームで落とす、という案も考えました。あるいは、人間には勝敗がわからないゲームですとか、ゲームであるとすらわからないゲームですとか。
松崎> えっそれたのしそう。いつか作品化を期待。
雀部> ぜひぜひ!>ゲームであるとすらわからないゲームの話
小浜> そう言えば「盤上」理解のために35年ぶりに『春琴抄』を読み直しましたよ(放送部1年夏の、朗読のほうの課題図書だったのです)。狂気なほどの天才少女と、それに寄り添う年上の男性について、後世の第三者(『春琴抄』では谷崎自身)が語り起こす、という構造以外にも何かあるの?
宮内> 谷崎とは比べるべくもないのですが、文章上の語り口や、「エロティシズムをどう昇華するか」といった問題設定に近いところがあります。あとは身体的なハンデですか。
雀部> 『春琴抄』ですか!それは気がつきもしなかった知見です(汗;)
小浜> いえ、ぼくも宮内くん自身に言われて、「へえーっ。なるほどそうだったか」と感心したような体たらくで。
松崎> じつは『春琴抄』わたしもだいすきです。
 『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(すが秀実・渡部直己)で、かぎかっこや句読点をなるべくつかわず書いてみよう、という課題というか提案があって。そこで参考書としてあげられていたのがこれでした。こんな文体があったのかと驚愕。そして描写のうつくしさにまた驚愕。それがほんの数年前。
 なお。たかやまさん(=第一回佳作受賞者・高山羽根子さん)は「わたし15のときには『春琴抄』よんでましたよー」(大意)とのことでした。ほおらこのへんに文系の素養のちがいが。
 で。話もどします。あらためてならべてよんでみると、たしかに“「エロティシズムをどう昇華するか」といった問題設定”あたりには明確な影響がかんじられます。「対局こそが、わたしたちにとっての、性愛だったのです」(原文ママ)なんてすごく谷崎っぽい。あ、これほめてるんですよ。
宮内> 男性的な欲望を、避けるでもなく煮詰めるでもなく相対化するでもなく、ただ言葉によって「消滅」させられないか、というよくわからないパッションがありました。とはいえ、「そのまま煮詰める」というある種の文芸上の王道をガン無視していますので、それはそれで挑戦しておかないと説得力がないと言いますか、できないのも癪だと言いますか、とにかくよくわからないパッションが発生しまして、それで将棋編を後半に配置しました。
雀部> 対消滅は、全くの鏡像体(というか反物質)でないと無理なので、小説でそれを実現するのはノーベル賞ものなのではと思ったり……
 「原爆の局」のなかで、相田が“すべてはバランスなのです。だからそう――碁とは、抽象が五割の具象が五割です”と看過する場面がありますが、宮内さんの短編もそのバランスが見事だと思います。「盤上の夜」では由宇と井上(と相田)、「人間の王」ではティンズリーとシヌーク、「清められた卓」では優澄と新沢(と赤田)、「象を飛ばした王子」でのラーフラと釈尊、「千年の虚空」の一郎と恭二(と綾)のゲームを介した人間模様もさることながら、ゲームというシステムの中でもがきながらもそれを超えようとする人間を見守るクールな目線が物語を引き締めていると感じました。
宮内> 恐れ入ります。書いてから気がついたのですが、「同じ文脈を共有することの連帯意識」というのがありますね。これがゲームですと、互いに識らないまま同じことをやって同じ時間を過ごすことも可能なわけですから、なおさら強い。で、何が言いたいのかと言いますと、題材がゲームであるがゆえに、人間ドラマを限りなく省略したミニマルな形で見せることができる。
小浜> なるほどなあ。
雀部> まさに短編向きだったのですね。
 最後にこれからの出版予定とか執筆中の小説がありましたら、かまわない範囲でお教え下さい。
 最新作の「百匹目の火神」(「小説現代」9月号掲載)も読ませて頂きました。未来を考える人類と未来を見ない猿の考察には考えさせられました。「象を飛ばした王子」とも共通する概念かも知れませんね。未来を考えることになった以上は、人類は地球の未来にも責任を持たなくてはなりませんね(笑)
宮内> ええっと、何事もなく進めば、順繰りに三冊をお見せできると思います。まず、東京創元社からの書き下ろし長編。それから早川書房の「ヨハネスブルグの天使たち」のシリーズ、河出書房新社の「スペース金融道」のシリーズです。
雀部> おっと、東京創元社からは、最初の長編が出ますか。
 どういうサブジャンルの話かは、披露可能でしょうか?
小浜> なんと火星へ行きます。そこでの精神病理の話になる……と、前にもらったシノプシスではそんな感じだったと思うけど。でもきっと『火星のタイム・スリップ』にはならないでしょう。
雀部> 火星と精神病理の組み合わせですか。どういう話か全く見当が付かないんで、楽しみ百倍です。
 刮目して待ちます!
宮内>  変てこな話ですけれど、たぶん面白くなるのではないかと思います。よろしくお願いいたします。――どうもありがとうございました。


[宮内悠介]
1979年東京生まれ。92年までニューヨーク在住、早稲田大学第1文学部卒。在学中はワセダミステリクラブに所属。インド、アフガニスタンを放浪後、麻雀プロの試験を受け補欠合格するも、順番が来なかったためプログラマになる。
囲碁を題材とした「盤上の夜」を第1回創元SF短編賞に投じ、受賞は逸したものの選考委員特別賞たる山田正紀賞を贈られ、創元SF文庫より刊行された秀作選アンソロジー『原色の想像力』に同作が収録されデビュー。また同作を表題とする『盤上の夜』は第一作品集ながら第147回直木賞候補となった。
[松崎有理]
1972年茨城県うまれ。だから干し芋@茨城県産を誠心誠意応援している。若いころから作家になろう、などどちっとも思っていなかったので、経験不足を補おうと付け焼き刃的に小説かきかたマニュアル本を読みあさる日々。いまはもう90冊に迫ろうとしています。もはやりっぱなマニアです。ああ100冊読んだらなにか起きるのかなひょっとして。
公式サイト http://yurimatsuzaki.com/
2012年9月現在の近況:
 「光文社『ジャーロ』にて代書屋ミクラシリーズを連載ちゅうです。最新作は11月号に掲載予定。そして、社団法人人工知能学会誌9月号にショートショートが載りました。カットもてがけた力作です。半年後には人工知能学会ウェブサイトにも掲載されます」
[小浜徹也]
1962年徳島県生まれ。1986年、東京創元社入社。SF以外にも、案外ファンタジーやホラー、海外文学セレクションも担当しています。もっとも、ミステリだけは国内外とも一切つくったことがありません。ウンベルト・エーコと島崎博の来日イベントの司会をつとめたことが生涯の自慢です。2000年に柴野拓美賞を頂戴しました。
[雀部]
将棋・麻雀・チェスを少々。囲碁はセンス無し(汗;)
大学教養部時代は、SF研ではなくて囲碁将棋部だったのは内緒(笑)

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