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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第一章 蒼天

福田弘生

 グラン・エルバ・ソンタール。かつてシャンダイア王国の首都カラマドールと呼ばれたこの星の最大の都市が、反逆者バマラグによりソンタール帝国の首都グラン・エルバ・ソンタールと改名されてから三千年がたった。

 素晴らしい朝だった。広大な都市の真っ青な空の下で、第百七十八代皇帝ハイ・レイヴォンの即位式が始まった。ソンタール帝国の首都をぐるりと囲む城壁には六つの門がある。その門から都市の中心の王宮に向かって一直線に伸びる六本の道は、すでに早朝から数十万人の市民によってびっしりと取り囲まれている。さらには道を見下ろす建物の窓にも人々が鈴なりになっていた。貴人を建物から見下ろすという事をこの国は禁じていない。
 午前八時、北、北東、南東、南、南西、そして北西の門が同時に開かれ、そこから二百人ずつの楽隊が華やかな音楽とともに都市に入った。観衆の間から花びらが舞い始める。楽隊の次には五百人の踊り子が、そしてその後にさらに二千人の兵士が続いた。この組み合わせが三組通り過ぎると、巨大な象の背の輿に乗って皇帝の重臣が入って来た。北からは黒の神官の総帥魔法使いガザヴォック。北東からはすべての海軍を率いる海軍提督ゼイバー。南東から貴族議会の長ケルナージ大公。南からすべての陸軍を率いる大元帥ハルバルト。南西から商人ギルドの長レボイム。そして北西から巫女の長メド・ラザード。六人は華々しい音楽と花吹雪と歓声に包まれながら大通りを進んで行った。六人の長老の後には、それぞれが代表する組織の名士三百人が続き、その後にさらに楽隊、踊り子、兵士の組み合わせが三組続いた。観衆の間に空いていた巨大な大通りも行進の人々で満ちた。
 北の門から入って長大な列の中心を進む魔法使いガザヴォックは、夏の日差しと南からの暑い向かい風を受けながら進んでいた。黒の魔法使いが民衆の歓声を浴びるのは皇帝の即位式のこの時だけだったが、老魔法使いはこれが嫌いでは無かった。巨大な象の上でガザヴォックはこの日に繋がるすべてが始まった十二年前を思い出していた。

 先代の皇帝ザンゼリル八世は、魔法使いガザヴォックとハルバルト元帥に看取られて四十歳という若さで病気のためこの世を去った。それはあまりに突然の死だった。皇帝が息を引き取った時、二度と目を覚ます事の無い皇帝を挟んで二人の大老は顔を見合わせた。その瞳には苦悩の色が浮かんでいた、後継者が決められていなかったのだ。その日から帝国の実力者達は、五人の子供とそれぞれの母親を出した貴族を中心にして後継者争いに入った。
 最大の実力者にして実直なハルバルト元帥はもうすぐ二十歳を迎えようとしていた長男を推した。しかし武勇をうたわれた長男は、破格で奇矯な振る舞いが多く、軍人達には好かれたが貴族議会がこの皇子を嫌った。
 貴族議会とその長のケルナージ大公は二つ年下の寡黙な次男をかついだ。皇帝はおとなしい飾りのような人物のほうが貴族達にとっては都合が良かったのだ。
 まだ八歳だった三男のムライアックの側近達は、ユマールの将ライケンを頼って早々と首都を逃げ出した。商人ギルドとその長レボイムは五将の中で最大の勢力を持つライケンとムライアックを密かに支持した。
 同じく四男も争いを避けるように黒の神官になった。しかし神官の総帥ガザヴォックは一目見てこの少年に何の才覚も無いと見抜き、全く庇護を与えなかった。この四男は巫女達にかわいがられ、巫女の長メド・ラザードが庇護下においた。魔法学校の教師という意味のメドの称号を持つこの魔女は、つい最近愛弟子のレリーバを東の将の元に送りだしたばかりだった。そして今また新しい駒を得て、さらに権力を拡張するチャンスを狙うつもりらしかった。
 最後に五男の赤ん坊が残されたが、その消息はすぐに途絶えた。皆はすでに誰かに殺されたのだと噂した。ザンゼリル八世の葬儀がようやく行われたばかりの首都の混乱に嫌気がさした海軍提督ゼイバーは、権力争いを後目にさっさとエルバン湖の要塞にこもってその巨大な水門を閉じてしまった。
 赤ん坊が行方不明になり、ゼイバーが去って三月が過ぎた。次に脱落したのは、巫女の長ラザードが庇護下においていた四男だった。ある朝、護衛の巫女達はベッドの中で冷たくなっている皇子の亡骸を発見した。メド・ラザードは怒り狂って学校を騒然とさせたが、犯人はついにわからなかった。
 さらに新皇帝が決まらぬままに半年が過ぎようとしていたある夜の事。王宮の一室で後継者争いを続けていた長男と次男が血まみれになって発見される事件が起きた。この二人は母親が同じであり、元々はとても仲の良い兄弟だった。争いに苦しんだおとなしい次男が先に自ら命を絶ち、長男が後を追ったのでは無いかと思われた。次男の胸には剣がささり、長男は毒を飲み血を吐いていた。
 ガザヴォックとハルバルト、そしてケルナージ大公が駆けつけた時には次男はすでに息絶えていたが、長男はまだ息があった。ガザヴォックは魔法によって長男を治療したが、若者は後遺症で記憶を失った。この長男は二度と皇位に近づけないという約束の元、ハルバルトが引き取る事になる。長男の性格から自殺はありえないとハルバルトはその後も言い続けた。その真相は謎のままだったが、その場に居合わせた三人の長老はこの事件を秘密にした。
 残ったのは三男のムライアックだった。ここに至って人々は、ユマールの将ライケンと商人ギルド、さらに商人ギルドと深く関わるバルトール人の地下商人と暗殺者が皇子達の死に深く関与しているのではないかと疑い始めた。
 だが、ムライアックの後見人であるライケンが満を持してユマールを出ようとした矢先、その出鼻をくじくように海軍提督ゼイバーがエルバン湖の湖上要塞から首都に舞い戻った。六角形の王宮にハルバルトとガザヴォックを訪ねたゼイバーの腕の中には赤ん坊が抱かれていた。それが行方不明になっていた五男だった。こうして後継者が決まった。
 最大の権力を持つ三人の手によって赤ん坊は密かに育てられる事になった。貴族議会の長ケルナージ大公、商人ギルドの長レボイム、巫女の長メド・ラザードもしぶしぶこの決定に従うしかなかった。その間、世間では長男か次男が皇位を継いだのだろうと言う噂が流され続けた。十二年後の即位式に集まった市民もそう思っていた。

 即位式が続いている。
 六つの大通りを通った長蛇の行列は、王宮の南の五十万人を収容出来る広場に到着して合流した。そこには入りきれない程の市民が集まって皇帝の登場を待っていた。普段は広場の反対側を見る事も難しいほど広大な広場も、人の群れで歩く事すら困難になっている。
 六人の長老を乗せた象は列を離れて王宮の前に進み出た。そして王宮の入り口の扉に続く、長い長い階段の下に三頭ずつ向き合うように並んで乗り手を降ろした。六人の長老は広場から階段の上まで続く赤と銀の絨毯を踏み、階段の最下段で立ち止まって絨毯の頂点を見上げた。
 楽隊の音楽が続いている。
 六人の中からハルバルト、ゼイバー、ガザヴォックの三人が階段をゆっくりと登り始めた。民衆の歓呼の声が地鳴りのように三人の背を押す。階段には二つの踊り場がある。最初の踊り場でガザヴォックが立ち止まった。黒の神官の総帥ではあるが、帝国の表向きの地位は第三位である。残る二人がゆっくりと階段を上り、二つ目の踊り場でゼイバーが立ち止まった。残るわずかな段をハルバルトが一人で登ってゆく。そして頂点のわずかに下の段で立ち止まった。階段の両側にズラリと並んだ喇叭手が下から順に駆け上るように華やかなファンファーレを吹き鳴らし、音が頂上に達した時、階段の上に皇帝ハイ・レイヴォンが姿をあらわした。

 漆黒の髪に真っ黒な瞳。色白の頬、赤い唇。黒に金の刺繍の縫い取りの豊かな上着と真っ黒なズボン、肩からは赤い裏地の豪華なマントをかけ、胸に斜に金色の鎖をかけている。少女かと思える程の深い潤いをたたえた目をした皇帝は、ハルバルトを見下ろしてニコリと微笑んだ。
「これからもよろしく、ハルバルト」
 ハルバルトは思わず胸にこみあげるものを感じた。
「はい、陛下」
 ハルバルトは携えてきていた少年用の小振りな剣を皇帝にささげた。レイヴォンは楽しげにそれを身につけた。続いて皇帝はハルバルトを引き連れて次の踊り場まで階段を降りた。提督ゼイバーが小さな盾を手渡した。
「陛下、時が参りました」
 皇帝は自分の命を最初に救ってくれた人物を感謝の念で見上げた。
「僕に出来るすべての事をしよう」
 レイヴォンは盾を腕にくくりつけた。続いて皇帝は二人の軍の司令官を引き連れて次の踊り場まで階段を降りた。そしてガザヴォックから指輪を受け取った。ガザヴォックは指輪をはめた少年の体から驚くほどの気の力が発散されている事に少し驚いた。そして心の中で思った。
(まさに時が来た。この少年こそ、私が手がけた最高の秘宝と言っても良いだろう)
 新皇帝は左に元帥を、右に提督を並ばせ、後ろに魔法使いを従えてさらに階段を降りた。階段の下に待っていたレボイムが短剣を、ラザードが巻物を皇帝に手渡した。レイヴォンは嬉しそうに巻物と短剣を抱えた。最後にケルナージ大公が冠をレイヴォンの頭に載せた。そして皇帝は六人の長老を従えて広場の中央につくられた玉座へ進み、ひとりでピラミッド型の階段を登った。
 ようやく玉座の段の頂上に辿り着いたレイヴォンは、高々と手を上げて民衆に挨拶を送った。人々はそこで初めて皇帝が少年である事、そして五男の赤ん坊であった事を知った。歓声にざわめきが広がり、さらにそれを押し包むように歓声が高くなった。広場の外から祝砲が轟音を響かせ、天には花火の煙が弾けるように浮かんだ。
 歓喜の声が大都市を包んだ。玉座に座った皇帝の姿を見上げて、ハルバルトとガザヴォック、正反対の性格を持つ二人の人物は同時に同じ事を考えていた。
(混迷の時代が終わろうとしている。これからこの皇帝の元に新しい時代が始まるのだ)
 こうしてソンタール皇帝が正式に即位した。

 ・・・・・・・・・・

 その同じ日、大陸の東岸にあるセントーン王国の首都エルセントの空も、間が抜けたようにスカッと晴れていた。王城エルガデールの会議室のベランダで空を見上げていたセントーン軍の総大将ゼリドル王子は、ため息をつくと振り向いて真っ暗に見える部屋の中に入って行った。
 広々とした会議室の中には、聖宝の守護者達がシムラーに向かって出発した後に残された者達が集まっていた。部屋の隅で、立ったままテーブルの上の水差しから水を飲んでいた魔術師トーム・ザンプタがゼリドルをにらんだ。
「どうしたゼリドル。この面子に不満があるのかね」
「いえ、そういうわけでは」
 そう言いながらゼリドルは長方形のテーブルに座った面々を見渡した。中央には父のレンゼン王が座っている。人望の厚い名君だが、すでに王位について三十年を越えて事実上の隠居状態にある。
 その横に戦士の大陸カインザーからやって来た、勇将レド・クライバーの息子のアントンが座っていた。この部屋の中で最年少の金髪の少年は、不安そうな顔で神妙に座っている。バルトールマスター・アントでもある人物だが、まだ十代半ばの少年に過ぎない。
 智慧の峰サルパートからは吟遊詩人のサシ・カシュウがここを訪れていた。伝説の歌声を持つ細身の男は博学で相談相手としては有能だが、戦闘についてはあまり役に立つ助言は期待出来なかった。
 海洋民族の島ザイマンに二千五百年にわたって潜伏していたのが、落ちこぼれの魔術師トーム・ザンプタである。海の精霊ホックノック族の始祖にあたる生き物だが、今はその力をホックノックの民に分け与えてしまっていた。ザンプタは南の将の要塞に残して来たソチャプという古代の花の事が気になっているらしい。
 バルトールからは、ベリック王の片腕のフスツとその四人の部下がここに残って王の帰りを待っている。さらにセントーンのバルトール人を束ねるマスター・リケルがいる。このバルトール人達の情報は極めて役に立った。しかし彼等はあくまでベリック王のためだけに日々を過ごしているように見える。これが残された要人のすべてである。ザンプタがピタピタとやって来て、ゼリドルの前に立った。
「あまり心配するな。ここに残されたのは、まあ客のような者達だ。これまでセントーンは二千五百年もの間この土地を守ってきた。それを続けてゆけばいい」
 大柄でハンサムなゼリドルは渋い顔をした。
「しかし今、ここにはミルカの楯が無い」
「確かにそれが問題だな」
 ゼリドルは父のレンゼン王を見た。
「すでに東の将キルティアの軍と南部で戦闘が開始されました。私は明日には最前線に向かいます」
「うむ。キルティアだけならば当面は防ぐ事が出来るだろう。問題はユマールの将ライケンだ。来襲まで何日くらいだろう」
「約一か月といったところでしょう。それまでには戻って来ます」
 サシ・カシュウが言った。
「セルダン王子達が順調にシムラーに着いて、クラハーン神の協力を得てアーヤ様を回復させて帰って来るとしても、まだ二か月弱はかかります。一か月後からはキルティアとライケンの両方の攻撃を防ぎきらなければなりませんね」
 ゼリドルがうなずいた。
「長い二か月になる。しかも二か月を過ぎてエルネイアがミルトラの泉に行かなければ、この国を保護しているミルトラ神の魔法の力が枯れていってしまう」
 マスター・リケルが冷静な声で言葉をはさんだ。
「ユマールの将の到着が少し遅れる可能性がわずかにあります。ザイマンのドレアント王の艦隊がライケンの艦隊をめがけて北上しているんです」
 サシ・カシュウが期待を込めて尋ねた。
「ドレアント王にライケンを止められますか」
「いいえ、とてもかなわないでしょう。ドレアント王も船員達も死ぬ覚悟で向かっているそうです。あるいはライケンの艦隊の航海を一日遅らせる事すら無理かもしれません」
 レンゼン王が少し寂しそうに笑った。
「それでも出撃してしまうのがドレアントらしい。もはや誰にも止められないな、せめて健闘を祈るしかない。わしらはわしらでセルダン達が戻って来るまで頑張るんだ」
 そう言って老王は隣に座っているアントンを見た。
「君には何か意見があるかね」
 アントンはじっと考え込んでから答えた。
「カインザー大陸のケマール川でオルドン王と西の将マコーキンが戦った時に、西の将の参謀のバーンという人がケマール川に大きな杭を打ち込んで橋をかけました。ライケンの艦隊の邪魔になるような仕掛けを川や港に出来ませんか」
 ゼリドルは驚いたようにアントンを見た。そしてザンプタに目を移した。ザンプタが水差しを手に机に歩み寄って机の上に広げられたセントーンの地図を覗き込んだ。
「すべての川と港に障害物を置くのはとても無理だ。だがライケンの艦隊が侵入できる深さのある川や港、あるいは湾はよく調べれば限られてくるはず。ゼリドル、そういう地形の情報は無いかね」
「いえ、今まで海から攻められた事がありませんので。しまったなあ、そのくらい 調べておけば良かった」
 マスター・リケルが腕を組んでフスツと目くばせしたのを、ザンプタは見のがさなかった。
「リケル」
 マスター・リケルが振り向いて肩をすくめた。
「仕方が無いな、ありますよ。密輸用に作成したセントーン全土の川と湾の資料が。レンゼン王がこれまでの密輸に目をつむってくださるのでしたら」
 老王がケラケラと笑った。
「よし、この状況だ、許すしかあるまい。ゼリドル、そなたは東の将の軍との戦いに全力を傾けろ。ライケンの相手はここにいる者達でやってみる。どうやら有能な者達が揃っているようだぞ。久々に血が騒ぐわい」
 そう言ってレンゼン王はアントンの肩を暖かく抱き寄せた。

 (第二章に続く

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