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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第九章 深海の暗闇より

福田弘生

 セントーンの王子ゼリドルは、王国の中央部に広がるルボン平原を埋め尽くす東の将の大軍を小高い丘の上から見下ろした。濃紺の鎧が延々と続く壁の前を吹き抜ける風には、まるで色がついているようにさえ思える。ゼリドルはすでに一度ルボン川を渡ってこの平野に踏み込んだ大軍を追い返している。しかしそれらは東の将の本隊では無く、戦意の低い貴族の連合軍だった。 ゼリドルは横に馬を並べていた参謀のベルガー子爵に確認した。
「これは本隊だな」
 険しい顔の子爵が答えた。
「間違いなく。キルティアは先に追い返された兵を後ろにまわして、自らが先頭に立っています」
 もう一人の参謀のヴォルザック男爵が続けた。
「キルティアの精鋭二十万、その後ろに先に追い返した兵が約十五万。対する我らが十五万」
 ゼリドルは笑みを浮かべた。
「相手はキルティアの精鋭だけと考えて良いだろう。ならば我らと五万の差」
 ベルガー子爵がうなずいた。
「さよう。十分互角に戦えます」
 やがてソンタール軍の中央が開いて赤い鎧の戦士が中央に進み出て来た。真っ赤な髪が風になびき、頬の模様が燃えるように見える。ゼリドルは一人で丘を駆け下りた。騎乗している芦毛の軍馬はボクッボクッと蹄の音を立てて、二つの軍勢がにらみ合う間のわずかな隙間に王子を運んだ。両軍の鎧の擦れる音が地鳴りのように辺りを支配して、馬のいななきさえも飲み込む。
「東の将か」
 赤い鎧の戦士はうっとりするような低い声で答えた。
「いかにも。わらわはキルティアじゃ。ゼリドルとはそなたか、雄々しくも美しき将軍である事よ。殺すには惜しいが命乞いは無駄ぞ。セントーンの民人の一人たりとも生かしておくつもりは無い」
 ゼリドルはカラカラと笑った。
「ならば、ソンタールの兵の一人たりとも生かして返すまい。美しき将よ」
 キルティアは青白い剣を抜いた。ゼリドルも銀色に輝く剣を抜く。二人はおたがいに向かって馬を走らせ、すれ違う前に高く剣をかかげて一度打ち合った。カチンと澄んだ音がして、火花が散る。二人の指揮官が流れるように円を描いて自陣に駆け戻ると、両軍の戦士がときの声をあげて激突した。

 ・・・・・・

 黒い巻物の魔法使いレリーバは、一人で火口湖からセントーン平野へと流れ込む水路の水門の上に立っていた。ぶ厚い石造りの水門の内側は毒に浸食されて湾曲したように削られている。魔法使いは金色の猫のような目で遠くの平原を見下ろした。荒々しい風が吹きすさんでいる。水門の横の荒れた岩場の上では巨獣デッサと、山猫マーバルの群れが見つめていた。キルティアの出撃後まで要塞に残っていた神官達もすでに出発している。
 レリーバは巨大なハンドルをゴリゴリと音をたてながら動かして水門を開いた。真っ赤な毒が水路を流れていく。やがて、水路はサガヤからトラム川に流れ込み、二手に分かれてその下流全域を冒すはずだ。
 心の中で姉妹達が何か言っているようだが、金色の瞳のレリーバに躊躇は無かった。やがてその瞳の色が幾度か変わり、黒い瞳で止まると涙が溢れ出た。
(私たちはどうして魔法使いになったのかしら)
 金色の瞳が答えた。
(欲しかったのさ、力が)
 赤い瞳が答えた。
(欲しかったのさ、知識が)
 黒い瞳が問いかけた。
(それを得て私たちはどうなったの)
 二つの声が同時に問いかけた。
(それよりお前は何が欲しかったんだ妹よ)
 黒い瞳のレリーバは答えなかった。やがて金色の瞳がその体を支配すると身軽に水門の上を駆け抜けて地面に飛び降りた。
「行くよ、デッサ、マーバル。もうここには戻らない。獲物はセントーン平野にある」
 無人になった要塞の隅の塔には、何かの仕事でしくじったらしい兵士の死体が吊るされて、風に吹かれて揺れていた。

 ・・・・・・

 ランスタイン山脈の北側は、すでにバルトール軍によって制圧されている。それを征伐するために遠征しているソンタールの将パール・デルボーンは、汗をびっしょりかきながら細い山道を歩いていた。鱗のような銀色の鎧はさっさと脱いで、兵士が引く獣の背にくくりつけている。大型の牛のようなその獣は、力強い足で刻みつけるように地面を削りながら歩み続けた。パールは率いている一万の兵のほぼ先頭を四人の部下と共に歩いている。少し見晴らしの良い場所に来た所で、パールは手を挙げて兵を止めた。そして振り返ると、蛇のように山道に繋がっている兵を眺めて部下に話しかけた。
「一万という数はこうしてみるとたいした数では無いな」
 部下と言うよりは、友人に近い大柄な男が答えた。
「それはそうです。グラン・エルバの街の中にある闘技場や競馬場でさえ観客が五万も六万も入るのに、ここには一万しかいない」
「なる程な、人の数をそういう目で計るとわかりやすい。さてと、お前達は真っ直ぐに月光の要塞に向かってくれ。俺は寄っていくところがある、ペイジ、ヒース。一緒に来てくれ」
 パールの四人の部下が不思議そうな顔をした。皆、貴族の次男、三男で能力に優れた者達である。名前は、ペイジ、ヒース、シャイー、ゲイル。
 ゲイルが困ったように答えた。
「たった三人で行くんですか。とんでもない、パール様に何かあったら俺達がデルボーン男爵かハルバルト元帥に殺されてしまいます」
「すぐに戻って合流する。心配するな」
 シャイーが心配そうに尋ねた。
「どこに行くんです」
「小鬼ゾックの繁殖地だ。この付近にあると聞いている。 魔法使いのテイリンがもう戻っているはずだから奴を引っ張り出す」
「なる程。でもゾックの数は二千そこそこだし、テイリン自身は黒の秘宝の魔法使いでは無い二流の魔法使い。それで俺たちに勝ち目が出てくるでしょうかね」
 パールは首をひねった。
「どうかなあ。しかし今のままではどちらにしろ勝てない。街道のソンタール軍は兵数は多いが山から降りられない。この数で月光の要塞に入っても守りきれない」
 部下達はびっくりしてパールを見た。
「そこまでわかってて、よくこのバルトール攻めを引き受けましたね」
 パールは明るい顔で微笑んだ。
「皇帝陛下のためだ。俺はどんな任務でも引き受けて喜んで死ぬつもりだよ。そのために生まれて来たんだと思っている。この豊穣な北の大地を陛下のために取り戻そうではないか」
 軍と分かれた三人の男達は、パールを先頭に歩き出した。しばらくしてペイジが尋ねた。
「パール様、ゾックの繁殖地の場所を知ってるんですか」
「いや、だがまわりの森の中に注意してみろ」
 二人の部下は森に注意を移した。
「わかるか」
「何かいますね」
「ルフーだ。元の黒い短剣の魔法使いギルゾンが飼っていた狼だ」
「それがなぜここに」
「ルフーはギルゾンが死んで解放された、と言うか解放されてギルゾンを噛み殺した。その後姿を見なくなったようだが、しばらく前にテイリンが東の将の元を逃げ出した時にテイリンに付き従っていたそうだ。そのルフーがここにいるなら、ゾックの繁殖地も近いはずだ」
 パールはよびかけた。
「ルフーのリーダーは人の言葉で話すと聞いた。俺はパール・デルボーン。俺の言葉がわかるなら、テイリンの元に案内してくれ」
 森の中から狼が続々と姿を現した。そしてその中から一際大柄な一頭が進み出た。
「第六の将か、何の用だ」
「テイリンに話があるんだ」

 ・・・・・・

 マコーキン率いる一万の軍はセントーンの北方の都市ソーカルスを包囲した。セントーンの正規軍は南に重点を置いて配備されていたため、ソーカルスの守備は極めて手薄だった。しかしその少ない兵達は、ソンタール最強の呼び声が高いマコーキン軍を相手に懸命の抵抗を見せた。三日後、ようやく都市を落としたマコーキンは、兵達が都市に厳戒態勢を敷く様子を眺めながら、参謀のバーンに話しかけた。
「セントーンが不落というのは伝説だったのだろうか。あまりに長い間、我々はそれを聞かされてきたから、今回の戦役のような準備をしなければ攻め込まなかっただけなのか。抵抗は激しかったが、一万の兵で我々はここを落とす事ができた」
 バーンは先に赤い房の付いた指揮棒を手持ちぶさたにいじりながら、戦闘時の混乱から起きた出火で焼けただれた町の壁を眺めた。
「そうとも言えますまい。現在、東の将キルティアが率いて南から攻め込んでいる軍は未曾有の大軍です。海からはユマールの将ライケンも来る。さすがのセントーンもここまでは手がまわらなかったのでしょう」
 その二人の話を女魔術師ミリアは後ろで聞いていた。マコーキンに運命を縛り付けられたミリアは、あの日以来マコーキンと一緒に行動している。
(マコーキンの疑問は重要な点をついている。確かにどこかがおかしい。いかにマコーキンとはいえ、一万の寡兵でここまで簡単にセントーンに進入できるものだろうか)
 美しい魔術師は、今日はエルセントにいた頃のような黄色のドレスを着ていた。行軍の途中のある日、マコーキンがこの服を持ってミリアの元を訪れた時、ミリアは不思議そうに尋ねた。
「どうしてこの色を選んだの」
「あなたの着ていた服が黄色だったから」
 マコーキンは素っ気なく答えた。その素っ気なさがミリアは気に入った。

 その夜。ミリアの泊まっている屋敷を思いがけない男が尋ねて来た。男はミリアの部屋のカーテンの影に立っていた。食事から部屋に戻ったミリアはすぐに気が付いて笑った。
「バルトールの暗殺者の訪問は久しぶりだわ、アタルス」
 アタルスは鍛え抜かれた巨体を滑らすように部屋の中央に進んだ。
「ミリア様、ここで何をしておいでですか。エルセントでは皆が心配しております」
「ごめんね。ちょいとしくじってガザヴォックの魔法にかかってしまったの」
 強面の大男が見るからにうろたえた。
「大丈夫ですか」
「さあ。どうなるのかさっぱりわからないわ。すでにガザヴォックの手は放れているらしいのだけど、マコーキンに魔法で縛り付けられてしまったらしいの」
 アタルスの目が闇で光った。
「弟たちも来ています。今ならばマコーキンの警護も手薄。暗殺する事も可能かもしれません」
「それはちょっと怖いわ。私とマコーキンの間を繋ぐ鎖の魔法の特性がわからないの。ガザヴォックはこれを獣の支配のために使ったけど、私とマコーキンの間はもう少し対等に近い気がしている。マコーキンを殺したら私自身も何か失うかもしれない。それよりセントーンの様子を聞かせてちょうだい」
 アタルスは、聖宝の守護者達がシムラーに向かった事。バリオラ神が復活した事。セントーンが滅亡の瀬戸際の状態にある事を説明した。
 ミリアはその話を聞いて納得した。
「セントーン軍が一方的に敗れている理由がわかってきたわ。エルネイア姫が前回ミルトラの泉を訪れてからもう二か月以上が過ぎている。加えてミルカの盾もセントーンに無い。ミルトラの水の力が薄れてきているんだわ。セントーンの力の源が枯れようとしている」
 アタルスは黙ってたたずんでいた。ミリアが微笑んだ。
「私の事は心配しないで、私だって翼の神の弟子よ。それにマコーキンはいまのところ私に何の危害も加えていない。セントーンの事はマルヴェスターと聖宝の守護者達の一刻も早い帰還を願うしか無さそうね」
「私達はどういたしましょう。セルダン王子が戻られるまでは、あなたの警護をするようにおおせつかっています」
「まずはバルトールの情報網を使って、私の事をセントーンのレンゼン王とロッグのマスター・トンイに知らせてちょうだい。それから、あなた達はここにいてしばらくマコーキンの動きに注意していて欲しいの。私が動けない以上、北部の情勢を判断して対処できる者が必要だわ。引き受けてくれる」
「もちろんです」
 アタルスはそう言うと、軽く礼をして窓から姿を消した。

 その数日後の事だった。ソーカルスの港に一隻の高速艇が入港した。しかし船は湾の中央の海上で停止するとそのまま動かなくなった。報告を聞いたマコーキンはミリアとバーンとバルツコワを連れて港に赴いた。桟橋から背の低い鋭い形の船を眺めてマコーキンは言った。
「どこの船だろう」
 博識のバーンが答えた。
「おそらくザイマンの船でしょう。しかし何をしているのだろう、さっさと着岸すればいいのに」
 その時マコーキンは妙な感覚を感じた。その船が何かゆらめいている様に見えたのだ。後ろにいたミリアがマコーキンの様子に気が付いた。
「どう、感じる」
 マコーキンは少し驚いて振り向いた。
「ああ、あの船には魔法があるのか」
 ミリアはうなずいた。
「船そのものかどうかはわからないけど、関係ある事は確かね」
「どうして私に感じられるのだろう」
「くびきの鎖のせいかもしれないわ。何か魔法的な力があなたのまわりに存在しだしたのよ。でも、初心者のあなたにも感じられるという事で、あの船の魔法の大きさを察してちょうだい」
 その時、マコーキンの兵の一人が船を指さして大声を上げた。
「動き出しました」
 皆の見守る中で、船がゆっくりと岸に向かって進み出した。そしてみるみる速度を上げると、大きな水しぶきをあげて陸地に乱暴に乗り上げた。不安定な格好で斜めに石畳に乗り上げた船の甲板から、太った男が姿を現して陸にむかってどなった。
「ここはソーカルスか」
 バルツコワが真っ赤な顔をして怒鳴り返した。
「そうだ」
 ミリアが驚いて思わず口を開いた。
「アシュアン。あなた何してるの」
 アシュアンは船の上からミリアを見つけて不思議そうな顔をした。
「おお、ミリアか。わからん、船が勝手に動いてここまで来てしまったんだ」
 バーンが素早く指示をすると、赤い鎧のバルツコワ率いる一隊が甲板まで板を渡して船に踏み込んだ。しかしやがてバルツコワが困った顔をして降りてきた。バーンが尋ねた。
「どうしたんだ」
「それが、ムライアック様と名乗る男が乗っているんです」
 大柄な武人が答えた。
「ムライアック。それは皇子の事か」
「どうもそのようで」
 バーンがマコーキンを振り向いた。
「私は会った事があります。見て参ります」
 バーンは身軽に板を駆け上ったが、やがて転げるように降りてきた。
「本物です。びっくりしたな」
 やがてよろけながらも立派な身なりに着替えた皇子ムライアックが船から降りて来た。マコーキンとバーンとバルツコワは膝をついてソンタールの第四皇子を迎えた。ムライアックは尊大な態度でマコーキンを見下ろした。
「マコーキンか」
「はい。ハルバルト元帥の命により、北方よりセントーンの情勢をうかがっております。ムライアック様はどうしてここにおいでなさったのですか」
 ムライアックは落ち着かなげにきょろきょろした。腕を組んだミリアが進み出た。
「嘘はつかないほうがいいわ。ここにいるのはとてもあなたの手に負える者達ではないから」
 ムライアックの前には歴戦の戦士、マコーキン、バーン、バルツコワが。後ろには海千山千の外交官のアシュアン、エラク、モントが立っている。ムライアックは腹をくくった。
「ユマールの将ライケンに命を狙われたんだ。この者達に助けられてセントーンに逃れるところだった」
 バーンがムライアックの後ろの三人を見た。
「さっき、翼の神の弟子ミリアはアシュアンと呼んだ。まさかカインザーのアシュアン伯爵か」
 アシュアンは肩をすくめた。
「そうだ。隠しても無駄だと思うので紹介しよう。横にいるのが、サルパートのエラク伯爵と、バルトールのマスター・モントだ」
 ミリアが笑い出した。マコーキンが不審な目で見た。
「何がおかしいんだ」
「おかしいわ。どうしてこんな面子がここに集まったのかしら。アシュアン説明して」
「ああ、私達三人はシャンダイアとソンタールの話し合いによる停戦を模索していた。誰に近づけばいいのか検討した末に、ムライアック皇子に会うためにユマールに渡ったのだよ」
「なる程、ところがセントーンに本気で攻撃をしかける事にしたライケンは、ムライアック皇子を用済みと考えて殺そうとしたわけね。マコーキン」
 マコーキンは名前をよび捨てられてちょっと驚いた。
「なんだ」
「どうするつもり。ここに国でもつくりましょうか」
「何を言っているんだ」
「だって、皇子もいるし将軍もいる。政治家もいるし、魔女もいるわよ」
 今度はマコーキンが笑った。
「バーン、ムライアック皇子をここで一番良い屋敷に御案内してくれ。バルツコワ、三人の外交官をその近くの屋敷に監禁してくれ」
 かすかに震えていたエラク伯爵が頭を下げた。
「寛大なご処置に感謝いたします。ところでミリア様はどうしてここにいるのですか」
 ミリアが片手を上げてエラクに応えた。
「後で説明するわ、それよりみんな気をつけて。何かが来る」
 皆が一斉に海を見ると、先ほどアシュアン達の船が浮かんでいたあたりに、いつの間にか小さな黒い船の姿が見えた。船は帆もはらずにスーッと港に入って来る。真夏だというのに空気に冷気が混じった。そして海の色が黒く濁った。
「何だあれは」
 船の舳先には一人の人物が立っていた。男は黒い布を顔にまきつけていてその人相はわからない。黄色い目が光っている。男の黒い衣に明るい赤紫の模様が渦を巻いていた。ミリアが叫んだ。
「気をつけて。ついに来たわ、黒い冠の魔法使い」
 アシュアン達が息を飲んだ。
「おお、ついについに」
 近づいて来る黒い船の後ろの海面が勢いよく盛り上がり、巨大な影が立ち上がった。それは優に五十メートルはあろうかという人間の姿だった、しかもその両肩からは三本ずつの腕が生えており、薄暗く見える胸の中央にもう一本の腕があった。巨大な怪物は咆吼をあげた。夕暮れに明るいバステラの月が水平線の彼方にあがっていた。

 (第十章に続く

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