Author Interview

インタビュアー:[雀部]

電子書店パピレスで購入できる森下一仁先生の著書
パピレスでの購入
> 『思考転移装置顛末』 オンライン出版(元は講談社)
> 『ふるさとは水の星』 集英社
> 『宇宙人紛失事件』 オンライン出版(元は徳間文庫)
> 『天国の切符』 オンライン出版(元は新潮文庫)
『夢の咲く街』 集英社
> 『コスモス・ホテル』 早川書房
『あした・出会った・少女』
> 森下一仁著/小沢和夫装画
> ISBN-13:978-4086104678
> 集英社文庫
> 280円
> 1982.1.15発行
 惑星クローナ調査隊に雑用係として参加したぼくは、偶然地下の大遺跡を発見した。
 そこで見た美少女と、ヒアデス星の街中で再会し、彼女を愛し始めるが、彼女は宇宙戦争にも発展しかねない秘密を隠し持っていた……。

『ひとりぼっちの宇宙戦争』
> 森下一仁著/加藤直之装画/藤子・F・不二雄原作
> ISBN-13:978-4094402315
> 小学館
> 500円
> 1994/7/20発行
 異常な時間軸が支配する異次元に、突然迷い込んだ高校生。まわりのもの総てが動きを止めたように見えるこの世界で彼は途方に暮れる。と、彼の前に自分そっくりなもう一人の“おれ”が現れ……。

『縄の絆―森と岩の神話1』
> 森下一仁著/加藤俊章装画
> ISBN-13:978-4257763765
> ソノラマ文庫
> 400円
> 1987.5.30発行
 ある夏の日、高性生モリオは、はるかな過去へタイムスリップした。そこは縄文時代。モリオが住むことになった村の人々は、大木を拝み、オソトサマと呼ぶ「神」を信じていた。モリオはその村で「鳥」と名のる老人と巡り合った。老人は「カムイ」を探して旅をしているという。モリオはまた、バスキという名のネアンデルタール人と出会う。バスキもまたカムイ・クラという、カムイの声が聞ける場所を探している。カムイとは何か? モリオは現代に帰れるのか?

『沈む島―森と岩の神話5』
> 森下一仁著/横井良輔装画
> ISBN-13:978-4257765820
> ソノラマ文庫
> 460円
> 1991.12.31発行
 互いに争いを繰り返す地球の生命。高校生・岩本森央はその絶滅を防ぐという重大な使命を課された。森央は、様々な時代の宗教と、それを巡る人々の争いを見つづけてきた。江戸時代、島原半島。厳しい弾圧にあえぐキリシタンのために、森央は脱出用の船を出した。新天地を夢みる彼らは、やがて、大海原の果てに大きな木のそびえる島を見るが……。

『現代SF最前線』
> 森下一仁著/山口三男装画
> ISBN-13:978-4575289190
> 双葉社
> 3800円
> 1998.12.5発行
 1983年~97年に国内外で発表されたSFの傑作・名作を厳選し、表紙の写真を添えて、作品の概要や著者のコメントを綴ったSFベストガイド。
 “書評を書くときには、作品紹介を第一とし、同時に、内容に対する私個人の見解、SF全体への位置づけもできるだけ付け加えたいと思っている。だから。読者の皆さんには、本書をSF選択の参考にしていただくと共に、その時々に私が考えたSFそのものの意義を読み取っていただけるのではないだろうか”(著者「あとがき」より)

『思考する物語―SFの原理・歴史・主題』
> 森下一仁著/めるへんめーかー装画
> ISBN-13:978-4488015169
> 東京創元社
> 2000円
> 2000.1.20発行
 SF特有の感動とされる「センス・オブ・ワンダー」とは何か。そして、物語とは、創造力とは。幅広い分野にわたる考察と広汎な読書経験に基づき、認知科学をはじめとした科学分野の成果をも視野に入れ挑んだ、待望の長編評論。「SFとは何か」という単純な、それでいてつかみ所のない疑問に挑む。

『魔術師大全―古代から現代まで究極の秘術を求めた人々』
> 森下一仁著/関和秀カバーデザイン
> ISBN-13:978-4575294118
> 双葉社
> 1900円
> 2002.6.25発行
 魔法・魔術は奇跡を生む技であり、古くから魔術を実現するため人々は試行錯誤を続けてきた。錬金術、テレパシー、占星術、未来予知、不老不死、テレポーテーションなど、人間が古代から求め続けた魔術の真髄を解き明かした労作。

『「希望」という名の船にのって』
> 森下一仁著/きたむらさとし画
> ISBN-13:978-4902257205
> ゴブリン書房
> 1500円
> 2010.7月発行
 20XX年、地球に正体不明の病原体が広まり、人類は絶滅の危機におちいっていた。病原体から逃れて、いつ果てるともない新しい地球を求める旅に出発した41名の人々がいた。12歳のヒロシは、地球のことを知らない「船生まれ」の子供。ある日、人間しか居ないと思われていた船内に、他の動物が居ると聞いたときからヒロシを取り巻く世界は大きく変わり始めた……。

雀部 >  このインタビューは、元々は東大SF研探訪記の一環として、OBでもあられる森下先生にもお話を伺いたいと思って始めたのですが……。
 諸般の事情で、東大SF研へのインタビューが無理な状態となってしまいました。
 東大ご出身のSF作家というと、まず思い浮かんだのが森下先生でした。森下先生初めまして、お忙しいところありがとうございます。
森下 >  いやいや、ネットでは近しい方と心得ています。3大SF歯科医のお1人ですものね(笑)。
雀部 >  それは悪い方の代表だったりして(大汗;)>3大SF歯科医
 現在の東大SF研は、非常に活動が低調みたいなのですが、森下先生が部員だった当時は、どういう活動をされていたのでしょうか。
森下 >  1970年入学なんですが、SF研は創設2年半ぐらいだったかな。前年は東大紛争のために入学試験がなく、ごく少数で活動していたところに、我々が10人以上、どっと入ったので賑やかになったということでした。
 活動は週に1回だったか2回だったか、大学すぐ近くの喫茶店で例会がありました。でも、毎日のように学生会館の部室(エスペラント部をのっとっていた)に顔を出し、仲間と交流していました。
 会合では、先輩に、高校時代から「一の日会」で活動していた人(岡田芙さん)がいたせいで同会とのつながりも深く、そちらの例会にも顔を出したりもしました。
 伊藤典夫さんとの出会いが強烈でしたね。他の大学や社会人の人とも知り合いになりました。横田順彌さん、鏡明さん、川又千秋さんなど、今でも友だち付き合いをしてもらっています。牧村光夫さんが一昨年(2015年)、亡くなられたのが残念です。出会った当時、すでに社会人でしたが、わけへだてなく接してくださいました。
 SF研では、会誌も作りました。正会誌「うん」のほかに、個々人が勝手に「個人誌」なるものを作って配ったのも楽しかった。
 最近は活動があまり活発でないと聞いて、寂しい気がします。先輩の佐藤正明さんや岡田芙(筆名:谷口高夫)さん、それに同期の故・野口幸夫くんらがSF翻訳家として頑張ったんですよ。後輩には、金子のぶおくん、柳下毅一郎くん、山形浩生くんといった優秀な人もいますし。
雀部 >  きら星の如く有名なお名前が。伊藤典夫さんというとSFスキャナーで、ひょっとしたら原作を読むより面白いんじゃないのかという紹介(書評)が大好きでした。
 ぜひ多くの方にインタビューさせていただきたいものです。
 SF研の活動が活発でないのは何故なんでしょうね。最近はネットとかゲームとか娯楽の選択肢が増えたせいでしょうか?
森下 >  そうそう。ネット、ゲーム、それにアニメなどでSFに接している人が多いようですね。
 でも、それはそれで、のめり込む人はいるでしょうからSF研の活動が低調なのとは関係ないのかもしれません。世代というか、人々の性格が変化しているんでしょうかねえ。
雀部 >  まだ幼稚園に行ってない孫が、スマホをすいすい操作してゲームなんかをしているのを見ると、確かに世代差は感じます(汗;)
 最近、若者向けのSFと、60代以上向けのSFは違うのではないだろうかと考える事が多いです。まあ、各世代共通の基礎知識的なSFはあると思うのですが。
森下 >  やはり読者によるのでしょうね。息子(30歳代なかば)を見ていると、自分と似たような好みだと思いますし、でも、その一方、まったく違うSFとの接し方をしている人もいますし(たぶん、昔はそこらへんの違いを「それはSFではない!」などと言っていたのでしょうね)。
雀部 >  私は「それもSFこれもSF派」なんですけど(笑)
 うちの長男も30代なかばですが、アニメ・マンガは当然として、小説はラノベ専門ですから好みは違うと思います。SFが身近に沢山あっても読まない子は読まない。今は孫に期待を(汗;)
 私の親父は、仕事をしている頃はほとんど本は読まない人だったのですが、目を悪くしてリタイアした後は、図書館の朗読サービスをよく利用させてもらっていました。
 森下先生の少年時代はどうだったのでしょうか。
森下 >  活字に飢えた子どもでした。
 とはいっても、田舎育ちなものですから、小学校の頃は読書環境に恵まれず、学校の図書館や町の貸本屋、月に一冊買うマンガ雑誌などで糊口をしのいでいました。
雀部 >  貸本屋、小学生の頃近所にもありました。もっぱらマンガを借りていたような。手塚先生の『0マン』なんかは貸本で読んだ記憶が。
 森下雨村先生とご親戚だそうですが、影響を受けられたことがおありでしょうか。
森下 >  いや、影響はありません。家はすぐ隣だったのですが、晩年は「お百姓のおじさん」といった感じでした(笑)。「カツよぉ」と呼ばれて、可愛がられてはいたんですけどね。
雀部 >  推理小説がどっさりあって、それを読まれて育たれたのかもとか思いまして(汗;)
 そもそも最初にSFというジャンルを意識したのはいつ頃からでしょうか。
 私の場合、小学校で見た巡回映画の『ゴジラの逆襲』『宇宙大戦争』『遊星王子』とかTVドラマの「月光仮面」('58)「少年ジェット」('59)「七色仮面」('59)「ナショナルキッド」('60)「海底人8823」('60)。その後図書館で、ジュヴナイルSFを見つけて“こういうのが好きだ!”となって(笑)
森下 >  中学校に入り、従兄に〈SFマガジン〉の存在を教えられたのが「SFとの出会い」でした。
 それまでマンガ雑誌の「鉄腕アトム」や「エイトマン」などを面白く読んでいましたし、おっしゃった映画やTVドラマなども観ましたが、それがSFというものだとは知りませんでした。
 〈SFマガジン〉の活字作品を読んで衝撃を受け、以降、創元文庫やハヤカワSFシリーズなどにも手を出すようになったのです。
雀部 >  じゃあSFマガジンを読み始められたのは同じ頃ですね。私は中二から定期購読を始めましたから。創元推理文庫のSF系とか銀背で初めて買われたのは何だったのでしょう。創元では、私はブラウン編の『SFカーニバル』、銀背は海野十三の『十八時の音楽浴』だったのですが。
森下 >  おおっ、「同窓生」ですね(^.^)
 田舎の小さな町だったので、本屋さんで〈SFマガジン〉を買う人はたった2人でした(本屋の親父さんに教えてもらった)。もう1人は「魚屋の兄さんだよ」ということでしたが(笑)。
 創元の最初は、私もブラウンで、『未来世界から来た男』でした。早川はデル・リイ『神経線維』。どちらも古本屋さんで買いました。こういう買い物は忘れられないですねえ。
雀部 >  魚屋のお兄さん、会ってみたかった(笑)
 ブラウンは、ミステリも含めてほとんど読みました。原発の事故を扱った『神経線維』は傑作でした。銀背は高かったので、創元推理文庫と銀背で同じ本(翻訳者は違う)が出ている場合は創元社のを(汗;) ただ、買える絶対数が少なかった(まあ刊行数も少なかったですが)ので、気に入った本は何回も読みましたね。『重力の使命』なんかは何十回も読んだので、そらで語れるくらいでした(笑)
 今はSF的なものは溢れていて。まあどちらが良いかは分かりませんが、昔とは違うのは確かです。
森下 >  何回も読む、話題の本はどれも読んでみる。そんなことが可能な時代でしたね。作品もしっかりセレクトされていて、ハズレはほとんどなかったように思います。というか、「これもSFなんだ」と、勉強のつもりもありました(^_^;
 ブラウンのミステリは、私はほとんど読んでいませんが、SF作家として、とても興味があります。新聞の校閲部に勤めながら、作家をしていたというのも、なんだか楽しい。伝記あるいは評伝が読みたいですね。
 ブラウン、シェクリイ、ブラッドベリの三人が短編SFの名手とされていたように思います。どれも良いですねえ。ブラウン、シェクリイの機知や諧謔は高く評価したいものです。
雀部 >  ブラウンの伝記って本国ではあるんでしょうか。SF作家の伝記・自叙伝はあまり売れないのかな。星先生のは例外中の例外(笑)
 ブラウンのミステリ系ショートショートは今読んでもあまり古びてないです。同じく短編の名手とされていたヘンリー・スレッサーのショートショートが古くさく感じるのと対照的だと思います。
森下 >  ウィキペディアの参考文献には Jack Seabrook という人の書いた『 Martians and Misplaced Clues:The Life and Work of Fredric Brown 』( Bowling Green University Popular Press, 1993 )という本が挙げられていますね。
 アシモフやクラーク、バラードの自伝は翻訳が出ていますし、ウェルズやヴォネガット、ブラッドベリの評伝も訳がありますね。
 ブラウンも一定の読者はいると思うんですが、出してもらえないものでしょうか。今度、東京創元社の人に会ったら頼んでみようかな(^.^)
雀部 >  ブラウン氏の評伝、出ていることは出てるんですね。ディック氏の評伝は、なかなか興味深いものがあったのを思い出しました。
 そういえば、藤子・F・不二雄先生原作で、森下先生が小説化した『ひとりぼっちの宇宙戦争』の遠い祖先は、ブラウンの名作短編「闘技場」ですよね。これも孫に読ませたい本なのですが。
森下 >  「闘技場」は、ひとつのサブジャンルといっていいぐらいオマージュ作品の多い名作ですね。
 ミステリものも、今後の楽しみで読みたいと思います。
雀部 >  話は変わるんですがね、SFラジオドラマは聞かれたことはあるでしょうか?
森下 >  ラジオはよく聞いていましたが、もっぱら落語中心で……。
 ドラマといえば、「赤胴鈴之助」や「日真名氏飛び出す」ですかねえ。内容はほとんど覚えていません。それよりは、テレビの「宇宙船シリカ」とか「ふしぎな少年」が記憶にあります。星さん、手塚さんの原作ですよね〜。
雀部 >  ですね。「宇宙船シリカ」は人形劇でしたよね、まだ白黒TVの時代、シリカ号格好良くて好きでした。「ふしぎな少年」は、主人公は時間を止められる能力があったんですが、時間が止まったとき、俳優さんがプルプルと小さく震えていたのが子供心にも笑えました(笑)
森下 >  「シリカ」には宇宙犬が出てきて、可愛かった。テーマソングはまだ歌えます。「みんなの〜夢でふくらんだ〜♪」
 「ふしぎな少年」の主演は太田博之さんという美少年でした。友だちと「時間よ、止まれ!」とやって遊びました。止まっている子の体をくすぐったりして(笑)
雀部 >  やりました、やりました>「時間よ、止まれ!」ごっこ。
 中高時代には、SFが好きな同級生はいらっしゃいましたか?
 『アウターリミッツ』('64〜)とか『ウルトラQ』('66)を見た次の日はその話題で(笑) 面白いから読んでみてと《火星シリーズ》を無理矢理貸したりとか(笑)
 友人達と『2001年』とか『猿の惑星』あたりは一緒に見に行きました。
森下 >  中学時代は同好の士がいなくて、高校に入り、仲間をつのって同好会のようなものを作りました。校内の掲示板に、「SFを読むもの集まれ」といった張り紙をして、放課後、理科室に集まっていました。
 最初、「ままこの会」と名付けていたら、生活指導の先生が、「不適切だ。解散しなさい!」と言ってきたので、物理の先生に顧問になってもらい、そのまま同じ名称で続けました。活動内容は、読書会とか会報の発行だったと思います。一年下の会員に、ミステリやSFの翻訳家になった宮脇孝雄さんがいましたよ。
雀部 >  宮脇孝雄さんて全然記憶に無かった(汗;) ファンタジーとかスリップストリーム系の翻訳もされていたんですね。何冊か読んでる。
 しかし高校時代に、SF同好会を作られたんですか。それは凄いなあ。「ままこの会」って“継子”の“ままこ”なんですか?
森下 >  そうです。周囲に理解してくれる人がいないので、「親や兄弟からうとまれる」というような意味合いの言葉を選んだのですが、今から考えると、ひがみ根性でしたかねえ(苦笑)
雀部 >  周囲にSFの理解者が居ないのは、何時の世にも不変の真理(笑)
 SF研の後輩の方々に、何かアドバイス的なことがありましたらぜひ。
森下 >  SFは既存のものはすべて「古い」のです。
 新しいものを創り出してゆくことこそがSFだと思って、自分で新しいSFを切り拓いてください。
 それとは逆の話になりますが、さっき雀部さんがおっしゃった「基礎知識的なSF」は古びない部分をもっているので、派生した作品と比べながら、読んだり、観たりするのも楽しいと思います。
雀部 >  入学当時、学園紛争の影響で東北大も入学式がありませんでした。SF研も無くて翌年に出来たようなのですが、その年は大学紛争でロックアウト、機動隊導入・放水とかがあり、何か凄くガタガタしてました。同級生にも留置場に入った奴がいたし。
 そう言えば高校の時、筒井康隆先生の「ベトナム観光公社」をぱくって、東大紛争が体験できる「赤門観光公社」とかいうショートショートを学校新聞に投稿して載せてもらった記憶が(汗;)
 今でも学生運動そのものはあるんでしょうけど、あの当時の雰囲気は独特のものがありましたね。
森下 >  高校の頃が「若者の反乱」の時期でした。時代の空気に反応して、すごく真剣に日本の戦後体制や教育のあり方について勉強し、考えました。
 しかし、大学に入った時にはもう全共闘運動は終わった状態で、キャンパスは学生も、先生方も、シラケきっていました。反乱のエネルギーは盛り上がったものの、それをうまく方向づけることができなかったんでしょうね。
 そんな中にあって、SFが感じさせる、世界や意識の新しいビジョンは、当時、目覚ましいものだったと思います。
雀部 >  私は森下先生と同学年なんですけど、高校の頃は、のほほ〜んとしていた方なのであまり真剣に考えてませんでした。まあ大学に行くようになっても大して変わらなかったんですけどね(汗;)
 森下先生も参加されている『3・11の未来』に“SFは同時代のテクノロジーと平行しながら書かれるジャンル”だという記述があって、そりゃそうだと思ったですが、そうでないSFも多いです。それと、黄金時代(14,5歳前後)の体験や読んだSFは、その人の嗜好に影響がありますよね。小松先生や星先生・光瀬先生あたりの小説を読み返すと心が安らぐというか、いや安らぎはしないんですけど、これがSFだよなぁと。
森下 >  書く方にも、新しい手法を手にした喜び、野心のようなものがあったのでしょうね。それが読み手にも伝わってきて、楽しみを共有できるというか。
 小松左京さんが、ご自分の青年時代の葛藤を客観化し、小説にするのに苦心していた頃、SFに出会って「これだ!」と思ったという話は忘れられません。物語や映像の表現方法としてだけでなく、世界や現実との格闘が昇華されてSFになっていた部分があると思うのです。今でも、たまにそんな作品はありますよね。たとえば、柞刈湯葉さんのSFにはそんなものを感じます。
雀部 >  柞刈湯葉さんって誰だっけと思って『横浜駅SF』を読んだら、読んだことがありました(お名前も題名も忘れてました。すみません(恥;))『重力アルケミック』も面白かったです。どちらも設定がファーマーか、はたまたベイリーかというくらいにぶっ飛んでいてSFファンなら欣喜雀躍(笑)
 ケン・リュウとかイーガンもすごいんだけど、こういう設定がパワフルな作品は大好きです。
森下 >  パワフルでもありますが、半分冗談のような世界設定で。
 遊びの要素があると、うれしいんですよね。考え方を脱臼させられるというか(^.^) ここ20年ばかり、SFは生真面目な方を向いていたので、柞刈さんの登場は喝采ものだと思います。
雀部 >  ほんとバカSFですよねぇ。読んでいて、「これやこれや」と嬉しくて(笑)
 『3・11の未来』に戻るんですが、例えば孫たちに、あの衝撃をどう伝えようかと時々考えるんです。月世界着陸をモノクロTVの中継で見た時もけっこうショックだったのですが、原発事故でしかも自国のこととなると切実さが違って。SFファンなんで半減期とか直ぐに思いついて、カミさんに「今後数万年間は福島は住めなくなるぞ」と。
 人に押しつけるもんでもないと思いますが、このザワザワした感覚を孫と共有したい。
森下 >  自分自身にとっても、本当にあのようなことが降りかかってくるものかと納得が難しいところがあります。ましてや、それを孫に伝えるとなると……。
 『3・11の未来』で考えたことのいちばんは、現実と想像力との問題でした。圧倒的な現実に直面して、想像力は何ができるのか、と。
 とりあえずの結論は、重大な現実問題がある時には、まず、事実の詳細を可能な限り知ること。想像力は、それをもとにして、いつの日か、勝手な何かを紡ぐだろうから、それを待つのがいいのではないか、ということでした。
 ですから、孫にあの災害を伝えるとしたら、まず、自分の見聞きしたことを具体的に語りたいと思います。揺れが来た時、何をして、何を感じたか(東京は震度5強で、それでも凄い揺れでした)、あわててテレビを見た時に映っていたこと、その後の原発爆発、計画停電やスーパーの棚からものが消えたことなど……。
 しかし、人間の記憶や決意は頼りになりませんね。今でも、もう薄れかけている。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言ったものです。
雀部 >  詳細な記録は残すべきですよね。それを見た人が、そこから何かを感じ取ってくれれば良いということで。SFは、そういう何かを感じ取る能力を高める小説のジャンルだと私は思います(笑)
森下 >  同感です。衝撃力のある体験だと、どうしてもそればかりを見つめてしまうことになりますが、SFは、いったん視点を離したり、ズラしたりして、体験そのものの捉え方を検討する訓練を授けてくれると思います。体験を客観視し、永続させるためには重要なことではないでしょうか。
 ヴェルヌが視野を地球全体や宇宙にまで広げ、ウェルズが遙かな過去から未来までの流れの中での人類を位置づけたように、我々も自在な考え方を身につけたい。とはいっても、それをうまく伝えるのは至難の技です(^_^;
雀部 >  世代を超えて体験を伝えていくのはやはり難しい。うちの親父は、なんとか戦地に行かなくてすんだ世代なのですが、ロッキードやグラマンに機銃掃射されたとか、原爆が落とされた日、小倉に居たんですが曇りだったので爆撃機が次の長崎に向かったと何度も聞きましたが……自分の体験ではないので“へぇそうなんだ”で終わってました(汗;)
 これからはVR関連の技術が進歩して、五感を刺激して人と同じ体験をすることが可能になってくるような気がしています。ゲームも、どんどん実体験に近づいてくるだろうし。そういう時代のSF小説は、どういう立ち位置になっているのでしょうか?
 娯楽が、ゲームとか感覚ビデオを消費するだけではなんか精神がダメになりそうで。
 クリエイティブな分野では、SF的な考え方は当然残っていくと思いますが。
森下 >  VRは、実はあまりSF的ではないのではないかと、私は考えています。というのは、いくら細部まで綿密に作り込んだとしても、それは制作者の意図の範囲内におさまっているわけで、プレイヤーの想像力を喚起する力が弱いのではないか、と。SF的なテキストを読むことで、読者の意識が拡大することの方がインパクトが強いように思えるのです。古い活字世代の負け惜しみかもしれませんが(^_^;
 五感を刺激する力は、やはり実体験が強いし、その体験をどう表現するか試行錯誤することで、新しい表現も生まれてくるのでしょう。
 とはいっても、2次創作、3次創作のような形のものはこれからもどんどん生まれ続けるでしょうし、そのためのノウハウや実例としてVRやゲーム、映像作品は重要だと思います。SFは、そうしたメディアにネタを与えるような斬新なジャンルでありつづけて欲しいものです。
雀部 >  SFが斬新なジャンルであり続けるには、作家の先生方の頑張りと共に、それを読んで楽しむ読者がある程度以上居ないといけないですよね、本が売れないことには……。
 森下先生は、小松先生に請われて『SFへの遺言』を手伝われたそうですが、その際に面白い(興味深い)エピソードがございましたら、教えて下さいませ。
森下 >  それまで特にお付き合いもなかったのに、「遺言を残すから手伝え」と、突然言われました。
 どうして私を指名したのか、気になっていたのですが、企画がかなり進行した時だったか、「きみが、ぼくの『華やかな兵器』の書評で、どうして小松左京がこんなものを書くのかよくわからない、と書いていたから、おもしろいヤツだと思っていたんだ」というようなことをおっしゃいました。生意気なことを書いたものだと、今でも赤面ものですが、それで気に入るというのですから、小松さんも度量の広い人だと、ますます尊敬しました。
雀部 >  確かに。私も、小松先生から大宇宙の母親のようなイメージを受けたことがあります。
森下 >  あと、インタビューには石川喬司さんに同席を願ったのですが、途中で姿を消されることがあって、「どうなさいました?」と訊ねると、「いや、競馬のあれが……」と。大事なレースがあったので、様子を確認しに行っておられたようです(笑)。
雀部 >  石川先生は、確かそっちも本職だったような(笑)
 私がSFで学んだ最大のものは、「すべての物は相対的である。絶対的な善とか悪は存在しない」ということなんです。たぶんそのネタ元は、ロバート・シェクリイの短編だったと(笑)
森下 >  あ! それは私も同様です。
 シェクリイの短編は思考の枠を取っ払うような切れ味をもっていましたよねえ。『人間の手がまだ触れない』所収の「専門家」など忘れられない衝撃を受けました。素晴らしい作家なので、もっと評価されていいと思います。
雀部 >  そういえば、〈小説推理〉7月号でケン・リュウの『母の記憶に』を紹介されてましたが、SFファン向けの書評とは違う物なのでしょうか。対象となる本によっても違うとは思いますが。昔、友人達にSFを読ませようとして、どう薦めたら良いか苦労した覚えが(汗;)
 個人的にはミステリファンにSFを読ませるより、SFファンにミステリを読ませる方が簡単な気もします。
森下 >  〈小説推理〉はSF専門誌ではないので、SFファン以外の人を引きずり込めればよいなと思って書いています。そもそもコアなSFファンには、ケン・リュウの基本的な魅力を説いてもしょうがない。すでにご存知ですからね。
 読書好きで、最近のSFはどうなっているかなあ、と思っているような人に届けばいちばんいいのですが。
 SFは作品ごとに、従来のSFや先端SFやファンタジーや純文学などに類していたりして、バックグラウンドが違いますし、扱っているテクノロジーや社会現象もさまざまで前提条件を説明するだけで手間をくいますね。
 どんな話か、ということと、面白いかどうかをハズしてはいけないというのは、師である伊藤典夫さんから教わりました。
雀部 >  伊藤典夫先生直伝ですか、それは確実なテクニックでしょう!
 確かに、SFは前提条件(バックグラウンド)を説明するのが大変そうです。
 〈ナンクロメイト〉誌の「オモシロ本の世界」の方はどうでしょう? 『シマイチ古道具商 春夏冬人情ものがたり』『万次郎茶屋』『愛しのオクトパス 海の賢者が誘う意識と生命の神秘の世界』を紹介されていますが。
森下 >  こちらはノンジャンルで、どんな本を取り上げてもかまわないという、ありがたいページですが、逆にいえば、選択が難しい。読者がミドル以上の女性中心なのでそのあたりを意識しながら、自分の好きな本を取り上げさせてもらっています。
 ノンフィクションに興味があるので、比較的そちらのものが多くなっているかと思います。
雀部 >  へえ、〈ナンクロメイト〉誌って熟年女性がメインゾーンなんですか。
 熟年・老年世代向けにSF本の書評をするとしたら、どんなことに気をつけたら良いと思われますか?
 若い頃にはSFを読んでいたけど忙しさにかまけて読まなくなったが、子供に手がかからなくなり時間的に余裕が出てきた世代向けということなんですが。
 ま、私らの世代のことでもありますが(汗;)
森下 >  いちばんSFを薦めたい人たちですよねえ(^.^)
 すごく大雑把にいえば、10年単位ぐらいで日本SFの傾向が変わっているのでそのあたりを織り込みながら、最新作の位置を示すということでしょうか。
 と同時に、最近はリバイバル作が多いので、ピカピカの新作となじみの旧作をバランスよく取り上げることも意識しています。
 どの作品にしても、読みどころというか、面白さの特徴をうまく説明できればいいのですが、これがなかなか難しいところで。
 あと、これは書評ということではないのですが、(かつての)読書好きは読んではいなくても、評判作には興味をもっているので、売れた『火星の人』とか、ケン・リュウとか、今でいえば『メッセンジャー』とか『美しい星』といった映画化作品と原作とのかかわりとかを話のとっかかりにするのも有力だと思います。
雀部 >  なるほど、映画化作品は狙い目ですね。
 歴史ものとかミステリなんかは、日本人なら大抵の人に薦められるんですけど、SFは人を選びますから(汗;)
 森下先生は、批評(書評)にも定評があり、ご著作は大変参考にさせて頂いてます。これらの本を書こうとお考えになった経緯がありましたらお教え下さい。
森下 >  ものかきになった時、SFの仕事なら、創作に限らず、何でもいいと思ったんです。SFファンなので、SFに携われるのならそれで幸せだ、と。
 だから、書評の話があった時、大喜びでやらせてもらい、そのまま続けている形です。
雀部 >  書評もちゃんとしたのを書くのは大変ですよね。
 デビュー作「プアプア」掲載の経緯についてお聞かせ下さい。
森下 >  1978年の暮れに上京しました。それまで田舎の放送局に勤めていたのですが、早い話がサラリーマンに嫌気がさして辞めてしまったのです。
 その時期、学生時代の知り合いだった川又千秋さんや横田順彌さんらが〈SFマガジン〉とか〈奇想天外〉などで活躍を始めていて、自分もそういったところに参加できないものかと考え、すでに「プアプア」は書き上げていました。上京して間もなく、〈SFマガジン〉に持ち込んで、運よく載せてもらえたのです。
雀部 >  なんと持ち込みだったとは。つかぬ事をお伺いしますが、持ち込みって前もって連絡してから行かれたんですか。早川の6Fの[編集二課]に行かれたのでしょうか、それとも[クリスティー]とか[ラ・リビエール]あたりで?
森下 >  連絡してから行きました。実は、当時、実質的な編集長だった今岡清さんとも学生時代から知り合いでしたので、話はしやすかったのです。
 当時、早川は、戦後まもなくからの古い木造2階建てで、編集部は2階にありました。雰囲気は学校の職員室みたいでしたねえ。ただ、原稿を渡したりしたのは、近所の喫茶店だったと思います。
雀部 >  あ、まだ昔の建物だったんですね。
 『SFアドベンチャー』の「森下一仁のショートノベル塾」はどういう経緯で始められたのでしょう。昔『ボーイズライフ』という雑誌にショートショート投稿コーナーがあって、入選すると星新一先生から寸評が頂けた。私も投稿したことはあるんですが、全く引っかかりませんでした(汗;)
森下 >  あ、私も『ボーイズライフ』には投稿しましたよ。1回出したけど、ダメで、それっきりあきらめました。
 「ショートノベル塾」はアドベンチャー編集部の発案です。創作のほかに書評や評論などもやっていたので、私に白羽の矢を立てたんじゃないでしょうか。石井紀男編集長と編集部の本間肇さんの2人が我が家にやって来るというので、「何の話だろう!?」と戦々恐々として待っていたら、その話でした。
 さっきいったように、SFに関する仕事なら何でも歓迎という気持ちだったので喜んでお引き受けしました。
雀部 >  なんと、森下先生も投稿されていたとは。
 ボーイズライフには、海外SFの抄訳も載っていた記憶があるのですが。
 レンズマンの抄訳を読んだ覚えが……。
 SFマガジンの裏表紙に載っていた「パイロットSFコーナー」にも応募されたのでしょうか。
森下 >  いやいや、あちらは「大人のSF」という感じで、中高生には手が出せない気がしていました。でも、読むのは毎月、楽しみで、買うといちばんに読んでいました。
雀部 >  裏表紙だから、頁をめくらなくても読めましたし。
 昔講師をされていた「空想小説ワークショップ」は現在もある「空想小説ワークショップ21」と同じものでしょうか。こちらは実際に出席して受講する講座だと思いますが、投稿による塾と比べてどんな利点欠点(または向き不向き)があるのでしょうか。
森下 >  同じものです。
 もともと川又千秋さんが始められた講座で、今でも、川又さんの「学校」というイメージです。私や黒碕薫さんはお手伝いといったところでしょうか。
 投稿の塾に比べての利点は、講義終了後、居酒屋に繰り出してワイワイやれるところです(^.^) 仲間の人間性に直接触れて、刺激されるのも大きいですね。
 欠点は、ワイワイやることで欲求が発散され、肝心の創作へ向けるエネルギーが減衰する(場合もある)ことです。
 SF大会でつづいている「SF創作講座」は両者の特徴を取り入れた面白い取り組みだと思います。
雀部 >  確かに同好の士と居酒屋に繰り出してワイワイやれるのは魅力的だなあ(笑)
 それに自分で書いてみると、プロの作家さんの凄さがわかりますし。
 そういえば、『SFの書き方 「ゲンロン 大森望 SF創作講座」全記録』が4月25日に出てましたね。
 森下先生は、思いついたアイデアを書いておく創作ノート的な物は使われているのでしょうか。
森下 >  メモはかなり残してあります。ただ、読み返してもピンと来ないものも多く、たいがいは参考になりません。書きながら、うんうん唸って次の文章を捻り出してゆくのが好きなんだと思います。
雀部 >  作家の方は、やはり総じて苦労されているんですね。
 『思考する物語 SFの原理・歴史・主題』の、ミンスキーのフレーム理論をSFに適用するというアイデアは、どこから思いつかれたのでしょうか。
森下 >  大学専攻は心理学でして、人間の意識とか思考にはずっと関心があります。
 大学を出てからも、その分野の業績はフォローしていて、1970年代末からのいわゆる「認知革命」の頃は興奮しました。その中でミンスキーの理論にも触れ、大いに触発されたことでした。
 そもそも、自分にとってのSFの魅力とは何かという疑問も抱き続けていたので、フレームやスクリプトといった考え方とSFの「センス・オブ・ワンダー」とが結びつくのでは、と思い当たった時は、すごくうれしかったです。
雀部 >  『思考する物語 SFの原理・歴史・主題』は、わくわくして読ませていただいた記憶が。アフォーダンスや認知考古学とかも面白いですね。
 『現代SF最前線』は、よく参考にさせていただきました。といっても、かんべ先生のインタビューが終わってから別の案件で読み直したら、私が頭をひねった作品の論評が何冊もあって、「あちゃ〜」と思ったことも(汗;)
 個人的に作家の方をよく知っていると、その作品を読む時にバイアスがかかるというか参考になることはあるのでしょうか?
 家庭状態が作風に反映するのはありますよね。某ディック氏とか(笑)
森下 >  バイアスはかからないようにしているつもりですが、どうしても読み方に影響は出て来るでしょうねぇ。筒井さんが演劇をやっていたこととか、横田順彌さんやかんべむさしさんが落語をやっていたこととか、作品に影響が出ていますから。
 それと、書評のマクラに、作家自身のことに触れて、その作品に対する読者の興味をかきたてるということもあります。
雀部 >  なるほど、話のマクラに作家の方のエピソードに触れるというのは良いなあ。
 私もこの年代(1983〜97)は、一番SFを読んでいた時期ですが、それでも取りこぼしがあって、慌てて取り寄せて読んだこともあります。
 波多野鷹さんの『都市に降る雪』は、「久美沙織伝説」を書くときに資料を頂いた関係で読ませていただきました(ご夫婦)。この論評が的確で、なるほどな〜と感心してたら、後で心理学がご専門ということに気がついた(汗;)
 かなり広い範囲からセレクトしてあるのですが、どうやって読む本を選ばれていたのでしょうか。私はだいたいSFマガジンに紹介が載った本だけなんですが(汗;)
森下 >  長く書評をやっていると、SF関係の出版物は版元が送ってくれることも多いです。早川とか創元とかのSFは、ほぼ全部いただけるのでありがたい(^.^)
 新聞の出版広告には必ず目を通して、気になるものはチェックします。
 あと、ネットのSNSでの情報とか。いちばん嬉しいのは、書店の棚で出遭った本が面白かった時ですね。
雀部 >  「森下一仁のSFガイド」の「このページの著者について」で、“大学ではネズミを使う心理学の初歩をやりました。”とありますが、行動心理学系の研究だったのでしょうか。
森下 >  伝統的に東大の心理学教室は実験中心のようで、戦後は行動心理学と馴染んだのでしょう。私のネズミの実験もスキナー風ですよね。
 ただ、その卒論は、知能よりも感情(心理学用語では「情動」)に的をしぼったもので、行動を支配する力は感情なのではないかと感じていました。心は、知・情・意に分けられますが境目はどんどんあいまいになってきているように思います。その意味で、P・K・ディックの短編「ゴールデン・マン」は先駆的でしたねえ。
雀部 >  確かに「ゴールデン・マン」は情動的でした。読みながら泣いた数少ないSFでもあります……。
 森下先生の短編群は、理知的でありますが、根底には愛とか哀愁とかの感情的要素も多く持っている感じを受けました。
森下 >  ありがとうございますm(__)m
 感情というか、名付けにくい気持ちのようなものを表現できればいいなと思って小説を書いています。世界と直に向き合った時の感動や戸惑い、といったところでしょうか。
 そういう意味では、自分の短編は、物語よりも、散文詩を意識しているといっていいのではないかと思っています。
雀部 >  人工知能研究が人間の本質にたどり着く可能性はあるのでしょうか?
森下 >  今、盛んな「ディープラーニング」などを見ていると、人間の脳の働きをなぞってはいるものの、それがどういうことなのかは、やはり人間の力で理解するしかないようです。というか、「理解する」とはどういうことなのかを、人工知能は問いかけているような気がします。
 人間の鏡として人工知能がヒントになることはありそうですが、結局、人間の本質は、人間が見つけて理解してゆくものなんでしょうねえ。
雀部 >  やはり。私も「地図は実際の山ではない」説に賛成派です。
 ところで、森下先生は専業作家であられるのでしょうか。それともご本業がおありになるのでしょうか。
森下 >  1979年のデビュー以来、ほそぼそと物書きを本業にしています。SF雑誌が複数あった頃は、それなりに忙しかったのですが、最近は……。
雀部 >  SFマガジンも季刊になっちゃいましたし。SF受難の時代ではあります。
 『「希望」という名の船にのって』以後のご著書は無いのでしょうか。
森下 >  ないですよ〜。年齢のせいか、仕事の能率が落ちて、毎月の書評2本でかなり手一杯。あと、文芸家協会のアンソロジーお手伝いとか(協会員ではないんですが)、文庫の解説とかで時間がつぶれています。やりたい仕事はあるので、なんとかして時間をつくらなくては。
雀部 >  年齢なことはありますよね。小松先生も還暦過ぎてからは創作活動がほとんど無かったし。私なんか、そもそもやる気スイッチが入らない状態が日常化していて困ります。
 森下先生はやる気が出ない時は、どうやってやる気を出されているのでしょうか。
森下 >  いちばんのクスリは、やはり締切ですね。昔ほどの大きなプレッシャーは感じなくなりましたが、迫ると心理的にキビシイものを感じます。で、それを乗り越えた時の安堵感があって。
 そうしたストレスの増大と緩和とが、前進力になってくれるように感じています。
雀部 >  確かに。うちも最初は毎月アップを身上としていたんですが、高齢化とスタッフもどんどん減っちゃうしで、締め切りは無くなっちゃいました(汗;)
 『魔術師大全』はもの凄い労作で、面白かったです。魔術とSFのどちらが人類史に影響を及ぼしてきたかを考えると、SFはまだまだ頑張らねばと思います(笑)
森下 >  ありがとうございます。私も、一所懸命、勉強しながら書きました。
 魔術の本質は、世界の仕組みを知ること、それをコントロールすることですから、人間の知的欲望の発露の仕方としては当然なんですね。ただ、遊びの要素が少なくて、悲劇に直結しやすい。
 その点、SFは基本的に「知的な遊び」ですから、健全で、まっとうだと思います。
 それだけに、SFを真に受けたような教団が出てきて、毒ガスをまき散らしたりした時は驚愕しました。上祐さんがアシモフのファウンデーションのようなことを口にするのを聞いた時は大ショックでした。世の中も、SFも、あの頃から大きく変わってしまったのかもしれません。
雀部 >  良い方に変わったのなら喜ばしいんですが……。
 森下先生の小説には、その「知的な遊び心」が溢れている気がしています。昔の短編群が簡単には読めないのは残念です。電子出版は、もの凄くハードルが下がってきているのですけど、ご著書の電子化についてはどうお考えでしょうか。
森下 >  初期の短編集などは、古くから「電子書店パピレス」に並べてもらっています。以下にリストがあります。
 一般論でいえば、本は、電子版と紙版とが共存してゆくんでしょうね。どちらもそれぞれ長所短所がありますから。
雀部 >  絶版(というか取り扱い終了)になったら、電子版が困りますよね。紙媒体は古本として手に入る可能性もありますから。
 いままで、「パピレス」は使ったことが無かったんですが、良い機会なので6冊とも買ってみました。ただ、ここは使いにくいんですよ。森下先生の作品に限って言えば、PCで読むのが前提ですし、スマホに対応してないのが一番の難点。"Amazon"とか"honto"でも読むことが出来るようになればうれしいですね。通勤通学時に、ふと思い出して読もうと思えば数分で読むことが可能になりますので。
森下 >  作品データが古いので、そうなっているのでしょうか。スマホにも対応するように言えばいいかもしれませんが、最近はほとんど売れてないようなので、話をもってゆきにくいんですよ(苦笑)。
雀部 >  全体的に売れないんで、システム刷新が出来ないのかなぁ……。
 SFファンの皆様、スマホ対応が可能になるようご協力よろしくお願いします!
 Amazonなんかは著者が自分で設定できるみたいですけどね。
 《森と岩の神話》シリーズなんですけど、森下先生の長編しかもシリーズものということで驚いた記憶があります。後書きに“古代と、宗教への関心から生まれた”と書かれてますが、どの頃から温められていた企画なんでしょうか。
森下 >  古代への関心は、中学生の頃、バウマンの『大昔の狩人の洞穴』に魅了されたのが始まりだと思います。シュリーマンの伝記や、「エジプト、ファラオの墓の呪い」といった読み物も夢中で読みました。
 あと、これは大学生になってからだったと思いますが、ミルチャ・エリアーデの宗教史にのめり込んでいました。
 そんなこんなで、古くからの人間の精神のあり方と、現実の世の中の移り変わりとの関わりがずっと気になっていて、何かの形になればいいなあと漠然と思っていました。そこへ朝日ソノラマの〈獅子王〉編集部から、「そろそろ長いものをやってみないか」というお話があり、頑張ってみたのがああいうふうに……。
 SFや科学への志向とは少し方向が違いますが、ずっと気になっているテーマです。
雀部 >  宗教を大局的見地から扱うのにSF形式は適していると思います。第五巻の『沈む島』では日本のキリスト教を扱ってますが、後書きを読んでみてもなんか最終刊の感じしません。
 元々これで終わる予定だったのでしょうか。
森下 >  いや、もう一度、現代に戻ってくることでおしまいになるのです。実は〈獅子王〉の連載ではその分もあったのですが、文庫は売れ行き不振で刊行されませんでした(^_^;
雀部 >  そうだったんですか。〈獅子王〉は購読してなかったんで、知りませんでした(汗;)
 個人的に、SF作家と歴史物は非常に相性が良いように思ってますが、森下先生は、歴史物を書かれる予定は無いのでしょうか。
森下 >  ポール・アンダースンのタイムパトロールものなんか、わくわくしましたねえ。
 歴史では特に詳しい時代もありませんから、今のところ予定はないのですが、取り組んでみるとすれば、10万〜5万年前に現生人類がアフリカを出て地球各地に広がってゆく頃のことが面白そうに思います。歴史というより地質時代を扱うことになりますが。
雀部 >  地質時代が舞台ですか、長いスパンのお話になりそうですね。地球各地で苦労しまくりでしょうね(笑) 道具を使うようになったりとか言葉を話すようになったりとかも面白そうです。
 最後に、現在執筆中の作品、構想中の作品がありましたら(無理のない範囲で)ご紹介下さいませ。
森下 >  まだ全然、形が見えてないのですが、『「希望」という名の船にのって』の続編を書きたいと思っています。
 あと、評伝のような形で、雑誌〈新青年〉の編集長だった森下雨村の若い頃を探ってみるのも課題です。『探偵小説の青春』という仮題も考えてあって、明治から大正にかけて、ミステリや冒険小説、SFといった新しいジャンルに惹かれた人たちの姿が見えてくれればいいなと考えています。
雀部 >  『「希望」という名の船にのって』の続編、お待ちしております。
 隣に住んでおられた森下雨村先生の評伝も楽しみにしてます。
 今回はお忙しいところ長期間のインタビュー、ありがとうございました。
森下 >  こちらこそ、ありがとうございました。SFについて語るのは、いつでも楽しいです。
 雀部さんが同年齢なので、読書体験が似通っているのも嬉しかったですねえ。またどこかでお話できればいいなと思っています。

[森下一仁]
1951年生。高知県佐川町出身。大学ではネズミを使う心理学の初歩をやりました。大学卒業後は郷里の高知放送に就職。制作、報道などの仕事を経験する。1978年末に退社し上京。1979年、〈SFマガジン〉3月号に「プアプア」でデビュー。ほぼ同時に〈奇想天外〉誌などに書評を書き始める。日本SF作家クラブ元会員。日本推理作家協会会員。
現在、〈小説推理〉(双葉社)、〈ナンクロメイト〉(マガジン・マガジン)に書評を連載中。(以上は「森下一仁のSFガイド」より)
[雀部]
1951年生。岡山県倉敷市生まれ。永遠のSFインタビュアー見習い。
森下一仁先生の著書のなかで、『ラグ―宇宙からやってきたともだち』と『平成ゲマン語辞典』は未読です。出たときに買っておかないとこういうことになるなぁ(汗;)

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