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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第十章 器の魔法

福田弘生

 闇があった。
 一人の魔法使いの魂が長い間闇の中をさ迷って、やがて薄い灯りの下に辿り着いた。意識の壺の底から浮かび上がった魔法使いが、苦労して目を開けてぼんやりした目の焦点をあわせると、赤みがかった薄暗い天井が見えた。天井を下から照らす灯りは枕元のろうそくから来ているらしい。そして自分を覗き込んでいる老人の顔に気が付いた。
 頭をきれいに剃り上げた小柄な男。明らかに黒の神官の雰囲気を備えている。魔法使いは記憶を探って、その男に似た顔の人物を思い出して身震いした。
(黒い盾の魔法使いゾノボートか、まさかそんな事はあるまい。ゾノボートはカインザーで死んだはず。いったいこの老人は誰だろう)
 老人は手のひらを上に振って魔法使いに立つようにうながした。魔法使いは薄い紅色のシーツがかぶせられた硬いベッドから起き上がって、ザラザラした髭をかきながら老人の後をついて部屋を出た。そして自分が寝ていた場所が洞窟のような部屋であった事を知った。部屋の外には不思議な光景が広がっていた。
 頭上にはゆらめく光で彩られた巨大なドーム型の天井があった。目の前には濡れた岩肌の地面があり、視線を上げると少し先に暗い静かな海が横たわっている。海岸沿いにやや離れた所には無数の灯りが見える。おそらく都市だろう。その灯りの向こうに青と赤の巨大な柱がドームの天井まで続いているのが見えた。魔法使いはマルバ海でソホスに襲われて沈んだ事を手がかりにして思い当たった。
「トンポ・ダ・ガンダか」
 老人が振り向いてうなずいた。
「そうだ、シャクラ」
 シャクラは老人をじっくりと観察してハッとした。
「先代の黒い冠の魔法使い、ザサール様ですか」
「いかにも」
 ザサールの顔の深い皺の中から、嬉しそうな目がシャクラを見つめ返した。
「待っておったよ。おまえさんに用事があるのだ」
 シャクラは細くて青白い顔をひきつらせた。
「ザサール様がなぜ私の事をご存知なのですか」
 皺くちゃの老人はクツクツと笑った。
「わしがまだ黒い冠の魔法使いだった頃に予見していたのだ。わしの力を継ぐ者が来るとな」
 シャクラは驚いた。
「私にその才はございません。それにすでに黒い冠の魔法使いは継いだ者がいるはず。名も無き魔法使いと呼ばれているそうですが」
 ザサールは険しい顔になった。
「あれは黒い秘宝の魔法使いでは無いし、ましてやバステラ神の神官でも無い。あらゆる魔法使いの範疇に入らない怪物だ。今のお前に黒の秘宝の魔法使いの力が無いのはわかっている。だがまだおまえの魔力の器は一杯になってはいない。すくなくともそれを一杯にするのだ。力を集めるんだ」
 そしてザサールはシャクラの額に手をかざした。
「まずはわしの分」
 ザサールの手がかざされた途端、シャクラは一瞬目の前が白くなり、背中を走る痛みとむずがゆさに身震いした。しかしその後、体に熱が宿り力がみなぎるのを感じた。
「なんとこれは不思議な感覚。しかし、なぜこんな事をなさいます」
「名も無き魔法使いの道を閉ざすのだ。あれはソンタールにもシャンダイアにも関係無く世界に破滅をもたらす」
 シャクラは首を振った。
「それは私の魔力では無理です」
 ザサールは肩を振るわせてシャッシャッと笑った。
「お前の潜在的魔力がたいした事が無いのはわかっておる。しかし、お前には力を受け入れる多くの場所があるのだ。自らに力を満たすがいい。お前が集めた力を最後に受け取る者がいるはずだ、その者を探せ」
 シャクラは納得したようにうなずいた。
「私は魔力の運び屋という事ですね」
「そうだ、器の魔法使い。類い希なる能力でもある。だがわしに予見出来たのはそこまで」
 ザサールはそこまで言うと、シャクラに背を向けて静かに海辺に歩み寄った。シャクラは黙って後に続いた。やがてザサールは水に足を浸して振り向いた。
「ようやく眠れる」
 シャクラは悟った。
「逝かれますか」
「ああ。さすがに疲れた」
「私はこれから何処に行けば良いのでしょう」
「世界は魔法に満ちている。お前の力に見合う程度の相手を見つけてその力を奪え」
 そう言うとザサールは懐に手を入れて小さなガラスの瓶を取り出した。
「ルドニアの霊薬というのを知っているか」
 シャクラはうなずいた。
「解放の薬ですね。噂では黒い短剣の魔法使いギルゾンの元にいたルフーは、ルドニアの霊薬で解放されてギルゾンをかみ殺したそうです」
「これがそうだ」
 ザサールはシャクラに小瓶を渡した。
「どうやってこれを手に入れられたのですか」
「これを持っていた男と水中で格闘した時に手に入れたのだよ」
 そう言ったザサールの顔はちょっと得意気に見えた。
「わしの知る限りその男は霊薬を三つの瓶に分けて持っていたらしい。これが一つ、もう一つは闇の巨獣をわしから解放するために使った。最後の一つは海中に落ちてここに届いた。それが巻物の守護者の手元にある。よいか、魔法の品は世界を巡っている。手元に来たときには無駄にするな」
 シャクラは小瓶を黒い神官服の懐にしまった。それを見届けたザサールは背を向けると、静かに水の中に入って行った。シャクラは黙ってその後ろ姿を見送った。波の音が静かに聞こえている。
 やがてシャクラは遠くに見える灯りを目指して海辺を歩き出した。その時、前方からホックノック族の女性がやって来るのが見えた。シャクラは初めて目にする不思議な生き物の姿に目を瞠った。そのオレンジ色の羽を持つ蝶のような精霊は近づいて来ると、甲高い声で話しかけた。
「ザサールとの話はついたかえ」 
 シャクラはいきなり話しかけられた事にちょっと驚いて答えた。
「え、ええ」
「安らかに逝ったか」
「おそらく」
「ふむ。それは良かった」
 ホックノックの女性の羽が薄い紫になった。
「それで、そなた、これからどこに行きたい」
 シャクラは少し考えて答えた。
「緑の要塞と呼ばれる所に」
 妖精の羽が今度は明るい緑色になった。そしてかすかに首をかしげた。印象的な大きな目は潤っているようにさえ見える。
「不滅の鷲が死んだ所か、なぜだ」
「他の戦場には巨大な魔法があります。私の知っている限りでは、あそこにはそれ程の魔法使いはいないはず」
「よかろう、なぜかゼネスタがそなたを送りたいそうだ」
 海面から白い巨大な竜が首をもたげた。ここで初めてシャクラは気が付いた。
「おお、それではあなたは」
「ミッチ・ピッチじゃ。ザサールにはかつて力があった。すでに寿命はつきようとしていたが、二人の人物に会うまでは死ねないと言っておった」
「二人ですか」
「そうじゃ。先にカンゼルの剣の守護者に会ったらしい。そして二人目がそなただ。それが何を意味するのかはわからん」
「おそらく、現在の黒い冠の魔法使いの力を封じる事が出来る二人なのでしょう」
 ミッチ・ピッチの羽が黄色く輝いた。
「そなたに出来るのか。このトンポ・ダ・ガンダを丸ごと封じた事がある魔法使いだぞ」
 シャクラはあわてて手を振った。
「今の私にはとても。私が集める力が何かの役に立つのでしょう」
 白い海竜ゼネスタが水際までやって来て大きな頭をシャクラの前に横たえた。シャクラはその頭に登ると、ミッチ・ピッチに尋ねた。
「一つ聞かせてください。私がここに沈んだ後、ザイマンのドレアント王とユマールの将ライケンの艦隊が戦ったはずです。ドレアントはどの程度ライケンの戦艦を沈めたのでしょう」
「本人がここに来て三十隻と言っておった」
「それは大健闘だ」
 シャクラは笑うとミッチ・ピッチに手を振って背を向けた。海竜ゼネスタはゆっくりと水に沈みはじめた。シャクラはあわてた。
「海竜の女王、私は海中で息が出来ない」
 海竜の心がシャクラに届いた。
(ザサールは海中で息をする事ができた)
 シャクラは手の平をしばらく見つめた後、顔をなでて顔の周りに空気の膜をつくった。しかし海水が頭の上まで来た時、シャクラはその方法が間違っていた事に気付いた。
(これでは濡れないが、すぐに苦しくなってしまう)
(飲み込め)
 海竜が言った。シャクラは口を開くとその空気の膜を飲み込んだ。やがて水が口の中に入ってきた。器の魔法使いは腹をくくると、水をいっぱいに飲み込んだ。すると突然に息が出来た。
(さすがだ。そなたは受け入れた力をすぐに使いこなす事が出来る)
 やがて闇のような海を抜けて、青い空の下にシャクラは戻った。太陽はまだ高い。なぜかシャクラは昼間に海上に戻った事に意外な感じを受けた。ゼネスタはシャクラを乗せたまま海面に首をもたげた。
「海竜の女王よ、これからどうする」
 その時、海面に船が見えた。船はどこかの王室の船のような豪華な造りだったが、どうにも不格好で重そうに見える。
(あの雪が積もったような重そうな造りはサルパートの船か)
 ゼネスタはシャクラをその船に運び、太い首を甲板にのしかけるようにして魔法使いを降ろした。そして大きく水しぶきをあげて海中に消えた。
 シャクラが黒い神官衣を整えて見回すと、仰天した船員達が腰を抜かしたようになって震えていた。シャクラは震えている船員に尋ねた。
「この船は何処に行くんだ」
 船員はガクガクしながら船室のほうを指差した。やれやれと言いながらシャクラは階段を上って豪華な船室に入った。部屋の中央には丸い机と背の高い椅子があり、そこに座っていた長髭の老人と品のいい貴族が驚いたように振り向いた。貴族が立ち上がった。
「誰だ」
 シャクラはうなずいた。
「なる程、俺から名乗るのが先か。俺はシャクラと言う」
 それを聞いた貴族は、眉を寄せてしばらく考え込んだ。
「シャクラと言うのはドン・サントスの元にいる魔法使いだな。先ほど海面に見えたのは伝説の海竜ゼネスタ。それではドン・サントスはついにミッチ・ピッチと手を結んだのか」
 シャクラは首を振った。
「大した知識と洞察力だが、違う。今の俺はドン・サントスとは関係なく動いている。さあそちらも名乗ってもらおう」
 貴族はちょっと口元をゆがめた。
「私はレリス。サルパートの侯爵だ。こちらはエスタフ」
 座ったままの老人が険しい顔でうなずいた。
「サルパートの神官長である」
 シャクラはちょっと驚いた。
「この戦闘の真っ最中にサルパートの神官長がなんでこんな所にいるんだ」
 エスタフは吐き捨てるように言った。
「色々と国の事情があるんだ」
 シャクラは思わず笑みを浮かべた。
「なる程、レリス侯爵は巻物の守護者の父親だな。面白い、この船、乗っ取らせてもらうぞ」
 レリス公爵が指を鳴らすと、恐る恐る数人の兵が入って来た。シャクラは指先から炎を吹き出すと、兵達の前で円を描いた。
「俺程度の魔法使いでも、この船くらいは支配出来るぞ」
 レリス侯爵が苦虫をかみつぶしたような顔で言った。
「グーノス島に行くのか」
「いや、その時間は無い。真っ直ぐに緑の要塞を目指す」
 エスタフ神官長が立ち上がって叫んだ。
「緑の要塞だと。我々はエルセントに行くのだ。そして用事を済ませたらさっさと帰るんだ」
 今度はレリス公爵が気色ばんだ。
「私の娘の結婚式を用事だと」
 シャクラは二人を見て肩をすくめた。
「巻物の守護者の結婚式はしばらく待ってもらえ。この船は緑の要塞に向かう」
 こうして、先にエルセントに向かったカインザーの外交官達が北に連れ去られたように、今度はサルパートの神官長と侯爵が南へと進路を変えさせられる事になった。

 (十一章に続く

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