| TOP Short Novel Long Novel Review Interview Colummn Cartoon BBS Diary |

Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『母になる、石の礫で』
> 倉田タカシ著/HIROTAKA TANAKAイラスト
> ISBN-13: 978-4152095206
> ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
> 1700円
> 2015.3.20発行
 3Dプリンタが驚異的進化を遂げ、建築物から料理まで直接出力出来る未来。禁断の実験に手を染めるため地球を脱出したアウトローな12人の科学者は、小惑星帯にコロニーを建設した。〈始祖〉と呼ばれる彼らに産み出された〈二世〉の虹、霧、針、そしてその下の〈新世代〉を含む4人は、コロニーを離れ自らの〈巣〉を建設していた。あるとき虹は、母星の地球から威圧的に近づいてくる巨大構造物に圧倒される。虹たちは対策を検討するため7年ぶりに〈始祖〉と再会するが、それは過去に2名の〈二世〉を失った事件に端を発する確執の再燃でもあった―未来的閉塞環境で己の存在意義を失った異形の若者たちの惑いと決意を描く本格宇宙SF。

『NOVA10』
> 大森望責任編集/西島大介装画
> 河出書房新社
> 1200円
> 2013.7.20発行
「妄想少女」菅浩江
「メルボルンの思い出」柴崎友香
「味噌樽の中のカブト虫」北野勇作
「ライフ・オブザリビングデッド」片瀬二郎
「地獄八景」山野浩一
「大正航時機奇譚」山本弘
「かみ☆ふぁみ!~彼女の家族が「お前なんぞに娘はやらん」と頑なな件~」伴名練
「百合君と百合ちゃん」森奈津子
「トーキョーを食べて育った」倉田タカシ
「ぼくとわらう」木本雅彦
「(Atlas)^3」円城塔
「ミシェル」瀬名秀明

雀部> 今月の著者インタビューは、15年3月にハヤカワSFシリーズ Jコレクションから『母になる、石の礫で』を出された倉田タカシさんです。
 倉田さん初めまして、よろしくお願いします。
倉田> はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
雀部> 今回、酉島伝法先生・高山羽根子先生との共作web企画「旅書簡集 ゆきあってしあさって」繋がりでご紹介いただいたのですが、この企画はどういう経緯で始まることになったのでしょうか。
倉田> 文と絵の両方をやりたいタイプの人間がたまたま3人集まって、わーっと盛り上がって、勢いで始めてしまいました。創元SF短編賞のイベントで僕と高山さんが知り合いになり、その後SFファン交流会で酉島さんとも知り合い、Twitterで3人がやりとりしているうちにたちまち話がまとまって、という感じです。
 やりとりの始めの方はTogetterにログがありますけど、わーっとなっているのをおわかりいただけるかもしれません。坂永雄一さんとオキシタケヒコさんもアドバイスをくださったりして、ありがたかったです。
 更新がしばらく滞っていますけど、3人の気持ちとしてはまだまだ現在進行形の企画ですので、書籍化のオファーなど、もしありましたら……。
雀部> 書籍化オファーよろしくお願いします>出版社各位さま
 ハヤカワSFコンテストに応募されようと思った動機をお聞かせ下さい。
倉田> SFのデビュー作が短文とタイポグラフィだったので、小説を書く人間とみなされていなかったと思うんですけど、本人としてはだんだん書きたい気持ちが強くなってきて、第4回の創元SF短編賞に落ちたあと、『NOVA10』にようやく〈小説〉と呼んでもよさそうな作品(「トーキョーを食べて育った」)を載せていただくことができました。
 これで小説を書く人間としても認知してもらえるかも、と勢いづいて次の短編を書き始めたんですけど、ずるずると伸びていって結局長編になってしまいました。短編として書きはじめたときは雑誌に持ち込むつもりだったんですが、こうなるとそれもできず、ならばダメ元で長編の賞に、と。
雀部> なるほど。
 「トーキョーを食べて育った」は、ジャンル分けすると、ポストホロコーストものなんでしょうけど、『母になる、石の礫で』と冒頭からの疾走感が似てますね。何の話か、舞台設定とか全く分からないまま、若者たちがブンブン動き回る感じが好きです。読んでいくうちに、だんだん話が見えてくるぞくぞくする快感は、SF読みの醍醐味ですね。
 「あなたは月面に倒れている」(『夏色の想像力』所載)も、わけのわからないオープニングですが、哲学的で最後まで?でした(汗;)
倉田> まさに、説明なしで始まってあとから色々みえてくるタイプの作品が大好きなので、自然とそうなってしまいました。疾走感と言っていただけるのは嬉しいです。「トーキョー」も『母になる』も活劇にせねばという意識が強かったので、その反映かなと思います。
 「あなたは月面に倒れている」は……すみません、これは筋の通った説明がまったくないタイプの作品として書きました。SFであることは間違いないんですけど、意味はないです。こういうナンセンスなやつもとても好きなんです。いつか両者をもっとうまく混ぜたものを作りたいと思っているんですけど……。
雀部> ナンセンスで疾走感があるやつ、読みたいです。
 差し支えない範囲で、略歴と創作歴(小説・イラスト・マンガ等)をお教え下さい。
倉田> 1971年生まれ、神奈川県在住です。
 創作活動は、あれこれとりとめなく手を出してきたという感じなのですが、20代のころは集英社の「Vジャンプ」という雑誌で読者投稿ページのギャグマンガを担当しつつ、シリアスなストーリーマンガを描こうとしていました。後者には結局挫折して、30代はWEB系の仕事とイラストの仕事を並行しつつ、ファインアートとグラフィックデザインの中間っぽいことをやったり(これは後に、美術手帖掲載の円城塔さんの短編小説の挿画や、『NOVA2』のぐにゃぐにゃな「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」につながりました)、未訳SFの翻訳をちょっとかじったりなど……。
雀部> 投稿ページのマンガも書かれていたんですか、多才ですねぇ。「IT用語解説系マンガ:食べ超」は、SEやっている三男に教えたところ大受けでした(笑)
倉田> ありがとうございます。食べ超を楽しんでいただけてとても嬉しいです、とお伝えください(笑)。ITと親和性が高いのをいいことにSFネタをばんばん入れて描いております。
雀部> 『セキュリティ いろはかるた』は、持ち帰って宴会の時にやってみるそうです。好きなのは“こっそりみても ごっそり感染”だそうです(笑)
倉田> 嬉しいです……あれは、担当編集さんやデザイナーさんまでネタ出しに加わってIT業界のあるあるネタを詰め込みました。たぶんまだ古びていないのではないかと思います(笑)
雀部> あ、「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」(『NOVA2』所載)は、最初のページで読むのをあきらめたのは内緒です(汗;)
 上記ご本人解説で、やっとこさなるほどねえと思ったのも内緒(笑)
倉田> 「夕暮に……」は、こう言っちゃうと怒られるかも知れませんけど、読まなくても問題ない作品として作りました。ちゃんとSFの読み物としては書いてますし、読んでもらえたらもちろん嬉しいんですけど、ざっとながめてニヤニヤしてもらえればそれでオーケーというか。実際、検索でみつかる言及も9割くらいが「読むのをあきらめた」という内容でした(笑)。
 この「夕暮に……」もそのひとつなんですけど、さっきお話ししたような活動と並行して、言葉遊び的なことをずっとやってきたんですよ。若いころに雑誌にネタを投稿していて、いわゆる「ハガキ職人」だったんですが、その延長でネタ的な文章をホームページに載せたり、SNSにナンセンスな短文を書いたりしてきました。Twitterに書いた短文をまとめたもの(「紙片50」)が円城塔さん・大森望さんの目に留まって、東京創元社の『年刊日本SF傑作選 量子回廊』に載せていただくことになって、それが小説を書くきっかけにもなりました。
雀部> 「紙片50」は、「幻獣租界」などにもまとめられていますね。こういう非常に短い短文は、『超短編の世界』インタビューの時にも感じたのですが、短いだけに読む側の想像力という資質がものすごく問われる気がします。短い割に読むのに時間がかかりますよね。
倉田> はい、想像の余地はとても意識してます。"Less is more"という言葉がありますけど、少ない要素で作られている、余白の大きいものが好きなんですよ。文章ならば、言葉を二つか三つ並べるだけでなにかが生まれてしまう、というのが昔から大好きで。
 つきつめれば短歌や俳句になるのかもしれないですし、実際、短歌にはかなり興味があるんですけど、いまのところはTwitterくらいの長さがいちばん心地よくて、ここ数年はツイートで短文の作品というかネタを書きためては、文学フリマで冊子にして売っています(ここにいくつかアップしてます)。そういう風なので、タカスギシンタロさんをはじめとする超短編の方たちにはすごくシンパシーを感じていて、実際に交流もあります。
雀部> あれま、お知り合いでしたか。>超短編作家の方々
 いまNHKのEテレでやってますけど、『念力家族』の笹公人先生の著作はどうでしょうか。
倉田> あまり作品を読んだことはないんですけど、通じるものがあると思います。『量子回廊』に収録していただいた「紙片50」について、笹公人さんをひきあいに出した評を見たこともあります。
 歌人のかたでは、フラワーしげるさん(西崎憲さんの別名です)、石川美南さん、我妻俊樹さんをいつも仰ぎ見るような気持ちでおります。
雀部> 西崎さんといえば、『世界の果ての庭』は面白かったです。
 さて、『母になる、石の礫で』は最初、博士のいない『フランケンシュタイン』ものかとも思いましたが……
 というのは、『フランケンシュタイン』では、怪物の博士に対するアンビバレンスな感情がキモだと感じているのですが、『母になる、石の礫で』の少年少女たちの〈始祖〉たちや〈原母〉に対する思いが興味深く感じられましたので。『フランケンシュタイン』における創造者・被創造者の関係とは全く別物に感じられたんですよ。
 テーマは、“人間は、人間として生まれてくるのではなく、人間になっていく”だと感じました。
倉田> たしかに、被造物としての苦悩はフランケンシュタインの怪物と重なるところがありますね。実験の産物であり、望まぬ生を強いられ、という……。とくに〈41〉というキャラクターがそのあたりを担っていると思います。『フランケンシュタイン』における怪物・博士の関係と別物と感じられたのは、参照すべき親子関係のイメージを『母になる』の主人公たちがほとんど持っていないからじゃないでしょうか。そこがテクノロジーによって取っ払われてしまっているというのが拙作の要です。
 作者として一番のテーマに考えていたのは、「母」というとても基本的な一般名詞の意味が完全に上書きされている状況の奇妙さを描くことでした。
 「母」は、とても強い意味をもつ言葉ですよね。でも、この小説の語り手にとってはまったく別の強い意味があります。そのことによって、この言葉に読者が多かれ少なかれ抱いているであろうある種のセンチメントが、物語のなかで何度も裏切られたり、ひっくり返されたり、ずらされたりする、その違和感・異化作用を楽しんでもらいたい、というのが一番の狙いです。
 だから、『母になる』は、SFであるのと同じくらい、言葉遊びの作品でもあると自分では考えてます。言葉遊びの土台がまずあって、そのうえに自分が好きなSF的モチーフをどっさり乗せてみました、という感じなんです。ピザの生地と具の関係に近いものがあります。
雀部> え、そうだったんですか。>SFであるのと同じくらい、言葉遊びの作品でもある
 読んでる時の感覚では、“母=3Dプリンタ”に感じましたから、確かに親子の情愛とかには無縁ですよね。
倉田> そうなんです。それで、言葉遊びという意味で、『NOVA2』の「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」と地続きの作品だと自分では思っています。読めない作りにしておきながら中身を説明するのもアレですけど(笑)、「夕暮に……」では〈地図〉という言葉がキーになっていて、これも、なにか未知のテクノロジーを指すものとして一般名詞の意味が上書きされているという設定です。日常的な言葉がまったく違う意味をもっている、という状況が言葉遊びとしてもSFとしても好きなんです。
雀部> 「夕暮に……」読み返してみました。なるほど(ポンと膝を叩く音)。私にもやっと面白さがわかった(汗;)
 歯科の方では、CAD/CAMによる削り出し方法で造った冠が保険導入されたり、3Dプリンタによる積層法で造る冠(保険外診療)が実用化されたりしています。簡単にコピー(というか同等品)が、たくさん作れてしまうという点から言うと、フィリップ・K.ディックの「くずれてしまえ」へのオマージュとも思ったのですが、意識されていたのでしょうか。
倉田> 「くずれてしまえ」はむかし読んだはずなんですけど、すみません、忘れておりました……。
 世間で3Dプリンタが話題になっていたとき、ぱっと連想したのが、中学生のころ大好きだったジェイムズ・P・ホーガンの『造物主(ライフメーカー)の掟』でした。あの世界では大きな工場からすべて生まれてくることになってますけど、3Dプリンタをああいう世界にあてはめたらどうなるか、というのがいちばん最初のアイデアです(そのあとで「母」のテーマを思いつきました)。で、その結果、自己増殖機械に「劣化」の概念を持ち込んだんですけど、これはたしかに「くずれてしまえ」と通じるものですね。ディック作品によく出てくる「にせもの」の主題とは、ちょっと遠いところにあるかも知れませんけど。
 複製品ということでいうと、『造物主の掟』には石碑の縮小コピーをハンディサイズの立体コピー機で作る場面があって、これが要するにいまでいう3Dプリンタなんですよね。当時は「なんだかご都合主義的な機械だなあ」と思っていたんですけど、いま振り返ると、先見性のある設定だったように思えて面白いです。
雀部> おっと、『造物主の掟』だったとは(汗;) 「くずれてしまえ」は、コピーを重ねることによる劣化の問題を初めて正面から持ち込んだSFのように思っていたので、つい連想してしまいました。魔法のように見える未来技術というと'90年代にSFでも流行ったナノテクがありますが、3Dプリンタとどちらがガジェットとして面白いですか?(笑)
倉田> 子供のころプラモデルを作るのが好きだったこともあって、「工作」の側面が強く感じられる3Dプリンタのほうに魅力を感じます。ナノテクは「なんでもあり」の一線を越えた先のものという印象があって、自分の書きたいこととはちょっと遠いです。近年ではなんといっても酉島伝法さんの「皆勤の徒」という傑作がありますし。
 いまのところ、個人的には、「なんでもあり」になってしまう前の世界に興味があります。理想よりもちょっとテクノロジーが足りない感じが好きなんです。『母になる』でも、コルヌコピア・マシン的な全能性を獲得するまえのテクノロジーとして〈母〉を描いています。〈始祖〉たちがテクノロジーの貧しさを理念でむりやり押し通してしまうのも、僕がそういうやり方に痛快さを感じるからです。
雀部> あ、それは大変よく分かります>理想よりもちょっとテクノロジーが足りない感じが好き
 ナノテクを扱うときは、敵側がナノテクを使っていて、こちらはその欠点をどうにかして見いだし、逆転するとかの展開に憧れます(笑)
 身体改変とか宇宙コロニーとか、全体的にサイバーパンク的な雰囲気も感じられるのですが?
倉田> 自分でも、サイバーパンク的という感想を頂戴するだろうと思ってました(そのことにはかなり気恥ずかしさがあるのですが……)。
 ひとつには、〈始祖〉のキャラクターを、ブルース・スターリングがいうところの〈アウトロー・テクノロジスト〉のパロディみたいなものとして造形したからです。スターリングとギブスンが共作した「赤い星、冬の軌道」という名作短編がありますけど、あのなかで「その目にすばらしい狂気がみなぎっている」と書かれているようなタイプの人々をひっくり返して悪役にしてみました、というのが〈始祖〉なんですよ。2章冒頭のビューダペストの語りも、読者の共通記憶としてあるかもしれない、カッコつきの〈サイバーパンク〉のパスティーシュのつもりで書きました。
 そんなふうなので覚悟はしていたつもりだったんですけど、ふたを開けてみると、自分が意識していないところまでそっち系の影響がダダ漏れだったようで、だいぶ後悔してます。アイデアを扱う手つきがどうにもそれっぽいというか、もう出身地がバレバレのありさまで……。
雀部> それはしょうがないというか、パスティーシュなんだから当然というか(笑)
 〈始祖〉達のキャラ、マッドサイエンチストここにありって感じで大いに受けました。行動してくれる手下が居ないとめっぽう弱いし(笑) 私らの世代だと、ジェイムスン教授とかサイモンライトとかの、脳だけ残った登場人物を思い起こします。あと、最近は内臓の方の神経叢も注目されてきているので、そこが軽視されたために〈始祖〉達は、あんなキャラになったのかなぁと勘ぐりましたけど、どうなんでしょうか。
倉田> まずは「元からイカれた奴らだった」というのが大きいと思うんですけど(笑)、まさに、身体の重要性を軽視したためにますますおかしくなっていく、というのは意図したところです。裏付けになる知識がそんなにあるわけではないですけど、内分泌系やらなにやらを無視して人間は成り立たないだろうと思います。自分で書いといてなんですけど、〈始祖〉たちはほんとにそういうところが無茶ですよね(笑)。
雀部> いい味出してます(笑)>〈始祖〉たち
 霧や虹、針たち〈二世〉達は、母が出力した子宮のなかで胚から育てられたらしく、ここらあたりの書き方は上手いなぁと。いきなり成体を出力するより格段に難易度が低そうですから。で、〈新世代〉の方は、大脳の新皮質を増大させた状態で母から直接出力されるものの、〈41〉以外は死んでしまう。これも、人間が進化の過程で獲得してきた遺伝子情報は、それなりの意味を持っていることを表しているのかなと感じました。ラストで、そうらしい情報も出てきますよね。
 医学(生物学)方面の本もかなり読み込まれたのでしょうか。
倉田> 『母になる』は、知っていることだけで書いてしまえ、とあえて調べ物はせずに突っ切ってしまいました。知識に関しては、ポピュラー・サイエンスの域を出ていないと思います。
 テクノロジーの難易度については、全体的に「そこまで簡単ではないだろう」という認識がありました。シンギュラリティも、コルヌコピア・マシンも、超人類も、そう簡単に実現できてしまうものではないだろう、と。(書き手として未熟なので、リアリティを持たせようとしたときにそういう大きな飛躍をうまく扱えなくて避けざるを得なかった、ということもあるかと思います)
雀部> なるほどです。
 最初にSFを意識されたのは、いつ頃からでしょう。またそれはどういった作品だったのでしょうか。
倉田> 小学生のころに読んだラリイ・ニーヴンの『リングワールド』が、たぶん一番最初に「SFってすごい!」と感じさせられた作品です。舞台装置のものすごいスケールと、異種族たちの造形の魅力に夢中になりました。
 それより少し前に出会った『世界SFパロディ傑作選』と豊田有恒著『非・文化人類学入門』の2冊も、自分にとっては重要なイニシエーションだったと思います。前者からはパロディ感覚、後者からはブラック・ユーモアの面白さを刷り込まれました。
雀部> そこからあたりは、SFファンの王道ですねえ。
 それ以外のお好きなSF作品や作家はどうでしょうか。
倉田> 小説で、有名どころでは、グレゴリイ・ベンフォード、ジョン・ヴァーリイ、サミュエル・ディレイニー、ウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング、R・A・ラファティなどです。国内だと「SFマガジン・ベスト」あたりの影響が大で、飛浩隆、大原まり子、草上仁、火浦功、野田昌弘、の皆様です(敬称略)。
 それほど有名でないところではジャック・ウォマックとオクタヴィア・バトラーが大好きで、どちらも邦訳に恵まれていないので、原書を苦労して読んだりしました。
雀部> ジャック・ウォマック氏の本は、悪っぽくて格好良いところが好きです。といっても『テラプレーン』『ヒーザーン』しか読んでないわけですが。シリーズ中最も翻訳しにくいらしい『アンビエント』も読まれたのでしょうか。
倉田> 『アンビエント』も読みました。厄介なのは会話文なんですけど、訳すのは難しくても何を言っているかは大体わかる、というものなので、気になる方にはぜひ読んでみていただきたいです。(むかし自分で3章ほど訳してみたんですけど、むずかしい会話が始まったところで挫折してしまいました……)
 ウォマックの作品は、世界がどのように陰惨であるか、そのなかであたりまえの人間がどのように振舞わざるを得ないか、についてとても正しい認識を持って書かれているように思えて、十代のころの自分はそこに強く惹かれました。それと、テクノロジーとの距離の取り方がとても好きです。仕組みの解説に淫することなく、けれど手触りは生々しく描く、というところが。小説作法に関しても、一人称の語りを用いて世界と人物をあわせて描写するとか、説明を排して行間でほのめかすとか、ウォマックの影響はかなり大きいです。
雀部> そういえば、オクタヴィア・バトラー女史の「血をわけた子供」は異星生命体との共生関係を扱っていて、3Dプリンタ内蔵の子供たちとどこか共通点があるような気がしました。『キンドレッド』は南北戦争前のアメリカにタイムスリップする話で、現代(150年後)との差異が浮き彫りにされるという王道的な構成だと思いますが、当時の人々の常識とか心の動きが見事に語られていて読み応えがありました。『母になる、石の礫で』でも小惑星帯で育った子供たちにとっての常識の“ズレ”具合が読みどころの一つですよね。
 以前から歴史小説とSFは似ているところがあると思っているのですが、タイムスリップものを含む歴史物を書かれる予定はあるでしょうか。
倉田> 『キンドレッド』は、"slavery"という言葉の意味を徹底的に掘り下げて、現代人である主人公を通じて読者に容赦なく体験させる傑作だと思います。オクタヴィア・バトラーはほとんどの作品でこの言葉を主題にしていて、どれも重い読後感があります。「血をわけた子供」も大好きで、この短編からの自作への影響はけっこう大きいような気がします。
 歴史小説もSFも、世界の変化に対するまなざしがあるところに価値を感じます。だから、いわゆる「歴史もの」かどうかは分からないですけど、そういう視点を含んだものを書きたいと思ってます。短いあいだの出来事を切り取っていても、前後の時間的ひろがりを感じさせるようなものを書きたいです。
 それから、ここ数年、子どもと一緒に歴史博物館の類によく行くようになったんですけど、小さな模型や、ときに一枚の写真や絵から過去の現実が生々しく立ち上がってくる感覚がとても好きで、これをなんとか作品に持ち込めないかと思っています。
雀部> うちでは孫と行ってます(汗;)>歴史博物館
 小説以外で、お好きな作品や作家の方はどうでしょうか。
倉田> 漫画では、むかし読んだ高野文子「奥村さんちのお茄子」と花輪和一『御伽草子』がSFとして衝撃的で、あとは大友克洋、士郎正宗、山下いくと、小林誠、加藤洋之&後藤啓介、清水玲子、わかつきめぐみ、とか……。影響をうけた作品はどうしても昔のものばかりになってしまいますね。
 SF的な絵でいうと、マティ・クラーヴァイン(とくに「Zonked」とか)、シド・ミード、デザイナーズ・リパブリックあたりです。SF音楽はジグジグ・スパトニックが好きです。
雀部> おお、シド・ミード。『ブレードランナー』は圧巻でした。
 マティ・クラーヴァイン、緻密なすごい絵ですね。主題が並列的に存在している(?)気がして、浮世絵にも通ずる世界を感じました。
倉田> ディレイニーやヴァーリイの作品には、マティ・クラーヴァインの絵みたいな人物を配するのがふさわしいんじゃないかといつも思っています。
 シド・ミードは、画集で見た壮麗な未来の都市や建造物のイメージが、ハードSF作品へのあこがれと繋がっていて、自分の原点のひとつです。『ブレードランナー』も好きでしたし、『2010年』の宇宙船もすごくよかった……。
雀部> あ、それは感じました。特にディレイニーの作品の挿絵を書いて欲しいなあ>マティ・クラーヴァイン
 ジグジグ・スパトニックも、知らなかったのでCD(「Flaunt It」)買ってみました。時代に先んじたというか、今聞いても変な音楽ですね。チープで猥雑で面白い。アルバムに日本語が書いてあったので、メンバーに日本人が居るのかとも思いましたよ(笑)
倉田> あの猥雑さといいかげんさが大好きなんです。妙な日本趣味はいかにも当時っぽいというか、ブレードランナー、ジグジグ・スパトニック、ニューロマンサーと一つのラインに並べられるような気がします。あと、おたく文化の取り込みという点で時代を先取りしていたと思います。ジャケのロゴが当時の「アニメディア」誌のロゴそっくりだったりするんですよ。
雀部> おっとそういう流れでしたのですね。
 非常に個人的な興味でお聞きするのですが“抜け替わり可能な歯根の構造を検討するために拡大された頭部は、切り開かれた下顎骨の内部に小さな歯がびっしりと並んでいる”との部分は何からの連想でしょう。小学校前の子供の下顎のパノラマ写真(下顎骨の内部に萌出前の永久歯がぎっちり並んでいるのが写ってる)を思い起こしたのですが……
倉田> はい、まさに同じような写真がイメージの元です。それに、サメの歯のぞろぞろ連続している感じも加わっていると思います。余談ですけど、子供の標本写真は、親の気持ちでつい見てしまうので、「この子はこの歳で死んでしまったのか」と悲しくなりますね……。
雀部> サメの歯は、歯列の内側からどんどん生えてきて入れ替わりますから。
 確かに子供の髑髏はねぇ……
 主人公たちが、20歳を過ぎているのに何か意味があると考えているのですがどうもまとまりません。14歳の設定にしたら、また違う物語が語れそうなので。
倉田> それについては、ほかの方からも、意味がいまひとつわからないという指摘をいただいていました。
 自分では、この作品をモラトリアムの物語として見ている側面があって、「宇宙モラトリアム地獄小説」とひそかに呼んでたんですけど、人生の目的を見いだせず、成長もなく、無為に時間が過ぎていくことのむごさをこの年齢に反映させたつもりでした。こういう状況にあっては、歳月はあっというまに過ぎてしまうだろうし、人間的な成長も十分に得られないだろう、と……。
雀部> 彼らは知識はあるのに直情的に行動するし、年齢の割に子供っぽい感じを受けたのは〈仕様〉だったんですね。
 あと、『母になる、石の礫で』という題名なんですけど、最初語感から受けたイメージでは、ファンタジーかと思ったんですよ。“母になる”は、本文読むとわかるんですが、“『石の礫で』”のほうがよく分からない。“礫”って普通(投げるための)小石のことですよね。それをわざわざ“石の”としてあるからには、“礫”は“仔”のことかなと考えたり、ひょっとして小惑星のことかもとか思ったり(汗;)
倉田>  「石の礫で」としたのは、小惑星が念頭にありました。小惑星に居て、でもあり、小惑星を糧にして、でもあります。「母」という、基本的には温かいイメージを持つ言葉に、不穏で暴力的なものがぶつけられる感じがいいと思ったので、「礫」という字を使いました。 
雀部> そう言えば、英題が"THE MOTHERS ON THE PEBBLE"だった(汗;)
 最後に現在執筆中の作品とか、今後の出版予定がございましたらかまわない範囲で教えて下さい。
倉田> いろいろ手を動かしてはいますけど、まだ決まったものはありません。来年もなんとか長編を出したい! と思ってはおります。短編のアイデアも色々あるので、どんどん形にしていきたいです。言葉遊び系の作品は文学フリマ東京で今後も続けて出していくつもりです。
雀部> 新作、楽しみにお待ちしております。


[倉田タカシ]
1971年埼玉県生まれ。文筆業・漫画家・イラストレーター。第2回ハヤカワSFコンテスト最終候補作となった『母になる、石の礫で』で、単行本小説デビューを果たす。他に河出文庫『NOVA2』『NOVA10』などにも短編が収録される。

deadpop archives (倉田タカシのwebページ)

[雀部]
最近劣化の激しい田舎のインタビュアー。易きに流れる心地よさはなんだ(汗;)

トップ読切短編連載長編コラム
ブックレビュー著者インタビュー連載マンガBBS編集部日記
著作権プライバシーポリシーサイトマップ