憲政史上初の「平民宰相」原敬。
盛岡藩士の子として生まれ、戊辰戦争での藩家老・楢山佐渡の死に際し新しい国造りを志す。
維新後士族をはなれ平民となり、新聞記者、外交官、官僚として頭角を現し、政治の世界へ転じたのちは藩閥政治から政党政治への刷新を掲げる。
第19代総理大臣となり日本の政党政治、民主主義の基礎を築くが、1921年11月4日、東京駅で暗殺される。
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今月の著者インタビューは、この10月に『国萌ゆる 小説:原敬』を上梓された平谷美樹先生です。平谷先生今回もよろしくお願いします。
のっけから本題には関係ない話題で申し訳ないですが、小学館の青年漫画誌「ビッグコミック」で連載中のマンガ「颯汰の国」(小山ゆう)で、伊達政宗が精鋭の忍者部隊・黒脛巾組を援軍として送り、主人公たちの窮地を救うシーンがあったので、小山先生わかってるなあとニンマリした次第(笑)
私は知らなかったんですが、黒脛巾組って、けっこう有名なんですね(汗;)
伊達政宗を調べているとだいたい出て来ます。わたしは伊達政宗を調べて初めて知りました(笑)
SFは、ある程度の科学の素養があった方が面白く読めると思いますが、歴史小説も同じですね。江戸時代のことを段々と知るようになって、時代小説の面白さが増したと思います。
すいません脱線して。
『国萌ゆる 小説:原敬』の帯に“没後100年記念傑作大河巨編!”とあり、おりしも第100代の総理大臣が指名され直ぐに総選挙ということで、なかなかタイムリーな出版となりました。
コロナ禍で閉塞気味の昨今、原敬のような国全体を見据えて執政する指導者が求められている気もします。原敬氏は岩手県出身ということで、以前から温められていた企画だったのでしょうか?
『柳は萌ゆる』を書き終えた時点で、原健次郎(後の原敬)のその後の姿を書きたいと思ったのが最初です。元々、政治家とか偉人には興味がなかったので、それまではまったく考えていませんでした。
『柳は萌ゆる』の新聞連載が(2016〜18)とうかがいましたので、その頃からということですね。
FM岩手で10月11日に放送された「夕刊ラジオ」のコーナー「ブックシェルフ」にゲスト出演されたのを、Radikoのタイムフリーで聞かせて頂きました。なんか緊張されていたみたいですね。パーソナリティの阿部沙織さんとは、文士劇でも顔馴染みだそうですから、大丈夫な気もしますが(笑)
あらら。聞いちゃったんですか(笑)
文士劇も朗読劇も経験していますが、長い小説の一部抜粋ですから、どう読むのがいいか、直前まで迷っていたのですよ。
『国萌ゆる』の冒頭部分をお二人で朗読されていて、地の文(朗読:平谷美樹)もなかなか良い味を出されていて良かったです。楢山佐渡の妻、菜華と原健次郎(声:阿部沙織)はプロだから上手いし。
サオリンは上手いですよねぇ。そのうちどこかで長い朗読をしようって話しています。
FM岩手でやってもらえれば、全国の平谷ファンが聴くことが出来ます!
番組中に「今月が締め切りなのが4本あるけれど、もう2本片付けて、3本目ももうすぐ片付ける」とおっしゃられてましたけど、相変わらずお忙しいようでなによりです(笑)
書き下ろしや新聞連載の締め切りが集中してしまったんですよ。執筆が遅れていた分のしわ寄せです(笑)
けれど、ここを切り抜ければ遅れはリセットされます。
現在、3本目が5分の3まで進みました。明日、明後日には終わり、4本目の締め切りに取り組みます(笑)
それはおそらく、10日くらいで終わるんじゃないかな……。
さすが、プロですねえ。
題名の『国萌ゆる』は、平谷先生の著書『柳は萌ゆる』の主人公、楢山佐渡の辞世の句「花は咲く 柳は萌ゆる 春の夜に 変わらぬものは もののふの道」から取られたとのことですが、原敬は実際に楢山佐渡と深い関わりがあったんでしょうか。それとも、平谷先生が先鞭を付けたのでしょうか。
資料を当たっていたら原家と楢山家は行き来があり、原健次郎は楢山佐渡を親戚のように慕っていたという話がありました。
「楢山佐渡の処刑の日に原健次郎が泣きながら報恩寺の周りを回っていた」という有名な話から広げたのです。あくまでも「小説 原敬」ですから、創作の部分が多々あります。小説の場合、はっきりしないというのは、空想を盛り込むためにあるようなもので、わたしは思い切り創作してしまいます。
確かに、楢山佐渡のような傑物が多感な思春期に身近に居たら影響を受けまくりでしょうね。
そう思います。けれど、佐渡は生涯側室をおきませんでしたが、原敬は結構おさかんだったようです。そういう所は学ばなかったんでしょうね(笑)
現代の倫理観からはずれているので、そこを書くのが大変でした(笑)
確かに(笑)
友人の娘だった正妻の貞子、しばらくはお妾さんだった元芸妓の浅、もう一人のお妾さんで書の上手い元芸妓の石、の三人ですね。
貞子さんは、幼くして結婚したので色々と我が侭があったようですし、池永石さんについては詳しくは書かれてません。
原敬の女性関係については、平谷先生の筆は後に婚姻関係を結ぶ浅さんを中心に描かれていますが、浅さんは地頭の良い女性のようで、原敬に度々アドバイスしてますね。
これは平谷先生が資料に当たられて、浅さんに惚れ込んだということでしょうか。
資料に書いていたわけではありません。推測です。
陸奥宗光の奥さんも元芸者さんでした。涼子さんは外交面で活躍しました。芸者さんというのは頭が良くなければつとまりません。浅は「無学なので迷惑がかかる」と、原敬との結婚を拒み続けましたが、「学が無い」ことが頭が悪いことにはなりません。学があってもお馬鹿な方はたくさんいますから(笑)
芸者さんは客の心の機微を読んで対応しますから、人間関係については敬よりも深く考えられる人であったのではないかと。
伊藤内閣成立の際に、伊藤に恩を売っておいて損は無いと助言してますし、藩閥政治が横行するなかで、どう原敬色をだして立ち回っていくかについても何かと助言があったやも知れませんね。重苦しい政治の話が続くなかに、ときどき原敬が浅さんにやり込められるシーンが挿入され、そこでニヤリとするところが読者にとって――原敬にとっても(笑)――、一服の清涼剤となっていて良かったです。
戊辰戦争殉難者五十年祭の時、“死が平等であるなら生も平等。賊軍の出であると誹られても卑屈になるなと父から聞きました”と中尊寺落慶供養願文を引き合いに出して、原が頼まれた祭文の方向性を示したエピソードが一番好きです。
あのエピソードも創作ですが、供養願文の内容とかぶるので、もしかしたら知っていたのではないか――と考えて描きました。
本筋とは関係ないのですが、作中で瓦斯灯を最初に灯したのは、仙巌園ではなく、ましてや横浜でもなく、旧盛岡藩士だったと書いてあり、ググってみたら有名な話みたいで驚きました(恥;)
仙巌園に行った時には件の石灯籠を見てきたんですけど。
なにかにつけ、東北は無視されるんですよ(笑)
アピールもしないし(苦笑)。だから話題にされず、誰も知らないというのがたくさんあります。
岩手県民さえ知らない(苦笑)。
奥ゆかしいとかいうのではなく、卑下してしまうんですよね。
大学時代の同級生のことを思い出してみると、岩手・福島の人は控えめだけど芯は強い。青森・北海道の人は、割と自己主張するタイプかな。宮城は良くも悪くも都会的だなあと(←同級生のみんな、ゴメンな〜)
岩手県人が控えめに見えるのは、きっと、喋れば訛りを笑われると思っているからだと思います。岩手県内ではみな、とてもお喋りですよ(笑)
そういえば岩手県出身の親友もそうです(笑)
芯が強いのは、歴史的に「堪えることが多かったから」だと思います。だから新型コロナウイルスの感染者がしばらく出なかった(笑)
ですね。岩手は超田舎だからとか揶揄されたり(笑)
コロナといえば、原敬が首相になった時は、まさにスペイン風邪が猛威を振るった時期と一致してますが、首相として大変だったでしょう。
原敬日記に少し書かれていましたが、詳しい記述はなかったように思います。スペイン風邪のことを詳しく書いてしまうとバランスが悪くなって、「狙った」ように読み取られてしまうのではないかと考え、あっさり書きました。
そうなんですね。ワクチンとかも無い時代ですから対処方法も限られていて、大変だったと思います。
10月4日に第100代の首相が決まったこととか、ウィルスによるパンデミックだけではなく、皇太子殿下のお后問題等皇室の事案、それにメーデー等、現在日本の状況に共通する懸案事項もありで、非常にタイムリーな出版になりました。
そうですよね。色々と重なります(笑) 政治家たちがあの時代から進歩していないということも含めて(笑)
けれど、あの時代の方が真剣に日本の未来を考える政治家が多かったように思います。
まさに。
最初の政党内閣である第一次大隈内閣の時は、藩の枠を超えたといっても、親分を中心とした仲良し集団で、みんな美味い汁を吸おうとしていて、すぐに薩長の藩閥政治に逆戻りしたと書かれてます(第二次山縣内閣になった)
ここらあたりはちっとも変わってない(笑)
原敬は総理だけではなく、内務大臣・逓信大臣・司法大臣等を歴任し、高等教育の拡張にも力を注ぎ、銀行の頭取や新聞社社長の経験もあると八面六臂の活躍ぶりで、どの分野のエピソードだけでも一冊の本が書けそうですね。だからといっては何なのですが、平谷先生お得意の人情味溢れるパートがもう少し読みたい気がしました。
最終章を原敬暗殺と考えた時、それらを書くと全何巻になるか判らなくなります(笑)
一生のうちのどこかを切り取った方がもっと濃密な物語が書けたとは思います(苦笑)
ですよね。
「我田引鉄」とも呼ばれた利益誘導型政治を生み出したともされていますが、原敬が欧米十数カ国を巡る半年間の大旅行の経験(特にシベリア鉄道に感服)から、日本にもしっかりした鉄道網が必要だと考えたという面から見ると単なる利益誘導だけではないですよね。
原敬日記などを読んでも、日本に交通網を張り巡らせることが経済発展の第一歩という考えが強く出ています。地元岩手の鉄道整備はずいぶん後回しになりました。まず東京を中心とした核を作ってという考え方です。票が欲しければまず岩手を優先するでしょうが、それをせず、岩手の有権者達もそれを理解して原敬を国会に送り続けたのです。
山田線のエピソードとか(笑)
そうしたことを受け入れた下地は、『大一揆』や『柳は萌ゆる』に描かれているように、江戸時代に民百姓と膝をつき合わせて話し合いをし、藩政改革を進めたという過去の史実があってこそだと思います。
岩手県からは東北地方最多の四人の総理大臣を輩出してますが(宮城・山形は0名)、そこらあたりにも影響を及ぼしてませんか。
政府に都合の悪い事が起こり、それの尻ぬぐいや間を繋ぐような時に引っ張り出されているような気がします。難局を乗り切ったら「はい。ご苦労さん」的な(苦笑)
わたし自身は、過去の史実と現在の間に乖離を感じています。
牙も爪も抜かれてしまい、従順で人のいい人々の国になってしまったと。
なにが原因であったのか、さまざま想像できますが――。言及するのはやめておきましょう(笑)
わたしは政治的に中立でいたいと思っています。それは「なにを言っても無駄」という絶望からくるのですけれど(苦笑)
「為政者は国民を越えることはない」といいます。つまり、為政者を見れば国民のレベルが判るのです。
地元の方の感じ方はそうなるのか〜。
今後の著作に期待します(笑)→なにが原因であったのか、さまざま想像できますが
作中にもありますが、総理大臣といっても戦前は他の国務大臣と同格ということで、執政には苦労したみたいですね。私はこのことも最近知ったのですけど(汗;)
多くの権限を持つのであれば、それに相応しい人物でなければと思います。
まず、未来のビジョンがあり、なにをどう動かしてそれを達成するか――。それを見通した確かな計画があってこその政治家であると思います。
作中で何度も原敬に「国が成熟するまでいたしかたない」として、強引な方法をとらせました。
現在の日本は充分に成熟していなければおかしい(笑)
政治家の暗殺も多かった時代ですし、原敬も暗殺されてもやむなしと日頃から考えていたんですね。
日本は、成熟する前に腐敗が進んだのかも(汗;) 端から見ると、英国なんかは良くも悪くも成熟していると感じます。
色々な人に心配されて護衛をつれけるよう薦められていたんですが、本人は「衛をつけてもやられるときはやられる」と言って拒否していたんですよね。実際、拳銃で撃たれたり爆弾を投げつけられたりということを考えればその通りなんですよね。けれど、原を暗殺した青年は短刀を使いました。それなら護衛をつけていれば防げたかも――。と、思いますね。
作中でも、原敬は「寶積(ほうじゃく=仏教用語で『人を守りて己を守らず』)の道を歩む」と決意を語ってます。
選挙制度がまだ不完全だったし、日本の人民も成熟してなかったんですね。
『国萌ゆる 小説:原敬』は、明治時代の平民宰相として有名な政治家の伝記小説ということで、執筆されるにあたって今までの歴史小説とは違ったところはおありでしょうか。
難しかったですね。政治の話は戦などと違って動きがないですから(笑)
序盤は動きがあって書きやすかったんですが、政治家になってから事実の羅列が多くなり、まるで評伝のようになってしまった。原以外の人物を書き込んでいると膨大な枚数になってしまう――。
そこで一人称にしようと思ったんです。そうすれば事実の羅列も原の視点や考え方を書けるので小説の体裁を保てる――。200枚ほど三人称で書いていたものを最初から一人称に直しました。
「おや、この本はずっと一人称が続いているぞ」と途中で気がつきましたが、そういう理由があったんですね。原敬は、子供には恵まれなかったようで、兄の次男・彬を養子に迎えるも長男が結核を患い亡くなったために兄の元に戻したり、もう一人の養子の貢も病弱であったりと気苦労が絶えなかったようですね。同じ頃に母親も大往生し、兄も亡くなるということで、原敬の心がさまよう様も読みどころでした。
養子の彬の原敬・浅への敬愛や想いを考えたとき、政敵の山縣有朋や大隈重信にも原の知らない私生活があることに思いが及び、彼らのことをもっと多面的に捉えられば、微笑みながら付き合うことが出来るかも知れぬと考えるところも好きですね。
政治家原敬よりも一人の人間の人生に興味がありましたし、それを書こうと考えました。薩長を憎んでいた原健次郎が、いかに原敬になったのかという。
前述のFM岩手の番組でも冒頭で「薩長憎しで凝り固まっていた原健次郎が、政治家になりそれをどう乗り越えていったかを描きたかった」とおっしゃってましたね。
読み返してみると、確かに政治家の原敬が成長していく様がよくわかりました。原健次郎が洗礼受けたり、退校処分になったりの山あり谷ありの部分も面白かったのですが、政治の世界に入ってからは、抑え目な描き方がその趣旨に沿っていた感じを受けました。やっと内閣総理大臣になる時などは、もっとドラマチックに盛り上げて読者にカタルシスを味わわせる描き方もできたのに敢えてそうしなかったんだろうなとも思いました。
個人的には人間原敬の情味が出ている、浅との夫婦漫才的なシーンが一番好きです(笑)
総理という「地位」に焦がれていたとすれば、狂喜するでしょうが、原敬は日本という国の基礎を作ろうとしていたのですから「やらなければならないこと」が山積しているわけで、大きな喜びとは無縁であったろうと思います。だから、盛り上げられませんでしたね。
原と浅のやりとりは、わたしも楽しみながら書きました。
締め切りと読書感想文の審査の合間をぬってのインタビュー、ありがとうございました。新作、首を長くしてお待ちしております。
こちらこそありがとうございました。来年は「歴史アクションファンタジー」を書こうと思っています(笑)
久しぶりにアニマソラリスに相応しい作品になるかな――。それから岩手を離れた歴史小説も。まだ準備段階ですけれど。
はい。楽しみにお待ちします。